ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第七十二話 「ヒンメル」

────夢を見る。

 

 

懐かしい夢を。覚えている。あの姿を。あの声を。

 

でもきっと、色褪せていくのだろう。思い出せなくなっていくのだろう。

 

 

それでもきっと私は────

 

 

 

 

「やっぱりここは星が綺麗だね」

半世紀(エーラ)流星にはまだ早いわよ」

 

 

相変わらず呑気なことを言いながらヒンメルは嬉しそうに夜空を見上げている。まだ待ちわびている半世紀(エーラ)流星ではないというのに。そう指摘するも全く聞こえていないのか。子供のように目を輝かせている。年老いても全く変わっていない。確かハイターも同じようなことを言っていた気がする。

 

今私たちは二人きりで夜の散歩に出かけ、その目的地に到着したところ。二人して馬鹿みたいに並んで座っている。その場所も、本当に下らない場所だった。

 

 

「懐かしいね。覚えてるかい? ここで僕たちは再会したんだよ」

「……ええ。思い出したくもないわ」

 

 

そこは村から少し外れた森の中。私の魔力の鍛錬場であり、五十年前ヒンメルに再会し服従させられてしまった因縁の場所だった。

 

 

「それもそうかな。あの時の君はまだ断頭台のアウラだったからね」

「何よそれ? 私は私よ」

 

 

きっとその時のことを思い出しているのだろう。妙なことを口走っているヒンメルに辟易するしかない。私にとっては恥辱でしかないのだから。わざわざそんなことを話すためにこんなところまで散歩に付き合わされたのだとしたら堪ったものではない。

 

そのまま視線をずらす。そこには八十年前から変わらず封印されてしまっているクヴァールの像がある。そう、その封印を解くためにここへ訪れたのが全ての始まりだった。封印されているか、服従させられているか。その違いはあれど、人間に囚われているという意味では私とクヴァールは同じだったのだろう。だが私も、クヴァールも五十年前のままではない。その証拠に

 

 

「そういえば……あんた、クヴァールをどうするつもりなわけ? このままだとあと三十年もすれば封印が解けるわよ」

 

 

クヴァールに施された封印は徐々に弱まってきていた。五十年の月日は確実に魔法を劣化させている。恐らく三十年もすれば完全に解けてしまうだろう。そうなればかつてこの地で悪逆を尽くしたとされるクヴァールが再び暴れるのは避けられない。なのに今に至るまでヒンメルはクヴァールに手を出していない。何故なのか。

 

 

「そもそも何で今の今まで放ったらかしにしてるの? 私とリーニエにやらせればすぐに終わるじゃない」

 

 

ヒンメルらしくない。確かに当時の勇者一行では封印するのがやっとだったのかもしれないが、今は違う。ヒンメルたちは魔王様を討伐するまでに成長している。あのエルフがいないとはいえ、後れを取るとは思えない。そもそもゾルトラークが人を殺す魔法だと恐れられたのは五十年前の話だ。今やそれは人類の魔法体系に組み込まれ、一般攻撃魔法にまで貶められている。ゼーリエの予言通りに。魔族である私もその恩恵を受けている。今の私なら服従の魔法がなくとも、リーニエがいなくとも苦も無くクヴァールを殺すことができるだろう。なのに何故そうさせないのか。それに

 

 

「前にも言っただろう? 君たちに同族を手にかけさせるわけにはいかないからね」

 

 

さも当然のようにヒンメルはそう答えてくる。そういえばそんなことをいつか口にしていた気がする。本当に下らないことに拘る奴だ。そして

 

 

「それにこれは勇者一行(僕たち)のやり残したことだからね。君たちを頼るわけにはいかないよ」

 

 

一度目を閉じながら何かを思い出すようにそう呟く。なんてことはない。色々言っているが、結局は

 

 

「そう。ようするにあのエルフにやらせたいってことね。でもあの薄情者のことよ。忘れててもおかしくないわ。一度も見に来ないじゃない」

 

 

