勇者ヒンメルの死から二十八年後。
中央諸国リーゲル峡谷城塞都市ヴァール。
城塞と呼ばれるだけはある堅牢な街並み。その中でも一際大きな門を俺たち三人は見上げていた。何故ならここは北の関所であり、ここを通過しなければ先には進めないからだ。なのにこうして立ち尽くし、途方に暮れているのは門番である衛兵に通行を禁止させられているから。俺たちだけではない。冒険者はおろか商人ですら例外ではなかった。
「ここが通れないとなると……よっぽどフリージアは周辺諸国にとっては脅威になってるみたいだね」
旅の足止めを食らっているのに、全く動揺することなく淡々とフリーレンはそう分析している。まだ一緒に旅を始めてわずかだが、本当に何を考えているのか分かりにくい奴だ。それはともかく、この関所が通行できなくなっているのはどうやらアウラたちの国であるフリージアが理由らしい。
「やはり魔族の国だからでしょうか?」
「それもあるだろうけど……そこに多くの人間たちが向かおうとしてるのが原因だろうね」
フリーレンよりは分かり易いが、それ以上におっかないフェルン。フリーレンは冷静にその理由を視線で告げてくる。フリージアが魔族の国だというのは俺も知っている。魔族の恐ろしさ、怖さも。アウラと姉ちゃんは例外だ。本来の魔族が人食いの化け物だということは師匠にも嫌というほど叩き込まれてもいる。フェルンはどうなのか。それはともかく
「あれは難民だろうな。そんな奴らがたくさんいるぜ」
「フリージアの噂に騙されて来たんだろうね。そのせいで衛兵たちも気が立ってる。治安が悪化するのを恐れてるんだ」
「皆、フリージアに救いを求めてここまでやってきているんですね」
フリーレンの視線の先には自分たちと同じようにここで通行止めとなってしまって途方に暮れている多くの人々の姿がある。違うとすればそいつらは俺たちのような冒険者でも商人でもないということ。その服装や風体から難民であるのが見て取れる。きっと戦争や貧困からここまで逃れてきたのだろう。それに比例するように衛兵たちが警戒している。当然だ。 難民が集まれば集まるほど治安が悪化するのは子供だって分かる。
フリージアに救いを求めて。そんなフェルンの言葉に思い出すのはフリージアの噂。人と魔族が平等に暮らすことができる楽園。そんな噂を信じてしまうほど彼らは疲弊してしまっているのだろう。何だかフリーレンとフェルンの間に温度差を感じる気がするがなんでだろうか。
「ここまで見越してやってるんだとしたら、アウラは本当に大したものだね。恐らくこれまでの歴史上で最も人間を理解している魔族だ」
「え? アウラってそんなに凄い奴なの?」
「本当にシュタルク様は単純ですね。羨ましいです」
「酷くない?」
さらっと当たり前のように人を単純、ようするに馬鹿扱いしてくるフェルン。やっぱり怖い。何でこの子はこんなに俺にきついのか。まだふしだら認定とやらが続いているのだろうか。フリーレンには謎の警告も受けている。俺、このパーティで上手くやっていける気がしない。
「この調子じゃフリージアに入国するのも苦労しそうだね」
「確かにそうですが、アイゼン様の案があるので大丈夫なのでは?」
「まあそれで上手くいけばいいけど……いざとなったらフェルンの名前を出せば簡単に通れるかもね。あいつ、何故かフェルンに甘いみたいだから」
「フリーレン様……」
「冗談だよ。でも最悪リーニエにシュタルクが会いに来たって言えば勝手に出てくるんじゃない?」
「何でそこで俺が巻き込まれるんだよ!? やめてくれよ!?」
「リーニエ様なら本当にそれで何とかなりそうですね」
