ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第九十話 「例外」

ただ生き延びるために。

 

それが私の在り方。そのために命令に従って生きてきた。欺くことなく生きること。それが人間を、周りを欺くことになる。それが私、『例外』のリーニエの生き方。

 

私にとってヒンメルは恐怖の対象、怖いものだった。アウラ様を従えている、魔族で一番強かった魔王を倒した人間。でもそれがどんどん変わっていった。本当に変な奴だった。全然行動が理解できない。自分のためにならない行動ばかりして、魔族である私を鍛えようとする。人間の中でも、特に変わっていた。

 

ただそれを真似れば周りは褒めてくれる。優しくしてくれる。良くしてくれる。騙されてくれる。それは私にとって都合の良い、利用できる環境だった。

 

外敵に襲われることもない。飢えることもない。寝床に困ることもない。魔法の探求もできる。模倣対象から動きも盗める。ただ自由に外に出ることだけはできなかったが、それらに比べれば些細なことだった。

 

────嗅ぎ慣れた草木と花の匂い。響き渡る木剣と木剣がぶつかり合う音。それが終われば家に戻ってご飯を食べて、ぐっすり眠る。

 

いつしかそれが私の日常になった。アウラ様がいて、ヒンメルがいる。アイゼンがいて、ハイターがいる。リリーがいて、シュトロがいる。村のみんながいる。

 

それがずっと続くのだと、そう思っていた。でも違った。

 

ヒンメルがいなくなった。たったそれだけで。私の世界は変わってしまった。

 

いや、それはヒンメルが死ぬ前から分かっていたことだ。ヒンメルから解放された時から、私は上手くヒンメルの真似ができなくなった。見本が傍にいなくなったから。それだけじゃない。周りも変わってしまったから。

 

アウラ様も変わってしまった。ずっと退屈そうだった。楽しくなさそうだった。何よりも、アウラ様がまるで人間みたいになっていくことが。ヴィルのことがあってから、特にそれが酷くなった。魔族の将軍とかいうのと話している時もそうだった。私は、アウラ様が何を言っているのか、何を考えているのか分からなかった。魔族の奴が言っていることの方が理解できた。でも、それが言えなかった。

 

だからヒンメルの真似をし続けた。覚えている限り。そうすればアウラ様に喜んでもらえる。笑ってくれる。理解できなくてもいい。偽物でもいい。ただ私は────

 

 

────あれ? 今、私は嘘をついてるの? それとも本当……? 魔族だから人間の振りをしている。人間じゃないのに。なら、私は誰? 魔族? 人間? ヒンメル? リーニエ? 私……私は、どこ……? 

 

 

分からない。でもやらないと。それがアウラ様の────

 

 

 

 

「ねえ、アイゼン……私って変なのかな?」

 

 

目の前に置かれた温められたミルクを飲みながら、そう尋ねる。今、私はアイゼンと一緒に王都の住処にいた。ヒンメルが使っていた家。今はただの空き家になってしまっている。頭にはタオルがかけられたまま。着替えはもう済んでいる。体はもう乾いているが、髪はまだ濡れたまま。いつもならアウラ様が乾かしてくれるけど、今はいない。きっとハイターと一緒なのだろう。ならきっと大丈夫。いつもは頼りにならないが、こういう時には頼りになるはず。

 

 

「……何故そう思う?」

 

 

同じようにミルクを飲みながら私の前に座っている、もっと頼りになるアイゼンがそう聞き返してくる。やっぱりアイゼンはアイゼンだ。話していると、一緒にいると落ち着く。アウラ様と一緒にいるのとは、また違う感じ。よく私はアイゼンの所に遊びに行っていた。頼りになるから。私が分からないことを聞いても、ちゃんと答えてくれる。だからきっと、こんなことを聞いてしまったんだろう。

 

 

「アウラ様がね、お墓の前で話しかけてたんだ。ヒンメルに。そこにヒンメルはいないのに」

 

 

その光景が目に焼き付いている。お墓の前で、もういないヒンメルに話しかけているアウラ様の姿。それは変だった。おかしかった。理解できなかった。だってそうだ。お墓なんてただの石だ。埋められているのはただの死体。そこには何の意味もない。

 

ずっと不思議だった。不可解だった。村で過ごしていた時から。死んだ人間に拘り続ける人間の習性が。前の村長が死んだ時もそうだ。みんな悲しんでいた。泣いていた。話しかけていた。リリーもそうだった。理由を聞いても教えてくれなかった。

 

 

「アウラ様、悲しんでた。泣いてたの。ヒンメルがいなくなったからかな」

 

 

それと同じように、アウラ様も悲しんでいた。きっと泣いていたんだろう。それはきっとヒンメルがいなくなったから。まるで、人間みたいに。

 