ここにはいない、あのエルフにそれをさせたいだけなのだろう。いや、もしかしたらあのエルフがクヴァールの封印を確かめにこの村にやってくるのを期待していたのかもしれない。私のことがなくても、一年に一度は封印を確かめにきていたのも、それを兼ねていたのだろう。ある意味こいつらしい。残念ながら無駄な努力だったようだが。結局あの薄情者は一度もこの村にやってくることはなかったのだから。そもそも封印のことを覚えているのかも怪しい。だというのに

 

 

「そうかもね。でもこの村を見捨てるほど薄情じゃないよ。封印が解ける頃にはやってくるさ」

「そう。好きすればいいわ」

 

 

それがいいのだと言わんばかりに、ヒンメルは笑みを浮かべている。本当に物好きな奴だ。欠片も理解できないが、ここまでくればもはや呆れを通り越して感心するしかない。本当に、馬鹿な奴。

 

 

「もし間に合わないようなら、君が何とかしてくれるんだろう? アウラ」

「さっきまでと言ってることが違うわよ。結局他人任せなわけ?」

「君を頼りにしているのさ」

「いい迷惑ね」

 

 

偉そうなことを言っておきながら、都合がいいことをのたまってくるヒンメル。暗に私を利用しているのだと言ってくるのはこいつぐらいだろう。なのに、私はそれ以上言い返すことができない。いつもなら、あんたはもう死んでいるじゃない、と。命令を聞く必要はないと言い返すところなのに。それを口から出すことができない。得も知れない感覚がまた私を包み込む。これは一体何なのか。

 

 

「……それで? 一体何の話があるわけ?」

「何のことだい? 僕は君と散歩がしたかっただけさ」

「見え透いた嘘は止めなさい。どれだけあんたに付き合わされてると思ってるのよ」

「嘘はついてないんだけどね……君は本当に変わらないね。いや、変わって久しいのかな」

 

 

それを振り切るように、改めてヒンメルにそう問いかける。茶番はここまでだ。こんな無駄話をするためにここまで連れてこられたのではないのは分かり切っている。嘘が見え見えだ。いや、嘘にすらなっていない。だというのにヒンメルはどこか困ったような表情を見せながらも全く自然体のまま。むしろ穏やかですらある。自分の企みを見抜かれたというのに。

 

そのままヒンメルは再び空を見上げる。だがその瞳が星を映していないのは私にも一目瞭然だった。ここではないどこかに思いを馳せている。ただその姿に目を奪われてしまう。静寂。それがいつまで続いたのか。

 

 

「随分遅くなってしまったけど……僕は君との約束を果たしにここに来たんだ」

 

 

こちらに振り向きながら、何かを噛みしめるようにヒンメルはそんなことを私に告げてきた。

 

 

「約束……? 何のことよ?」

 

 

それを前にただ首を傾げるしかない。一体何のことを言っているのか。約束。人間が、いやヒンメルが好んで使う言葉の一つ。それに振り回されたのは一度や二度ではない。もはや数えきれないほど。その内容も下らないものばかり。それをいちいち覚えてなどいられない。一体どれのことを言っているのか。それは

 

 

「決まってるだろう? 君を自由にするという約束さ」

 

 

私にとっては覚えのない、覚えていなくてはならない約束だった。

 

 

「────は?」

 

 

頭が真っ白になる。分からない。こいつが何を言っているのか。その言葉が何を意味しているのか。

 

 

「どういうことよ……? 意味が分からないわ」

 

 

まるでそう、魔族の言葉が理解できない人間のように。知らず息を飲む。背中には嫌な汗が滲んでいる。

 

 

「そのままの意味さ。五十年前にした約束だよ。僕は君を解放するために、ここに君を誘ったんだ」

 

 

そんな私を見つめながら、ヒンメルは続けてくる。その約束の内容を。五十年前。奇しくもこの場所でした約束のことを。私ですら覚えていない、いや。約束ですらないと思っていた下らない内容を。

 

 

