ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第十七章 箱庭の中で
第八十三話 「箱庭」


魔王討伐から五十年後。

南側諸国山岳地帯にて。

 

 

ただ黙々と、山道を進み続ける。整備されていない道を進み続けてきたからだろう。服は汚れ、体は擦り傷だらけ。息は上がり、体は鉛のように重くなっている。足は棒にでもなってしまったかのよう。だが弱音など吐けない。何故ならそれは自分だけではないのだから。

 

ふと振り返ると、そこには自分と同じように必死に山道を歩き続けている人々がいた。老人や女性、子供ばかりの数十人ほどの集団。同じ村の仲間たち。

 

私たちは必死にただ逃げていた。自らの国から。故郷から。

 

南側で戦争が始まったのはいつからだったか。きっかけはそう、勇者ヒンメル様によって魔王が討伐されたことだった。それによって世界に平和が訪れた。みんなそれに喜んだ。でもそれが束の間の平穏、まやかしだったことをすぐに思い知らされることになる。魔族ではなく、人間同士の争いが、戦争が始まってしまったことで。何のことはない。争う相手が人間か魔族かの違いでしかなかったのだ。

 

それによって村の男たちは招集され、そのほとんどが帰らぬ人になり、挙句私たちの国は敗北した。敵国が村を占領し、蹂躙されてしまった。それからはただ奴隷のような生活。これならまだ魔族と戦争していた方が良かったと、祖母が漏らしていたのを今も覚えている。それから逃れるために、生きるために私たちは一縷の望みをかけてここまでやってきた。

 

 

「お母さん……お腹空いた」

「もう少し我慢しなさい、ローザ……」

 

 

手を繋いで歩いている娘がそう訴えてくるも、もうほとんど食べる物は残っていない。ここに来るまでで使い果たしてしまった。そもそも着の身着のままでやって来たようなものなのだ。そのほとんどは敵国に奪われてしまった。それでも、この子がここまで我慢してくれているのは奇跡に近いだろう。何度か抱くこともあったが、その足でここまで踏ん張って来たのだから。それは他のみんなも同じだ。娘と同じぐらいの子供もいれば、祖母や祖父ほどの高齢の人もいる。もう限界なんてとうに超えてしまっているだろう。無理もない。息つく暇もない強行軍。しかもいつ追手がやってくるかもわからない。敵国に見つかるかもしれない。一刻も早く目的の場所に辿り着かなければ。もう少しのはずなのだ。

 

 

箱庭(ガーデン)』と噂されている、争いのない、自由と平等が約束されている場所。

 

 

それが私たちが目指している、半年ほど前から南側で噂になっている場所。何でも難民や戦災孤児を受け入れてくれている村があるのだと。女神の加護でそこでは争いが起きないのだと。本当なら信じられないような御伽噺。でもそれに縋るしかないほど私たちは追いつめられてしまっていた。このままでは遠からず息絶えてしまう。ならせめて。そんな女神様に縋るような気持ち。

 

 

「あれは……」

 

 

ようやく山道を登り切った先に、村が見えてくる。間違いない。そこがきっとその場所、箱庭なのだろう。それにようやく希望を抱くも

 

 

「そこまでだ。全員大人しくしろ」

 

 

それはこれまでと同じように、絶望によって塗り潰されてしまった。

 

 

「あなたたちは……」

 

 

待ち構えていたのか、それとも追いつかれてしまったのか。目の前には兜を被り、鎧を身に纏った兵隊たちの姿。見間違うはずのない、敵国の集団。

 

 

「見れば分かるだろう。正規軍だ。妙な動きはするなよ。何で自分たちが追われているかは分かっているな」

 

 

思わず声が、体が震えてしまう。できるのは娘を抱きしめることだけ。他のみんなも同じだった。ようやくここまでやってきたのに、あんまりだ。やっぱり私たちは女神様にも見放されてしまったのかもしれない。

 

 

「どうか見逃してくれませぬか……ワシらはただあそこに行きたいだけなのです」

 

 

