(私は一体何をさせられているのだ……?)
目の前で広がっている光景にただ呆れるしかない。そういえばつい先ほども同じことを考えていた気がする。だが仕方ないだろう。
そこには魔族の女、ソリテールの姿がある。しかし先程までしつこいぐらいに私に話しかけていたのとは全く様子が異なっていた。無言でただ本を読み続けている。周りが全く見えていないであろう程の集中力。思わず目を見張るほど。今私たちは教典科の書庫にいる。ソリテールの要望に応えた形。ここに着くなりソリテールはこの調子だった。もうかれこれ数時間が経とうとしている。それを示すように机の上には本が山積みにされている。本当に読めているのか怪しく思えるような速さでページを捲っている。その表情はまるでおもちゃで遊んでいる人間の子供のよう。それを邪魔するわけにもいかず、かといって監視の任務を放棄するわけにもいかない。そして
「うーん……よし!」
もう一人の問題児が私をさらに悩ませる。まさに頭痛の種。リーニエはあろうことか本を積み木のように積み上げて遊んでいる真っ最中。人間の子供でももう少しマシだろう。職務放棄どころではない。職務を妨害しに来ているのかと思うほどの自由奔放っぷり。教典科の職員たちも何も言うことはない。きっとあきらめてしまっているのだろう。リーニエのことを知らぬフリージアの住民はいない。ある意味アウラ様以上に偶像的に扱われてしまっている。
「少しは教典の内容でも覚えたらどうです?」
「ちゃんと覚えてるよ? 争ってる連中を止めればいいんでしょ? あとはアウラ様を侮辱する奴らも。簡単じゃない」
「……そうですね。貴方はそれでいいのかもしれません。流石ですね」
「そうかな? 褒めても何もないよ?」
本当に褒められていると思っているのか、照れながらリンゴはもうないとアピールしてくるリーニエに呆れるしかない。本当にどういう思考回路をしているのか。しかし教典についてはリーニエはそれでいいのかもしれない。きっとこの中身の半分も頭には入っていないに違いない。そもそも読んでいるのかどうかも怪しい。私たち神官には教義を広める役目とそれを破る者を罰する役目が与えられている。前者をリーニエに求めるのは酷というものだろう。恐らくアウラ様もそれはあきらめているに違いない。
(もっとも……私自身もこれを理解し切れているわけではないのだが)
改めてその手にある教典を開く。この国、フリージアの根幹を為す物。その内容は全て頭に叩き込んでいるが、全て理解できているわけではない。当たり前だ。この中には魔族には理解できない、人間共の概念が多く含まれているのだから。二十年前に比べれば少しは違うだろうが、どうしても不可解だ。不合理の極み。何故人間はこんな物に従うのか。魔族のようにアウラ様の魔力に従っているわけでもない。信仰とは、平等とは何なのか。所詮魔族には理解できない概念なのだろう。ただ人間にはそういう習性があると思うしかない。
「あら、もうこんな時間ね。ごめんなさい。退屈させてしまったわね」
「いえ、そんなことはありません。私も改めて学ぶ機会を得られたので。リーニエは気になさらないで下さい」
そんな中、ようやくソリテールが何かに気づいたかのように声を上げる。どうやら少しは満足できたらしい。それに付き合わされたこっちとしてはたまったものではないのだが態度には出さないよう注意する。私はアウラ様の副官なのだから。醜態を晒すわけにはいかない。特に隣ですやすやと居眠りをしてしまっているリーニエのようには。そんな有様を見てもソリテールは全く気にした様子はない。恐らく二十年前からこの調子だったのだろう。私よりもリーニエのことは理解しているのかもしれない。もっとも百年あっても私には理解できないだろうが。
「しかし本当に研究がお好きなのですね。魔法の探求以外のことにここまで熱心な魔族は見たことがありません」
「そうね。よく変わり者だって言われるわ。ちゃんと魔法の探求もしてるのよ? こっちは私個人の趣味みたいなものね」
変わらず人間のように微笑みながらソリテールはそう答えてくる。本当にその通り、変わり者なのだろう。私たちはその魔法の探求にその生涯を費やす。それ以外のことにはさして興味がない。なのに目の前の魔族はそうではない。研究と言っていたが一体何がそんなに面白いのか。趣味、か。これもまた人間の好みそうな言葉だ。
「趣味、ですか……確か人類についての研究でしたか」
「ええ。正確には会話から人類の習慣や文化、魔法技術を探求しているの。私は昔から人と話をするのが大好きだったから」