 

「でもね、私、悲しくないんだ。アウラ様みたいになれないの。だって、ヒンメルはもういないんだもん」

 

 

でも、私は悲しくなかった。これっぽっちも。涙も出ない。私は人間じゃないから。そんな習性はない。いくら真似しようとしてもできなかった。当たり前だ。もうヒンメルはいないんだから。もういない相手のことなんて、気にする必要ない。そんなこと、できない。

 

欺かないこと。その通りに私はアウラ様に言った。ヒンメルはもういないと。だからそんなことしなくていいんだよ、と。悲しまなくていいと。でも、それはアウラ様に届かなかった。

 

 

「やっぱり、私が変なのかな……?」

 

 

きっと私が変だから。おかしいから。だから例外なんだろう。ヒンメルならきっとできた。私がアクセサリを失くした時みたいに。私にはそれができない。私のやってることは、ただの真似事だから。

 

 

「……そんなことはない。それは魔族なら当たり前のことだ。お前が悪いわけじゃない」

 

 

それに目を閉じたまま、アイゼンはそう答えてくる。私のせいではないと。私は魔族だと。そんな当たり前のことを。なのにそれが気になって仕方ない。どうしてだろう。

 

 

「でも、アウラ様はできてるよ? 私には、ヒンメルみたいにはできなかったの。だからハイターたちを頼ったんだ。私じゃアウラ様の役に立てないから」

 

 

アイゼンはそう言ってくれたけど、やっぱりそれは私が役立たずだから。だってヒンメルならできたはずなのだ。アウラ様の力になることが、役に立つことが。

 

でもダメだった。私は、ヒンメルにはなれなかった。だからハイターたちを利用した。私にはできないことだったから。従者失格だった。なら私は

 

 

「それは違うぞ、リーニエ。お前はお前だ。いくら真似してもアウラにも、ヒンメルにもなれない。だがそれでいい。みんな、誰かの真似をしながら大人になっていくんだ」

「真似をしながら……?」

 

 

そんな私に、アイゼンはどこか静かに、それでも穏やかにそう教えてくれる。いつものように、魔族では分からないことを、私に分かるように。

 

 

「そうだ。お前は確かにヒンメルの真似はできなかったかもしれん。だが、お前は自分でアウラを助けようとした。それは今までお前がヒンメルたちの真似をしてきたからできたことだ」

 

 

真似をすること、模倣すること。それが私の持つ魔法であり在り方。でも人間たちにとってもそれはあるのだと。そして、人間にとってはそれは通過点なのだと。模倣を完璧にするのではなく、その先があるのだと。それが私にできたのだと、アイゼンは教えてくれる。全然実感は湧かない。ピンとこない。でも、それが私を褒めてくれていることは、何となく分かった。

 

 

「人間は同じ種族でも皆違う。ヒンメルとハイターを思い浮かべてみろ。二人は似ているか?」

「全然違う。どっちも変なのは同じだけど」

「そうだろう? それは魔族も同じだ。お前とアウラも違うんだ。同じように悲しむ必要はない。もしかしたら、この先お前にも分かるようになるかもしれん」

 

 

同じ種族でもみんな違うのだと、そんな当たり前のことをアイゼンは言ってくる。でも、言われるまで気づかなかった。そうだ。私とアウラ様は同じ魔族だけど、別人だ。なら、同じことができなくても当たり前なのかもしれない。ヒンメルとハイターのように。性格から習性まで、似ても似つかない二人。同じなのは私をいつもからかってくることぐらい。

 

 

「だからお前はアウラに寄り添ってやれ。それがきっとお前のためにもなる」

「私の……?」

 

 

寄り添う。何度か聞いたことがある言葉。それはいつだったか、何だったか。それは私のためにもなるのだとアイゼンは言う。アウラ様のためにすることが、私のためにもなる。どういうことなのか。

 

 

「リーニエ、その剣を見てみろ。それは何だ?」

 

 

私の疑問に答えることなく、アイゼンはその視線を私の傍らに立てかけられている剣に向ける。肌身離さず持っている私の剣。

 

 

「? 何言ってるの? これは私の剣だよ。見れば分かるでしょ?」

「そうだな。だがそれだけじゃない。それはヒンメルの剣でもある」

「何で? もうヒンメルはいないんだから、ヒンメルの剣じゃないよ?」

 

 

アイゼンはそんなおかしなことを言ってくる。これがヒンメルの剣なのだと。違う。これは私の剣だ。前はヒンメルが使っていたがもう私の物。ヒンメルはもういないのだから。

 

 

「少し違う。それはヒンメルがお前に託した剣だからだ。その剣には、ヒンメルの想いが、願いが込められている。目には見えないがな」

「……? 何の魔力も感じないよ?」

 