そんな中でも気丈に振る舞い、皆を代表して村長が兵隊の、恐らくは隊長と見られる男にそう嘆願してくれる。しかしそれは

 

 

「やはりそうか……残念だがそれはできん。本当に愚かな連中だ。魔族の嘘に騙されてこんなところまでやってくるとは」

 

 

目の前の連中に通じるはずもない。言葉が通じない魔族のように。同時にそれすらも消え去ってしまうような事実が告げられてしまう。私たちの希望の根底が覆されてしまいかねない話を。

 

 

「魔族……? 一体何の」

「本当に知らずに来たのか。愚かだな。この先の村は魔族が根城にしている。そいつらが流した嘘に騙されて多くの人間があの村に向かっていったが、誰一人生きて帰っていない。騙されて喰われてしまったんだろう」

 

 

心底呆れているような隊長の言葉によって、私たちはさらなる絶望の淵に叩き落とされてしまう。それを嘘だと言えない私がいる。そう、その方が筋が通る。人間を騙すための魔族の嘘。そう考えれば全て辻褄が合う。私たちは愚かにも、のこのことやってきた餌でしかなかったのだろう。

 

 

「そんな……」

「これで分かっただろう。ならとっとと元いた場所に帰るんだな。余計な手間をかけさせるな。お前たちのような奴らがいれば同じようなことをする奴らが出てきかねん。無駄な抵抗はするな」

 

 

心が折れてしまったのか。それとも疲労からか。多くの人たちは膝から崩れ落ち、その場に蹲ってしまう。聞こえるのはただすすり泣くような声だけ。それに追い打ちをかけてくる兵隊たち。私たちが一体何をしたというのか。

 

 

「痛い! ママ!」

「止めて、乱暴にしないで!」

 

 

そんな私たちに業を煮やしたのか、兵隊の一人が娘の手を乱暴に取り、無理やり立たそうとする。それを必死に庇おうとするも、強靭な兵たちから娘を守ることができない。己の無力さに、打ちひしがれんとした瞬間

 

 

「こんなところで何してるの?」

 

 

この場には似つかわしくない、まるで散歩に来たかのような気軽な声がその場に響き渡った────

 

 

 

(子供……? いえ、違う。まさか、魔族……!?)

 

 

その場にいる人間たちはただその少女に目を奪われた。そう、少女だった。年齢は十四、五ほどだろうか。森を歩くにしてはあまりに不釣り合いなドレスを身に纏っている少女。だが何よりも目を奪われたのは頭にある二本の角だった。人間ではない、魔族の証。やはり兵たちの話は真実だったのだろう。

 

 

「まさかそっちから出てきてくれるとはな。余計な手間が省けた。魔族だな」

 

 

それを前にして隊長は私達からその魔族へと矛先を変える。慌てて娘を抱きとめるも、状況は何も変わっていない。確かに私たちを追っているにしては兵隊たちの数が多すぎるとは思っていた。もしかしたら魔族の討伐が本来の目的だったのかもしれない。

 

多勢に無勢。兵たちの数はざっと十を超える。対して魔族は少女一人だけ。いかな魔族といえども、といえる状況で

 

 

「うん。私は魔族だけど、みんなこんなところで何してるの? あ、喧嘩は駄目だよ。ここはもうアウラ様の縄張りだから暴力は禁止だよ」

 

 

兵たちを一瞥した後、まるでそれを気にした風になく、そんな理解できないことを魔族は口にしてきた。

 

 

「暴力が禁止……? 魔族が何を言っている。下らない嘘をついて何が狙いだ」

「嘘なんてついてないよ。嘘はついちゃいけないってアウラ様も言ってるんだから」

 

 

嘘なんてついていない。嘘つきのはずの魔族のそんな言葉に、兵たちはもちろん、私たちも呆れ返ってしまう。一体何を言っているのか分からない。本当に言葉を理解しているのかも怪しい。魔族とはみんなこうなのか。

 

 

「アウラ……それがここを根城にしている魔族か」

「そうだよ。天秤って言った方が分かるかな? 有名なんだから!」

 

 

まるで親を自慢する子供のように、魔族の少女は胸を張っている。対して困惑しながらも、兵たちは再びその剣を、槍を持ちながら魔族を取り囲んでいく。そんな中、魔族が口にしていた言葉に聞き覚えがあった。

 

 

(天秤……もしかして天秤のアウラのこと……?)

