ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第九十二話 「時間」

長い、長い時間が流れていく。

 

まるで長い夢を見ているようだ。覚めるのが分かっているのに、いつまでもそれに浸かっていたい。でもそれはできない。夢は覚める物。いつか終わりが来る。

 

だが時間は流れていく。人間にも、魔族にも。どんな生き物にとっても避けることができない、この世界で最も平等で、残酷で、優しいモノ。

 

変わらないものは存在しない。どんなに長い時間を生きることのできる生命でも。あるのはただそれを見送るものと、見送られるもの。その違いだけだった────

 

 

 

『行ってしまいましたね……』

『そうだな』

 

 

もう見えなくなってしまった二人の姿。それを見つめながら、二人は悟る。自分たちが見送る、残される立場になったことを。抗うことのできない時間の流れ。

 

 

『らしくなかったんじゃないか、ハイター?』

『それは貴方もでしょう、アイゼン?』

 

 

二人は互いにそう言い合う。お互い様だと。知らず自分たちも彼女に変えられてしまったのだと。共にらしくないことをしてしまうぐらいに。

 

 

『ヒンメルだけでなく、私たちも変えられたということですね』

『違いない』

 

 

今ここにいない勇者と同じように。それは二人にとって、本当に喜ばしいことだった。

 

 

『さて、それではもう少し老体に鞭打つとしましょうか』

『教典作りか』

『それもありますが、天国も探さなければいけませんからね。二人のために』

 

 

勇者の死後、隠居を考えていた僧侶はそう己を鼓舞する。どれだけの時間が自分に残されているのかは分からない。それでも、残された者たちのために、できるだけのことを為そうと。今は亡き親友のように。

 

 

『全く……罪な男だ』

 

 

衰えた戦士はそう零す。戦士は待ち続けることにする。彼女たちがやってくることを。ただ剣を打ちながら。勇者の名を冠する、偽物の剣を、それが再び本物になる日を願って────

 

 

 

『じゃあ行ってくるよ、リリー』

 

 

つい最近までその村の村長だった者はそう妻に告げる。多くの荷物を持って。とても一人旅をするような歳ではないにもかかわらず。

 

 

『待って下さい、忘れ物ですよ』

『おっとそうだった。これがないとしまらないからね』

 

 

花の名を冠する妻は夫に忘れ物を手渡す。夫の名に相応しい、麦わら帽子を。

 

 

『姉さんとリーニエに宜しくね、あなた』

『ああ、少しでも姉さんの力になってくるよ。君は帰りを待っていてくれ』

 

 

夫は旅立つ。姉がいるであろう場所へと。その力になるために。若き日の夢を叶えるために。その恩返しのために。

 

妻はただ待ち続ける。夫が、姉と妹に一緒に帰ってくることを。その家を守りながら────

 

 

 

『────久しぶりね、アウラ。五十年振りかしら? 見違えたわ。まるで人間みたい。素敵ね』

 

 

五十年前と全く変わらない姿と笑みを見せながら、無名の大魔族は再会する。断頭台から天秤へと変わってしまった彼女と。無名はすぐに見抜く。その変化を、その歪さを。

 

 

『そんなに警戒しなくてもいいわ。私は貴方とお話ししたくてここに来たの。聞いたわよ、アウラ。とても面白そうなことをしているって』

 

 

まるで新しいおもちゃを見つけた子供のように、純粋な興味を示す。同時に歓喜する。やはりあの人間に聞いた噂は真実だったのだと。

 

 

『同じ研究者としてとても興味があるの。私たち、きっと友達になれるわ』

 

 

自分と同じように、魔法以外のことにも興味を持つ個体がいたことに。ならきっと、人間で言う友達になれるはずだと。

 

 

それが天秤と無名。二人の大魔族の、友達と言う名の共犯関係の始まりだった────

 

 

 

『リュグナーと言います。ぜひアウラ様の配下に加えて頂ければと……』

 

 

頭を垂れながら一人の魔族が天秤に忠誠を誓ってくる。魔族の本能に従った、偽りの忠誠。それを前にして天秤は問う。何故自らがこの国を作ったのか、何故人間と共存しているのかを。それに

 

 

『それは人間共を騙し、支配するためでしょう? 人間共に復讐するために』

 

 

迷うことなく、迷う余地なく魔族は答える。魔族の何たるかを示すもの。天秤にとってのもう一つの答え。天秤はその忠誠を受け入れる。利用する。自らが魔族であることを戒めるために。忘れないために。目の前にいる純粋な、その名に相応しい嘘つきの魔族がこの国でどうなっていくのか。それが、この国の行く末を占う試金石。

 

 

『はい。全てはアウラ様の御心のままに』

 