本当にそれが楽しいのだろう。人間の擬態だと分かってもそれが伝わってくる。会話という私たちからすれば人間の真似事に過ぎない鳴き真似にそんな意味を見出しているらしい。魔法技術に関しては理解できなくもないが、習慣や文化など探求して何の意味があるのか。
「アウラからすれば私の研究の知識が欲しかったみたい。私も彼女の研究テーマには以前から興味があったの。友人がちょうど同じテーマを研究していてね。お互いの利害の一致で協力することになったのよ」
そんな私の胸中を知ってか知らずか。先程と同じように一人で勝手にしゃべり続けている。そういう意味ではリーニエの言葉は正しかったのだろう。彼女が目の前の女を嫌っているのも当然だ。水と油。リーニエにとっては天敵に違いない。
しかし研究テーマか。ソリテール曰く、アウラ様も何かを研究されているらしい。確か人類と魔族の共存だったか。嘘くさいことこの上ない。何故アウラ様がそんなことを。同じようなことをしている魔族が他にもいるらしい。利害の一致という点のみは説得力はあるがそれだけだ。
「なるほど。具体的にはどんなことをされていたのですか?」
「主にこの国の教義、教典の作成ね。私が来た時にはもうおおよそ形になっていたんだけど、どうしても人間寄りだったの。当然よね。人間が作った物だもの。でも素晴らしかったのよ? そのまま残しておきたいぐらいに完成度が高かった」
待っていたとばかりにソリテールは再び喋りはじめる。一々反応するのも面倒なのでそのまま喋り続けてもらうことにする。その方が無駄がないだろう。こちらが聞きに徹しているからなのか。さらに饒舌にソリテールは続ける。
どうやらソリテールはこの教典の作成に携わっていたらしい。納得だ。これほど無駄に人間に詳しいこの魔族なら適任の仕事だろう。魔族として、魔法使いとして相応しい在り方とはとても言えないが。
「それを基礎に、私たち魔族の視点から必要な要素を取り入れるのが私の役目だったの。ちょうど私の研究に重なる部分が多かったからさほど難しくはなかったわ。難しかったのは収容区の方ね。その仕組みを考えたのも私なの」
当時を思い出しているのか。どこか遠くを見ながらソリテールは明かしてくる。収容区の仕組みを作ったのも自分なのだと。あの人間共と一緒に閉じ込められる箱庭のことか。あそこに送られるなど魔族の恥でしかない。人間を傷つけてはならない、という祝福を与えられてしまう場所。自らが人間に劣る魔族であるという烙印を押されるに等しい恥辱。
「今は楽園と呼ばれてるらしいわね。本当に皮肉ね。服従の魔法という呪いを祝福と名付けたのと同じぐらい、アウラに相応しいわ」
それを知ってか知らずか。ソリテールは陶酔しているかのように呟いている。あんな施設を、仕組みを作って何の意味があるのか。アウラ様の命令も守れない下等な魔族と人間など全て駆除してしまえばいいだろうに。楽園に祝福。表向きは人間共に好まれそうな呼び名だが、きっと皮肉なのだろう。私には理解し切れないが、この女にはそれが分かるのかもしれない。
「だから本当にこの国は興味深いの。本来相容れないはずの人類と魔族を同じ環境に閉じ込めたらどうなるのか。その実験の二十年分の記録がここには詰まっている。素晴らしいわ」
その手を書物に、記録の上に置きながらソリテールはそう称賛する。まるでそれが価値あるものであるかのように扱っている。実験。魔族には馴染みがない言葉がまた出てくる。確か、何かを試すという意味だったか。
「そうですか。私には理解が及ばない部分が多いですが……しかし、分かりません。過去の記録など読んでも無駄なのでは?」
聞きに徹するつもりだったのだが思わずそう聞き返してしまう。実験の記録。それは過去の記録のはず。それに何の意味があるのか。もう既に終わってしまっているものを読んでも意味はない。結果は覆らない。時間の無駄でしかない。そんなことをするなら次の、先のことを考えた方が有意義だろう。
「そんなことはないわ。実験っていうものはね、失敗するものなの。たくさんたくさん失敗して、最後に一つの答えを導き出す。この記録たちは失敗の記録だけど、だからこそ価値があるの」
「失敗に価値がある……?」
そんな私の反応を見ながらも、まるで言い聞かせるように穏やかな口調でソリテールは語りかけてくる。実験の意味を。失敗に意味がある、という俄かには理解できない思考。意味が分からない。失敗はすなわちそのまま死に直結する。魔族にとってはあってはならないもの。そこに何の価値があるというのか。
