ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

74 / 252
第七十四話 「境界」

「やっぱりアウラさんだったんですね。よかった。違う人だったらどうしようと思ってたんです」

 

 

どこか安堵したような、はにかむ笑みを浮かべている人間の子供。魔力も何も感じないただの人間。ただ違うのはその視線が私とは合わないということ。私の方を向いてはいるが、私の姿を捉えられていない。何故なら

 

 

「そう。やっぱりリーニエがここに来てたのね」

「はい。一週間ぐらい前からですかね。目が見えない僕が珍しかったみたいで。話し相手になってくれたんです」

 

 

目の前の少年には私の姿が見えてないのだから。

 

 

盲目の少年、名前はヴィルと言うらしい。今私はそのヴィルと向かい合う形で会話している。理由は昨夜リーニエから聞き出した、白状させた内容のせい。どうやらあの子は一週間ほど前からここに通い、ヴィルと遊んでいたらしい。もっとも遊ぶと言っても今の私と同じようにお喋りをしていただけだったようだが。しかし問題には違いない。人間に魔族がいるとバレてしまう危険があるのだから。今の私のようにローブを被っていたとしてもその言動で不審に思われてしまう可能性がある。あの子は特にそうだ。しかし幸いなことに、まだそれには気づかれていないらしい。ヴィルの目が見えていない、というのが一番の理由だろう。

 

 

「でも大変だったでしょう? あの子、見た目より幼いから。変なこと言われなかった?」

 

 

だが油断はできない。あの子が一体何を喋っていたのか。漏らしていたのか。私ですら予想できない。最悪服従の魔法を使ってその間の記憶を忘れさせることも考えなければならない。そのためにわざわざこんなところまでやってこなくてはならなくなってしまった。確かに少しは動かなくてはと思っていたがこんなことになるとは。当然リーニエは留守番だ。一緒に連れてくればさらに悪化するのは目に見えている。

 

 

「変なこと……というか面白い話をいっぱい聞かせてもらいました。住んでた村のことや王都や聖都のこと。でもほとんどはアウラさんのことばっかりでした。リーニエはアウラさんのことが大好きなんでしょうね」

「ええ。よく言われるわ。他には何か聞いた?」

「他には、ですか……? あ、でも面白い冗談を言う子ですよね。自分は五十年生きてるとか、僕より年上だからお姉ちゃんって呼んで欲しいとか。流石にそれはちょっと恥ずかしかったんで、友達で、と言ったらすごく喜んでくれました。良い子ですね」

「そうね……人の真似ばかりする子だから」

 

 

どうやら最悪の事態は免れたらしい。ヴィルも不信感はあったようだが、魔族だとは思わなかったらしい。それもそうか。ある意味もっとも魔族らしくない魔族なのだから。一応、自分が魔族であることは秘密にするよう命令していたのも効果があったのかもしれない。そしてどうやらまたお姉ちゃんごっこをしていたらしい。シュトロやリリーには通じないのでヴィルに試したのだろう。結果は見ての通りだが。もっともそれ以上の成果はあったのかもしれない。

 

友達。きっとあの子にとってはその方が嬉しかったに違いない。村や聖都でも友達はいたが、それはリーニエの素性を、魔族だと知った上でできた関係。全く見ず知らずの相手から友達扱いされたことはリーニエにとっては初めてのことかもしれない。

 

 

「アウラさんはリーニエのお姉さん……なんですか?」

 

 

そんなことを考えていると、ヴィルからそう尋ねられる。最近は親子ではなく、姉妹として見られることの方が圧倒的に増えてきた。特に何もおかしくはないはずだが。いや、そうか。目の前のヴィルには私の姿が、容姿が見えていない。ただ聞こえているだけ。なら声だけで判断するのは難しいのかもしれない。面倒なことだ。

 

 

「そうね……何かおかしいかしら?」

「その、リーニエがアウラさんは自分の主人だって言ってたので。からかわれてるのかなって思ってたんですけど、そんな感じでもなかったので」

「あの子は変なことばかり言うから真に受けなくていいわ。嘘つきなのよ。ごっこ遊びみたいなものね」

 

 

だが明かされた理由に思わず顔を引きつらせるしかない。見えていなくて助かった。本当にあの子には手を焼かされる。これではヒンメルのことも言えないかもしれない。嘘つきではないのに嘘つき呼ばわりするしかない。ごっこ遊びも間違いではない。村や聖都から出ればこういう問題も出てくるのか。これからどうしたものか。それはともかく

 

 

