ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第七十八話 「名前」

知らずその青い花を握り締めていた。その間から赤い雫が滴り落ちてくる。ぽたり、ぽたりと。その一滴一滴に、意識が持って行かれる。みっともなくその花に縋りつく。みっともなく、犬のように息を荒げる。散らばっている肉片。人間だったモノ。それに息を飲む。そのまま床に這いつくばりながら食らいつきたい衝動を、寸でのところで押さえる。

 

 

「……大丈夫、アウラ様?」

 

 

そんな声が聞こえてくる。気づけば隣にリーニエがいた。一緒に付いてきていたのか。ふらついている私を支えるように肩を貸してくれている。そうか。こうならないようにこの子はリンゴを齧っていたのか。本当に無駄がない。あいつの教育の賜物だろう。それに加えて私はどうだ。この体たらく。まるで酩酊してしまっているように足元がおぼつかない。意識が保てない。笑い話だ。これではもうあの生臭坊主を馬鹿にできない。そんな中

 

 

「やはりお前か、アウラ」

 

 

この狩場の主が、私の目の前に姿を現した。

 

昨日見た時と変わらない出で立ち。違うのはその鎧に纏った返り血と、戦斧にこびり付いた夥しい血と肉片だけ。その巨躯と怪力から振るわれる斧に触れれば、人間などあっという間に細切れになってしまうだろう。その結果がこれ。一面に広がる、魅力的な惨状だけ。

 

 

「どうした。文句はあるまい? それともお前もようやくその気になったか」

 

 

私の様子をどう受け取ったのか。グロースはそう話しかけてくる。なるほど。どうやらこいつは私がこの場に来た理由を取り違えているらしい。無理もない。私自身もそれが分からないのだから。ただ衝動に任せてやってきただけ。後のことなんて何も考えていなかった。その気になった、というのもあながち間違いではないのかもしれない。

 

 

「少し遅かったな。もう終わったところだ。何人か逃がしてしまったが、お前なら問題ないだろう」

 

 

どうやらもう狩りは終わってしまったらしい。本当に残念だ。間に合えば私もそれに参加できただろうに。もう少し早ければ間に合ったのだろうか。もう少し早く気づくことができれば。私の■■を盗られることもなかったろうに。

 

 

「……子供」

 

 

うわ言のように、そう声が出た。そう。子供だ。私の■■は子供だったはず。

 

 

「何だ?」

「目の見えない、子供はいなかった……?」

 

 

ならそれを探さなければ。昨日から目をつけていたのだから。珍しい■■。あれは私の物だ。こんな奴に横取りされるなんてもったいない。約束したのだから。また会うと。なら、守らないと。

 

 

「さてな。逃げる子供なら何人か殺したが、見分けなどつかん。お前の獲物だったのか? なら悪いことをした」

 

 

ああ、そうか。ようやく分かった。あの子、ヴィルは私の獲物だったのだ。それを逃がしたくなくて、取られたくなくて私はここにやってきた。

 

ならこの感情もそうなのだろう。獲物を横取りされてしまったから。その怒り、憤り。私の狩場を、縄張りを荒らされてしまった。私が我慢しているのに、好き勝手しているこいつへの嫉妬。

 

同時にそれを否定する。私にそんな資格は、権利はない。だってそうだ。この光景は何でもない、見慣れた物。これと同じことを、それ以上のことを私は繰り返してきたのだから。蹂躙し、奪い尽くしてきた。ただ気の向くままに。その残骸である死者を傀儡としてきた。かつて村長に、僧侶に問われた。それをどう思うのかと。何も思わない。感じない。それが私の答えだった。なのに何故、私が魔族を否定することができるのか。

 

 

「あんたは何で……この村を襲ったの?」

 

 

その獲物(ヴィル)と同じ質問を、捕食者(わたし)に投げかける。自問自答。私はその理由を知っている。理由なんてない。そうしたいから。ただそれだけ。なのに、それだけではないことを、私は知っている。目の前の光景の理由がそれだけでないことを。それが