 

かつての魔王に誓うように、魔族たちは天秤に忠誠を誓う。その嘘を見抜けぬまま。魔族のままに────

 

 

 

『ゼーリエ様、グラナト領とその周辺国から信書が。恐らくフリージア絡みかと』

 

 

年老いた魔法使いがその手に手紙を持ちながらそう告げる。だが魔力が見える者ならすぐに悟るだろう。その魔法使いが人間の魔法使いの最高峰であることを。

 

 

『またか。人間たちもとうとう無視できなくなってきたらしい』

 

 

それを子供扱いするかのように、椅子で足を組んだまま一人のエルフがどうでも良さげに答える。時の流れに逆らうかのように変わらぬ容姿のまま。

 

 

『魔族が国を、か……下らん。魔王の真似事のつもりか』

 

 

その指で読み終えた手紙を魔法で粉々に裁断した後、エルフは心底呆れたように言い放つ。かつて魔王が作り出した魔王軍。それを真似ているであろう、愚かな魔族のことを。

 

 

『いえ、お言葉ですが、恐らくゼーリエ様の真似をされているのかと』

『……本当にお言葉だな、レルネン。それで? お前はどうする気だ?』

『ゼーリエ様と同じかと』

『ふん……少し口答えするようになったと思えばそれか』

 

 

謙虚で臆病な坊やだった弟子が、ここ最近ようやく口答えもしてくるようになったと思えば、結局結論は自分任せ。それに呆れながらもエルフはそれ以上追求することはない。何故なら

 

 

『放っておけ。私の関知するところではない』

『はい』

 

 

その答えは、師弟揃って同じだったのだから。

 

 

『馬鹿な奴だ……勇者の真似事だけしていればいいものを』

 

 

その手に一本の花を魔法で生み出しながら、生きた魔導書は呟く。自分の真似までしている、愚かな魔族の行く末を────

 

 

 

『アウラ様……私に魔法を教えていただけませんか?』

 

 

幼い少女が、意を決して天秤にそう懇願する。その背丈よりも大きな杖を握り締めたまま。天秤はただ淡々とそれを見つめている。この場にやってきてから続けている、魔族の擬態。魔族が魔族に擬態するという矛盾。少女に魔族を誤解させないための処置。本当なら無視するところ。だが天秤は問うてしまった。何故魔法を学びたいのかと。遊びたい盛りだろうに、何故そんな子供らしくないようなことを。そんな純粋な天秤の疑問に

 

 

『私はあの方に、ハイター様に恩返しがしたいのです』

 

 

少女ははっきりと答えた。自分ではない誰かのために。魔族には理解できない理由。だが天秤である彼女にとってはそうではない、聞き馴染みのある答え。

 

それでも天秤はその場を去っていく。魔族である己では、人間に魔法を教えることはできない。ただそれだけ。それだけなのに、その去り際に目に入ってしまった。子供らしくなく、気丈に振る舞いながらも落胆してしまっている、子供の姿。

 

それはただの気紛れだったのかもしれない。他ならぬ天秤自身が驚いていた。自分が魔法を使ったことに。勇者が死んでから、一度も使わなかった魔法。花畑の魔法を。

 

 

『……綺麗』

 

 

それに少女は目を奪われていた。さっきまでの落胆も消え去ってしまっている。天秤もまた思い出す。かつて勇者が言っていた、勇者がこの魔法が一番好きになった理由を。その少女の姿が、いつかの誰かと重なる。あの夜、流星に目を輝かせていた例外の従者に。

 

 

『その魔法の本なら持ってるわ。貸してやるから自分で勝手に覚えなさい』

 

 

そう言い残して天秤は去っていく。それが彼女の妥協点。妥協と言うには、あまりにも少女に寄りすぎた物。

 

 

『はい、ありがとうございます。アウラ様』

魔族(わたし)たちは嘘つきよ。お礼なんて言う必要ないわ』

 

 

それを感じ取った少女は笑みを見せながら頭を下げる。それを咎めながら天秤はその場を後にする。天秤はのちに知ることになる。それがいつか勇者が言っていた、誰かに託すということなのだと────

 

 

 

『アウラ……フェルンをお願いできませんか』

 

 

自らの死期を悟った僧侶はそう天秤に願う。少女を託したいと。その国へと連れて行ってほしいと。少女に誰かの死を背負わせたくないのだと。それを全て理解した上で

 

 

『お断りよ。魔族に人間の子供が育てられるわけないじゃない』

 

 

天秤はその願いを却下する。魔族に人間の子供は育てられないと。それは半分本当で半分嘘だった。天秤ならできただろう。例え真似事でも、少女を育てることが。だがそれを良しとしなかった。何故なら

