ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第九十三話 『天秤』

────長い夢を見ていた気がする。それが何だったか思い出せない。ただ何となく目覚めが悪い。きっと思い出せなくていい物だったのだろう。

 

 

「…………ん」

 

 

そのままゆっくりと体を起こす。おぼろげな意識のまま、辺りを見渡す。いつもと変わらない、私の部屋。雑多に本に溢れている、お世辞にも整理ができているとは言えない有様。そんな中、ふと頬を伝う物がある。それは涙だった。珍しいこともあるものだ。きっと知らずにあくびでもしてしまったのだろう。

 

 

(そういえば、枷をし忘れてたわね……そのせいかしら)

 

 

ようやく覚醒し始めたことと、体の感覚で思い出す。今の自分に枷が嵌められていないことに。いつもなら寝る前には嵌めるのだが、昨夜は遅くまで教典科の資料を読み漁っていたのでリーニエと会うタイミングがなかった。リーニエもそのまま眠ってしまったのだろう。あの子の生活サイクルは昔と変わっていない。ようするにまだまだ子供なのだから。だがいつまでもそれではいけないということで、今私とリーニエは別々の部屋に住んでいる。この国の神官としてもだが、魔族としても独り立ちするため。元々魔族は個として独立しているのにまるで人間のように。当の本人は最初は嫌がっていたのだが最近ようやく慣れてきたところ。もっとも独り暮らしはそれはそれで違う問題も発生しているのだがもはや言うまい。

 

 

(問題ないわね……)

 

 

手を握っては開くのを繰り返す。問題ない。食人欲求も自制の範囲内。そもそもヴィルの時は例外だった。この程度何の問題もない。なのに、なぜこんなに疲れているのか。いや、私は疲れているのか。睡眠が足りていないのだろうか。

 

 

(今日は確か午前中はリュグナーたちとの謁見、午後は裁判と祝福だったかしら……)

 

 

顔を洗い、髪を整え、法衣を纏い、ローブを被る。何も考えないまま行える習慣。それは信徒を欺くための擬態。私を天秤へと、この国の教主へと変えるための。なのに、いつからかそれが当たり前のようになりつつある。今の私とどちらが擬態なのか。時々分からなくなってしまいそうになるほどに。

 

それを取り戻すかのように、その手には銀の花が握られていた。八十年変わることのない、親愛の花。私が私であるための道標。まるでそれはそう、十字架に縋る人間たち、天秤に縋る信徒たちのよう。なら私にとってはこれは

 

 

「おはようございます。アウラ様。宜しいでしょうか」

 

 

その声で瞬間、意識を取り戻したかのように体が跳ねた。一体自分が今何を考えていたのか思い出せない。一体どれだけの時間自分がそうしていたのかも。

 

 

「ええ、入りなさい」

 

 

それを取り繕いながら、アクセサリから手を放しながら入室を許可する。声の主が誰かを確認する必要もない。こんな朝早くから自分の部屋を尋ねてくる者など限られているのだから。ましてや

 

 

「流石はアウラ様。もう準備が済まれていたのですね」

 

 

聞き慣れた、年老いた老人の声の主なんてこいつ以外にはあり得ない。変わらず笑みを浮かべたままシュトロはこちらへ挨拶してくる。本当に年老いてもこいつは変わらない。スカート捲りばかリしていたクソガキのままだ。違うのは麦わら帽子を被っていないことぐらいか。流石に司祭として法衣を纏っている間は被れないのだろう。それ以外の時はその限りではないようだが。

 

 

「そう何度も寝過ごしたりはしないわ……何かあったわけ?」

 

 

溜息を吐きながらそう答える。暗に昨日私が寝坊したことを言っているのだろう。それが心配でわざわざここに来たということか。いくら私でもそうそう寝過ごしたりはしない。だがそれだけのためにここに来るのも不自然だ。なら何かあったのか。それは

 

 

「はい。実はまだリュグナー殿とリーニエが来ておらず……」

 

 

ある意味いつも通り、日常茶飯事になってしまっている事案だった。

 

 

「そう……きっとリーニエが道草を食ってるのね」

「でしょうな」

「あんた、素が出てるわよ。気をつけなさい」

「これは失礼しました」

 

 

