第九十六話 「王」
勇者ヒンメルの死から二十八年後。
北側諸国。魔族国家フリージアにて。
「今日は遅刻しなかったみたいね。安心したわ」
玉座に腰かけ、見下ろしながら告げる。教主としてではない、魔族の主、国王としての姿を装いながら。眼下には跪いている二人の魔族。自分にとっては右腕と左腕と言える存在でありながら、あまりにも対照的な容姿と在り方をしている配下たち。
「はい。今日はフリージアにとって、アウラ様にとって重要な日。遅れることなどあり得ません」
「私も私も! ちゃんと早起きしたんだよ! シュトロに起こしてもらったんだから!」
「そう……まあいいわ」
リュグナーに倣って配下らしい立ち振る舞いを見せようとしながらも、やはりリーニエは変わらない。通常運転のまま。対してリュグナーもまたいつも通りの忠誠を見せている。いや、こちらはいつも以上か。それに免じてリーニエの不敬に関しては不問とする。言っても無駄なのに加えて、今日はリュグナーの言う通り、私にとっても特別な日であるからだ。それは
「ご安心ください、アウラ様。準備は万全。私一人でも人間共を騙してご覧にいれましょう」
隣接する人間の国である、グラナト伯爵領との交渉。その当日だったのだから。それについて一任したリュグナーはいつにも増して自信を見せている。いや、驕りと慢心と言い換えてもいい。これぞ魔族だと言える言動。自分が騙す側、狩る側だと信じて疑わない獣の姿。頭を垂れながらも、その気配は隠しきれていない。一種の懐かしさを覚えるほど。
「ふぅん……自信満々なのはいいけど、私が言っていたことは覚えてるわね、リュグナー?」
足を組み替えながら、発する魔力を強めながらそう問いかける。魔力による力と恐怖。魔族を従えさせることができる唯一の手段。かつての私との問答、その命令を覚えているか確認するための物。グラナトとの和睦。その締結。それが今回の交渉の目的。それ以上の余計なことはする必要はない。自らの能力を過信するリュグナーに、その功名心に釘を刺した物。
「もちろんです。私は私の役割に徹するのみです。ソリテール様にもご教授して頂きました。やはり大魔族、いえアウラ様のご友人なだけはあります。とても聡明な方でした」
どうやらそれは忘れてはいなかったらしい。だがそれとは別の意味で面倒なことにはなっているようだが。三日前、その監視を命じた際には侮っていたはずのソリテールに対する態度が変わってしまっている。どうやらあいつの口車か、魔力に当てられてしまったらしい。こういう部分は本当に私たちは動物的なのだろう。単純とも言える。自分が騙されている、欺かれているとは気づいていないのだろう。私たちがあのエルフの魔力の偽装に思い至れないように。まさかこいつからも友人なんて言葉が出てくるとは思わなかったが。
「…………」
それに対して、ソリテールの話題になって見るからに不機嫌なまま。冷たい目をしているリーニエ。この子を知る者からすればそれは例外でしかないだろう。誰に対しても天真爛漫に懐くこの子が、ここまで毛嫌いしているという意味ではソリテールも例外だ。そのきっかけも分からない。わざわざ問い質す事でもないのでそのままにしているが、明らかに度が過ぎている。リュグナーはそれに気づいていないようだがどうしたものか。
「そう……この三日で随分手懐けられたものね。確かあいつの監視を命令していたはずだけど」
「報告にも上げた通りです。あの方はフリージアの害になる存在ではありません。あの方の興味が尽きない限りは問題ないかと」
「……それが分かっているならいいわ。そんなに気に入ったのならこのまま主の鞍替えでもしてみる?」
「お戯れを。私の主はアウラ様唯一人。それ以外に仕えることなどあり得ません」
私の皮肉にも動じることなく、臆することなく応えてくるリュグナー。まさに魔族そのものである反応。嘘をつくことに何の躊躇いも逡巡もない。だが盲目的にあいつに騙されている訳でもないらしい。ソリテールの生態、習性については見抜けている。なら及第点だろう。であれば確認するべき、問い詰めるべき事柄は残る一つのみ。
「ならこれで最後よ。正直に答えなさい。あいつに何か余計なことを吹き込まれてないでしょうね、リュグナー?」
私への忠誠の真偽。魔族の存在証明のみ。これまでの威圧が、魔力が児戯に思えるほどの殺気を込めながらリュグナーに問う。欺くことは許さない。返答を謝ればその場で首が飛ぶ。そう確信して余りある大魔族の圧力。それを前にして
「そのようなことは決して」
微塵もその忠誠心を乱すことなく、リュグナーはそう宣言する。それが真実か嘘かを、私は見抜くことはできない。いや、魔族の心の内を見抜くことができる者など存在しない。たった一つの例外を除けば。
「そう……この天秤に誓える?」
この手にある天秤を除けば。その魂を天秤に載せる。そのまま比べれば、どちらに傾くかなど試すまでもない。今この瞬間、この天秤は偽りでしかないことをこの場ではリュグナーだけが知らない。まさにリュグナーにとっては断頭台にかけられているも同然。本来なら命乞いをして当然の場面であるにも関わらず
「────はい。全てはアウラ様の天秤の下に」
それでもリュグナーの忠誠は変わらない。そこまでの覚悟でつく嘘であるならば、もはや本物だろう。ある意味で魔族そのもの。リーニエとは何もかもが対照的な、私の片腕。
「いいわ。なら後は結果で示しなさい。頼りにしてるわよ、リュグナー」
その魂を解放し、命令を下す。魔族における唯一の意思疎通のための手段。魔族らしからぬ、リーニエに倣った言葉を加えながら。その意味を知っているリーニエは目を輝かせ、それを見てリュグナーは訝しんでいる。やはりこの二人はこうでなくてはいけない。
