第四十四話 「新居」
魔王討伐から三年後。中央諸国グレーゼ森林にある村にて。
「……起きて」
どこからか自分を呼ぶ声が聞こえる。意識がまどろんでいる。そういえば何か良いことがあった気がする。一体何だったか。次第に覚醒していく感覚。どうやら僕はまだ寝ていたらしい。何度か起きそうにはなったが繰り返し寝入ってしまった。段々と思い出してくる。昨日何があったのか。
「起きて」
そんな聞き慣れた、幼い声とともに体が揺らされる。どうやら僕を起こそうとしてくれているらしい。アウラではない。一緒の部屋に寝ているのに起こしてすらくれない。間違いなくリーニエだ。起こしに来てくれたのだろう。二週間ぶりに帰ってきた僕のことを気にかけてくれているのだろう。ならそれに応えなくては。師匠として弟子に情けないところは見せられない。昨日までの旅の疲れなんてもう吹き飛んだ。そう決意新たに、爽やかに目覚めんとした瞬間
「起きろ、クズ」
「僕はクズじゃないーー!?」
そんな、あんまりな呼称によって、ヒンメルは人生の中で最悪の目覚めを更新したのだった――――
「起きたのね。早かったじゃない、ヒンメル。リーニエの目覚ましはやっぱり効くみたいね」
「あれが目覚まし!? 何て言葉をリーニエに教えてるんだ!? 心臓が止まるかと思ったんだぞ!?」
「知らないわよ。私は何も教えてないわ」
慌ただしく階段から駆け下りてくるヒンメルに背中越しにそう返事をする。酷い既視感を覚えるが気のせいだろう。ヒンメルは息も絶え絶えといったところ。心臓云々はあながち誇張でもないのかもしれない。勇者の心臓を止めたとあっては魔族としては誉れだと言えるが、その理由が下らなすぎる。魔王様にも顔向けできない。
「シュトロが言ってた。ヒンメルはクズだって。あと女のてき。村のみんなもそうだって」
「あのクソガキ……今度来たら覚えてろよ」
「やっぱりクズじゃない」
後からマイペースに降りてくるリーニエによってその理由も明かされてしまう。普通なら口にしないような秘密を湯水のように垂れ流している。この子に内緒話や噂話をするのは自殺行為だとあれほど言っているのにシュトロは本当に学ばない。そして同じく表には出せないようなことを口走っているクズ勇者。もはや言い訳もできまい。
「そういえば私もシュトロにスカート捲られた。シュトロもクズだね」
「出てこいシュトロォォッ!! ぶっ殺してやる!!」
「朝から五月蠅いわね。近所迷惑だから止めなさい」
「クズばっかり」
朝から家で奇声をあげているヒンメルを無視しながら朝食の準備を続ける。これ以上騒いだらまた噂されるだけだろうに。リーニエのスカートを捲られたことにお冠らしい。当のリーニエは全く気にしていないのにご苦労なことだ。本人は師弟だのなんだの言っていたが、それだけでもないのだろう。私達には理解できない類のものだが。それはリーニエも同じなのか、それとももう飽きたのか。覚えた言葉を無理やり使いながら私の手伝いにやってくる。とりあえずシュトロにはしばらく我が家には寄り付かないよう警告するべきかもしれない。
それが私とヒンメル、そしてリーニエが加わった新たな日常の一幕だった――――
「いただきます」
そう言いながら朝食を開始する。待ってましたと言わんばかりにそれにかぶりつくリーニエ。子供だからなのか、食べ盛りだからなのか。特に最近はよく食べるようになっている。比例して食べ方が酷くなっているような気がするが既にあきらめている。
自分もまたアップルパイを口に運びながら何とはなしに部屋を見渡す。新しいキッチンにテーブル。そして人数分の椅子。半年前に完成した私たちの家だ。きっかけはヒンメルの一言だった。
『僕たちの家を建てよう』
そんな頭がおかしくなったかのような宣言とともに全てが始まった。いやもう終わっていた。きっと前から考えていたことだったのだろう。ずっと宿屋を間借りしていたのに遠慮したのもあるだろうが絶対にそれだけではない。単純に自分の家が欲しかったのだ。リーニエが新たに加わったのも理由だろう。何でも人間は番ができたり、子供ができたりすると家を新築したり引っ越したりするものらしい。ただでさえリーニエのことで色々噂されているというのに。そのことを指摘するも全く気にせずヒンメルは突っ走るだけ。一体何なのか。もしかしたらアイゼンに何か言われたのかもしれない。それはともかく行動力の塊のようなヒンメルが本気で動き出したら止められる者などいるわけがない。あれよあれよという間に家は完成し、私たちはここに移り住むことになった。
(まあ、便利ではあるわね……)
そのまま紅茶を飲みながら振り返る。色々あったが、以前の宿屋での生活に比べれば雲泥の差だろう。何より自分の部屋があるのは有難い。今まではどこにいても四六時中ヒンメルと顔を突き合わせなくてはいけなかったのだから。本も増えてきたので半分書斎のようになっているがまあいいだろう。私が買ってくるのもそうだが、ヒンメルも旅先で手に入れた魔導書を持ち込んでくるので狭くなる一方ではある。いらないと言っているのに変な魔導書をもらって帰るのはどうにかならないのか。あんな魔導書で喜ぶのはあのエルフぐらいだろう。