「実際に見てみれば分かるわ。これは収容区、楽園送りにされた者たちの記録よ。最も多いのは他者を傷つける違反ね。でもその数が年を追うごとに徐々に低下している。同時に祝福の数は増加しているわね。しかし近年は祝福の数も減少している。これが何を意味するか分かる?」
「いえ……」
そのままソリテールは一冊の書物を机の上に広げ、私に見せつけてくる。変わらず漂っている死臭に辟易しながらもそれを覗き込む。そこには数字と文字の羅列が記されていた。その増減について語ってくるが要領を得ない。これならまだ教典の方が理解できるだろう。何故教典科の連中はこんな物を残しているのか。そう呆れかけるも
「それは違反を犯す者、この場合は主に魔族ね。魔族が他者を傷つけることが少なくなっていることを意味しているの。きっと刷り込みができてきたのね。祝福で矯正する必要がなくなりつつあるの。楽園の仕組みがうまく機能していることを証明しているわ」
「……っ!」
ソリテールの言葉によってそれは覆される。それは置き換えだった。ソリテールの視点に、観測に基づいて読み直した時、文字と数字の羅列に意味が生まれてくる。そう、これが恐らく実験なのだ。一つ一つを個別に見るのではなく、繋げて考える。点ではなく線で。人間よりも遥かに長い寿命を持ちながらも今この瞬間を、本能のまま生きている魔族の私達にはない考え方。
「それに並行して、裁判における刑罰の重さも変わってきているわ。リュグナー、気づいていた? 建国当初は魔族側の方が刑が重かったの」
「そうなのですか……? 何故そんなことを」
「単純よ。魔族の方が生物的に人間より強いからよ。人食いの化け物である私たちの方が他者を害する危険性は高い。だからこそそれを抑制するためにあえて刑を重くしていたの。私たちが罪という概念を理解できないというのもあるわね」
どこか興味深げに私を横目で見ながら、ソリテールは新たな視点を私に与えてくる。裁判における刑罰。天秤の二つ名を持つアウラ様によって行われる裁きの仕組み。その概念もまた理解に苦しむ物だったがそういうものだと割り切って気にしてはいなかった。教えを、命令を破れば殺される。ある意味分かり易いものだとしていたのだがそれだけではなかったのだろう。人間と魔族でそれが異なっていたらしい。だがそれは正しかったのだろう。実際魔族である私はそれに従っている。教典に逆らえば死が、楽園送りが待っている。恐らく人間たちはそれだけではなかったのだろう。楽園送りだけではなく、懲役とかいう刑もあったはず。
「でも徐々にその差がなくなってきている。当初は魔族側から人間への暴力が多かったのに、最近は人間から魔族への、人間同士の暴力の方が多くなってきている。その方法も直接的な暴力から、間接的な差別に変わってきているわ。人間の持つ悪意のせいね。アウラの苦慮が伺えるわ」
まるでそれが愉しいかのように、ソリテールは笑みを浮かべている。一体何が面白いというのか。私に分かるのはアウラ様の教えに従わない者が魔族よりも人間の方が多くなっているという事実のみ。この女には私には見えない何かが見えているのだろう。恐らくはアウラ様も同じなのだろう。それがアウラ様を悩ませている。
「悪意、ですか? 一体何のことです?」
悪意。きっとそれがアウラ様を苦しめている根源。魔族である私達にはない、人間のみが持っているもの。それは何なのか。何故そんなものにあのアウラ様が苦慮しなければならないのか。
「私達には一生分からない感情だよ。きっと
どこか諦観しながら、ソリテールはそう語る。いや、それは独り言なのだろう。一体この女には何が見えているのか。言いようのない違和感が、異物感を抱かざるを得ない。本当に目の前にいる女は魔族なのか。何か違う生き物なのではないか。そんな世迷言のような感覚。
「話が逸れたわね、ごめんなさい。だからこそ六年前の教典の改定は素晴らしいの。きっとこうなることを予想していたのね。その辺りを考慮した配慮がされている。もう亡くなっているのが残念だわ。ぜひお話してみたかったのに」
教典を捲りながら興味津々にソリテールは思いを馳せている。この教典を作った人間のことを考えているのだろう。確か人間の僧侶だと言われていたが定かではない。しかし問題はそこではない。それはつまり、その人間はフリージアがこういう状況になることを六年前から予測していたということに他ならない。そんなことができるというのか。大魔族であるシュラハト様のような未来予知があるわけでもないのに。いや、この教典科に属する者たちも少なからずそうなのだろう。その構成員のほとんどが人間なのもそういうことなのだろう。魔族である私達にはそういった思考が、行動力が欠けている。あの老いぼれがアウラ様に重用されているのもきっとそこなのだろう。なら、魔族にはそれができないのか。