呆れながらそう漏らす私に、シュトロもまた相槌を打ってくる。まるで人間で言う家族のように気安く。他の信徒には見せられない有様。それを咎めるも全く堪えていない。まるでハイターのようだ。そういえばシュトロは神父になるためにあいつとよく絡んでいた。その影響だろうか。そういう意味ではシュトロはあいつの弟子のようなものなのかもしれない。悪夢でしかない。酒癖の悪さが受け継がれなかったのは不幸中の幸いだろう。

 

 

「そこでどうでしょう? 午後の裁判を早めるというのは? もちろんアウラ様が宜しければですが」

 

 

流石の切り替えの早さでシュトロはそう提案してくる。暗に私に今天秤が使えるかも確認しながら。ここフリージアでは人間で唯一、私とリーニエの関係、天秤の仕組みを知る存在だからこそ。もっともこの提案も、リーニエの遅刻の尻拭いでしかない。ようするにこいつは昔と変わらずリーニエに甘いのだ。やはりシュトロやリリーにとってはリーニエは妹のようなものなのだろう。お姉ちゃんぶれるのはシュタルクの前だけらしい。

 

 

「いいわ、そうしなさい。確か今日の被告は」

「人間です。どうやら外の国でも犯罪を犯した者が流れ着いたようで」

「ふぅん……難民の中に紛れ込んでたってわけね」

「そのようで……」

 

 

その口車に乗ることにしながら、今日の裁判の予定を思い出す。確か被告は人間。殺しや盗みの罪状だったはず。それに加えて外の国でも罪を犯していたらしい。難民に紛れてここに入り込んだのだろう。まるで鼠のような奴らだ。それは今回に限った話ではない。フリージアの規模が大きくなるにつれてそういった輩が多くなってきた。人口増加による弊害。本当なら入国の審査で弾きたいのだが、全ての入国者に天秤で審査を行うことは物理的に不可能。どうしても後手に回らざるを得ない。もっともどんな国であれ、それは変わらないだろうが。

 

 

「もういいわ。どうせ聞いても無駄だもの。本人に聞いた方が早いわ。この天秤でね」

「はい。全てはアウラ様の天秤の下に」

 

 

その被告の詳細な情報を伝えようとしてくるシュトロをそう遮る。それこそ時間の無駄だろう。何故なら私にはこの天秤があるのだから。これで本人に語らせるのが、ここフリージアでの裁判。あやふやな他者の証言も、証拠も必要ない。そもこの裁判という形式そのものが茶番でしかない。これは天秤である私の威光と、信仰を集めるための儀式でしかないのだから。

 

 

 

────それは一種の異界だった。

 

 

私の圧倒的な魔力で支配された教会。それによってその場にいる魔族は恐怖し、私に忠誠を誓う。

 

本来女神が持ちえるであろう神聖さ。それを装うことで人間たちは平伏し、私に信仰を捧げる。

 

信仰と忠誠。今この場において、この国において私は王であり、法。いや、女神同然だ。ある意味それすら超えた存在。単純な強さでなければ、かつての魔王様を超えた魔王を名乗ってもおかしくはない、遥か高みに私はいる。

 

なのに、何の高揚感もない。支配の愉悦も、快楽も。最初からそうだったわけではない。分からない。いつからそうなったのか。

 

それを集まっている信徒たちが証明する。人間と魔族。その全員が等しく頭を垂れている、まるで服従の魔法にかかっているかのように。それが首があるだけの死の軍勢に見えてしまう。決まった動きをして、決まったことしか喋らない人形のよう。いつからそうなってしまったのか。

 

 

魔族としての私。その欲求。かつての魔王様のように国を作り、支配すること。

魔族の前で私はそう振舞っている。欺いている。それが私の真実なのだと。

 

 

天秤としての私。その役目。自由と平等の下に、国を作り、管理すること。

人間の前では私はそう振舞っている。欺いている。それが私の真実なのだと。

 

 

相反する、矛盾したもの。そのどちらが本当で、どちらが嘘だったのか。分からなくなってしまうほど。

 

 

たった三十年で、そうなってしまった。たった三十年なのに、それが果てしなく長く感じるほどに。まるでもう三百年は経ってしまったのではと思えるほど、時間の流れが遅く感じる。何かが擦り切れていくように。

 

人間と同じ時間の流れで生きていくことが、こんなにも疲れるなんて知らなかった。あいつと一緒にいるときは、あっという間だったのに。今になって気づいた。あいつは、私を引っ張ってくれていたのだろう。その手を引くように。強引に。でももうそれはなくなってしまった。私は独りで走るしかなくなった。魔族の何倍もの速さで生きていく人間たちの流れの中で。頂が見えない山道を、終わりない道をずっと登り続けるように。