 

 

「おかしなことを聞く。さっきも言ったはずだ。お前に許可を得たからだ。俺も勝手にお前の縄張りを荒らしたりはしない」

 

 

他ならぬ、私自身のせいであると。あの時、こいつに余計なことを言ったせいで。気づかなかったせいでこうなった。そのきっかけを、私は作り出してしまったのだと。

 

違う。そんなこと、私には関係ない。私が何を言おうと言うまいと、こいつは村を襲っただろう。遅いか早いかの違いでしかない。これは弱い人間共が、自制できない愚かな魔族に滅ぼされた。ただそれだけ。それを私が気にする必要なんてない。無駄でしかない。

 

 

(────そう。あんたも同じだったのね、ヒンメル)

 

 

そうだ。やっと気づいた。今の私はヒンメルと同じなのだ。魔族の子供を見逃したことで、村人を死なせてしまったヒンメルと。贖う罪などないのに、それを背負い続けていたあいつ。

 

あいつは言った。魔族である私には罪はないと。悪意がない私には。その通りだろう。私は魔族だ。罪悪感なんてない。でも言いようのない感情が私の内を渦巻いている。きっとこれは人間のそれとは違うのだろう。それでも

 

 

「それにお前が言っていたではないか。もう勇者は力を失っていると。ならもう我慢することなどない」

 

 

それでもそれを晴らさずにはいられない。私に纏わりついてくる、この煩わしい感情を発露するために。私をこんな目に会わせたこいつに。

 

 

「────そう。なら私も我慢することないわね」

 

 

魔族に倣うように、我慢することなく己の衝動に任せたまま、獲物の仇を取るために天秤を顕現させんとするも

 

 

「…………お姉さん?」

 

 

その手は、あり得ない聞き覚えのある声によって止められた。

 

 

「…………ヴィル?」

 

 

その名前をまだ憶えていたことに自分が一番驚いていた。いちいち食材(人間)の名前なんて覚えていられない。そう言っていたはずなのに、私はそれを覚えている。私はこの子を覚えている。見間違えるはずがない。目を閉じたまま、杖をついて歩いている子供なんて、他にはいないのだから。

 

だがその姿は血に塗れていた。だがそれはこの子自身の血ではない。他の人間の物。恐らく目の見えない、弱いこの子を他の人間たちが庇ったのだろう。逃がしたのだろう。人間の習性。

 

 

「やっぱりお姉さんなんですね。良かった。早くここから逃げて下さい! 魔族が村を襲ってて……!」

 

 

その愚かな習性のせいで、この子はまた自らの命を危険に晒している。なんて愚かな。あのまま隠れていればよかったのに。私の声を聞いたせいで。

 

 

「まだ生き残りがいたか。俺も鈍っているな」

 

 

再び捕食者に見つかると、何故思い至らないのか。生き物として致命的だ。

 

 

「え……? まさか、魔族……? 何でお姉さんが魔族と……」

「何を言っている。この女は魔族だ。見て分からないのか」

 

 

一歩一歩、愚かにも姿を現した獲物に向かってグロースが近づいていく。それすらもこの子には見えていない。そう、この子には目の前にいるのが人間か魔族かの見分けもつかない。自然界で生きていけるはずもない。

 

 

「だって、お姉さんは冒険者だって……」

「なるほど。目が見えていないのか。わざわざ騙して遊んでいたのか。物好きな奴だ」

 

 

もっともそれは目が見えていたとしても同じだったろう。あんなに簡単に、魔族(わたし)に騙されてしまうこの子なら。

 

 

「どうした。やらないのか。お前の獲物だろう?」

 

 

私にそう目配せしてくるグロース。その意味を理解するのに、数秒かかった。いや、たったそれだけで、理解してしまった。

 