またこっちに飛び火してくる内容に悲鳴を上げてしまう。本当に勘弁してほしい。そんなことになったら俺の旅はそこで終了だろう。もう子供じゃないからと崖から本当に落とされかねない。あの時はアウラが叱ってくれたから助かったが今度もそうなるとは限らないのだから。姉ちゃんの好物のリンゴでも持っていくしかないかもしれない。
「まあとにかく、本当に残念だけどしばらくはここで足止めだね」
「……嬉しそうですね、フリーレン様」
「そんなことないよ。じゃあ私は宿を先に取ってくるから。しばらくは自由行動だね。はい、解散」
言葉とは裏腹に、滲み出る嬉しさを隠しきれていないフリーレン。さっきまでの冷静さはどこに行ってしまったのか。フェルンの皮肉も何のその。そのまま足早に街へと消えてしまう。呆気にとられるしかない。
「……本当に自由な奴だな、フリーレンって」
「いつものことですから」
「そうか、苦労してんだなフェルン」
心からの本音を漏らすも、慣れた様子でそれに応えるフェルンの姿に同情を禁じ得ない。これではどっちが師匠か、親子か分かったものではない。千年以上生きてるくせに本当に子供みたいなやつだ。
「これからどうする? 俺はとりあえず飯食いに行くけど」
「そうですか……ならご一緒してもいいですか?」
「え? 一緒に来んの?」
「駄目なんですか?」
「いや、そんなことはねえけど……」
「じゃあ行きましょう」
そのまま当然のように歩きはじめるフェルン。何なの怖い。てっきり冷たい目で拒絶されると思ったのに。
これならまだ断られた方がマシだったと後悔しながら、シュタルクはとぼとぼとフェルンの後ろに付いて行くことになったのだった────
「懐かしいなぁ…… ジャンボベリースペシャル」
目の前に出されたパフェ、ジャンボベリースペシャルにどこか感慨深くなってしまう。今俺たちはカウンターに並んで座っている。食事は済ませ、今はデザートであるジャンボベリースペシャルを注文したところ。食事は緊張からほとんど味が分からなかったが、ようやく落ち着いてきた。
「前にも来たことがあるんですか?」
「ガキの頃に師匠と一緒にな。その時は全部食えなくて師匠と分けたんだっけ」
その緊張の原因である少女、フェルンが興味深げに尋ねてくる。一緒に食事をしているのに全然喋らないので機嫌が悪いのかと思ったがそうではないらしい。言われて思い出すのは幼い頃の師匠との思い出。その時もこの店を訪れていた。どうやら師匠の行きつけの店だったらしい。その時に食べたこのジャンボベリースペシャルの味は今でも鮮明に覚えている。なのに
「でもおかしいな……何か俺のだけ小さくねえ?」
その大きさだけが、よく思い出せない。
小さかった。明らかに小さかった。俺のだけなら、まだ分かる。俺が大きくなったからそう感じるのかもしれないと。でも違った。それは隣にあるフェルンのジャンボベリースペシャル。明らかに俺よりも大きかった。目の錯覚かと思うほどに。
「そいつぁ坊主が大人になっちまったからだぜ」
どこか感慨深げに店主、マスターがそう教えてくれる。その姿に、雰囲気にやっぱりそうなのかと思わされてしまう。
「そうか……これが大人になるってことなんだな」
「いただきます」
きっとこれが大人になる、ということなのだろう。体の大きさではなく、心が。女の子と一緒に食事をするということはきっとこういうことなんだろう。そんな俺のしみじみとした思いとは関係なく当然のように食べ始めるフェルン。それに続くように自分もスプーンで口に運ぶと、いつかと変わらない味がした。やはり俺が間違っていたのだろう。そう思いながらつついていると
「シュタルク様、少しお聞きしたいことがあるんですが……」
「え……?」
いつの間にかこっちを向いているフェルンの姿に呆気に取られてしまう。その圧にもだが、何よりも
(あれ……? もう食べ終わってる……?)
