第七十九話 「鍛冶」
見慣れた森の中を進んでいく。その山道も全く変わっていない。私にとっては半年ぶりになるのか。それが久しいと感じてしまうぐらいには、私の時間感覚もあいつらに毒されてしまっているのだろう。
そんな中、さらに聞き慣れた音が聞こえてくる。まるで鐘の音のように。一定のリズムで金属音が響き渡る。どこか心地よさを感じてしまう音色。どうやら目的地が近づいてきたらしい。誰よりもそれを聞き慣れているであろう、我が従者は飛び出して行ってしまう。我慢できなかったのだろう。それを追いかける気にもなれないので、そのままのんびりと続いていく。
「アイゼン、遊びに来たよ!」
まるで娘が久しぶりに父に会いに来たかのように、リーニエはアイゼンの元へと駆けていく。いや、孫が祖父に、の方が合っているだろうか。飽きもせずに鍛冶をしていたであろう手を止めながら、アイゼンもリーニエを迎えている。全く動揺することなく、無表情のまま。知らない奴が見れば、不愛想、無表情と思われるような振る舞い。だが私は知っている。
「相変わらず無駄なことをしてるわね。何が楽しいのよ、それ?」
こいつがヒンメルやハイター同様、食えない奴だということを。当たり前だ。こいつはあの勇者一行なのだから。
「アウラか。もう会うことはないかと思っていたが」
「ええ。私もよ。リーニエがどうしてもっていうから仕方なくね」
人間で言えば半年は久しぶりのはずだが、それを全く感じさせない態度でアイゼンは応じてくる。そういえばこいつはドワーフだった。あのエルフほどではないだろうが、長命種には違いない。その言葉にも同意するしかない。解放されれば私がこいつと会う理由もなくなる。リーニエは例外だとしても、こいつがそう思ってもおかしくないだろう。ここに来た理由にそれを利用するも
「アウラ様、嘘は駄目だよ。アイゼンに会いに行こうってアウラ様が言ったのに」
「……そうだったわね」
見事にリーニエに咎められてしまう。いや、この場合はヒンメルになのか。いつもならそれを命令で黙らせるところだが止めておく。したところでもう手遅れだろう。無駄でしかない。そもそもリーニエの前で嘘をついたのが間違いだったのだ。この子には隠し事や空気を読むことを望むのは酷だろう。そんな風に呆れていると
「……お前らしくもないな。
「……勝手に人を殺すんじゃないわよ」
顎に手を当てながらアイゼンはそんなふざけたことを口にしてくる。一体私を何だと思っているのか。あろうことか大魔族である私をあんな低級の魔物と同列に扱うなど。死んだ者の幻を見せるしか能のない魔物。そもそも私は死んでないのに見えるはずがない。何よりも私が偽物かもしれないと疑っているということ。どっちにしろ失礼であることに変わりはない。
「なるほど、やはり本物だったようだな。よく来た二人とも。ゆっくりしていくといい」
そんな私の反応も予想通りだったのか。一度目を閉じ、どこか満足げに立ち上がりながらアイゼンはそう告げてくる。相変わらず見た目とは違い、人をおちょくってくる奴だ。何も変わっていない。その見た目も、振る舞いも。ただその外套の内はそうではないのだろう。それを感じさせないまま、いつものようにリーニエに纏わりつかれている。
それが私にとっては半年ぶり。少し遅れた、解放されてから初めてのアイゼンとの再会だった────
「いただきます!」
そんな声と共に、リーニエは出されたリンゴとお菓子を頬張っている。お淑やかさの欠片もないが、ここにいるのは私とアイゼンだけなので見逃すことにする。言ったところで焼け石に水だろう。それも分かっているのだろう。気にした風もなく、アイゼンもそんなリーニエの様子を見守っている。いや、見慣れているのか。リーニエは私よりも頻繁にこいつに会っているのだから。
このリンゴもその証拠だ。それを手に取り、口に運ぶ。美味しい。やはりヒンメルと同じで、いつリーニエが来てもいいように用意してあるのだろう。それでもあえて触れずにはいられない。それは
「あんた、そんなに簡単に迎えていいわけ? 私たちに食われるかもしれないのに」
再会してからずっと気にかかっていたこと。そう、今の私はもう解放されてしまっている。こいつがそれを知らないはずがない。なら警戒するのが当然なのだが全くその気配がない。平静を装っているのか、それともなめられているのか。こいつに限って私たちが魔族だと忘れることはないだろう。ヒンメルではないのだから。
「そういえばそうだったな。だがその心配はもう必要ないだろう。人を食う魔族はそんなことは言わん」
そんな私の問いに、淡々と何でもないことのように応じるアイゼン。それに言い返すことができない。本当に食えない奴だ。あの生臭坊主とは違う意味でこいつには敵わない。私の方が遥かに長寿であるにも関わらず、年季の差のようなものを感じてしまう。
「あんたも相変わらずね。私も忘れてたわ。そもそも首を落とせないようなドワーフなんて食べれるわけないもの」
「照れるな」
「褒めてないわよ」
それに皮肉で返すもやはりこいつには通じていない。そもそもこいつを食べれる魔族なんていない。あの勇者でも傷をつけられない鋼のような肉体をしているのだから。こっちの歯が砕けてしまうだろう。いくら全盛期には及ばないとしても、少なくとも私には食べれそうにはない。そもそも不味そうだ。