「……ソリテール様なら、この先、この国にどんな問題が起こるか予測できるのですか?」
だがその例外ともいえる魔族が目の前にいる。このソリテールという魔族なら、もしかすればあるいは。
「んー? そうね……色々予測できるけど、一番は魔族の第二世代の問題かしら」
「魔族の第二世代……?」
「ええ。君たちのように外からフリージアにやってきた魔族を第一世代。この国で生まれた魔族を第二世代と呼んでいるの。まだ数が少なくて、幼いから大きな問題にはなっていないけど、これから間違いなく火種になるわ」
思ってもいない質問だったからなのか。不思議そうに首を傾げながらも、ソリテールは答えを示してくる。やはりこの女は他の魔族とは違う。人間を研究しているというのは伊達ではないのだろう。だが出てきたのは人間ではなく、魔族の話題だった。第一世代と第二世代。そういえば教典科の連中からそんな単語を聞いた覚えがある。さして興味もなかったので聞き流していたがそう意味だったらしい。しかしそれに一体何の問題があるのか。
「世代格差が一番大きいでしょうね。私達には家族という、子育てという概念がないから。人間からの差別も悪化するでしょうね」
家族という魔族にはない概念。それがこれから大きな問題になるのだとソリテールは予測している。私たちからすれば何の問題もないが、人間共からすればそうではないのだろう。差別。恐らくは人間のみが持っている悪意に関係する行動。それがこの国には望ましくない結果を生むらしい。
「そのことをアウラ様は……?」
「当然理解しているでしょうね。きっと私なんかよりアウラの方がその分野には詳しいわ。だからこそその対処法も知っている。リュグナー、君もそれをいつも目の当たりにしているのよ?」
「私が……?」
思いもしない方向からの質問に思わず困惑してしまう。私がその問題の答えを知っているのだと。だが全く心当たりがない。そもそも今までその問題すら知らなかったというのに。そんな私の戸惑いがお気に召したのか
「リーニエよ。その子がこの問題の解決の鍵になっているの。何故ならその子こそが生まれてからそのほとんどを人間社会で育てられた、最初の第二世代なんだから」
上機嫌にその答えをソリテールは明かす。私からすれば目から鱗でしかない。当たり前だ。今も幸せそうに隣で眠りこけているこの魔族が、この先の国難を救う存在になるなど誰が想像できるのか。そもそもいつまで寝ているつもりなのか。
「その意味で、リーニエは最高のサンプルになるわ。その経験があるからでしょうね。アウラも既に動いているわ。新たに生まれた魔族の子供を人間が育てる里親制度や孤児院を作り上げている。人間側の理解を深める意味もあるでしょうね」
そんなリーニエはともかく、既にアウラ様はそれに向けて動き出しているらしい。子育てという概念は魔族にはないが、それに近いことをアウラ様は人間共に強いられたのだろう。その環境で生まれ育ったのであればリーニエが変わり者になるのは当然だろう。里親や魔族の孤児院。そういえばそんな話が定例会議にも挙がっていた。そんな思惑があったのか。
「一体あの方はどこまで……」
深謀遠慮どころではない。あの方は一体どこまで先を見据えているのか。本当に未来予知の魔法を使っていると言われても信じかねない。魔族を超えた存在なのではないか。まるでそう、人間共の言う神、女神に匹敵しかねない。
「この国、魔族国家フリージアはね、仕組みのほとんどがアウラ自身の経験から作り上げられているの」
そんな私の思考を読んだかのように、ソリテールは注釈を加えていく。まるで人間で言うなら教え子を導く教師のように。
「労働については実際に魔法で労働をしていた経験が。経済については実際に人間社会でそれに触れた経験が。教義、裁判については実際に聖都での裁判官の経験が。次世代の問題は実際にリーニエを育てた経験が。それを土台にして人間たちの集団、群体としての叡智を加えたのがこの国なの」
それがここ、フリージアの礎となっているものだった。まさにアウラ様の血肉が形になったかのようなもの。人間共に隷属させられた中で、それほどまでの研鑽を積んでいたのだ。その爪を隠しながら、いつかその屈辱を晴らすために。長い時間をかけて。先の実験と同じなのだろう。何度も何度も失敗を繰り返しながら。長すぎる寿命が故に、刹那、怠惰的になりがちな魔族では辿り着けない境地。
