ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第七十六話 「断頭台」

「断頭台のアウラか」

 

 

久方ぶりの呼ばれ方にどこか懐かしさすら覚えてしまう。それだけではない。その気配に、魔力に。およそ五十年振りになる同族との再会。

 

自分の何倍もある体躯に武骨な鎧。兜からは魔族の証である二本の角が突き出ている。何よりも目を引くのはその手にある巨大な斧。私も見覚えがある。無名の魔族ではない。

 

『戦斧のグロース』

 

その二つ名の通り、武を極めた魔族のみが名乗ることが許される、魔族の将軍の一人。

 

 

「驚いた。勇者に隷属させられていると聞いていたが、こんなところにいるとは」

 

 

その体躯の差から見下ろされるように告げられ、思わず眉をひそめてしまう。挑発にも似た挨拶。それに思わず魔法で応えかけるも何とか抑え込む。そう、こんなことは魔族同士では日常茶飯事。そんな短慮を犯すこともない。もしこれが自分よりも遥かに格下、無名の魔族であったなら即刻処分してやるところだが、相手はそうではない。魔力量は私に比べればそれほどではないが、将軍は武に秀でている。それは場合によっては魔力差を覆す。それを私はこの五十年、あいつらに思い知らされている。

 

 

「……ええ。おかげさまでこの通り。力は取り戻したわ」

 

 

気取られぬようにわずかに後ずさり、距離を取る。こいつの斧の間合いのぎりぎり一歩外。こと魔法使いは戦士や剣士に間合いを詰められれば為す術なく倒されてしまう。かつてヒンメルに敗れてしまったように。同じ愚は犯さない。もっともこいつにヒンメルのような速さがあるはずもないのだが、念には念を。既に手には天秤を顕現させている。

 

 

「なるほど。その魔力……腐っても七崩賢ということか。鍛錬は怠っていないようだな」

 

 

そんな私の思惑を知ってか知らずか。グロースはどこか感心したようにそう口にしてくる。恐らくは本心だろう。将軍だとはいえ魔族は魔族。魔力の多寡が強さの、序列の基準であることには変わりはない。どうやら私の状態を見定めているらしい。七崩賢。大魔族の中でも魔王様に選ばれた七人しか与えられない称号であり誉れ。そんな私を前にしても平伏しないだけの実力がこいつにはあるということに他ならない。

 

 

「……アウラ様」

「下がってなさい、リーニエ」

 

 

だがそんなグロースと私の間、間合いにリーニエは全く臆することなく割って入っている。従者として私を守るためだろう。普段の言動とはかけ離れた、冷徹な獣のような気配を纏っている。今にも襲い掛かっていきかねないほど。それを制する。リーニエの身を案じるものではなく、その必要がないからこそ。相手は無名の魔族ではなく腐っても将軍。格上である私に不用意に手を出してくるほど愚かではない。それが通じたのか、リーニエはそのまま下がっていく。それでもすぐさま割って入れる間合いを保ちながら。その動きの洗練さ、無駄のなさに知らず感心してしまう。なるほど。流石は勇者の一番弟子なだけはあるのかもしれない。あいつの得意顔が頭に浮かぶも

 

 

「そいつは新しい部下か? そんな低級な魔族を従えているとは……どういう趣向だ? お前らしくもない」

 

 

目の前のグロースにはそうは映らなかったらしい。恐らく兜の中では侮蔑の表情を浮かべてるのだろう。当然だろう。

 

こいつからすれば、大魔族と将軍の間に無名の、それも下級の魔物程度の魔力しかない魔族が割って入ったようにしか見えないのだから。

 

 

「ふぅん……そう見えるのね。やっぱりあのエルフのやり方は正しかったってことね」

 

 

思わずどこか他人事のようにそう呟いてしまう。理屈では分かっていたが、こうして目の前でそれを目の当たりにすると感心してしまう。同時にある種の同族嫌悪を。そう。今こいつはリーニエに騙されてしまっている。その魔力制限によって。それによって相手の強さを誤認してしまっている。魔族の、魔法使い同士の戦いにおいてそれは致命的な隙を生み出す。事実、リーニエがその気になればこいつの首は次の瞬間、地に落ちるだろう。