「それと私のことはアウラと呼びなさい。さん付けは気持ちが悪いわ」

「え? でも呼び捨てはちょっと……じゃあ、お姉さんでいいですか?」

「ええ。その方がしっくりくるわ」

 

 

自分の呼び方を変えさせることにする。さん付けは思ったよりも違和感がある。様付けさせるのも状況的におかしい。本当なら呼び捨てにさせたかったのだが仕方ない。姉呼ばわりはもう慣れているのだから。もっともそんな歳ではないのだが。

 

 

「? どうかした?」

「え? いや、その……何だか、お姉さんよりもお母さんみたいだなって」

 

 

瞬間、思わず目を丸くしてしまう。まさかここで、しかも会ったばかりの相手からそんなことを言われるなんて考えもしなかったからだ。一体私のどこにそんな要因があるのか。目も見えていないはずなのに。友達と同様に、私はその言葉に振り回されるのは解放されても変わらないらしい。だが不思議と不快感はない。恐らくヒンメルたちのようにからかう気がないからだろう。

 

 

「そうね。よく言われるわ。何ならそう呼んでみる? 構わないわよ」

「っ!? す、すいません。変なこと言っちゃって。失礼ですよね、女性にそんなこと」

「でしょうね。気をつけなさい。女性に年齢の話題は禁句よ。三日三晩泣き喚かれるかもね」

「お姉さんもそんなことをするんですか?」

「私は無視するだけよ」

「それも困りますね。これからは気をつけます」

 

 

だがお返しとばかりにそう指摘する。人間であれ魔族であれ、女性に年齢のことを言うのは好ましくない。あのエルフは三日三晩泣き喚くらしい。どんな生態なのか。あのヒンメルが恐れおののくのだからよっぽどだろう。それに比べれば私は優しいはず。子供だからなのか、それとも性格か。ヴィルは素直に受け入れている。誰かさんとは大違いだ。

 

 

「でも本当に目が見えないのね。よくここまで来れたわね。一人で来たの?」

「はい。でも杖があるので。慣れた道なら大丈夫なんです」

「ふぅん……」

 

 

見れば腰かけている岩の近くに杖が立てかけられている。それを使ってここまでやってきたらしい。ヒンメルはそれを三本目の足代わりにしていたが、この子はそれを目の代わりにもしているらしい。器用なものだ。もっとも面倒なことには違いないだろうが。そんなことを思っていると

 

 

「そういえば、お姉さんは何をされてる方なんですか? リーニエにも聞いたんですけど、よく分からなくて」

 

 

今更の、至極当然の質問をヴィルはしてくる。リーニエについては仕方ない。あの子にそれを求めるのは酷だろう。

 

 

「冒険者よ。半分旅人みたいなものだけど、これでも魔法使いなのよ」

 

 

淀みなく、用意していた嘘をつく。いや、嘘にすら入らないような当たり前の対応。懐かしさすら感じるほど。服従させられる前はそれを装い、人間共を油断させていたのだから。ただ予想外だったのは

 

 

「冒険者! すごいなぁ。僕、冒険者になるのが夢なんです」

 

 

目の前の少年にとってそれは、こちらの想像以上の効果があったということ。同時に激しい既視感も。だが何よりも

 

 

『目が見えないのに?』

 

 

そう口から出かけるのを飲み込む。ある意味当然の疑問。無駄でしかないことを指摘する忠告。同時にヴィルにとっては不快に感じるであろう言動。それを抑え込む。何の脅威にもならないが、わざわざ相手の不興を買うことはない。

 

 

「……そう。でも何で男の子っていうのは冒険者に憧れるのかしら? 知り合いの子もそうだったわ」

 

 

その代わりに違う質問をする。思い出すのはかつてのシュトロの姿。あの子も出会った時に同じような反応をしていた。どうして人間の男の子というのは冒険者に憧れるのか。そういう習性なのだろうか。スカート捲りはあいつら特有の習性に違いない。

 

 

「やっぱりかっこいいからですね。僕、勇者ヒンメルに憧れてるんです。小さい頃からお母さんに冒険譚を聞かせてもらってました。今僕が住んでる村にも銅像があるんです」

「あっそう。でもあんまり真に受けない方がいいわよ。伝記なんてあてにならないんだから」

「そうなんですかね……でもすごくワクワクしました。きっとその子も同じですよ。きっと友達になれると思います」

「そうね。今度会ったら伝えておくわ」

 

 

思わぬところで、というよりこんなところまであいつの話題が出てくるとは。解放されてもそれは変わらないらしい。銅像はあきらめるにしても伝記までか。きっと嘘にまみれているに違いない。後世の恥だろう。また友達、か。シュトロにこの子を紹介してやるのも面白いかもしれない。どんな反応をするやら。