「人間と魔族が共に暮らしている、平等に生きることができる楽園。アウラという柱を失えば一夜で崩れ去ってしまう夢のような国ね」
故に楽園だとこの国は敬われている。アウラ様の威光に惹かれるように。まるで光に群がってくる虫のように。自分たちが利用され、欺かれていることにも気づかずに。本当に人間共は愚かなのだろう。
「でもこの先一番大きな問題はきっと数でしょうね。人口の増加をどこまで許容できるか。人間の欲望と悪意をどこまで従えられるか」
にも関わらず、ソリテールは最後にまだ理解できないことを呟いている。抽象的で、意味を計りかねない妄言のようなもの。
「――――気をつけないと、知らない間に
思わずその表情に目を奪われてしまう。知らず身体が震えた。理解できない衝動。その微笑みはどこかこれまでの物とは違う。真に迫るものがある。死の軍勢というかつてのアウラ様の代名詞と言えるもの。それに何故不吉さを覚えてしまうのか。魔族であるこの私が。
「ごめんなさい、私ばかりお話してたわね。私の悪い癖ね」
「いいえ、そんなことは」
気づけば女はこれまでと同じように穏やかな様子でこちらを気遣ってくる。さっきの一瞬は夢だったのではないかと思うほど。
「……ソリテール様、私もその人間の心理とやらを学ぶことができるのでしょうか?」
「? どうしてそんなことを? 君は十分魔族として人間を欺けていると思うけれど」
意を決してそうソリテールに尋ねる。それに先と同じように首を傾げているが当然だろう。私自身、この国にいる魔族の中でアウラ様を除けば人間を欺くことに最も長けている自負がある。いや、あったが正しい。今この瞬間までは。
「先程までのお話で痛感したのです。私はまだまだ未熟だったのだと。三日後、人間共と和平交渉の場があるのですが、それまでで構いません。ぜひご指南受けたいのですが……」
目の前の魔族、ソリテールに出会うまでは。大魔族に相応しい風格や、魔力は見られないが、人間を欺くという点においては恐らくアウラ様に匹敵するであろう存在。ならそれを利用しない手はない。私自身、その点で人間共に後れを取っているのも痛感できた。魔族国家において魔族が人間に劣るなどあってはならない。強さでも、それ以外でも。
「素晴らしいわ。流石はアウラが選んだ魔族ね。今、この国の魔族に足りないのはそれを担える人材なの。もちろん構わないわ。それができれば君はこの国の、アウラの唯一無二の存在になれるわ。リーニエにはできないことね」
そんな私の内心など知る由もないだろうが、ソリテールは再び私を賞賛してくる。どうやらこの女もまたそれを考えていたのだろう。そう、リーニエにはできないことが私にはできる。私こそがあのお方の側近に相応しい。それを証明するためなら何でも利用してやろう。
「ありがとうございます。ですが、人材というのであればソリテール様がいらっしゃるのでは?」
神官として、客人でもあるソリテールを立てながらもそう尋ねる。その点は私も認めざるを得ない。この女がいれば、国上層部にいる人間共にも対抗できるかもしれない。そんな思惑もあった言葉。
「私は所詮研究者だから。それにアウラがしているのはごっこ遊び。私がしているのは一人遊び。根本的には相容れないのよ」
それをあっさりとソリテールは断ってしまう。それ自体には興味がないかのように。研究者というのはそういうものなのだろうか。遊びというのも理解できない。それに何の違いがあるのか。趣味云々の話なのだろうか。どちらにせよ私には関係のないことだ。
「それじゃあ短い間になるだろうけど、宜しくねリュグナー。楽しくなりそうだわ」
そう差し出されてきた手に一瞬戸惑うもそれに応じる。友好を意味する人間の所作。それに流れるように応じれるように精進しなくてはならない。
「リーニエ、いつまで寝ているのですか。置いて行きますよ」
「え……? リュグナー? リリーはどこ?」
そのまま寝ぼけている同僚を起こしながら書庫を後にする。そのお守りから解放されることも自分にとっての大きな目標だが、今は目の前の会談に向けて全力を尽くすのみ。
目をこすっているリーニエを引っ張っていくリュグナー。後ろ手を組みながらソリテールは優雅にそれに続く。研究者としての笑みを浮かべながら。
まだリュグナーは知らなかった。アウラとソリテール。二人の大魔族の