「……つくならもう少しマシな嘘をつきなさい。また私をからかってるわけ?」

「嘘でこんなことは言わないよ。君には嘘をつかない約束だろう?」

「なおさらおかしいわ。あんた言ってたじゃない。死ぬまで私を服従させるって。それとも、もう飽きたってわけ?」

 

 

嘘に決まっている。だってそうだ。こいつが私を解放なんてするはずがない。あんなもの、私を騙すための嘘に決まっている。勇者が魔族を解放なんてするはずがない。そう思っていた。なのにこいつは本気だったというのか。あり得ない。それがあり得るとしたら、こいつが死ぬ時ぐらいだろう。かつてこいつ自身が言っていたことでもある。なのに何故そんなことを。まだこいつは生きているのに、そんなことを。そんな私の問いに

 

 

「そうだったね……ならしょうがないか。白状するよ。僕は君に嘘をついていたんだ」

 

 

あっさりと、まるで悪戯がばれてしまったとばかりに。ヒンメルはそう白状してきた。そのことに、私の方が面食らってしまう。当たり前だ。こいつが嘘をつくはずなんてない。勇者なのだから。魔族ではないのだから。なのに

 

 

「僕は最初から、僕が生きている間に君を自由にするつもりだったんだ」

 

 

ヒンメルは自白する。まるで被告のように。誰も告発していないのに。自分自身で罪を告白するように。

 

 

「……何でそんな嘘ついたのよ? 最初からそう言えばよかったじゃない」

「そうだね。でもできなかったんだ。そう言わなければ服従させたばかりの頃の君がどんな動きをするか分からなかったからね」

「……っ!」

 

 

その理由を吐露していく。その内容も信憑性があった。他ならぬ私自身のことでもある。確かに勇者であるヒンメルなら当然だろう。でも未だに信じられない。勇者であるこいつが、嘘をつくなんて。

 

 

「思い当たる節はあるだろう? アウラ、人間はみんな嘘つきなんだ。それは僕も変わらない。今の君なら分かるだろう? 僕たち人間の方が魔族よりずっと嘘つきだってことが」

「…………」

 

 

ヒンメルの言葉に何も答えることができない。それが何よりの肯定だった。私は知っている、知ってしまったのだから。この五十年で、魔族よりも人間の方が遥かに嘘つきなのだということを。その愚かさを、下らなさを、悪意を見せつけられてきた。それに比べれば、私たちのつく嘘なんて子供騙しのようなものだろう。その中に自分も含めているヒンメル。ただその一点のみが気に入らない。

 

 

「本当は君にそんなこと、知ってほしくはなかったんだけど……仕方ないね。きっと僕よりもハイターの方がずっと後悔しているだろうから」

 

 

どこか憂いを帯びた表情でヒンメルはハイターの名を口にしている。何故そこであいつの名前が出てくるのか。そういえば、以前似たようなことをあいつにも言われたような気がする。あれはいつだったか。

 

 

「話が逸れたね。だから僕は、君が僕のお願いをきいてくれたら君を解放しようと初めから決めてたんだ」

「お願い……? 何のことよ?」

「僕と友達になってほしいってお願いさ。まさか本当に忘れてたわけじゃないだろう?」

「そうね……ただの世迷言だと思ってたわ。あの頃はね」

「ちなみに夢は人間と魔族の共存だったんだ。これは言ったことがなかったかな?」

「ええ。そこまで行くと感心するわ。ただの御伽噺ね」

 

 

それまでの雰囲気が嘘だったかのように、今度は嬉しそうにヒンメルはそんな御伽噺を語り出す。友達。五十年前から私を振り回し、縛り付けている言葉。だがそれよりもさらに上があったらしい。人間と魔族の共存。そういえばどこかで聞いた気がする。こいつから直接聞いたのか、それとも他の誰かだったか。絵空事だとばかり思っていたのでまともに覚えていない。そんなことを本気で信じているのはこいつと魔王様ぐらいだろう。

 

 