 

「違うわ……この子は、獲物なんかじゃ……」

 

 

思わずそのまま後ずさる。同時に、嘔吐感が襲い掛かりその場に蹲ってしまう。飢餓を通り越してしまっているのだろう。絶食していたのに、いきなり目の前に獲物が、食べ物を前にしてしまった反動。肉片(食べ残し)ではない、新鮮な人間。その子供。それを前にして私はただ耐えることしかできない。

 

 

「そうか。なら後始末は俺がつけるとしよう」

 

 

そんな私をどう思ったのか。何の躊躇いも、迷いもなくグロースはその斧を振り下ろす。文字通り、後始末をするように。つまらなげに、あっけなく。

 

 

「っ!? 待っ──」

 

 

それに間に合わず、声を上げることしかできない。体が動かない。自由が利かない。飢餓と衝動。それだけではない。それは惑い。迷い。自由になった、枷もない魔族である私がどうして人間を助けなければいけないのか。その答えを、私が先延ばしにしてしまっていたツケ。

 

 

そう。これは私の罪なのだろう。魔族だからと、時間があるからと先延ばしにしていた私への。その鉄槌が下されんとした瞬間────あり得ない、幻を見た。

 

 

「ヒン…メル………?」

 

 

思わずその名を口にしてしまった。その姿に、光景に目を奪われる。そこには自らの肘から先を喪失し、己が武器である戦斧を地に落とし、苦悶しているグロース。

 

それを背にしながら、勇者が子供を抱えながらローブをたなびかせている。その手に勇者の剣を握りながら。魔族から子供を守るように。在りし日の、私にとっては畏怖であり、同時に道標でもあった、友人の姿。

 

 

「大丈夫、ヴィル? 中々会いに来ないから退屈だったんだよ?」

「え……? リ、リーニエ……?」

 

 

その幻は一瞬。すぐに現実へと切り替わる。そこには勇者ではなく、魔族がいた。その技と剣を受け継ぐ偽物の魔族が。まるで友達に会いに来たかのような気軽さで。同じぐらいの背格好なので、ヴィルを抱えているリーニエは全く絵になっていない。目の見えていないヴィルからすれば尚更だろう。

 

 

「な……ぜ……!? 魔族が……人間を助けるような真似を……!?」

 

 

斬り落とされた己の腕を抑えながら、グロースはそう苦悶の声を上げている。当たり前だろう。こいつからすれば気にかけるほどもない、低級の魔族に将軍である自分が不覚を取ってしまったのだから。いや、それ以上に魔族が人間を助けるなんて、あり得ない事態に。それに

 

 

「? 決まってるじゃない。ヒンメルならそうするからだよ。ね、アウラ様?」

 

 

当然のように、迷いなくリーニエは答えを口にする。私にとっては聞き慣れた、勇者一行がいつも口にしている戯言を。

 

 

瞬間、全ての迷いが晴れていくのを感じる。そうだった。それを私はあの五十年で飽きるほどに見せられていた。なのに、私はもう忘れかけてしまっていたらしい。

 

 

リーニエも、ヒンメルも。自分にとっての道標であったことを。

 

 

「────そうね。忘れるところだったわ」

 

 

覚えていなければいけない。アクセサリも、言葉も。その体現であるリーニエも。例え忘れても、何度でも思い出せるように。

 

 

「お前たち、一体何、を────!?」

 

 

理解できない事態の連続に翻弄されながらも、その場から動き出さんとするも、グロースはまるで金縛りにあったように固まってしまう。魂を掴まれてしまったかのように。

 

 

「昨日、あんたが言った通りよ。好きにさせてもらうわ。私もね」

 

 

その魂を天秤に載せる。先のような、獣性ではない。明確な意思を以て、目の前の魔族の魂を秤に載せる。誰の許可も必要ない。私自身の意志。

 

 

「────命じるわ。『私に従いなさい』」

 