 

 

「……それでぇ? お前は罪を認めるの? 認めないの?」

 

 

自らの罪を認めない罪人。聖都でも飽きるほど見てきた光景。人間の癖に、魔族のように嘘をつき続ける愚かな者たち。あいつの言っていたように、人間は皆嘘つきなのだろう。魔族よりも。悪意がある分余計に質が悪い。

 

なら私はどうなのか。魔族である私に罪はあるのか。あいつは言った。私には罪はないと。魔族である私には償うことはできないのだと。当たり前だ。もし人間の法に従うのなら、この国の法に従うのなら、私はその罪を贖うことなどできないのだから。例え、かつて私が蹂躙したこの地で勇者の真似事をしても。

 

 

「そう……じゃあもういいわ。『私に従いなさい』」

 

 

そのまま祝福と言う名の服従を与える。服従という名の祝福なのか。どちらでも変わらない。同じなのは人間にとっても、魔族にとってもそれが呪いでしかないということ。なのに、この国の住人たちはそれを求めている。自由や平等ではなく、支配を求めるように。

 

なら、私は何を求めているのか。私は、何のためにこんなことをしているのか。決まっている。かつての魔王様のように。決まっている。ただ天秤であるために。いや、違う。そうじゃない。そうじゃなかったはずだ。覚えている。忘れてなんかいない。

 

あいつの顔も、声も、眼差しも。

 

今もそれは私の中にある。なのに、それが薄れていっている。摩耗している。まだたった三十年なのに。私が魔族だからなのか。いや、違う。それは思い出そうとしていないからだ。思い出したくないからだ。

 

 

あいつの名前を口に出さなくなったのはいつからだったか。

あいつの話をしなくなったのはいつからだったか。

村に帰らなくなったのはいつからだったか。

 

 

 

何で忘れたくないのに、思い出したくないのか。

 

 

それが私には分からない。いつかのアイゼンの言葉が蘇る。何で私はこの国を作ったのか。何がしたかったのか。

 

 

「命じるわ……『真実を話しなさい』」

 

 

それが分かるのはきっと、服従の魔法(わたし)だけだろう。

 

 

それを示すように罪人が自分の罪状を、真実を語っていく。嘘偽りなく。本人ですら知らない心の内さえ。例外はない。天秤の持ち主の私ですら。天秤である私自身には、決してできないこと。

 

 

私にできるのはただ、機械のように法に従い、判決を下す事。かつて断頭台であった頃のように。その命を絶つこと。違うのは

 

 

「────『自害なさい』」

 

 

それを罪人自身にさせること。このフリージアにおける死刑判決。その命令に、判決に逆らうことなどできない。なのにみっともなく、無様に罪人たちは命乞いをする。魔族だけでなく、人間も。かつての私も。本音を繕い、目に涙を浮かべながら許しを乞う。

 

 

『ごめんなさい』『改心します』『死にたくない』

 

 

もう何度聞いたか分からない、罪人の命乞い。何一つ本音を含まない、偽りの言葉。天秤となってから数えきれないほど耳にしてきたもの。

 

 

『私たちもいつか、人類に狩られる日が来るわ。だから私はそのときが来たら、泣きながら命乞いをしようと思っているの。貴方はどうかしら、アウラ?』

 

 

いつかのソリテールの問いを思い出す。自分自身すら実験の対象とするかのような研究者もどき。共犯者。本当にあいつは私とは違う意味で異端なのだろう。それに私はもう勇者に命乞いをした後だと答えた。だが、考えなかった日はない。

 

どんな生き物でもいずれ命を落とす。永遠に近い寿命を持つエルフですら例外ではない。本当の意味で、私は死を知ってしまった。私はどう命を落とすのか。その答えも。きっと私は首を落とされるのだろう。今まで私がそうしてきたように。

 

目の前に転がっている、自ら首を切って事切れた亡骸。それはあり得たかもしれない私の姿でもある。違うのはその死体が死後残るかどうかだけ。もし何かが違っていれば、私を服従させたのが勇者でなかったのなら、私はみっともなく命乞いをしながら自害させられていたに違いない。

 

あるのは誰かに命じられるのか、自分で終わらせるかの違いだけだろう────

 

 

 