 

なのにアイゼンはもっと変なことを続ける。この剣に、そんな物が込められているのだと。意味が分からない。これはただの剣だ。確か勇者の剣と呼ばれているが、その偽物。特別な力も魔力も込められていない。その証拠に私の眼にも何も見えない。覚えているのはこれをヒンメルが大事にしていたことぐらい。私が何度欲しいと言ってもくれなかった。誕生日にも。でもようやくそれを手に入れた。だからやっぱりこれは私の物。だけど

 

 

「そうだな。だが今、お前は思い出したはずだ。ヒンメルのことを。その剣を見ることによって」

「……うん」

 

 

まるで私の心を読んだように、アイゼンはそう告げてくる。その通りだ。私は思い出した。この剣を見ることで。もういなくなってしまったヒンメルのことを。

 

 

そうか。アウラ様も同じだったのだろう。あの石が、お墓と呼ばれる物がヒンメルを思い出させる物だったのだ。形は違っても、この剣と同じように。

 

 

「それが形見という物だ。もういなくなってしまった者が、生きている者たちに思い出してもらうための。アウラはそれを思い出して、悲しんでいた。だがそれだけじゃない。嬉しいことも、楽しいことも思い出せる。だからそれはヒンメルの剣なんだ。もうあいつがいなくなったとしても」

「ヒンメルが、いなくても……?」

 

 

それが形見なのだと。リリーも言っていた。この剣はヒンメルの形見だから、大事にしなさいと。その意味が、私には分からなかった。これを大事にするのは、これが私の物だから。でも、それ以外の意味がこの剣にはあるのだろう。剣なのに、戦いに使う武器以外の使い道が。ヒンメルのことを思い出すために。だからこれはヒンメルの剣でもあるのだと。

 

 

「そうだ。リーニエ、ヒンメルのことは好きか?」

「うん。好きだったよ」

 

 

私はヒンメルが好きだった。欺くことなくそう答える。同じ魔族でもなければ、主人でもない。勝手に私の師匠を名乗っている、変な奴。馬鹿だったり、ヒモだったり、クズだったり変な二つ名ばっかり持っていた。その真似をずっとしていても、分からないことばかりの存在。でもそんなヒンメルが私は好きだった。楽しかった。何よりも、アウラ様がヒンメルと一緒にいると楽しそうだったから。

 

 

「そうか。ヒンメルもそれは同じだ。ヒンメルは、お前のことが好きだった。だからその剣をお前に託した。譲った。それは魔族にとって、自分の魔法を渡すことと同じだ」

 

 

アイゼンはそう私に教えてくれる。ヒンメルも私が好きだったのだと。何で別人なのにアイゼンにそんなことが分かるのか。いつもそうだ。アイゼンも、ヒンメルも、ハイターも。魔法を使ったわけでもないのに、相手の思考を読んでしまう。魔族にはできないことなのかもしれない。

 

 

でも、ただ驚くしかない。この剣を渡すことに、そんな意味があったことに。

 

 

「魔法を……? 何でそんなこと……?」

 

 

自分の魔法。魔族にとってそれは誇りであり、生きる意味でもある。それを譲るなんて。それは自分の命を相手に渡すのと同じこと。あり得ない。それがヒンメルにとってはこの剣だったのだとアイゼンは明かしてくる。私はそんなこと知らない。ヒンメルはそんなこと、一言も言わなかった。どうしてそんなことを。

 

 

「それはヒンメルにとってお前が特別だったからだ。自分の剣を渡すほどに。人間は死ぬ前に、特別な相手に想いを託す。物だけじゃなく、言葉や思い出でな。リーニエ、お前にもきっとそれがあるはずだ」

 

 

それはヒンメルにとって私が特別だったから。

 

 

────思い出す。それは二つの記憶。共に忘れることなく、私の中に残っている記憶。

 

 

それはアウラ様との記憶。ヴィルの村を離れた日。その夜に私はアウラ様と再び契約を交わした。その光景を覚えている。

 

ただ綺麗だった。アウラ様はその手を空にかざしながら魔力を放ち続けていた。その光が天に昇っていっては消えていく。それはまるでこの前見た流星のようだった。

 

それは自分の魔力を消費するために。それによって自分の魔力を私よりも小さくするために。魔族であるならあり得ない行為。魔力を欺いている私でも、それは分かる。しかもそれは、自分よりも魔力の劣る相手に服従するため。主従が逆転してしまう行為。自らの命を危険に晒すこと。なのに

 

 

『この天秤をあんたに預けるわ、リーニエ』

 

 