 

それによって命令を下す。私の魔法のあるべき姿。解放されてから初めての発動。ただ五十年前とは違うのは

 

 

「どういうつもりだ? 殺しもせず、傀儡にもしないとは……」

 

 

断頭台としてではなく、天秤としての服従を与えんとしているということ。すぐさまその首を落とされるとばかり思っていたグロースは困惑するしかない。命乞いすら忘れてしまうほどに、私の行動が不可解だからだろう。無理もない。断頭台の頃の私なら、ありえない行動なのだから。それによって判決を下す。人間ではなく魔族に。魔族であるなら人間の罪には問えない。だが私にはそれができる。何故なら私は魔族『天秤のアウラ』なのだから。

 

 

「ええ。その代わりに、あんたに枷をあげるわ。『あんたはもう、人間を食うことも、傷つけることもできない。死ぬまでね』」

 

 

それは枷であり呪いだった。魔族にとっての死刑判決。ある意味、死よりも残酷な刑。魔族でありながら人間を食べることも、殺すこともできなくなる。磨き上げてきた武も、魔族としての尊厳も誇りも地に落ちる。魔法を愚弄し、貶めるように。それがいかに魔族にとって耐えがたいことか、誰よりも私は知っている。ただ違うのは

 

 

「っ!? ふざけるな、そんなこと」

「あら、不満かしら? 殺しの量刑としたら温情も良いところよ? それとも断頭台に行くのがお望みならすぐ送ってあげるわよ?」

「……っ!?」

 

 

私にはそれに代わる生き方を示してくれた友達(隣人)がいたが、こいつには何もないということ。ただ捕食する物だった人間たちに怯えながら生き続けるがいい。その飢餓に苦しみながら。同族に侮蔑されながら。自死すら選べずに。

 

 

「────消えなさい。私の気が変わらない内にね」

 

 

それが『天秤』として生きていくことを私が選択した瞬間。そして償いの形だった────

 

 

 

 

「お姉さん……一体何が」

「もう終わったわ。あんたはしばらくここで待つことね。逃げた人間たちが応援を呼んで戻ってくるわ。それぐらいは一人でできるでしょ?」

「は、はい……」

 

 

グロースが逃げ去った後、ヴィルを近くにあった無事な民家に連れて行きながらそう告げる。グロースが言っていたように、逃げ出した人間たちが遠からず討伐隊を連れてやってくるはず。ここには水も食料もある。それまでは凌げるだろう。元々この子は目が見えない生活をしていたのだから。私ももう長くはここにいられない。いつまた正気を失ってしまうかもしれない。

 

振り返り、その光景を目に焼き付ける。夕日よりも赤く染まった村落。その惨状。許してもらう気なんて毛頭ない。それでも覚えておこう。その手に握ったままになっていた蒼月草を地面に添える。リリーがしていた、弔うという行為。その真似事。理解できなくとも。これが偽物だとしても、いつかそれが本物になれるように。あいつに倣いながら。

 

 

「お姉さんは、もしかして天秤の……」

 

 

ようやく落ち着きを取り戻した、聞きたいことも山ほどあるだろうヴィル。その疑問に思わず目を丸くしてしまう。そういえばそんな話もしていた。同時に自己嫌悪に陥る。これではいつかあいつが言っていた、お忍びで人助けをする勇者のようではないか。

 

 

「言ったでしょ。魔族は嘘つきなの。これからは知らない人には気をつけることね」

「じゃあまたね、ヴィル! 今度は約束守ってね!」

 

 

それを誤魔化すように、ヴィルに別れを告げる。ヒンメルのように。また会った時に恥ずかしくないように。リーニエもまたそれは同じ。

 

 

私達が飛び立つのに合わせるように、多くの鳥たちもまた飛び立っていく。そうだ。ヴィルに教えてもらっていた。覚えている。あの鳥の名前は確か────

 

 

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