 

魔族(わたし)たちが言葉で人間を欺くように、魔力で魔族を欺き殺す。それがあのエルフ、葬送のフリーレンの戦い方。

 

それをリーニエも受け継いでいる。いや、模倣している。魔族がそれを模倣しているなんて、皮肉でしかないだろう。それを教え込んだ私ですら未だに嫌悪感を拭えないのだから。

 

だがそれもヒンメルの剣技同様、完全にリーニエは習得したと言えるだろう。人間よりも遥かに魔力に敏感な魔族、それも将軍の目すら欺いて見せたのだから。

 

 

「何を言っているのか分からんが……ご自慢の死の軍勢はどうした? ここにはいないのか?」

「残念ながら駒切れよ。勇者にこっぴどくやられてね。今の私にはこの子だけよ」

 

 

そうとも知らず、グロースは辺りを見渡している。周囲に死の軍勢が潜んでいるのではないかと警戒しているのだろう。残念ながら無駄な心配だが。嘘をつくのも面倒なのでそう明かす。黙っていてもすぐにバレてしまうのだから。だが不思議と平静を保てている自分に私自身が驚いていた。本当なら腸が煮えくり返るほどの屈辱のはず。一体何故。ただのあきらめか、それとも。

 

 

「意外だな。お前のことだ。屈辱を晴らすために躍起になっていると思っていたが……勇者に飼い慣らされてしまったか」

「……っ!?」

 

だがその答えを、よりにもよって目の前のグロースに指摘されてしまう。思わずそれに歯軋りしてしまう。何故ならそれは、さっきまで他ならぬ私自身が自覚してしまったことだったのだから。

 

 

「いちいちうるさい奴ね……そういうあんただって勇者が怖くて穴熊を決め込んでたくせに」

「確かにそうか。お前がそこまで恐れるとは、やはり身を隠していたのは正解だったな」

 

 

精一杯の皮肉で返すもそれもまた虚しさしかない。所詮私もこいつと同じ穴の狢でしかないのだから。いや、同じ魔族か。そう、他の魔族もそれは同じだろう。違うのは私だけ。穴熊に失敗し、人里で飼われ、今は野生に戻れていない。どうしてこんなことになってしまったのか。それは

 

 

「だがこうしてお前が逃げ出せているということは……やはり勇者はもう力を失っているということか」

 

 

あの魔王様を討伐した伝説の勇者が、その力を失ってしまったからに他ならない。

 

 

「そうね……もうあいつらにかつての力はないわ。どいつもこいつも老いぼれてね。本当に人間っていうのは愚かね」

 

 

ただ淡々と、事実だけを口にする。私は誰よりも知っている。勇者一行(あいつら)の出鱈目さを、化け物ぶりを。

 

私は知ってしまった。勇者一行(あいつら)の衰えを。老いを。

 

勇者は剣を振るうこともできなくなり、代わりに足代わりの杖を持たなければならなくなった。

僧侶は変わらず飄々としながらも、その体の内を蝕まれ、大好きな酒も飲めなくなった。

戦士は自慢の肉体も衰え、斧を振るわず、ただ鍛冶をするようになった。

 

誰も彼も老いには敵わない。本当にあっという間にあいつらは老いぼれてしまった。魔族(わたし)たちは正しかったのだろう。例外はあの魔法使いだけだが、わざわざそれをこいつに教える義理もない。

 

 

「なるほど、僥倖だ。魔王様が討ち取られてから五十年。いい加減退屈していたところだ。満足に食事も殺しもできないのは俺たちにとっても耐えがたいものだった」

 

 

その事実にグロースは満足げに頷いている。その内に魔族の本能を見る。それは悦び。あって当たり前、できて当たり前の本能を抑え込まれてきたことに対するもの。それが解放されることに期待する喜び。私もそれはある。かつて私もそうだったのだから。ただそれだけを待ち続けるために屈辱に耐えながら身を隠していた日々。こいつが言うように、それは本当に退屈な日々だった。