 

そのまま流れで会話を続ける。いや、途中からは一方的に話を聞かされることになった。どうやらこの子は鳥のことが好きらしい。その話題になった途端、それまでの子供らしからぬ雰囲気が変わり、饒舌に話し始めてしまった。まるで小さい頃のリリーのようだ。花か鳥の違いはあれど、似た者同士なのかもしれない。その内容も専門的だった。鳴き真似をして獲物を誘き寄せる、人語を真似る、どこかで聞いたような種類の鳥もいるらしい。気にしたことはなかったが、花のように鳥にも多くの種類がいるのだろう。それを好きだとはいえ、ここまで知っているとはヴィルは博識に違いない。学者や研究者の方が冒険者よりもずっと向いていると思うが、わざわざ言う必要もないだろう。

 

 

「ごめんなさい、僕ばかり喋っちゃって」

「いいわ。慣れてるもの。私の知ってる子に花が好きな子がいるのよ。引っ込み思案の癖に今のあんたみたいに花のことになると饒舌になってたわ」

「そうなんですか。もしかしてお姉さんも花に詳しいんですか?」

「そうね。あの子ほどじゃないけど、散々付き合わされたから」

「よかったら聞かせてもらえませんか? 僕も興味があるので」

「物好きなのね。まあいいけど……」

 

 

鳥だけでなく、花にも興味があったのか。やはり学者に向いているのでは。断る理由も特に見当たらないのでそのままリリーからの受け売りの知識を披露する。それに見えない目を輝かせているヴィル。本当に物好きな子だ。途中でこの子には花が見えないのだから話しても無駄だと気づいたが、仕方なくそのまま続けることにした。特に蒼月草の話には興味津々だった。何でも鳥の中にも絶滅しかけている種がいくつもあるらしい。やはり弱い種は淘汰されていくのだろう。

 

それがどのくらい続いたのか。ヴィルはぽつりぽつりと自らの身の上を明かしていく。両親が魔族に殺されたこと。その際に自らの視力を失ったことを。何の目新しさもない、ありふれた話。それを私に明かしたのは何故なのか。あえて聞かなかったというのに。もしかしたら私に聞いてほしかったのかもしれない。懺悔に近い物か。

 

 

「────どうして、魔族は村を襲ったんでしょうか」

 

 

ぽつりと、どこか淡々とヴィルはそう漏らす。そこには普通の人間なら発するであろう感情が見られなかった。怒りや憎しみ、悲しみ。そういった物の発露が懺悔にはあった。なのにこの子にはそれがない。ただどこか疲れたように、ここではないどこかを見つめている。その目では何も見えはしないだろうに。ただ理由が知りたい。そんな子供のような問いに。

 

 

「理由なんてないわ。ただそうしたいからそうしただけよ」

 

 

ただ真実を告げる。嘘偽りなく。そう、魔族である自分にすら分からないのだ。そんなものあるわけがない。きっと人間もそれは同じだろう。それをこの五十年で私は飽きるほど見てきたのだから。

 

 

「……」

「? 何? どうかした?」

「いえ、まるで自分が魔族みたいにお姉さんが言うので」

「そうね。私ほど魔族のことが分かる人間はいないでしょうね」

 

 

まるで、ではなくまさにだろう。笑い話でしかない。人間の振りをしながら魔族の気持ちを答えるなんて。自分がまさにその魔族と話しているとはヴィルも夢にも思っていないに違いない。にも関わらず私の答えを鵜呑みにしているらしい。冒険者である私なら魔族のことにも詳しいと思ったのかもしれない。しかし

 

 

「ならお姉さんは、僕たちは魔族と分かり合えると思いますか?」

 

 

その質問に、いや愚問に言葉を失ってしまう。当たり前だ。あいつ以外に、そんな夢物語を語る人間がいるなんて思いもしなかったのだから。

 

 

「……そんなことできるわけないでしょ。そもそもあんた、魔族に親を殺されて両目も失ったんでしょ? 何でそんなこと考えてるわけ? 魔族が憎いんじゃないの?」

 

 

一度目を閉じ、しばらくしてからそう答える。そう、それが答えだ。あいつはそれが叶ったと言っていたが、私にはそれが分からなかった。なら、それはやはり叶っていないのだろう。

 

何よりもおかしいのはヴィルの方だ。さっきの懺悔が嘘でないならこの子は魔族に全てを奪われたはず。なのに何故そんなことを口にするのか。共存なんて発想が出てくるのか。やり返してやろうとは思わないのか。憎しみがないとでも言うのか。そんな私の疑問に