「そう、御伽噺だったんだ。でも、僕の夢はとっくに叶ってたんだ。君のおかげでね」

「何よそれ? 私はそんなことしてないわ」

「君にとってはそうなんだろうね。でも僕には違ったんだ。本当に嬉しかったんだ」

 

 

なのにこいつの夢はもう叶っていたらしい。他ならぬ私によって。意味が分からない。私はそんなことはしていない。一体何を言っているのか。分かるのは、こいつにはそれが嬉しかったのだということだけ。

 

 

「……アウラ、僕は君に謝らなくちゃいけないことがあるんだ」

「あんたが私に? どういう風の吹き回しよ」

 

 

こっちの困惑も何のその。今度はそんなことを言い出すヒンメル。本当に今日はどうしたのか。まだ飲んだ酒が残っているのではないか。

 

 

「真面目に聞きなさい。まったく……覚えてるかな。昔、僕から解放されたらどうするか聞いたことがあっただろう?」

「ああ、そんなこともあったわね。それがどうかしたわけ?」

 

 

その話題もまた昔のこと。本当にこいつは思い出話が好きだ。付き合わされて思い出すのも一苦労だというのに。あれは確か、ハイターの別荘にこいつらが来た時だったか。その時のことは記憶に残っている。いきなりそんな話をしてきて驚いた記憶がある。あれがどうかしたのか。

 

 

「僕は本当はあの時、君を解放するつもりだったんだ」

 

 

それは、私が想像していた遥か上を行く告白だった。

 

いや、それはまるで懺悔だった。聖都にいる間に数えきれないほど人間共に付き合わされた、無駄な時間。魔族には理解できない、罪と罰。それを他人に押し付ける行為。

 

だがそれを前にして、私はただ耳を傾けるしかない。いや、目を逸らすことができなかった。

 

あの時ということは、今からもう数十年前か。そんなに前から、こいつは私を解放しようとしていたらしい。全く気づけなかった。どころか考えたこともなかった。ハイターやアイゼンは気づいていたのだろうか。いや、あいつらのことだ。きっと分かっていたに違いない。魔族である私だから、それに気づくことができなかったのだろう。

 

 

「あの時の君の答えを聞いて確信したんだ。もう君は大丈夫だって。勇者として、君を縛る必要はなくなったんだ、と。でも……それができなかったんだ」

 

 

私はあの時に何と答えたのか。すぐには思い出せない。私にとってはどうでもいい、当たり前のことだったのだろう。でもそれはヒンメルにとってはそうではなかったらしい。なのに、ヒンメルはそれができなかったらしい。

 

 

「何でよ? あんたらしくないわね」

 

 

そう、こいつらしくない。いつも即断即決、こっちが息つく暇もないほどに動きの早い、行動力の塊の癖に。それに

 

 

「────楽しかったんだ」

「は?」

 

 

ヒンメルはそんな、理解できない、それでもいつか聞いたことのある理由を明かしてきた。

 

 

「君と一緒にいることが。君やリーニエと一緒に暮らすことが。それを続けたいと、終わらせたくないと思ってしまった。僕の我儘のせいで君を縛り続けてしまった。君の言葉に甘えて……すまない、アウラ」

 

 

それはきっと後悔と呼ばれる物だったのだろう。勇者には、いやこいつには似ても似つかない物。きっとこいつはずっと後悔していたのだろう。私を服従させたままでいることに。それが私を傷つけている、苦しめているのではないかと。

 

楽しかった。いつかここに似たアイゼンの住む家がある森の広場で、こいつはそう言っていた。俄かには信じられなかったが、それは嘘ではなかったのだろう。こいつが、こんならしくない行動をしてしまうぐらいには。

 

 

「何であんたが謝るわけ? あんたは私に勝って私を従えた。謝る必要なんてないじゃない」

「そうだね……君ならきっとそう言うだろうね」

 

 

