「じゃあそろそろ行こうか。忘れ物はないかい?」
「ないわよ。子供扱いしないで頂戴」
まるでリーニエを相手にするかのようなヒンメルの物言いに辟易するしかない。今私たちは王都の城門の外にいる。ようやく二度目の王都訪問が終わりを告げたことを意味する。本当にここには碌な記憶がない。前回と今回、どちらがマシだったのかは分からないが、もう二度とここには来たくないと思わせるには十分なものだった。
結局本来の目的からすれば収穫はなし。あのエルフの影はおろか、噂すらつかむことができなかった。王都をミミックに見立てた作戦は失敗に終わったと言えるだろう。そもそも作戦からして間違っていたのかもしれない。結果的に私の魔導書集めのためにここに来たような形になってしまった。その戦利品は手に持った鞄にしまわれている。意図してやったわけではないが、これではやっていることがあのエルフと同じではないか。その事実に憂鬱になるも
「やっぱり法衣よりその赤いローブの方が似合っているね」
「あんた……根に持ってるわね」
「何のことかな?」
違う意味でこっちの神経を逆なでするようにヒンメルがこちらをからかってくる。言うまでもなく今私が纏っているローブのことだ。王都の数少ない利点はこれを纏わなくてもいいことだろう。そもそも纏わなくてもいいのにお揃いのローブを纏っている勇者様。一体何の冗談なのか。どうやら先日の件の意趣返しらしい。小癪なことを。
「もういいわ……それで? あの二人は一緒に帰らないわけ?」
振り返るも、そこには来た時にはいた生臭坊主と筋肉馬鹿の姿はない。てっきり一緒に帰るのかと思ったがどうやら違ったらしい。こいつらはいつも気持ち悪いぐらい一緒に行動しているのにどういう風の吹きまわしなのか。
「何でも二人でスイーツ巡りをするらしいよ。きっとジャンボベリースペシャルだろうね。アイゼンが好きなんだ」
「あの二人はどういう仲なのよ」
「仲良しだよ。僕も含めてね」
何故か自慢げにしているヒンメル。意味が分からない。こいつらは一体どういう関係なのか。というか王都まで来て一体何をしているのか。同時にきゃっきゃと二人で盛り上がりながらスイーツ巡りしている姿が容易に想像できる。おっさん二人がそんなことをしている絵面は見るに堪えない。残らなくて正解だっただろう。
「あっそう。ならあんたも残れば良かったじゃない。王都ならすることはたくさんあるんじゃないの?」
「二人の邪魔をするのは悪いからね。それに君を一人で帰らすわけにもいかないよ。僕たちも友達だろう?」
「そうだったわね。すっかり忘れてたわ」
当然の質問をするも、思わぬ返しによって呆れるしかない。友達か。ある意味私にとっては悪意よりも理解に苦しむ概念だ。いや、それ自体は魔族も持っている。だがヒンメルの言う友達は、それとは全く違うのだろう。五年前、こいつと友達になったはずなのだが、未だに実感も何もない。それまでと何ら変わらない関係と生活。今の今までそれを忘れてしまっていたほどに。それに倣うようにヒンメルは私と一緒に帰ることにしたらしい。ご苦労なことだ。もっとも、これ以上王都にいると違う意味で厄介ごとに巻き込まれかねないというのもあるだろうが。
「それにリーニエも心配だからね。あまり遅くなると迷惑をかけるだろうし」
「間違いないわね」
その点においては同意せざるを得ない。もうやることがなくなったのもあるが、私がさっさと王都を出発するのはそれが一番の理由だ。色々な意味であの子を放っておくのは危険すぎる。主に村の平穏的な意味で。ヒンメルもそれを気にかけていたらしい。
「そういえば二人きりになるのは随分久しぶりだね。こうしていると昔を思い出すよ」
ようやく出発し、歩き始めたかと思えばどこか感慨深げにヒンメルはそんなことを言い始める。言われて私もふと気づく。確かに言われればそうかもしれない。特にリーニエが来てからは二人きりになることはほとんどなくなっていた。加えて村人たちや勇者一行との関わりが増えたこともあるだろう。服従させられたばかり頃はこいつと二人きりになるのが苦痛でしかなかったのだから、ある意味それから解放されたことになるのかもしれない。
「ちょっと前のことじゃない」
「君にとってはそうだろうね。でもちゃんと僕は覚えてるよ。どうやって逃げ出すかばかり考えていた誰かさんをね」
「……そんなことさっさと忘れなさいよ」