その天秤を、魔法を、魂をアウラ様は私に預けてきた。本当にあり得ない。私の中の何かが告げる。それがいかに愚かなことか。理解できないことか。

 

なのにそれが、それよりもずっとずっと嬉しかった。思わずその場で飛び跳ねてしまいたいぐらい。それはアウラ様が自分の命を預けても、魔法を預けてもいいぐらい、私を頼りにしてくれている証だったのだから。

 

 

『リーニエ。僕はね、君にアウラを守ってあげてほしいんだ。僕がいなくなっても』

 

 

もう一つの記憶が蘇る。それはこの剣をもらった時のこと。早くそれを使いたいのに、アウラ様に見せびらかしたいのに。ヒンメルは話を聞きなさいとうるさかった。なのに言ってくるのは前にも聞いたことのある話。とうとうボケてしまったのかもしれない。そう言ってあげるも

 

 

『あえて言ってるの。空気を読みなさい』

 

 

いつものように困った顔をしながらヒンメルはそう窘めてくる。生まれた時からずっと変わらないやり取り。老いぼれてもそれは変わらなかった。それに答えた。アウラ様は強いんだからそんな心配いらないと。前と同じように。

 

 

『そうかもね。でも、強さは一つじゃないからね。心もそうなんだ。アウラはきっとこれから先、それに苦しむことになる』

 

 

いつものように、まるで未来を見ているようにヒンメルはそんなことを予言する。アウラ様にとって良くないことがこの先起こるのだと。心という、人間がよく気にする物によって。魔族にもそれはあるが、人間とは形は違うのだとハイターも言っていた。なのにどうして。

 

 

『だから君が頼りなんだよ。アウラが独りぼっちにならないようにね』

 

 

ふと頭の上に温もりが、手が載せられる。もう数えきれないほどされてきた行為。何で人間たちはこれが好きなのか。アイゼンも、ハイターも私の頭を撫でてくる。それが子供相手にすることだということも知っている。私はもう子供じゃないのに、ヒンメルはこうして頭を撫でてくる。もう背も縮んで、背伸びをしなければできないのに。いつものように文句を言う私に

 

 

『────そうだね。君は僕の自慢の一番弟子だからね』

 

 

ヒンメルはいつものように、笑いながらそう答えた。それが私が覚えている、ヒンメルとの最後の約束。

 

 

「……アウラ様を守るように言われた」

 

 

思い出しながらヒンメルの剣を手に取る。そうか。それを忘れないように、覚えていて欲しいからこれを私に渡したのだろう。そうしないと私が忘れてしまうと思ったのかもしれない。私は忘れっぽいから。でも余計な心配だ。だって私は覚えている。忘れたりしない。これがなくても。

 

 

ヒンメルの剣とアウラ様の天秤。二人の大事な物を預けられた、私は二人にとっての例外(とくべつ)なのだから。

 

 

「そうか。あいつらしいな」

 

 

きっとアイゼンもヒンメルのことを思い出しているのだろう。でもアウラ様とは違う。どこか楽しそうで、嬉しそうに。アウラ様も、こうなってくれればいいのに。

 

 

「でも変だよね。私よりもアウラ様の方が強いのに。守るってどうすればいいのかな」

「特別なことをする必要はない。今のまま、あいつに寄り添ってやればいい。それだけで十分だ」

「寄り添うって?」

「一緒にいてやる、ということだ」

「何だ、それだけでいいんだ。そんなの当たり前だよ。そんなことお願いするなんてヒンメルはやっぱり変な奴だね」

「かもしれんな」

 

 

寄り添うの意味を教えてもらうも拍子抜けしてしまう。そんな当たり前のことをお願いしてくるなんて、やっぱりヒンメルは変な奴だ。そんなのお願いされるまでもない。私はずっとアウラ様と一緒なのだから。

 

 

「じゃあこの剣もアイゼンの形見なんだね。大事にするね」

「それはまだ気が早いな。俺はまだ生きているからな」

「そうなの? よく分かんないなー」

 

 

やっぱり人間たちの習性はよく分からない。理解したつもりでも、次から次へと分からないことが増えていく。でもしょうがない。私は魔族なのだから。分からないことがあって当たり前。だから真似していこう。今は分からなくても、真似している内にいつか分かるようになるかもしれないから。

 

瞬間、魔力探知に反応がある。間違えるはずのない、感じ慣れた魔力。隣にはそれに匹敵する魔力。飴坊主だろう。きっとアウラ様を助けてくれたのだ。アイゼンほどではないが、やっぱりハイターも頼りになる。

 

 

「おかえりなさい、アウラ様!」

 

 

気づけばまた雨に濡れてしまっていたが構わない。だって大好きなアウラ様が帰って来たのだから────

 

 

 

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