――――夢を見る。
覚えている。あの姿を。あの声を。あの眼差しを。
忘れることはない。みんなが忘れても。私だけは。私だけが。
それでもきっと私は――――
「フリーレン。君はこれからどうするんだい?」
そう聞き慣れた声がかけられる。いや、少し変わっているのか。そこには私が知っているヒンメルがいた。ただ私の記憶とは大きく違っている。端的に言えば老いぼれていた。背は縮み、口には長い髭が。頭は禿げてしまっている。それでもヒンメルだと分かるのはその眼差しが全く変わっていないから。それがなければ私でもヒンメルだと気づけなかったかもしれない。
私は今、ヒンメルの家の前にいる。片道一週間、都合二週間の短い旅を終えて私たちは王都へと戻ってきたところ。さっきまで家で晩酌をしていたのだがお開きになった形。晩酌と言っても飲んでいるのは私とアイゼンだけ。ハイターは最近はお酒を控えているらしい。信じられないこともあるものだ。あの飲んだくれの生臭坊主が。今更良い子ぶっても女神様は許してくれないだろうに。二人とも楽しそうにしながらそのまま宿へと戻って行った。残るは私だけ。そろそろお暇しようとしたのだが、こうしてヒンメルに引き留められてしまった。
「魔法収集を続けるよ。中央諸国をまだ巡り切れてないし。
ヒンメルの問いにそう答える。そういえば五十年前も同じことを聞かれた気がする。元々百年くらいは中央諸国を回るつもりだったのだが、暗黒竜の角で思い出した
「――ああ、本当に綺麗だった」
「でしょ? とっておきの場所だったんだから」
「そうだね。まさか歩いて一週間もかかるとは思わなかったけどね」
「仕方ないでしょ。ヒンメルもハイターも老いぼれるのが早いんだから。おかげで間に合わなくなるところだったよ」
「毎朝寝坊していたとは思えない言い草だね」
思わぬ返しにそれ以上は反論できないがそれは嘘ではない。ヒンメルはもちろんだが、ハイターも貫禄が出るくらいには老いてしまっていた。変わらないのはアイゼンぐらいか。流石はドワーフといったところ。本当なら一週間もかからずに秘密の場所につくはずだったのだが、ぎりぎりになってしまった。ヒンメルにいたっては杖をついているのだから当たり前といえば当たり前。でもつい最近まであんなに元気だったのに、本当に人間はあっという間に老いぼれてしまう。なので私が寝坊したのは些事でしかない。それもちゃんと計算に入れていたのだから。決して忘れていたわけではない。
「本当に君は変わらないね。姿も心も昔のままだ」
「悪かったね。どうせいつまでも子供だよ、私は。そういうヒンメルはどうなの? 大人になったの?」
「いいや、僕も君と同じだよ。僕の心は、君たちと旅した頃のままさ」
「じゃあ子供だね」
「少しは空気を読みなさい」
いつものやり取りを思い出したのだろう。ヒンメルは少し困った顔をしている。どうやら姿は変わっても中身は全く変わっていないらしい。変わらず子供のままだ。私たちをいつも振り回していたお人好しのまま。知らず、みんなが自分を置いて変わってしまったかのように感じていたが、思い過ごしだったのだろう。やっぱりヒンメルはヒンメルのままだった。それに安堵するも
「…………フリーレン、もし君が良ければ、しばらく王都で暮らさないかい?」
どこか神妙な面持ちのまま、ヒンメルはそうらしくないことを口にしてきた。
「私が王都に……? 何で?」
「まだ話したいことがたくさんあってね。もちろん、無理にとは言わないけれど……」
そのまま煮え切らない態度でヒンメルはそう提案してくる。本当にらしくない。十年旅をしてきた中でも見たことのないような姿。いつもは有無を言わさずこっちを巻き込んでくるのに一体どうしたのか。そのことに引っかかりを覚えるものの
「? 別にいいけど。急いでるわけじゃないしね」
そう承諾する。魔法収集の旅は続けるつもりだが、別に急いでいる訳じゃない。少し腰を落ち着けて魔法の研究をしたいとも思っていた。王都なら魔法店には困らず、設備や環境も整っている。断る理由もない。それにしても話したいことか。
「――そうか。ならもうしばらく一緒にいられるね、フリーレン」
本当に嬉しそうに、ヒンメルはそう告げてくる。その笑みにいつかのヒンメルの姿が重なる。こんなことぐらいで喜ぶなんて。本当にあの頃のままなのだろう。何にでも大げさなのは変わらないらしい。
「なら色々と準備が必要だね。明日、一緒に買い物に行こうか」
「心配ないよ。必要な物は持って来てるし」
「そうはいかないよ。こういうことはちゃんとしないと」
「相変わらずだね」
もう気持ちが逸っているのか。明日のことを言い出すヒンメルに呆れるしかない。そういえばヒンメルはこういう奴だった。何でも楽しまなくては気が済まないのだろう。しばらくはそれに付き合わされると思うと憂鬱だが仕方ない。もう約束してしまったのだから。そんな中
「――フリーレン、実は君に紹介したい友達がいるんだ」
ヒンメルは突然そんなことを言い出してしまう。本当に今日はどうしたのか。脈絡がないのはそうだが、今日はそれが際立っている。
「友達? 誰なの?」
「それは会うまで内緒さ。きっと驚くと思うよ。本当は一緒に
「当たり前でしょ。私でも断るに決まってる」
どこか自慢げにそう語ってくるヒンメルを訝しむしかない。知っている。こういう時は碌なことにならない。一体誰なのか。この五十年の間に交流があった人物なのだろうか。人助けが歩いているような奴だ。出会いなんてそれこそ星の数ほどあってもおかしくない。考えるだけ無駄だろう。それこそヒンメルの思う壺だ。
だが同情するしかない。こいつに巻き込まれたのならきっと迷惑しているに違いない。既にそれが見て取れる。いくら仲が良くても、かつてのパーティでの旅に部外者であるその友達を誘うなんて。どうかしている。断られて当たり前だろう。私がその友達だとしても断るに決まってる。きっと今のように舞い上がってしまっていたのだろう。
「そうだね。その人にも同じことを言われたよ。きっと君とも仲良くなれると思う。君も友達になってくれると嬉しいな」
「そう。期待しないで待ってるよ」
そのまま踵を返す。気づけばもう夜も更けてしまっている。このまま喋り続けたらきっと朝になってしまう。話したいことがたくさんあるというのは本当だったらしい。ならここらで切り上げるとしよう。そのために王都に留まることにしたのだから。時間はいくらでもある。また明日聞けばいい。いや聞かされるの間違いか。
溜息を吐きながら自分の宿屋へと向かう。その背から
「お休み、フリーレン。また明日」
いつものように、ヒンメルから声がかけられる。十年間。何度も聞いた言葉。
「お休み、ヒンメル」
それにいつものように返す。特別なことなんて何もない。ただの日常の挨拶。
その言葉の意味を、後悔をその時の私は知らなかった。知ろうとしなかった。まだ人の心を知ろうとしなかった私には。
翌朝、勇者ヒンメルは眠るように
それが夢の終わり。そしてフリーレンにとっての葬送の旅の始まりだった――――