 

 

『あのエルフの二つ名は知ってるでしょ? どうせあんたのお迎えが近くなったら勝手にやってくるわ』

 

 

自らよりも適任がいるのだから。母親としてはどうか知らないが、魔族(わたし)よりはマシだろうと。魔法使いとして育てたいならなおのこと。何よりも天秤は知っていた。僧侶が死ぬ頃にはエルフがやってくることを。勇者の時のように。それがあのエルフが葬送と呼ばれる所以なのだと。何よりも

 

 

拾った(救った)のなら最後まで責任を果たしなさい』

 

 

天秤はそう告げる。まるで子を諭す母のように。かつての自分を重ねるように。

 

 

『やはり貴方はお母さんですね』

『私はお母さんじゃないわ』

 

 

いつものやり取りをしながら、天秤は僧侶へと別れを告げる。あの時とは逆に、僧侶の顔を見つめながら────

 

 

 

『私をお姉ちゃんと呼びなさい!』

 

 

目を輝かせ、意気揚々に例外の魔族は宣言する。散々撃沈してきた自らの願望をようやく実現できたからこそ。だが

 

 

『お姉ちゃんもいいけど……ほどほどにしなさい。あの子は人間よ』

『……ごめんなさい』

 

 

天秤はそれを叱責する。珍しく例外も意気消沈してしまっている。それも当然だった。勝手に弟認定した人間の男の子を散々振り回した挙句、崖から落とそうとしたのだから。どっちが子供か分かったものではなかった。

 

 

『あんたが弟子を取るなんてね。どういう風の吹き回し?』

『……ヒンメルならそうしたからだ』

 

 

天秤の問いに、戦士はそう答える。それに天秤は呆れるしかない。戦士だけではない。僧侶もそれは同じだった。ともに死に瀕していた小さな子供を救った。ただそれだけ。

 

 

『そう。ハイターといい、揃いも揃って同じね』

『お前がそれを言うのか』

『そうね』

 

 

戦士にそう言い返されるも、天秤もまた受け入れる。まるでその自覚があるかのように。戦士の前だからこそ見せる、天秤の本音。

 

 

 

『手を見せなさい』

 

 

天秤はそう赤毛の少年に告げる。何故なら少年が、その手を川の水につけていたから。

 

 

『え……? あの』

『怯えなくても取って食ったりしないわ』

 

 

いきなり声をかけられたからか。それとも天秤が魔族だからか。少年は怯えて震えてしまっている。そんな少年の姿に天秤は戦士の面影を見る。誰よりも強く、臆病な戦士の姿。

 

そのまま天秤は魔法によって少年の手を癒す。その手は血豆でボロボロだった。かつての例外と同じ。水につけるのは傷に障る。使っているのは女神の魔法。何かの手違いか、女神の気紛れか。天秤が扱うことができた唯一の回復魔法。もっとも僧侶の扱うそれとは比べ物にならない。せいぜい擦り傷を癒す、痛みを和らげる程度の物。かつて幼い例外にそうしていたように、天秤はそれを少年に施す。

 

 

『これでいいわ。やっぱりあんた、あいつの弟子ね』

『? どういうこと……?』

『戦士ってことよ』

 

 

天秤の言葉の意味を理解し切れない少年に、天秤は告げる。自らも未だに理解し切れていない、友人の言葉を────

 

 

 

『その瓶は何? お酒?』

 

 

怪しげな老女が営んでいる魔法店。そこで一人のエルフが興味深げに棚にある瓶を指指す。彼女に深い意味はなかった。魔道具ばかりが置かれている中で、それがたまたま目についた。ただそれだけ。

 

 

『これかい? 葡萄酒だよ。珍しい品でね。興味があるかい?』

『そうだね……じゃあ二本頂戴』

 

 

少し迷いながらも彼女はそれを二本買うことにする。一本は酒が大好きな生臭坊主のため。もう一本は酸っぱい葡萄が好きな戦士のため。路銀が減ってしまうがまあいいだろう。

 

 

『じゃあ先にハイターに会いに行くとするかな。まだ生きてるかな』

 

 

葬送は歩き出す。彼女にとってはつい最近会った友人に会いに。お土産を手にしながら。彼女らしい言葉と共に。

 

 

 

時間は流れていく。川の水のように。再び交わるその時へ向かって────

 

 




ヒンメルの死から現代までの時間のエピソードでした。全てを描いていては長くなりすぎてしまうため、ダイジェストに近い形になっています。これまでの話と合わせれば何があったかおおよそ想像できるかと思います。要望があれば、完結後でもいくつか描いてもいいかもと思っています。
少し長くなってしまったので、次回が過去編のラストになります。申し訳ありません。
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