なのでいつかと同じ答えを口にする。それは無駄なことだと。弱肉強食の世界において、そんなことを気にする必要なんてない。そんな暇なことを考えるのはきっとこいつらだけだろう。魔族としての私の答え。ヒンメルもそれが分かっていたのだろう。だがその表情にある陰りは消えていない。それを前にして

 

 

「…………楽しくはなかったわ。けど、悪くもなかったわ」

 

 

そう漏らしてしまう。あれから五十年。こいつに付き合わされた私の、きっと金輪際口にしないであろう、嘘偽りない本音。

 

 

「……そうか。なら、安心したよ。アウラ」

 

 

一度驚いたような表情を見せながら、ヒンメルは笑みを浮かべている。いつもと変わらない、見慣れた表情。やはりこいつはこうでなくてはいけない。しおらしい姿なんて見せられたからこっちの調子が狂ってしまう。

 

そのままヒンメルはゆっくり立ち上がり、私の前に近づいてくる。剣の代わりに、杖を手にしながら。そのままいつかのように私の前で片膝をつく。忠誠を誓う騎士のように。もうそんなことをするような歳ではないだろうに。本当に格好をつけたがるのは変わらない。

 

 

「あんた……本当に解除していいわけ?」

 

 

それを前にして、自分でも信じられないような言葉を口にしてしまった。この私が、あり得ないようなことを。分からない。私が今、何を口走ってるのか。

 

 

「服従が解除されたら、私がどうするかなんてあんたなら分ってるはずでしょ……?」

 

 

────動悸がする。眩暈がする。立ち眩みがする。

 

 

私が私でなくなってしまったかのように、悪い夢に、熱に浮かされるように。分からない。今私が、何を恐れているのか。そうか、今私は恐れている。何を。決まっている。解放されることを。どうして。あんなにもこの時が来るのを待ち焦がれていたのに。何を恐れることがあるというのか。

 

 

「私が人間を食べたらどうするわけ……? それだけじゃないわ。私は魔王に、あんたたちの脅威になるかもしれないのよ。なのに」

 

 

そう、ただそれだけ。何も変わりはしない。魔族としての、本来の在り方に戻るだけ。ただ思うがままに振る舞い、力を振るう。何も躊躇うことはない。なのに

 

 

「そんなことは君はしないよ。分かってるさ」

 

 

それをこいつは当たり前のように否定した。いや、肯定した。これまでの私の五十年を。まるで私の恐れを全て見抜いているかのように。

 

 

「あんたに私の何が分かるっていうの……? 人間のあんたが」

 

 

ただ感情のままにぶつける。何でそんなことがわかるのか。いつかと同じように。人間と魔族。決して相容れることはない種族。ただあの時と違うのは

 

 

「────当たり前じゃないか。僕は君の友達なんだから」

 

 

それを超えた何かが、私とこいつの間には確かに存在したということだけ。

 

 

「君だって分かってるだろう、アウラ? そんな心配はもういらないって。僕がいなくても、君にはもうリーニエがいるんだから。あの子が君の新しい道標になってくれるよ」

 

 

私の迷いを晴らすように、ヒンメルはその道標を示す。それがリーニエであると。今まで自分を縛る枷であった役割を、あの子が引き継いでくれるであろうことを。私だってそれは分かっている。その方法であれば、こいつから解放されても私は断頭台ではなく、天秤でいられるだろう。きっとこいつのことだ。私よりも早くそのことに気づいていたに違いない。

 

 

「君は嘘をつくのが下手になったね」

「誰のせいよ」

 

 

本当に最後の最後まで、癪な奴。

 

 

「アウラ」

 

 

その名を呼ばれる。その眼差しに、声に惹きこまれる。

 

 

「────僕はね、本当に楽しかったんだ。あの時、君を手にかけないで本当に良かった」

 

 

いつかと全く同じ言葉をヒンメルが口にした瞬間、私を縛り付けていた物が消え去っていく。あっさりと、まるで今までのことが全て噓だったかのように。そしてその言葉が真実であると示すかのように。

 

 

それが私が、五十年間課せられていた服従から解放された瞬間だった────

 

 

 

 