 

 

天秤。その言葉を確か噂で聞いたことがある。中央で人間の味方をしている魔族がいると。ある意味、箱庭以上に疑わしい噂。みんな本気で聞いてはいなかった、下らない噂話の一つ。

 

 

「それで、みんなこんなところで何してたの? アウラ様に会いに来たんじゃないの?」

「それはこいつらだけだ。もっとも俺たちもお前たちに用があるのは同じだ。お前たちを討伐するように命令が下っている」

「ふぅん……無駄なことしてるんだね。まあいいや。えっと……そうそう。私たちはチューリツなの。誰の敵でもない。みんなの味方。だから最後にもう一度だけ言うよ。ここでは暴力は駄目なの。アウラ様がそう決めてるから。破ったら怖いんだから」

 

追いつめられている状況にもかかわらず、全くそれを気にしていない魔族の少女。どころかどこか慣れない様子でそんな警告を発している。特に中立の言い方が酷かった。きっと言い慣れていないからだろう。あまりにも魔族からはかけ離れた忠告。騙すにしてももっとマシな嘘があるだろうに。

 

 

「隊長……問題ありません。大した魔力は感じられない魔族です」

「そうか……」

 

 

魔族の少女に聞き取れないような小さな声で、兵の一人が隊長にそう伝えている。その兵は恐らく魔法使いなのだろう。その手には杖が握られている。それに思わず息を飲む。剣や槍よりも、私たちにとっては杖の方が遥かに恐ろしいのだから。

 

 

「魔族の言葉に耳を貸す理由はない。ここで駆除する。やれ」

 

 

命令によってその魔法が解き放たれんとする。人間を殺す魔法(ゾルトラーク)。魔法使いではない、一般人である私達ですら知っている魔法。この南側諸国で殺戮の限りを尽くしてきた忌むべき魔法。その名の通り、討つべき魔族よりも守るべき人間にもっとも使われてきた魔法はしかし

 

 

「そう、ならもういらないね」

 

 

年端もいかない魔族の少女によって、杖と腕ごと両断されてしまった。

 

 

「なっ!?」

 

 

その声は果たして誰の声だったのか。ただ分かるのは魔法を放つ前に、魔法使いが倒されてしまったということだけ。魔法使いは悶絶し、その場に蹲っている。気づけば魔族の少女は手に剣を握っている。それで斬り捨てたのだろう。その動きも姿も全く見えなかった。ただ変わらず何でもないように振舞っている。最初に声をかけてきた時のように。

 

 

「殺しちゃいけないのは面倒だね。早く止血しないと死んじゃうよ?」

「何故お前のような魔族に、三級魔法使いのこいつが……!?」

「三級だったんだ。大したことないね。今度は一級を連れてきた方がいいよ」

 

 

つまんないとばかりに酷評している魔族の少女。三級というのは確か、魔法使いの強さの階級だったか。それでも並みの魔族なら問題ない強さのはず。なのにこの少女には敵わないというのか。こんな可愛らしい容姿をした幼い魔族に。

 

 

「まだやるの? 逃げた方がいいよ。無駄だから」

「ふざけるな……! 今のはこちらの油断だ! 今度はそうはいかん!」

「それはそうなんだけど……こういう時には騙すの役に立たないなー」

 

 

だがそれを前にしても兵たちは怯むことなくその矛先を少女に向ける。プライドか、それとも慢心か。いや、それ以上に魔族は私たちを騙す生き物。それによって兵たちは騙されてしまっていたのだろう。少女の強さを。その容姿も理由かもしれない。そんな中、魔族の少女は困ったなーと頭を掻いている。目の前の兵たちという脅威にではない。それ以外のことに頭を悩ませているように。そしてついに兵たちが少女に一斉に襲い掛からんとした時