 

 

「憎い……と思います。だけど魔族が全員悪い奴だと思いたくないんです。中には、いい魔族もいると思うんです」

 

 

ヴィルはどこかそうあってほしいと願うように答えてくる。それでようやく気付く。この子は賢いけど愚かなのだと。目が見えないからなのか。それとも元々なのか。どちらにせよ長生きできるタイプではないだろう。

 

 

「──そんなのいるわけないじゃない」

 

 

呆れながらそう事実を教える。魔族にいいも悪いもない。殺すか殺されるか。騙すか騙されるか。あるのはそれだけ。もし共存を望んでいるのがいい魔族だとすれば魔王様もそうなるのだろう。歴史上で最も人間を殺した魔族が。これ以上のない皮肉だ。だがそれは

 

 

「きっといると思います。お姉さん、聞いたことありませんか? 天秤のアウラの噂を」

 

 

思いもよらない形で、私自身に跳ね返ってくることになるのだった。

 

 

「……知らないわ」

「中央の聖都に天秤と呼ばれてる魔族がいるらしいんです。何でも僧侶ハイターと一緒にいるとか。まるで女神様みたいに平等に人々を救ってるって。僕も一度会ってみたいんですけど、目が見えないので難しくて。あ、でもお姉さんと同じ名前ですね。こんな偶然もあるんですね」

 

 

まるでヒンメルのことを語る時のように、見えない目を輝かせながら饒舌に語るヴィル。それをどこか他人事のように聞いている私。人間はどうしてこんなに噂話が好きなのか。こんなところまでそれが広まっているなんて。さっきの伝記云々の話が蘇る。下らない嘘にまみれている噂話もそれと同じなのだろう。これではやっていることがヒンメルと変わらない。

 

 

「……そんな噂、嘘に決まってるわ。魔族に会ったらすぐに逃げなさい。話をするだけ無駄よ」

 

 

なのでそう忠告する。そう、所詮は作り話。始まりはヒンメルとハイターの悪ふざけだったのかもしれないが、今はそれが独り歩きしてしまっている。架空の虚像。それに騙されて魔族に殺されてしまっては本末転倒だろう。今のヴィルがまさにそれだ。そうなればこの子を命懸けで逃がした両親が無駄死にになるだけだ。

 

だというのに、ヴィルはそのまま呆然としているかと思えば急に笑い始めてしまう。我慢しきれなかったように。一体何なのか。私はそんなにおかしいことを言っただろうか。おかしいことを言っているのは自分だろうに。

 

 

「何が可笑しいのよ?」

「いえ、ただお母さんが生きていたら、きっと同じことを言われただろうなって」

「私はお母さんじゃないわよ」

「ごめんなさい」

 

その理由も本当に下らないものだった。ようするにまたお母さんだったらしい。本当に人間はお母さんが好きなのだろう。勝手にそれにされてしまう私にすればいい迷惑でしかない。もしまたリーニエにそう呼ばれでもしたら。想像しただけでゾッとする。やはり私達には理解できない概念なのだろう。

 

 

「そういえば、忘れないうちに渡しておきますね。どうぞ」

「何よこれ?」

「リーニエに渡そうと思ってた食材です。良かったら」

 

 

それを誤魔化すためではないだろうが、ヴィルはそう言いながら袋に入った食材を渡してくる。そういえばそうだった。これがリーニエの秘密。こうしてここ最近はヴィルから食材をもらっていたのだろう。リーニエらしいと言えばリーニエらしい。人里から盗んできたのではないだけマシだったと思うしかない。

 

 

「そう。ならこれをあげるわ。お返しね。釣り合いは取れていないけど」

 

 

また持って帰らせるのも面倒だろうともらうことにするも、そのまま魔法で花を生み出し差し出す。人間社会だけでなく、魔族でも理解はできる物々交換。残念ながら今は紙幣は持っていないのでその代わり。もっともその価値は全く釣り合ってはいないのだが、ないよりマシだろう。花にも興味を示していたし、何より魔法を見たがっていた。しかし

 

 

「……? あの、それは?」

 

 

ヴィルはそのまま固まったまま。私が差し出した花にも気づいていない。

 

 

「……ああ、そういえば見えないんだったわね。さっき話した蒼月草よ。魔法で出したの。でも見えないんじゃ意味なかったわね」

 

 

そこでようやく気付く。この子には見えていないことを。なら無駄なことをしてしまったかもしれない。どころか余計なことだったのだろう。そのまま花を引っ込めようとするも

 

 

「いいえ、ありがとうございます。大切にしますね」

 

 