 

 

「そうね……私もそう思うわ」

 

 

そう私は嘘をつく。いや、ついてしまった。

 

確かに今、私は退屈だった。でもそれはこいつの言う退屈とは違う。何故なら私は今がそうなのであって、あの五十年はそうではなかったのだから。あいつはそれを楽しかったと言った。私はそれに悪くなかったと答えた。それに嘘はない。退屈とは程遠い日々。それが唐突に終わってしまった。ただそれだけ。

 

 

「何故そんな顔をする? 喜ぶべきことだろう。お前の持つ魔法ならすぐさま人間共を蹂躙できる。何故そうしない? もう勇者など恐るるに足らんのだろう?」

 

 

言われるがままに自分の顔に触れる。今私はどんな顔をしているのか。私にも分からない。ただ喜んでいないのは分かる。どうして。分からない。そうだ。こいつの言う通りだろう。もう私は自由だ。その手にある天秤に目を向ける。これを取り戻すために足掻いてきた。もう恐れるものはない。それを夢見ていたはずなのに。

 

 

「……そんなの私の勝手でしょ」

 

 

それに蓋をして、見ない振りをしながらそう誤魔化す。まるで自分自身に嘘をつくように。

 

 

「惜しいな」

「何がよ?」

 

 

そんな私を見ながら、グロースはそんな理解できない言葉を使ってくる。一体何の話なのか。それは

 

 

「お前ほどの力を持つ魔族が闘争を忌避しているのが、だ。かつてのように存分に力を振るえばいいだろう。その手にある天秤は飾りか?」

 

 

それは私がこの一月、抗い続けている、恐れ続けている魔族の在り方そのものだった。

 

 

「……そんなことして何になるのよ」

「己の力を誇示できる。それによって人間共を支配することも」

 

 

私の問いに一切の間を置かず魔族は答える。ただ本能のままに。思うがままに。

 

 

「厄介な連中に目を付けられるだけよ。私たちの敵は勇者だけじゃないわ」

 

 

それに私は抗う。理由を探す。そうだ。勇者一行だけではない。まだまだ厄介な連中はいる。大陸魔法協会の連中や各国の軍隊。そいつらが黙っているわけがない。なのに

 

 

「そいつらもまとめて叩き潰せばいい。刃向かう気も起きないほど徹底的に。何なら俺も力を貸してやってもいい。七崩賢のお前になら、他の魔族たちも付いてくるだろう」

 

 

そんなことなど恐れることはないと、先のことなどどうでもいいとばかりに魔族は告げる。知らず手に持っていた天秤が震えていた。何も載っていないのに、その揺れで秤が傾き始めている。どちらが私なのか分からない。

 

 

「私に魔王様の真似事をしろってわけ?」

「不満なのか? お前は魔王になりたかったのではなかったのか?」

 

 

魔王。その名の通り魔族を統べる王。そうだ。私はそれを目指していたはずだ。なのに何故それを忘れてしまっていたのか。今はもう魔王様はいない。ならそれを目指すのが私のすべきことだったはず。なのに

 

 

「なら、その後はどうするのよ」

 

 

その先を、私は気にしてしまう。まるでそう、あいつのように。自分がいない、先のことばかり考えていた愚か者。

 

 

「その後? 妙なことを言う。好きにすればいいだろう? 人間共を蹂躙し続けてもいい。飽きたならやめて別のことをすればいい。お前の自由だ」

 

 

魔族の私が理解する。目の前の魔族が言っていることが正しいのだと。魔族の本能が告げる。認めてしまえと。それに抗う私がいる。なら私は一体何なのか。

 

 

「……余計なお世話よ。今、私は好きにしてるわ。放っておいて頂戴」

 

 

知らずまたフリージアのアクセサリを握り締めていた。そう、これは私が好きにしていることだ。自由だ。そう言い聞かせる。飽きてなんていない。別のことなんてしない。だって私はあいつと。そう思い返すも

 

 

「そこまで腑抜けているとはな……魔族の何たるかまで忘れてしまったか」

「────」

 