「うん、やっぱり君のルフオムレツを食べると帰って来たって感じがするね」
「大げさね。たった二週間出かけてただけじゃない」
当の本人はそんなことは知らないとばかりにいつも通り。リーニエに負けじと朝食に夢中だ。子供が二人いるようなもの。その物言いも大げさそのもの。まるで人間で言うなら数年ぶりに帰って来たような空気を醸し出している。
(変わったと言えば……ヒンメルもよく出かけるようになったわね)
家が新しくなってからだろうか。ヒンメルは家を、村を出ることが多くなった。どうやら王都からの要請によるものらしい。そういえば謁見の時にもそんな話をしていた。流石に無視するのが難しくなったのだろう。元々それに応えることが私を容認する条件だったのだから仕方ない。リーニエがいることもあるのだろう。私はそれに同行せず、村に残ることになっている。
『君たちを頼りにさせてもらってるのさ』
そう、本当に得意げに答えるだけ。どうやら自分もアイゼンの真似がしたかったらしい。言っていることは最低だがもはや言うまい。
「それでもさ。リーニエもそう思うだろ?」
「私はリンゴの方が好き。ヒンメルが帰ってくるからって買い物に行かされて私は迷惑した」
「……リーニエ」
「? 何、アウラ様?」
「……何でもないわ。さっさと食べなさい」
「相変わらずだね、二人とも。元気そうでよかった」
そして相変わらず何も考えず、思ったままを口にしているリーニエ。これでは私もシュトロのことを言えないかもしれない。まさかこんな弊害が出るとは思っていなかった。だがリーニエは私の命令を守っているだけ。それを咎めるわけにもいかない。それをお見通しだとばかりに見守っているヒンメル。相変わらず癪な奴だ。
「そういえばアウラ、今日もラブレターがたくさん届いているよ」
「はぁ?」
洗い物をしながらもそんな声を上げてしまう。当たり前だ。いきなりそんな意味不明なことを言われてまともな反応ができるわけがない。
振り返りながらそのラブレター、もとい郵便物に目を通す。それだけでヒンメルが何を言っているのか理解する。その冗談、皮肉の意味も。
「……ああ。聖都の連中でしょ。何度か行っただけなのにいい迷惑ね」
それは聖都から私に宛てた郵便物だった。半年ほど前からちらほら来るようになった物。それまでは私宛に郵便物なんてくることはなかったのに。どうやらあの生臭坊主のせいらしい。何度か依頼という名のお誘いで聖都に行った時に裁判の真似事をしたせいだろう。
「それだけ君の力が役に立ってるってことさ。僕も鼻が高いね」
「何であんたが喜んでるのよ。喜んでるのはあの生臭坊主だけでしょ」
こうなることが分かっていたのだろうか。どうやら一年前、私が冤罪を防いだ一件以降ハイターは私の力を利用したいと考えていたらしい。こちらとしてはいい迷惑なのだが、背に腹は代えられない。報酬もだが、聖都や王都に私の有用性を主張するという意味では役に立つ。だが明らかに度が過ぎている。前回行った時には天秤の二つ名が広まっており、しまいには聖都の人間に様呼びされてしまった。間違いなくあの生臭坊主の仕業だろう。
その結果がこの手紙の束。私に聖都に来て欲しい、罪人の無罪を証明してほしいという嘆願の手紙だった。ハイターに出せばいいものを。どうやら私がこの村にいることも噂になっているらしい。本当に人間は噂というものが好きなのだろう。ラブレター云々もあながち間違いではないかもしれない。こっちはいい迷惑だが。
「なまぐさぼうずって誰?」
「ハイターのことさ。ほら、何度か会っただろう? よく飴をくれるおじさんのことさ」
「飴ぼうずのこと?」
「何よ、その変な魔物みたいな呼び方」
「あいつにぴったりだろう?」
知らない間にあいつは生臭ではなく、飴の坊主になっていたらしい。どうやらリーニエ的には飴をくれるおじさんとしか認識していなかったらしい。意味合い的には飴の方がマシな気がするのはどういうことなのか。
「好きにすればいいわ。それで? 勇者様には本命のラブレターは届いたの?」
「御覧の通りさ。
「……そう。期待しないで待ってなさい。薄情者のエルフが約束を忘れていないことを祈るのね」
意趣返しであのエルフをネタにするもヒンメルは全く動じていない。そんなことは分かり切っているとでも言わんばかり。煽った私も本当にそれでいいのかとドン引きするレベル。やはりアイゼンの所に行ってからのヒンメルは何かおかしい。色々な意味で吹っ切れているとでもいうのか、何かに急かされているのか。だが
「ヒンメル、飴ちょうだい」
「え? 何でいきなり」
「……もういい。役立たず」
「待ってくれ、リーニエ。ちょっと僕とお話しないか? 流石に僕も心が折れそうだ……」
そんなヒンメルもリーニエには敵わないらしい。どうやらハイターの話をしたことで頭の中が飴でいっぱいになったらしい。この子ほど自分の欲望のままに生きている魔族もそういまい。嘘をつかず、欺かない分さらにそれが極まっている気すらする。そして着実にヒンメルの心を折るような単語を身に着けている。どこから仕入れてくるのか。
それによって既に弟子に倒されかけている師匠を横目に洗い物を再開するのだった――――