「どうやら人間を食べない選択をしたようだな」
先程までの茶化したものではなく、どこか真剣にアイゼンはそう口にしてくる。きっとそれをずっと考えていたのだろう。こいつのことだ。会ってすぐに察しがついていただろうが。あえてそれに触れず、こっちが言い出すまで待っているのはこいつらしい。
「ええ。その方が都合が良かったからよ。あんたと同じね」
「なるほど。違いない」
なので今度はそう言い返してやる。こいつの口癖。何か都合が悪いことがあると、いつも戦士だからと誤魔化す悪癖。それをわずかに鼻で笑いながら、アイゼンもまたリンゴを口にしている。自分も同じだと告げるかのように。そんな中
「聞いて聞いてアイゼン! 私、アウラ様に初めてお願いされたの! ずっと一緒だって! すごいでしょ?」
「うるさいわよ、リーニエ」
もうおやつを食べ終わったのか。まるで自慢話をするシュトロやリリーのように、リーニエはアイゼンにそう捲し立てている。私にとっては明かしたくもない、知られたくないことなのだがリーニエにとってはそうではないのだろう。
(これから先が思いやられるわね……)
憂鬱になりながらその手にあるリンゴを見つめる。そう、それはもうただのリンゴではない。私にとっては人間にあたる、欲求を満たすことができる代替品。それはつまり、今の私は再び服従させられてしまっているということ。違うのはその主人がヒンメルからリーニエに変わったということだけ。
ヴィルのいる村から発った後、私はリーニエに己の天秤を託す選択をした。魔族としてあり得ない選択。それは魔族にとっては命を、誇りを、魂を預けるに等しい行為なのだから。だがそれに後悔はなかった。もうそれは済ませたのだから。
だが問題はリーニエだった。主人としての命令ではない、ある意味対等。お願いという名の命令をしたのだが、いつもと違うことを感じ取ったのだろう。リーニエはそれに狂喜乱舞してしまった。そのせいで中々、服従の儀式が進まなかったほど。リーニエからすれば私と新しい契約を結ぶような物だったのだろう。ずっと一緒に、なんて命令はしていないはずだがそれはともかく。今の私はかつてと同じ状態となっている。
互いに主人でありながら従僕でもある。それが今の私たちの歪な主従関係。もっともそれは服従の関係に限った話。今までと何ら関係性は変わっていない。
残されたのはその解除の方法だった。どうしても精神的に幼いこの子では、上手く解除ができない可能性がある。そのため、命令の中に合言葉を組み込むことでそれをリーニエが口にするだけで私の服従が解除される仕組みを作りだした。
問題はその言葉を何にするか。不用意に口にするような物では意味がない。リーニエが間違っても口にしないであろう言葉でなければ。悩みに悩み抜いた結果、それは決まった。
「……そうか。なら俺もこれを贈ろう。ちょうど出来たばかりでな。間に合ってよかった」
拙いリーニエの説明でも通じたのだろう。私とリーニエを交互に見つめた後、アイゼンはそのまま立ち上がり、奥の部屋から何かを持ってくる。恐らくはまた新しい剣だろう。本当にリーニエには甘い奴だ。そんな風に呆れているも、それを見た瞬間、思わず目を見開いてしまう。当たり前だ。何故なら
「あんたそれ、勇者の剣じゃない……!?」
それは見慣れた、見間違うはずのない
「その
「わあ! ありがとうアイゼン!」
新しい剣を手に入れたリーニエは目を輝かせて喜んでいる。きっと勇者の剣が二本になった感覚なのだろう。素人の私から見れば、見分けがつかないほどに完成されている。
恐らくアイゼンはずっと前から分かっていたのだろう。ヒンメルがいずれその剣をリーニエに託すことを。戦士と剣士。通じることがあるのかもしれない。その練習、代替品としてあの剣をリーニエに渡す気だったのだろう。もっとも本物の方が先にリーニエに渡ってしまったようだが。これでは本物の勇者の剣は形無しだろう。女神の奴も涙目になっているに違いない。
「本当にあんたたちは気持ちが悪いぐらい仲が良いわね」
「褒めても飴は持っていないぞ」
「私はリーニエじゃないわよ」
そして今度は私をリーニエ扱いしてくるアイゼン。あの生臭坊主の真似だろう。馬鹿にしているのか。そういえばあいつも同じだった。ヒンメルが私を解放することをもう分かっていたのだろう。それであんな行動をしていたに違いない。本当に言葉にせず、分かりにくい奴らだ。魔族である私たちにそれを察することなどできないと分かっているだろうに。
「そうだったな。リーニエ、ヒンメルの剣を見てやろう。研ぎ直してやる。修行にはこっちを使えばいい」
「ありがとう、アイゼン! やっぱり頼りになるね!」
そう言いながらアイゼンはリーニエから勇者の剣を預かってしまう。もはや呆れを通り越して感心してしまう。そう、魔法とは違い、武器は定期的に手直しが必要になる。剣であれば研ぐことが。そのためにこいつは鍛冶の腕を磨いていたのだろう。こうなる日が来るのを分かっていたからこそ。
ヒンメルも、ハイターも。どいつもこいつも、本当にどこまで先を見通しているのか。未来を見通す魔法を使っているわけでもないのに。これではシュラハトの奴の面目も丸潰れだろう。
「そこまでにしなさい、リーニエ。家が壊れるわ。ヒンメルに怒られるわよ」
いつかのように剣を振り回しているリーニエをそう咎める。今ここにはいない、あいつの代わりに────