裁判が終わり、リーニエとリュグナーがようやく姿を見せる。どうやら予想通り、リーニエが道草を食っていたらしい。一応神官の仕事をしていたらしいが。褒めて褒めてとせがんでくるが、リュグナーもいる手前それもできない。ただでさえリーニエはフリージアでは特別、いや例外扱いされているのだから。教主である私がそれをするのは好ましくない。なのでそのままリュグナーに話を振る。元々そのための謁見だったのだから。

 

その内容も予想通り。三日後に迫っているグラナトとの交渉についてだった。それについてはリュグナーに一任しているのだが、やはりこいつも魔族なのだろう。人間たちを侮ってしまっている。ソリテールの言葉に倣うなら、私たちは自分たちが狩られることを学べていないのだろう。八十年前に敗北したばかりだというのに。だがそれを責めることはできない。何故なら目の前のリュグナーは魔族の鑑、かつての私そのものなのだから。

 

 

「力押しなんて馬鹿のすることよ? 私たちがどうして言葉を話すか忘れたの? 人間を欺くためよ」

 

 

それを戒める。この八十年で学んだこと。魔族が何故人間を欺くのか。その答え。それこそが、私たちの強みであるのだと。あの魔王様ですら、それを間違えた。同じことを繰り返すことはないと。

 

 

「仰せのままに、勇者がいない人間共など何の脅威にもなりません」

 

 

それでもリュグナーにはその真意は伝わらない。無理もない。こいつが私の副官になってまだ二十年ほど。そこに至るにはまだ研鑽が、時間が足りない。だがその言葉に、思わず指に力が籠る。

 

勇者、という言葉に。

 

リュグナーは知らないのだろう。勇者以外の人間たちの厄介さを。恐ろしさを。個ではない、群体としての人間の強さを。

 

リュグナーは知らないのだろう。勇者が一人ではないことを。それが新たに生まれてくる存在であり、称号であることを。南の勇者がそうであったように。

 

そう、新たな魔王が生まれれば、勇者も生まれる。対の存在。かつて勇者自身が言っていた。勇者には、魔王を止める特権があるのだと。なのに

 

 

「────ええ、もう勇者はいない、私を止められる人間なんていないわ」

 

 

それを誓ってくれた勇者はもういない。私が魔王になっても、あいつは止めには来てくれない。なら、私は魔王になることはないだろう────

 

 

 

誰もいなくなった、空っぽの玉座に座る私。今はもういない、勇者と僧侶。女神であれば、その魂の行方が分かるのだろうか。

 

 

かつてのハイターの言葉を思い出す。何を血迷ったのか、フェルンを私に預けようとしてきたのを断った後。あいつは言ってきた。

 

 

『アウラ、もう一度ヒンメルに会いたくはありませんか?』

 

 

そんな御伽噺を。笑い話だ。子供でも、もう少しましな嘘をつくだろう。とうとう耄碌してしまったのかと、呆れてしまうほどに。

 

 

魂の眠る地(オレオール)

 

 

大陸の北の果て。かつて魔王城があった場所に、人間たちが天国と呼ぶ場所があるのだと。そこでは死者と対話することができるのだと。

 

 

本当に、笑い話だ。私は知っている。魔王城のあたりにそんな場所はなかった。そんなものがあるなら知らないはずがない。もしあったとしても、私にはそんなことはできるはずがない。天国なんて物があったとしても、私にはそこに行くことはできない。何故なら

 

 

 

「────ヒンメルはもういないじゃない」

 

 

 

私は魔族なのだから。人間と同じ場所に行けるはずがない。この魂も、肉体と同じように、塵になって消えるのだろう。

 

 

それがいつになるのか。百年後か、五百年後か。それとももっと先か。生きた天秤のように。あいつのことが、思い出せなくなるその日まで────

 

 

 

 

勇者ヒンメルの死から二十八年後。魔族国家フリージアにて。

 

 

 




今回で過去編は最終話。起承転結の転が終わりました。本当に長くかかりましたが、ようやくここまで辿り着きました。

この作品は構成上、スターウォーズのEP1からEP3、fate/zeroのように過去編の最終話が第一話に繋がるような形を目指して描いていました。今話の後にそのまま第一話から読み返してもらうとまた違った楽しみ方や発見があるかもしれません。

これからは間章という形で二話ほど挟んだ後、最終章であるフリージア編に入ります。これまでは結末が分かっていた物語でしたが、これからは完全な未知の物語になります。楽しみにして頂ければ嬉しいです。では。
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