「どうだい? 五十年ぶりに自由になった気分は?」

「そうね。たった今最悪になったわ」

「ひどくない?」

「どの口が言うのよ」

 

 

さっきまでの空気は何だったのか。いつもの調子でこっちをからかってくるヒンメル。それを無視しながら自身の状態を確認する。間違いなく服従は解除された。私は自由になった。十全となった。だがかつて初めて聖都で解放された時のような高揚感はない。それもそうか。あれ以来、一時的とはいえ服従の魔法を使う間は解除されることは多々あったのだから。だがその際にも残されていた、繋がれている感覚がない。長い間繋がれていた枷が、首輪が外された感覚。知らず首元をさすってしまう。あるはずの物がなくなってしまった、そんな喪失感。笑い話だ。きっとただの慣れだろう。きっと時間が経てば違和感はなくなるはず。そんな中

 

 

「アウラ、実は君が自由になった時に、しようと思っていたお願いがあるんだ」

「……何よ」

 

 

改まったようにヒンメルはいつものように私に話しかけてくる。本当にこいつは私が自由になったと分かっているのか。遠慮も何もあったものではない。ある意味こいつらしいが。そう呆れていると

 

 

「君に、フリーレンと友達になってほしいんだ」

 

 

今までのことが帳消しになってしまうほど、あり得ないお願いをヒンメルはしてきた。

 

 

「…………あんた、正気? もうお迎えが来たってわけ?」

「そんなことはないよ。五十年前からずっと考えてたんだ。僕たちは君たちのように長くは生きられないからね」

 

 

思わずそのまま固まってしまっている私をよそに、ヒンメルはそう続けてくる。本当にこいつは何を考えているのか。まだ流星を一緒に見に行かないか誘われた時の方がマシだろう。

 

 

「僕が君と友達になれたら、フリーレンとも友達になってくれるんじゃないかってね」

 

 

どうやらこいつはそんなことを、私を服従させた時からずっと考えていたらしい。今確信した。こいつは勇者でもなんでもない。ただの馬鹿なのだと。

 

 

「…………あんたは本当に、死ぬまで他人の心配ばかりしてるのね。少しは自分のために動いたらどうなの?」

「心配ないよ。これは僕が、僕のためにしていることだからね。君と同じだよ」

 

 

それを自覚しているのがさらに質が悪い。いや開き直っているのか。結局こいつは死んでも変わらないのだろう。

 

 

「私がそんな命令きくと思ってるの? もうあんたにそんな権利はないわよ」

「もちろん分かってるさ。だからこれは命令じゃなくてお願いなんだよ。友達としてね」

 

 

私の答えも分かっていたのだろう。流れるように答えてくるヒンメル。なるほど。だから私が解放されるまで言わなかったのか。やり口が完全にハイターのそれだ。きっと共謀したに違いない。あの生臭坊主。今度会ったら服従させてやる。

 

 

「そもそもあんた、まだ私があんたと友達だと思ってるわけ?」

「もちろんさ。だって今もそのアクセサリをしてくれているだろう? 五十年間ずっとね。だからそう思ってたんだけど、違ったかな?」

「…………いちいちそんなこと言わなくてもいいわ。馬鹿じゃないの」

「どこかの誰かさんに言われたからね。言葉で言わないと伝わらないって。それから僕もそうしてるんだよ」

 

 

止めとばかりに私の胸にあるフリージアを引き合いに出されてしまう。この時のために渡したのではと勘ぐってしまうほどに無駄がない。本当に癪な奴だ。以前のこいつならそんなこと言わなかっただろうに。私だけではなく、こいつも変わったのだろう。私にとっては全く嬉しくない変化だが。

 

 

「…………あんたがあのエルフを説き伏せられたら、考えてやってもいいわ。それが無理ならあきらめなさい」

 

 

結局私が折れる形で妥協する。この五十年で変わらない、私たちの関係。服従がなくなった程度ではそれは変わらなかったらしい。

 

 