 

それは圧倒的な、自身の本能によって塗りつぶされた────

 

 

「ごちゃごちゃうるさいわね……今すぐその首を叩き落とすわよ」

 

 

瞬間、自分でも驚くような冷たい声が出た。私が私でないように。いや、これこそが私なのだ。今までの方がおかしかっただけ。

 

 

気づけばアクセサリではなく、天秤を握っていた。まあいいだろう。今はこちらの方が必要だ。

 

 

その手に天秤を、いや断頭台を見せつけながらグロースに宣告する。それ以上余計なことを言えば殺すと。傀儡にする間もなく、ただ断頭台に送るように。裁判なんて無駄なことをする必要もない。ただ私の快、不快だけがその指針。魔族が魔族たる所以。

 

 

「……失言だった。詫びよう。やはりお前は魔族だ、アウラ」

 

 

息を飲み、平静装いながらもグロースは私に従う。馬鹿な奴だ。初めからそうしていればいいものを。私が勇者に隷属させられていたからと見くびっていたのだろう。いい気味だ。

 

 

「そもそもあんた、何しに来たわけ? こんな下らない話をするためじゃないでしょうね」

「……俺は最近この辺りに来たばかりだからな。魔力を感じたから確認しに来ただけだ。お前がいるとは思っていなかったが」

 

 

私の命令に従うようにグロースは自らの事情を吐露していく。服従の魔法(アゼリューゼ)を使う必要もない。誰の指図も受ける必要もない。

 

知らず高揚している自分がいる。今までの気だるさが、憂鬱さが嘘のようだ。

 

 

「ここはお前の縄張りだろう? なら顔見せぐらいはしておくべきだからな」

「そういえば、あんたたち将軍ってのはそういうことにうるさかったわね……好きにしなさい。そもそもこの辺りは私の縄張りでもなんでもないわ。ただ」

 

 

機嫌良く再び自分の顔に手を当てる。今度は分かる。私が今、嗤っていることが。その口元が吊り上がっていることが。まるでこれはそう、初めて王都で服従を解かれた時のよう。ただあの時と違うのは

 

 

「────私たちに手を出したらどうなるか、分かってるわね?」

 

 

一時的ではなく、もう私を縛る者は何もないということだけ。

 

 

愉悦に浸りながら、天秤に互いの魂を載せたままグロースに突きつける。そのどちらに天秤が傾いているかなど見るまでもない。

 

 

「……なるほど。どうやら復活は遠くなさそうだな」

 

 

自らの身の程をようやく思い知ったのか、そう減らず口を利きながらグロースは逃げ帰っていく。最初からそうしていればいいものを。魔王様がいなくなったことで、魔族の何たるかをあいつ自身が忘れてしまっていたに違いない。

 

 

「……アウラ様、あいつを行かせてよかったの?」

 

 

護衛の必要がないと判断したのか、剣を収めながらリーニエはそう私に進言してくる。その視線があいつを見逃してよかったのかと告げている。

 

 

「構わないわ。腐っても将軍だった奴よ。七崩賢(わたし)に手を出してくるほど馬鹿じゃないわ」

 

 

それにそう答える。さっきので格付けは済んだ。そもそもあいつは将軍だ。七崩賢であり大魔族である私に手を出してくるほど馬鹿ではないだろう。もしこれでも分からないようなら今度こそ服従させてやればいい。傀儡にしてやるのもいいかもしれない。魔族は頭を落とせば塵になってしまうので、生きたまま僕にすることになるだろうが。

 

 

「そうじゃなくて……」

「いちいちうるさいわよ、リーニエ。黙ってなさい。今日はもう疲れたわ」

 

 

珍しく口答えしてくるリーニエをそう黙らせる。そういえば今日はやけにそれが多い。この子も退屈、不満が溜まっているのか。もっともそれは私も同じだ。今日は余計な手間ばかりかけさせられてしまった。さっさと寝ることにしよう。明日のことは明日考えればいい。気にすることはない。私には飽きるほどの時間があるのだから────

 

 

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