 

 

「あ、やっと来た。遅いよ、おかげで面倒だったんだから」

 

 

まるで遅れてきた友達に文句を言うように少女が不満を口にした瞬間、それは現れた。

 

 

「り、竜……!?」

 

 

それは巨大な竜だった。見たこともないのに、それが竜だと分かった。その巨大な体と牙と爪。羽をはばたかせながら、上空から一匹の竜が下りてくる。寸分の狂いもなく、まるで飼い慣らされているかのように少女の隣へと。その証拠にまるで犬を撫でるかのように少女は竜の頭を撫でている。正気だとは思えないような光景。

 

それを前にして兵たちは動揺し、戦意を失ってしまっている。あるものは尻もちをつき、ある者は立ち尽くしたまま。当たり前だ。それは人間の本能。目の前の巨大な竜に人が敵う道理はない。誰の目にも明らかだった。

 

 

「やっぱりこっちの方が怖がってくれるんだよね。私の方が強いのに変なの。じゃああいつら追い払って。あ、武器を構えてるやつらね。食べちゃダメだよー」

 

 

それを使役する魔族の少女はどこか不満そうにしながら命令を下す。そこからはまさに一方的な蹂躙だった。私たちにあれだけそれをしてきた敵国の兵たちも、この少女たちの前では為す術がない。弱肉強食。自然の摂理を目の当たりにした形。なのに不思議と恐怖はなかった。もしかしたら私たちはこの時にはもう、信仰してしまっていたのかもしれない。

 

 

それが私たちが、『例外』のリーニエ様によって命を救って頂いた瞬間だった────

 

 

 

「到着っと。あ、そうだ。ようこそガーデンへ。歓迎するよ。でも忘れないでね。ここでは暴力は禁止だからね」

「は、はい……」

 

 

まるでお使いを済ませた子供のような純粋さでリーニエ様は私たちを村へ、ガーデンへと招き入れて下さる。あの後、私たちの事情を聞くなり、上機嫌にリーニエ様は私たちをここまで案内して下さった。とてもさっきまで兵たちと命のやり取りをしていたとは思えないような振る舞い。本当にこの方は魔族なのか、疑わしくなってしまうほど。それはリーニエ様にもう懐いてしまった娘の様子からも見て取れる。リンゴをもらったのもあるだろうが、それだけではない。その天真爛漫さ、純粋無垢とでも言えばいいのか。全く悪意が感じられない。これで私たちを騙しているんだとしたら、もうあきらめるしかない。そんなことを考えていると村の様子が徐々に見えてきた。

 

 

(これは……私たち以外の国の人間も大勢いるのかしら……?)

 

 

そこには多くの人間が暮らしていた。自分たちと同じような身の上だと思える、難民のような人々が大半を占めている。農作業をしたり、編み物をしたり、土木作業をしたり。私たちの、人間の村と何ら変わらない光景。恐らく戦争によって廃村となっていたのだろう。建物は所々廃墟になっているが、それも修繕が行われている。だが自分たちとは違うところがあった。それは村人たちの表情。みな穏やかな、安心した表情をしている。力や恐怖で支配されているのならあり得ないもの。何より目を引くのは

 

 

「わぁ! 綺麗!」

「凄いでしょ? みんなアウラ様の魔法だよ! 村でも評判なんだから!」

 

 

村一面に咲き乱れている花畑の美しさだった。思わず息を飲んでしまうような鮮やかさ、彩がそこにはあった。見たことのない花もたくさん含まれている。きっとこれがここが花園(ガーデン)と呼ばれる理由なのだろう。それを見て娘も目を輝かせている。

 

そうだった。戦争の道具としかもう思っていなかったが、魔法は本来こういうものだったはずだ。なのにそれを魔族から教えられるなんて。一体いつから私たちはこうなってしまったのか。

 

 

「アウラ様! 新しい人間たちを連れてきたよ!」

 

 