魔族である私からすればつい最近のことだがこいつにとってはそうではないのだろう。にも関わらずそれを余すことなくこいつは覚えているらしい。主に私にとっては屈辱、恥辱でしかない内容ばかりを。何とかこいつから逃れようと必死だったあの頃。それを理解していながら知らぬふりをしていたヒンメル。本当に癪な奴だ。こいつのことだ。死ぬまで忘れないに違いない。
「残念ながら日記にも書いてあるからね。僕が忘れても残ることになるよ」
「そう。なら帰ったら燃やしてあげるわ」
「そ、それは困るな……え? 冗談だよね?」
死んでも残りかねない物が存在したことを思い出し、本気でそれを処分することを考える。自伝と日記の違いも分かっていないくせに何様なのか。あれからもちょくちょく書いているのを見かけている。本当に変なところはマメな奴だ。それをもっと他のことに生かせないのか。私の言葉が嘘ではないと気づいたのか、あたふたしているヒンメル。いい気味だ。そんな下らないやりとりがしばらく続いた後
「そういえば、あの人から魔法はちゃんともらえたみたいだね」
何でもないことのように、いつもの
「……何で分かるのよ?」
いつものようにそう聞き返す。だが内心ではもう分かっていた。こいつは本当に人の心を見抜くことに長けている。人ではなく、魔族もなのか。もう慣れてしまったが、それでも時々空恐ろしさを感じるほど。どれだけ周りを見ているのか。
「フリーレンから聞いてたんだ。あの人は子供みたいな人だって。不器用なんだよ」
「あんたがそれを言うわけ?」
だが今回はどうやらズルをしていたらしい。なるほど、だからあんなことを。師が師なら弟子も弟子ということか。遺言に従うほど気にしているフランメのことを気紛れで取った弟子だと言っていたらしい。それをあの時言わなかったのは流石のヒンメルもゼーリエ相手に直接言うのは躊躇われたのだろう。もし口にしていれば違う意味で修羅場になっていたかもしれない。もっともお前が言うな、と突っ込まれること間違いなしだが。
「……何をもらったか聞かないわけ?」
「聞いても答えてくれないだろ?」
「本当に癪に障るわね」
「それはどうも」
そして当然のように私の受け答えを見抜いているヒンメルに苛立ちを隠せない。本当に癪に障る奴だ。そんなに私の行動は読みやすいのだろうか。魔族として人間を欺く機会が少なくなってしまったせいだろうか。いや、結局こいつ相手では騙すこともできないだろう。ようするに魔族はあらゆる意味で勇者が天敵なのだろう。例外はリーニエぐらいだろうか。
「それにしてもやっぱりアウラはすごいね。あの少しの時間であの人を変えてしまうんだから」
その勇者様は、またいつものように私が理解できないことを当たり前のように語ってくる。私に向かって。独り言を話すように接してきたあのエルフとは対照的な対応。
「はぁ? 何のことよ? 私はそんなことしてないわ」
「そんなことはないよ。あの人は元々君に魔法を譲る気はなかったんだ。でも君の言葉が、行動がそれを変えたんだ。ほんの少しかもしれないけど、君は誰かの人生を変えることができたんだよ」
「大げさね。そんなことに何の意味があるのよ」
「それはまだ分からないかな。でも、きっと意味がある。気紛れで取った行動が、千年越しに魔王を倒すこともあるんだから」
そして語られたのはやはりヒンメルのお人好しっぷり。何故そう大げさに捉えるのか。私はただこいつの真似をしただけ。それをゼーリエにも見抜かれていた。魔法を押し付けられたのはただの気紛れでしかない。だというのに、その気紛れすらも意味があるのだとヒンメルは言う。
ゼーリエが気紛れで取った弟子のフランメがフリーレンを救い、フレーレンが気紛れで見せた魔法がヒンメルを勇者にした。その流れが、積み重ねが魔王様を打ち倒した。
なら私はどうなのか。私の気紛れは、この先どうなっていくのか。それがもしかしたら、ヒンメルには見えているのかもしれない。
「でも特権……望む魔法を何でも、か……世界は広いね。十年間旅をしたけど、まだまだ知らないものがたくさんあるんだな」
そんなこっちの戸惑いなど知る由もなく、ヒンメルはどこか子供のように目を輝かせている。思わずその横顔に目を奪われる。冒険者としてのヒンメルの顔。こいつは本当に旅が、冒険が好きなのだろう。魔王様を倒すことすらその途中でしかないのかもしれない。
「……あんたなら、どんな魔法をもらったわけ?」
ふとそんな疑問が口から洩れていた。
「僕かい? もちろんそんなの決まってる。いらないって答えただろうね。夢は追い求めている時が一番楽しいんだから」
