「……何なのよ、あいつ?」
初めて会った時と同じ感想を知らず漏らしてしまう。好き勝手言ってさっさといなくなってしまったハイター。相変わらず掴みどころがない奴だ。特に今日はそれが酷かった。一体何を企んでいるのやら。また聖都で顔を合わせるかと思うと憂鬱だ。
「ハイターらしいね。生臭坊主のままだ」
「今は白髪坊主だね」
「こらこら。そんなこと言ったら飴がもらえなくなるよ、リーニエ?」
「大丈夫。もうお菓子もらったから」
そう胸を張っているリーニエ。ヒンメルに嗜められているのに全く堪えていない。そもそも窘められているとは思っていないのだろう。ハイターもだが、ヒンメルもリーニエには甘い。その結果がこれなのだ。もう少しアイゼンを見習ったらどうなのか。
そのままヒンメルはゆっくりと自分の椅子に深く腰掛ける。揺りかごのように体を預けることができる椅子だ。アイゼンが誕生日プレゼントにヒンメルに贈った物。もちろんアイゼンお手製だ。一体あいつは何をしているのか。余生を誰よりも謳歌しているのはアイゼンなのかもしれない。それはともかく
「相変わらず殺風景な部屋ね。ちゃんと食べてるわけ?」
普通の椅子に腰かけながら、改めて部屋を見渡す。必要最低限の物しか置かれていない殺風景な部屋。無駄がないと言えなくもないが、それにしても度が過ぎている。村の家とは大違いだ。本当にここに住んでいるのか疑わしくなるほど。
「もちろんだよ。一人暮らしならこれで十分だからね」
それにヒンメルは穏やかに答えてくる。どうやらヒンメルからすれば特に問題はないらしい。一人暮らしだからというよく分からない理由。だがふと気づく。そういえばこいつは根無し草、ではなくハイター曰く渡り鳥のような奴だった。いつもせわしなくあちこちを飛び回っている。一応この王都の家が拠点ではあるが、長く滞在することの方が少なかったのだろう。村の家の方が例外だっただけなのかもしれない。
「あ、リンゴがある! もらっていい、ヒンメル?」
「いいよ。そのために買ってきたんだから」
そんなことに今更気づいていると、いつの間にか小さな子供のように部屋を荒らしまわっているリーニエ。どうやら何かないか探索していたらしい。やっていることが同じなのはやはり師弟なのだろう。かつてのシュトロやリリーを思い出す。いや、リリーはこんなにお転婆ではなかったか。
当のリーニエはお目当てのお宝を見つけて目を輝かせている。どうやらヒンメルが用意していた物らしい。きっと私たちがこっちに来るのを見越して買っていたのだろう。相変わらず抜け目がない奴だ。
そんな中、ふと気づく。それは部屋にあるタンス。その中から、目に見えるほど邪悪なオーラが出ている。あまりにもこの部屋には似つかわしくない気配。
「まだあの角捨ててなかったのね。いい加減邪魔にならないわけ?」
思わず眉をひそめながらそう尋ねる。そう、それが何であるかを私は知っていた。暗黒竜の角。初めてここを訪れた時からタンスに収められている物騒なアイテムだった。
「もう慣れてしまったからね。それにあれは預かり物だから勝手に捨てるわけにはいかないのさ」
「相変わらず物好きな奴ね……もう五十年じゃない」
どっからどう見ても厄ネタだが、ヒンメルにとってはそうではないのだろう。五十年前に魔王城で手に入れた物らしいが、それ以上にあのエルフから預かった物だというのが一番の理由なのだろう。その証拠にヒンメルはどこか遠くを見るような目をしている。またあのエルフのことを考えているのか。ゼーリエではないが、本当に物好きな奴だ。
それはここ最近のヒンメルの暮らしにも表れている。いつもならあちこち動き回っていたのに、ここ王都に留まっている。恐らくあのエルフがやってくるのを待っているのだろう。約束の時が近づいているからか。あのエルフはヒンメルの家があの村にもあることを知らない。やってくるとしたらここ王都だろう。だからすれ違いにならないようここ王都で待ち続けている。本人は決して口にはしないが。それに付き合うのも癪なので私も聖都に身を置いていた。ここにいても面倒に巻き込まれるのは目に見えているのだから。
「そうだね……もうすぐ五十年になる。本当にあっという間だった。君のおかげだよ、アウラ。ありがとう」
「何で私のせいなのよ。老いるのが早く感じるなんて感謝することじゃないでしょ」
「そうだね。君たちにとってはそうかもしれないね」
五十年。人間からすれば寿命の半分以上を意味する時間。その消費の感覚が早かったことを私に感謝してくるヒンメル。一体何を言っているのか。ただでさえ短い寿命のくせにそんなことを喜ぶなんて。矛盾でしかない。それを私のせいにするなんて責任転嫁もいいところだろう。そんな私の言葉にいつものように苦笑いしているヒンメル。もう飽きるほど見た、魔族と人間の違いに翻弄される勇者の姿。
「もうすぐ
その姿に目を奪われているのも束の間。ふいに告げられた言葉に思わず体が反応してしまう。
「……そんなのあるわけないじゃない。あっても覚えてなんかいないわ」
「そうかな。少なくとも君は十回以上は見る機会はあったはずだけどね」
「あんた……老いぼれて小賢しくなったわね」
「老人なりの知恵さ」
平静を装いながらそう切り捨てる。そんな物、魔族の私が気にするわけがないだろうに。本当に人間は暇な生き物だ。星の並びに意味を持たせたり、名前を付けたり。他にすることがないのだろうか。