村の中心にある小さな教会。リーニエ様はまるで家に帰るような気軽さでそこに入って行く。私たちはおっかなびっくり。恐る恐るそこに足を踏み入れる。ここにこの村の主、いや魔族の主がいるのだから。

 

だがそこには一人の少女がいた。いや、小柄な女性だろうか。背丈はリーニエ様とほとんど変わらない。服装も村人と大差ない、一見すれば村娘に見えるような容姿。違うのはその頭にリーニエ様よりも大きい二本の角が生えていること。

 

魔族、アウラ様はその手に本を持ったままこちらを一瞥する。どうやら読書をされていたらしい。その纏っている雰囲気はどこか無機質めいていた。リーニエ様とは違い、何を考えているのか分からない。一種の不気味さを感じさせるほど。もしやお邪魔をしてしまったのでは、無礼を働いてしまったのでは。そう戦々恐々とするも

 

 

「そう……ならそこで少し待たせなさい。準備よ。付いてきなさい、リーニエ」

「うん! みんなちょっとそこで座って待っててね。すぐ終わるから!」

 

 

一度目を閉じ、同じように本を閉じながらアウラ様は椅子から立ち上がり、そのままその場を後にする。どうやら何か準備があるらしい。それはいつものことなのか、慣れた様子でリーニエ様はその後に続いていく。同時に先程までの空気は和らいでいる。どこか親近感を覚えるほど。そう、まるで親子のようなお二人のやり取りによって。姉妹と言ってもおかしくない容姿にも関わらず。

 

それからしばらくの時間の後、再びアウラ様は姿を見せて下さった。だがそれは

 

 

「待たせたわね……私はアウラ。見ての通り魔族よ。この村を統治している……まあ村長のようなものね」

 

 

先程までとは違う意味で全く異質だった。まるで見えない力に圧倒されているかのような感覚。知らず頭を垂れてしまいかねない重圧がこの空間を支配している。先程とは違い、深紅のローブを頭から纏っているのもその理由なのかもしれない。まるでそう、圧倒的な権力を有している神父、教祖のように。いや、それすらもおこがましい。女神様への信仰にも匹敵する、実在する力がそこにはあった。蛇に睨まれた蛙。いや、魔族に睨まれた人間なのか。

 

 

「心配しなくても取って食ったりはしないわ。私もあの子……リーニエも人間の代わりにリンゴを食べれば生きていけるから」

 

 

私達の考えなんてとうに見抜かれてしまっているのだろう。アウラ様はそう初めに口にされる。私たちが一番危惧している、恐れていることを。魔族に対する恐怖。それすらも見越しているかのように。騙されているかもしれない、と考えることすらできないほどに、私たちは魅入られてしまっている。

 

 

「リーニエからもう聞いてるでしょうけど、改めて説明するわ。この村、ガーデンと呼ばれてるけど、ここは誰でも住めるわ。老若男女問わず、どこの人間だろうが、人種だろうが関係なくね」

 

 

その口から語られるこの村の、世界の成り立ち。それが真実であることを、私たちはもう目の当たりにしている。きっと人間の世界では実現できない世界がここガーデンなのだろう。

 

 

「出ていくのも自由よ。気に入らないなら勝手に出て行けばいいわ。いたいならいつまでいても構わない。好きにしていいわ。誰もあんたたちに強制はしない」

 

 

そこには紛れもない自由があった。誰にも強いられず、自分で選ぶことができる自由が。生きる権利が。私たちが戦争によって、同じ人間によって奪われた物がここには全てある。あまりにも出来すぎていて、怖くなってしまうような夢物語。一体何を差し出せば、捧げればいいのか。それは

 

 

「ただ一つだけルールがあるわ。『暴力を振るわないこと』それがここで暮らす上での絶対の戒律よ」

 

 

たったそれだけだった。小さな子供でも分かる真理。人を人足らしめるもの。あらゆる教典に記されているであろう戒律。それでも守ることができない禁忌。それを他ならぬ、暴力の権化でもある魔族に強いられなければいけない私たちの愚かさ。

 