空だった。あれだけあったはずのジャンボベリースペシャルがなくなってしまっている。あり得ない。俺が食べている物よりも遥かに大きかったはずなのに。一体どうして。知らず呆然としてしまうも
「シュタルク様は……フリーレン様や私のスカートを捲りたいと思いますか?」
「思わねえよ 」
あまりにも意味不明なフェルンの妄言に思わずそう突っ込んでしまった。一体この子はどうしてしまったのか。もしかして急いで食べ過ぎて頭がおかしくなってしまったのか。
「っ! 良かった。そうですよね。思わないですよね。安心しました。シュタルク様って普通だったんですね。ふしだらだなんて言って本当にすみませんでした」
「ねぇ、俺なんか悪いことした?」
よっぽど驚いたのか、嬉しかったのか。いつかのようにフェルンに手を握られてしまう。どうやら俺の答えはフェルン的には合格だったらしい。一体俺を何だと思っているのか。そして違う意味で冷や汗でダラダラになってしまう。ついこの間、手を触ったことでえっちだなんだのと言われたばかりなのだから。ようやくそのことに気づいたのか、慌ててフェルンは手を放してしまう。一番ふしだらなのはこの子なんじゃないのか。怖いので口には絶対できないが。そもそも何でスカート捲りなのか。
「大体スカート捲りなんて小さな子供がすることだろ。俺もそんなことしたこと……あったな、そういえば」
そんなこと小さな子供でもしないだろう。そう思うも、ふと思い出す。そういえば俺もしたことはあったか。
「…………シュタルク様?」
「ち、違うって! 姉ちゃんに無理やりやらされたんだよ!? 小さい男の子はしなきゃいけないんだって!? 姉ちゃん以外にはしたことねえよ!?」
「……なら許してあげます。きっとリーニエ様は自分がされたことをシュタルク様にさせたかっただけでしょうから」
「何でそんなに姉ちゃんのことに詳しいんだよ」
再びゴミを見るかのような冷たい視線を感じるも必死に弁明する。ただ自分は姉ちゃんにスカート捲りをさせられただけなのだと。その意味もよく分かっていなかったのだから。結果的にそれはアウラに見つかって姉ちゃんはめちゃくちゃ怒られていた。しばらくあの姉ちゃんが落ち込んでいたほど。子供心ながらもう絶対にしてはいけないと悟るには十分なものだった。そしてそんな事情をすぐさま察するフェルン。この子もやっぱりどこか変だ。やっぱりあのフリーレンの弟子なだけはある。
「ですがスカート捲りは子供だけではなく、大人もしたがるものなんです。あの勇者ヒンメル様もそうだったんですから」
「勇者ヒンメルが? そんなわけないだろ。勇者だぜ?」
「そんなことはありません! フリーレン様からも聞きましたし、何よりこの本にも書かれているんですから」
「何それ? 女神様の教典?」
さらにずずいっとこちらに近づきながらフェルンは一冊の古びた本を差し出してくる。 俺、本当に何か悪いことをしただろうか。言ってることも意味が分からない。横目でマスターに助けを求めるがマスターは目を閉じたままグラスを黙々と拭いているだけ。これも大人になるということなのだろうか。勇者ヒンメルにスカート捲り。意味が分からない。それを俺に話してどうしたいのか。何よりその本は何なのか。教典か何かなのか。
「いいえ、これはヒンメル様の日記です。ちょうどいい機会なのでここにいる間にシュタルク様も読んでおいてください。きっと役に立ちますから」
「これってこのパーティに入るなら読まなきゃいけない物なの? 変な宗教とかじゃないよね?」
どうやらそれはもっと理解できない物だったらしい。何でフェルンがそんな物を持っているのか。そしてそれを俺に読ませようとしているのか。その表情は真剣そのもの。変な宗教を布教しようとしているやばい奴にしか見えない。俺、入るパーティ間違えてしまったのかもしれない。
「そんなことは決して。ただその日記にはアウラ様やリーニエ様のことも記されているので、これからフリージアに行く前にシュタルク様に知っておいて欲しいと思ったんです」
「アウラと姉ちゃんのことも、か……」
そこまで聞いて、ようやく話が見えてくる。それならそうと早く言ってくれればいいのに。勇者ヒンメルとスカート捲りの下りなんて必要ないだろう。この子にとっては重要だったのかもしれないが。やはりふしだらな子なのかもしれない。それは置いておくとしても
「なあ、フリーレンってアウラと昔何かあったのか?」
今までフリーレンがいたせいでずっと聞けなかったことをフェルンに問いかける。日記云々といい、二人きりの今が尋ねるにはいい機会だろう。
「どうしてそう思われるんですか……?」
「そりゃ誰でも気づくだろ。あんなに分かり易くフリージアに行くのを嫌がってるんだからさ」
「本当に嘘をつくのが下手な方ですね」
フェルンも分かっていながらあえて触れていなかったらしい。気づいていないのはフリーレンだけということか。普段はあんなに冷静で淡々としてるくせに、自分のことになると嘘をつくのが苦手らしい。