それを両手で探しながら、包み込んでしまうヴィル。見えない花に何の意味があるのかは分からないが、本人がいると言うのならいいだろう。

 

 

「……あんた、怒らないのね。私、何度もあんたが不快になることを言ったと思うんだけど」

 

 

それよりも気になったのはそこだった。この子は全く怒らない。もっと子供らしくすればいいだろうに。意識はしていたが、恐らく私は何度もこの子が不快になることを口にしたはず。なのに気にしている気配もない。私が魔族であることを理解している村や聖都の連中なら分かるが、この子はそもそも私が魔族だと気づいてすらいない。なのに何故。

 

 

「そうですね。でも全然気にならなかったんです。お姉さんもリーニエも……なんて言うか、全然悪気がなくって」

「悪気……ああ、悪意のことね。ならその通りよ。私たちは悪意がないってよく言われるから」

「面白いこと言いますね。でも、そのおかげかな。お話ししててすごく楽しかったです」

「そう。私も暇つぶしにはなったわ」

 

 

悪意がない。魔族が魔族たる所以であり、人間と共存できない理由の一つ。それが役に立つとは。皮肉でしかないだろう。楽しくはなかったが、いい暇つぶしにはなった。そんなことを考えていると

 

 

ここから離れた場所から、鐘が鳴る音が聞こえてきた。

 

 

「しまった。もう帰らなきゃ……」

 

 

それを聞いた瞬間、ヴィルはそうどこか焦った声を上げる。どうやら住んでいる村の鐘の音らしい。何かしらの合図なのだろう。恐らくは帰宅を促すためのものか。それに気を取られた瞬間

 

 

────激しい、そして抗えない魔族の衝動が私に襲い掛かってきた。

 

 

「────」

 

 

思わずその場に蹲ってしまう。そのまま口を手で覆い隠す。何かを抑え込むように。知らず息が荒くなっていた。視界が赤と白に点滅している。それが何であるかを私は知っている。ここ一月、それをただ抑えてきたのだから。なのに、それが溢れ出してしまう。当然だ。目の前に人間(食材)がいるのだから。

 

 

「お姉さん……? 大丈夫ですか?」

 

 

食材(人間)が何かを言っている。だが聞き取れない。どうでもいい。ただ食指が働く。知らず喉を鳴らしてしまう。口の中に涎が溜まっていく。そのまま衝動的に渡された食材の中にあったリンゴに噛り付く。だが満たされない。これではない。私が欲しいのはこれではない。

 

 

「大丈夫よ……私もそろそろ帰るわ」

 

 

────動悸がする。眩暈がする。立ち眩みがする。

 

 

何とか立ち上がり、踵を返す。そう、それでいい。一刻も早くここを立ち去らなければ。どうして。なんでそんなことをする必要がある。我慢する必要なんてない。

 

 

「あの……お姉さん」

「……何よ」

 

 

なのに引き留められてしまう。それに応じる必要なんてない。なのに、惹かれてしまう。気づけば手に持っていた食べかけのリンゴを地面に落としてしまっていた。だってそうだ。これは偽物だ。好物なんかじゃない。

 

 

そうだ。思い出した。私の本当の好物は人間の────

 

 

 

「もしよかったら、明日もここで会えませんか? もちろん、無理にとは言いませんけど」

『…………アウラ、また会いに来てくれるかい?』

 

 

「っ!?」

 

 

瞬間、私は正気を取り戻した。いや、失ってしまったのか。分かるのは思考ができるほどには冷静さを取り戻したこと。知らずフリージアのアクセサリを握っていた。またいつもの癖が出てしまったらしい。だがそれに救われた。いや、邪魔されたのか。自分でも分からない衝動と感情が入り乱れている。気づけば体中から冷や汗が滲んでいた。

 

 

「────」

 

 

目の間にはヴィルがいる。今の私の姿が見えていないのは僥倖だった。もし見られていたら心配されて(逃げられて)しまっていたかもしれない。

 

 

「…………いいわ。気が向いたらね」

 

 

そう言い残し、その場を後にする。自分が今何をしているのか、何を言っているのか分からない。でも、約束したのだから。それは守らなければ。私はあいつとは違うのだから。

 

 

「はい! 楽しみに待ってます」

 

 

そんな嬉しそうな声が後ろから聞こえてくる。それがいつかの誰かと重なる。再会の約束。それは何のために。決まってる。ただの暇つぶしだ。それ以上の意味なんてない。■■を逃がさないようにするために。

 

 

 

日が沈んでいく。昼と夜が交わるように。その境界を示すように、血のように赤い色を魅せながら────

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。