「ありがとう、アウラ。これは責任重大だね」

「せいぜい泣き喚かれないように気を付けることね」

 

 

いつものように微笑みながらヒンメルは楽し気にしている。いい気なものだ。あとは勝手にすればいい。癇癪を起こしたあのエルフに三日三晩泣き喚かれても知ったことではない。

 

 

そのまま星空の下、ただ下らない話を続ける。帰り道でも散々聞かされたが、まだまだ話し足りないらしい。

 

 

結局朝になってリーニエが迎えに来るまでそれは続くことになるのだった────

 

 

 

 

 

────それからのことはあまり覚えていない。ただ、慌ただしく時間が流れたことは何となく覚えている。

 

 

「大丈夫、リーニエ? 忘れ物はない?」

「大丈夫だよ。リリーは心配性なんだから」

 

 

リリーに心配されているが、リーニエは全く気にしていない。きっと今の状況が理解し切れていないのだろう。少し私との二人旅に出かけるぐらいの感覚だったのかもしれない。

 

私もまたそれは同じだった。実感が湧かないまま、ただ流れに身を任せている。もう私は自由だ。だからもうここに留まる理由もなくなった。なら行かなくては。ここではないどこかに。ずっとそれを夢見てきたのだから。

 

 

「姉さん、お元気で。また遊びに来てください。お待ちしています」

「そう……ま、気が向いたらね」

 

 

シュトロがそう私の手を握ってくる。この子も変わらない。私がもう縛られていないことを理解しているのに、次の瞬間、襲われてもおかしくないのにそんなことを。いや、きっとそれは私も同じなのだろう。

 

それをヒンメルは少し離れたところから見つめていた。昨日の騒々しさが嘘のように大人しくなってしまっている。昨夜の徹夜が堪えたのだろう。もう少し自分の歳を考えればいいものを。

 

 

「……じゃあ行くわ」

 

 

そう告げてその場を後にする。それ以上の言葉を思いつけない。それは無駄でしかない。何よりもそれはヒンメルの拘りに反する。こいつはいつもあっさりと人と別れていた。らしくないほどに。それに格好をつけながら言っていた。涙の別れは自分には似合わない。また会った時に恥ずかしいから、と。本当に下らない理由。

 

 

「…………」

「……? 何よ?」

 

 

なのにヒンメルは何も言わず黙り込んだまま。らしくない。いつもならじゃあまた、と何でもないことのように別れを挨拶をしているくせに。そのまま黙り込んだまま。目を伏せてしまっている。一体何なのか。いい加減出発しようかと足を動かしかけた時

 

 

「…………アウラ、また会いに来てくれるかい?」

 

 

こっちが聞き取れないような小さな声で、ヒンメルはそう本当にらしくないことを私に漏らしてきた。

 

 

瞬間、全てを理解した。こいつが一体何を躊躇っていたのか、怖がっていたのか。同時に、どうしてそんならしくないことをしてきたのか。それを理解した上で

 

 

「何を勘違いしているのか知らないけど……私はフリーレンじゃないわよ」

 

 

あの時と同じ言葉を、ヒンメルに贈る。五十年経っても、まだそんな勘違いをしている馬鹿な友達に。ただそれを口に出せただけで、こいつも五十年前よりマシになったのだろう。それを今度は私ではなく、あのエルフにしてやればいい。

 

 

「────そうだね。なら、心配いらないね。楽しみにしているよ、アウラ」

 

 

また五十年待たなくてもいいと安堵したのか、ヒンメルはいつものように笑みを浮かべている。それを横目に歩き出す。リーニエと共に。もう振り返ることはない。その必要もない。どうせまた会うことになるのだから。

 

 

 

────そう思っていた。この時の私は分かっていなかったのだ。あのエルフのことを、私はもう馬鹿にすることはできない。

 

 

私は知らなかった。知ることになる。服従(ヒンメル)から解放される。その本当の意味を。そして新たな約束(呪い)に縛られることに。未だ知らぬ後悔という名の感情と共に────

 

 

 

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