それに観念したわけでもないだろうが、自分と同じようにいい機会だと思ったのだろう。フェルンは簡潔に、要約しながら教えてくれる。フリーレンとアウラ。二人の因縁と勇者ヒンメルの物語を。
「ちょっと聞いただけだけどさ……フリーレンって大分薄情じゃねえか?」
「フリーレン様ですから」
それが俺の率直な感想だった。人づてで、簡単にしか聞いていない自分でもそう思ってしまうほどにはフリーレンは薄情だった。弟子であるフェルンもそれは同じなのだろう。そういえば、師匠も同じようなことを言っていたっけ。てっきり冗談かと思っていたがまさか本当だったとは。
「分かったよ。俺だけ何も知らずに崖の下に落ちたくねえからな。その日記借りるよ。勇者ヒンメルには申し訳ねえけど」
そういった意味でも、俺はこの日記を読む意味はあるのだろう。そのままフェルンから日記を借りることにする。もっとも勝手に日記を読まれてしまう勇者ヒンメルには申し訳ない気がするが。
「なら私と一緒に謝りましょう。きっとヒンメル様なら許して下さると思います」
「そういや、そういう旅の目的だったな。僧侶ハイターにも会えるってわけだ」
「はい。シュタルク様も一緒ならきっと喜んでくださると思います」
そんな俺の後ろめたさに、フェルンはそう答えてくれる。自分にとっては予想外と言えるような返事。しかし同時に思い出す。そう、勇者ヒンメルに直接謝ることができるのだと。それが俺たちの旅の目的であり、終着点。そしてそこにはフェルンにとっては親代わりでもある僧侶ハイターもいる。この子にとってはきっとそれが大きな目標に違いない。
「そいつは楽しみだ……でもさ、やっぱり俺のだけ小さくない?」
「坊主、また嬢ちゃんと一緒に食べに来な」
「ごちそうさまでした」
そのことに心を躍らせながらも、やはり大人になり切れない自分。そんな俺にマスターはそう言って送り出してくれる。そうだな。旅を終えて帰って来た時に、またフェルンと一緒にジャンボベリースペシャルを食べに来るのを楽しみにしよう。その時は、俺の分も大きくなってることを期待して────
「こんなにあっさり通れるんなら最初からフリーレン様の名前を出せばよかったですね」
きょろきょろと自分たちを送り出してくれる住民たちに圧倒されながらフェルンはそう漏らす。俺も気持ちは同じだ。今俺たちは民衆に見送られながら関所を通過しようとしているところ。あの後、フリーレンが勇者一行の魔法使いであることがバレて、そのまま関所の通行の許可が下りた形。あれよあれよという間にこんなことになってしまった。やはり勇者一行の威光というのはすごいのだろう。
「言っても無駄だと思ったんだよ。それにもう忘れられてるかもしれなかったし」
その当の本人は見るからに意気消沈している。どうやらフリージアに行くのが先延ばしになり、その間に魔法の研究ができるとばかり思っていたらしい。ちょっとかわいそうな気もするが、フェルン曰く甘やかすといけないらしいので俺からは何も言えない。ただ忘れられていると思った、というのは分かる。師匠も勇者一行だが、気づかれないこともあるのだから。
「確かに、もう八十年も前のことだもんな。人間ならもうお婆ちゃんだっておかしくないんだし」
勇者一行が魔王を倒してからもう八十年。フリーレンはエルフだが、もし人間ならとっくにお婆ちゃんになっている年月だ。周りから忘れられていてもおかしくはない。そう何気なく言ったその言葉に
「あ」
「え?」
フェルンが呆然としながら口を開けて固まってしまっている。それに釣られるように俺も同じ顔を晒してしまう。一体何が。そう思った瞬間、体が震える。それは本能に近かった。それが警鐘を鳴らしている。早くここから逃げろと。だが足が動かない。そのままただ目を奪われる。無言のまま、こちらに背を向けたまま微動だにしないフリーレンに。それはまさに嵐の前の静けさ。
「────言ったね、 シュタルク」
それがフリーレンが発した、しばらく聞くことがなくなるまともな人語だった。
その後、大衆の面前でフリーレンは三日三晩泣き喚き、フェルンとシュタルクはそのお守りに奔走。出発は遅れることになる。
それが勇者一行の魔法使いに、新たな伝説が生まれた瞬間だった────
最新話を投稿させていただきました。
今話はいわゆる原作沿いのエピソードですが、アウラたちの影響によって色々な部分が変わっています。原作と読み比べてもらうのも面白いかもしれません。
そしてそのまま原作を読み進めてもらえば分かりますが、フリーレンたちはフリージアのもう目の前にまで来ています。同時に次話からのアウラの過去編も佳境に、起承転結で言えば転に入ります。そして結である最終章、現代のフリージア編へと続く予定です。ぜひお楽しみに。
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