ヒンメルはいつものように、自信満々にあのエルフと同じ答えを口にする。ゼーリエからすれば馬鹿だと言われるような答え。私も同意見だ。本当にこいつは、いやこいつらは馬鹿なのだろう。
「……やっぱりあんたたちは似た者同士ね」
やはりお似合いなのだろう。馬鹿に付き合えるのは馬鹿しかいない。あの時、人探しの魔法をもらわなくて正解だった。こいつにとってはそれは必要のない魔法でしかない。そもそも私がそこまでする意味も、理由もない。あとは勝手にすればいい。
「ちなみに今もその最中さ。道のりは険しそうだけどね」
これみよがしに私を見ながらそう宣言するヒンメル。本当に私の神経を逆撫でする奴だ。今のこいつが目指している夢とやらが何を意味しているかなど聞くまでもない。それが分かっているからこそ、あえてこいつはそれを口にしない。言葉にしないことで私に伝えてくる。
「そう、良かったわね。その方が嬉しいんでしょ?」
「その通り。君も分かってきたじゃないか」
なので精一杯の皮肉で返すも、それすらもこいつには通用しない。ここまでくるともはや習性のようなものだろう。
「大層な夢も結構だけど、その前にどこにいるか分からない渡り鳥をちゃんと捕まえることね」
「心配ないよ。こうして君が手伝ってくれてるからね。ありがとう、アウラ」
「……馬鹿じゃないの」
あの二人に倣ってあのエルフを鳥扱いするも、瞬時に理解する辺りこいつはやはりあいつらの仲間、友達なのだろう。そしてさらっと全てを暴露してくる始末。こいつ相手に隠し事をしようなんてことがそもそも間違いだったのだろう。もしかしたらハイターとアイゼンも最初からそれを見越していたのかもしれない。ようするに、今の私ではこいつらには敵わないということなのだろう。魔王様ですら、そうだったのだから。
「あのエルフにも言われたけど……あんた、本当に私をこのままにしていいわけ? 放っておいたら私は魔王になるかもしれないらしいわよ」
思い出すのはあのエルフの言葉、いや直感だったか。私が人類の脅威に、第二の魔王になりかねないと。私の魔族としての願望でもあり目指している到達点。同時に全く現実感が湧かない絵空事。しかし、得も知れない感覚に襲われる。そう、それはまるでシュラハトの予知に近いもの。それがあのエルフの言葉にはあった。
それはきっとヒンメルに問うべきではないもの。以前にも同じような問いかけをしたことはあるが、それとは全く違う。こいつが私の命を奪うことはないことはもう分かり切っている。今更問うこともない。故にこれは勇者としてのヒンメルの是非を問うもの。この先、私が人類の脅威に、魔王になったらどうするのか。これまでの全てを台無しにして余りある問いかけ。そういえば、最後に私はあのエルフに何と言われたのか。それを思い出すよりも早く
「大丈夫さ。そんなことにはならないよ。もしなったとしても、それを止めるのが僕の役目さ。知ってるかい? 勇者は魔王を止める特権があるんだよ」
心配いらないとヒンメルは笑いかけてくる。倒すのではなく、止めるの辺りがこいつらしいのだろう。ご丁寧に特権なんて言い回しまで使うあたり徹底している。なるほど、ふざけているがそんな力が勇者にあったとすれば魔王様を止められるのも納得だ。魔王は勇者には敵わないのだろう。私がこいつには敵わないように。
「そう……ならあんたが生きている内にはならないことにするわ」
「こらこらちゃんと話を聞きなさい」
ならそれができるとしたらこいつが死んでからになるのだろう。結局私は最初から正しかったのだ。勇者がいなくなるまで待つことが。ならそれを待つことにしよう。魔族として。
知らず、またアクセサリを握ってしまっていた。だが幸いにもローブのおかげでヒンメルには気づかれていない。初めてこのローブが役に立ったかもしれない。
「じゃあそろそろ帰ろうか。リーニエがきっと待ちくたびれているよ」
「そうね。早く帰らないと家が壊れかねないわよ」
「っ!? そ、そうだね……は、早く帰ろうか!」
半壊している我が家が思い浮かんだのか、顔を引きつらせながら早足にヒンメルは歩き出す。私はそれに少し遅れながらついていく。いつもと同じ、でも珍しい二人旅。ただ歩き続ける。私たちの帰路へと。
――――半年後。中央諸国の外れにある古びた魔法店にて。
「そういえば、もうすぐ王都で魔法使いの催しがあるって聞いたんだけど」
「それならとっくに終わってるよ、お客さん」
「え?」
今話でゼーリエ編が終了となります。次話からは再びフリーレン側、シュタルク編になります。お楽しみに。