 

「誓える者には私が魔法で枷を科すわ。魔族である私に魂を売る覚悟があんたたちにある?」

 

 

まるで試すようにこちらを値踏みしながら、アウラ様はそのローブの下から何かを取り出す。それは天秤だった。だがそれがただの天秤ではないのは誰の目にも明らかだった。聖なるものではない。邪なるもの。聖典ではなく、呪具をかざしながらアウラ様は問いかけてくる。魔族である自分に魂を売る覚悟があるのかと。女神でも悪魔でもない、ましてや人間でもない魔族に。

 

 

「それが誓える者だけここに残りなさい。できない者は去りなさい」

 

 

その言葉を前に、その場を立ち去る者は誰一人いなかった。ただ皆、服従するように、祈るように頭を垂れているだけ。今更誰が女神を信じるというのか。何もしてくれない存在を。私たちを救ってくださったのは、魔族であるリーニエ様だった。今更誰が人間を信じるというのか。また裏切られ、踏みにじられるぐらいなら。きっと魔族であるこの方に騙された方がずっと救われるだろう。

 

 

「そう……命知らずが多いのね。まあいいわ。そのままじっとしていなさい。枷を科すわ」

 

 

どこか他人事のように、呆れながらもアウラ様はその天秤の力を解放される。その名と共に。

 

 

「────『服従の魔法(アゼリューゼ)』」

 

 

瞬間、光と共に私たちの胸から光の玉が、魂が取り出される。さっきの言葉の意味がようやく分かった。これが魂を売るということなのだろう。この場にいる全ての者たちの魂が同時に天秤の皿に載る。もう片方にはたった一つ、アウラ様の魂が。その秤が重さを計る。その傾きは瞬く間にアウラ様の側へと傾いていく。私たちがいくら束になっても、アウラ様の魂には及ばない。まさに神のごとき存在だと見せつけるように。

 

それは決して枷ではなかった。これは祝福だろう。私たちは今、生まれ変わったのだから。

 

 

「これであんたたちはこの村の住民よ。その枷はこの村にいる間だけの物。暴力を振るいたくなったら村から出ていくのね。誰も止めはしないわ。あんたたちの自由よ。この村では上も下もないわ。平等ってやつね」

 

 

アウラ様はそんな私たちにそれ以上何も命じることはない。どころか自由と平等を与えて下さった。なら、私たちはそれに報いなければ。捧げなければ。きっと他のみんなも同じなのだろう。先程のすすり泣きとは違う、歓喜の涙を流している。それに苦慮したのか

 

 

「……とりあえず食事でもしてきなさい。リーニエ、案内しなさい」

 

 

そう言い残したまま、アウラ様はその場を後にされる。そんなアウラ様の気遣いに、ようやく悟る。この方は神ではなく、それよりも私たちに近い、寄り添ってくれる存在なのだと。

 

 

「分かった、アウラ様! みんなこっちだよ!」

「待ってお姉ちゃん!」

 

 

アウラ様の命に従いながら、リーニエ様が私たちを再び案内して下さる。それに付いて行く娘のローザ。失礼があってはいけないので慌ててそれに付いて行くその前に

 

 

「ありがとうございます、アウラ様」

 

 

もう一度、深くお辞儀をしながらアウラ様に感謝を捧げる。私だけではない、この村にいる人間たちの総意。それを受けながら

 

 

「……お礼を言うのはまだ早いかもしれないわよ」

 

 

何かを憂うように、アウラ様はそう零される。それが何を意味するのか。私如きには推し量ることができない。それでもただ今は感謝を。

 

 

それが南側諸国の間で噂となっている、中立地帯『箱庭(ガーデン)』の正体。

 

 

勇者の死後に建国されることになる、魔族国家『親愛の花(フリージア)』の前身とも言えるものだった────

 

 

 




最新話を投稿させて頂きました。
一つお詫びを。今話は八十一話から半年後であり、まだヒンメルは存命しています。次話でも触れる予定でしたが、分かりづらかったようなので補足させて頂きました。
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