そんな私を思わぬ方向から攻めてくるヒンメル。暗に私がいつも老いぼれ扱いしてくることの意趣返しなのだろう。そのやり口はハイターのそれに近い。やはりこいつらは親友なのだろう。それとも歳をとった影響か。どちらにせよ私にとっては迷惑でしかない。
「でも本当に綺麗なんだ。五十年待っても、それをもう一度見たいと思うぐらいに」
当時の光景を思い出しているのだろう。ヒンメルはそのままここではないどこかに思いを馳せている。その
「そう。良かったじゃない。もう少し待てば念願が叶うわよ。それまでせいぜい足掻くといいわ」
目を逸らしながらそう告げる。今自分が嘘をついているのかいないのか。分からない。分からないがこれ以上この話を続ける気にはならなかった。私には何の意味も、関係もないのだから。なのに
「…………アウラ。もしよかったら、君も一緒に見に行かないかい?」
長い沈黙の後、耳を疑うようなことをヒンメルは私に問いかけてきた。
「……はぁ? 何で私が
思わず呆然としながらも、何とかそう答える。意味が分からない。こいつは一体何を考えているのか。こいつの無茶苦茶っぷりは嫌というほど味わってきたが、それを遥かに超える衝撃。こいつは本当に私を何だと思っているのか。
「……やっぱり駄目かな」
「当たり前じゃない。そもそも私はそんな約束してないわ。あんたたちで行けばいいじゃない。私を巻き込まないで頂戴」
一応自覚はあったらしいのは唯一の救いだが、分かって言っているのなら余計に質が悪い。老いぼれて頭がおかしくなったのかと思うほど。私は魔族だ。こいつからすれば友達なのだろうが、それでも私は勇者一行ではない。その約束に何故私が巻き込まれなくてはいけないのか。少し考えれば分かることだろうに。それとも私なら付いてくるとでも思ったのか。服従させられていても御免だ。
「大丈夫だよ。ハイターもアイゼンもきっと喜ぶと思う。君はもう僕たちの仲間なんだから」
「ねえねえヒンメル、私は?」
「もちろんリーニエもね」
そんな私の様子に何を勘違いしたのか、ヒンメルはそう続けてくる。私は仲間なのだと。ハイターもアイゼンもそうなのだと。リーニエもそれに含まれるのだろう。そんなことは言われなくても分かっている。気は乗らないが、もしそれだけであったならもしかしたら私も気の迷いで参加したかもしれない。だがそれは今回に限ってはあり得ない。何故なら
「────お断りよ。もしあのエルフがやってきたら殺されかねないもの。そんなの御免だわ」
その集まりには、あのエルフが、フリーレンがやってくるかもしれないのだから。あいつがヒンメルと会うのに、どうして私がいなくてはいけないのか。
「……そうか。そうだね。すまない、我儘を言ってしまったね」
本当にそれを忘れてしまっていたのか。それとも私の態度が思った以上に冷たかったからなのか。目に見えてヒンメルは意気消沈してしまう。本当に馬鹿な奴だ。こうなるなんて分かりきっているだろうに。五十年経ってもこの馬鹿正直さは治らないのだろう。
「……馬鹿なこと言ってないで、あんたはあのエルフが来るかどうかの心配だけしてなさい。あの薄情者のことよ。今回を逃せば、今度会うのは天国で、なんてことになりかねないわ」
嬉しそうにリンゴに噛り付いているリーニエに目を向けながら、ヒンメルにそう告げる。そう、冗談抜きでそれがあり得る。あの薄情者のことだ。今回を逃してもじゃあまた五十年後で、と言い出しかねない。
余計なことを考える必要はない。私も、ヒンメルも。たまにはこいつも自分のことを考えればいい。いつも自分ではない誰かのことばかり考えているのだから。五十年そうだったのだ。ハイターではないが、女神の奴もそれぐらいは許してくれるだろう。
「そうだね。でも大丈夫だよ。こうして君が心配してくれてるんだから。聖都の人たちじゃないけど、僕にとって君は女神様だからね」
「馬鹿じゃないの」
まるでこちらの心を読んだかのようなことを口にしてくるヒンメル。本当にこいつはどれだけ私のことを見ているのか。私を女神と同列扱いしてくるなんて侮辱でしかない。聖都だけでも辟易しているのに、何の冗談なのか。いつかのようにアイゼンと一緒に拝まれかねない。だがそのせいもあってか、ヒンメルはいつものように笑みを浮かべている。癪だが、やはりこれがこいつと私の関係なのだろう。
「それで? 何で手紙何てよこしたのよ? まさかこんな下らないことのためじゃないでしょうね」
これ以上は不毛なので強引に話題を変える。もとい元に戻す。そもそもの話へと。何故自分たちを王都へ呼んだのか。しかも手紙なんて遠回しな手段で。まさかとは思うがさっきまでの話をするためだったのか。だとしたら本当に救いようがない。何のための手紙なのか。
「酷い言い草だね。まあ君らしいけど……」
いつものように困った顔をしながらも、どこか楽し気にヒンメルは立ち上がり何かを奥から抱えてくる。どうやら既に準備していたらしい。用意周到な奴だ。それをどうして自分のためにできないのか。
「何なのよ、それ?」
机の上に置かれたそれに思わず目を丸くしてしまう。そこには鞄があった。年季の入った、見慣れたヒンメルの鞄。それに添えられるように置かれている青いローブ。私にとっては見慣れた、久しぶりに見る物。
「見ての通りさ。久しぶりに君たちと一緒に旅をしたいと思ってね」
私が持つ、外出する際に被る赤いローブとのお揃いの物。
それがヒンメルの招待の理由。何時振りになるか分からない、三人での旅の始まりだった────