「それで? あの研究者もどきは今どこにいるわけ?」
「私は存じません。恐らく教典科に通われているのかと」
「好き勝手にしてるってわけね。まあいいわ。今日はあいつの相手をしてる暇はないもの」
どこかのエルフのような圧迫面談を切り上げ、そのまま目障りな共犯者の行方を尋ねるもそれを知る者は誰もいない。あいつのことだ。好き勝手に動いているのだろう。それを阻むことはできない。あいつが本気で潜伏すれば見つけることはほぼ不可能。今日に限ってはこの二人を監視にあてる余力もない。国王である私が直接それをするなどもってのほか。逆にあいつは自由にさせた方がよかったのかもしれない。本当に敵でも味方でも厄介な奴でしかない。
「シュトロ」
「はい。これをグラナト伯爵に。特産のリンゴとお菓子です。途中で食べたりしないように」
隣に控えていたシュトロに促すと、シュトロはそう言いながら手に荷物を持ってくる。下らない外交ごっこだが、国を装う以上、こういったことも必要になってくる。本当に人間たちのごっこ遊びは面倒なことこの上ない。
「私はそんなことしないよ?」
「おや、私はリュグナー殿に言ったのですが?」
「むぅ……」
こんな場でも、リーニエをからかうのは忘れないシュトロ。本当にいい性格をしている。してやられたリーニエは膨れっ面を晒している。もっともシュトロなりの激励なのだろう。それに利用されるリュグナーは堪ったものではないだろうが。
「じゃあ行ってくるねアウラ様! おみやげ買ってくるねー!」
「では行って参ります」
まるで観光に行くかのような気軽さでリーニエは手を振りながら退室していく。それに呆れながらも、礼を失することなくリュグナーは頭を下げながらそれに続く。それが我が国の命運を握る、二人の使者の姿だった────
「やっと行ったわね……」
「いやはや若いというのはいいですな。私も昔を思い出します」
「あんたはスカート捲りしてばかりだったじゃない」
ようやく二人を送り出したことで思わずそんな言葉が漏れてしまう。まるで子育ての真似事をしていたあの頃のよう。一人については目下継続中だが。国の運営も言わば大きな子育てのような物なのだろう。民という子供の面倒を見る終わらない子育て。ごっこ遊び。そんなこっちの苦労など知らないかのように、生きた年月で言えばリーニエと同じ最年少のはずのかつてのクソガキがそんなことを口にしている。本当にこいつは変わらないのだろう。ますますあの生臭坊主に似てきているのは気のせいだと思いたい。
「それはともかく、リュグナー殿にはあれで良かったのですか? 恐らくソリテール様に何か入れ知恵をされているかと」
一度咳払いし、話題を切り替えながらシュトロはそう尋ねてくる。先のリュグナーの件について。こいつの目から見てもそれは明らかだったらしい。もっともリュグナーの嘘が見抜かれたというよりは、ソリテールの習性を見抜いていると言った方が正しいだろうが。
「かまわないわ。あいつが何を企んでいるかなんて、大体見当がついているもの」
鼻を鳴らし、頬杖を突きながらそう答える。そんなことは言われるまでもない。そこまで私はお人好しではない。異端ではあるが、私も魔族なのだから。それはあいつがやってきた最初から分かっていたこと。だからこそあの二人を監視につけた。ソリテールにフリージアの民に余計なことをさせないために。そのために私はあえてリュグナーを選んだ。いや、利用した。あいつの目を、興味の対象を限定させるために。他の住民たちに余計なことをされるよりは何倍もマシだろう。あそこまで心酔させられるとは思っていなかったが。やはりあいつは大魔族なのだろう。
本当の監視の役目はリーニエに負わせていた。本当ならそれを継続させたかったが、リュグナーからの職務怠慢の報告に加え、リーニエ自身の不調もありそれを中止させた形。
『あいつといると、何だろう……イライラするの』
それがその理由。あまりにもリーニエらしくない言動。私ですら聞いたことのない物。あの子がソリテールを嫌っているのは知っていたがまさかそこまでとは。手を出さないように厳命はしているが、弾みで何かが起きかねない。確かにリーニエは年々成長しているが、それでも大魔族には及ばない。大魔族と渡り合うにはどんなに研鑽しても半世紀は先だろう。それでも十分驚嘆に値するのだが、それはそれ。不測の事態を避けるためにリーニエの監視任務は中断せざるを得なかった。
だが問題はない。変わり者で一見何を考えているか分かりづらいソリテールだが、魔族であることは変わらない。魔族の思考は至極読みやすい。合理的で、本能に従っているからだ。人間がそれに騙されてしまうのは魔族の行動を人間の習性に当て嵌めてしまうから。私にとっては人間の方が不合理に動く分、悪意がある分よっぽど読みづらい。聖都や王都、そしてここフリージアで人間の悪意に晒され続けてきた私にとっては。例外はシュラハトか魔王様ぐらいだろう。
(あいつの狙いはあのエルフでしょうね……)
それに照らし合わせれば、あいつの狙いは明らかだ。あいつ自身が言っていたことでもある。真実と嘘を織り交ぜることで相手を騙す、それができるのは魔族の中でもあいつぐらいだろう。その狙いはフリーレン。正確にはそれを退ける、排除することによるここフリージアの存続だろう。奇しくもリュグナーが先程口走っていた通り。自らの興味、研究のため。魔族が魔法の探求を目指すように。自らの生存欲求の次に来るであろう原始的な欲求。ならそれを妨げる理由はない。フリージアの国益にも反していない。そもそもあのエルフがどうなろうが、私には何の関係もないのだから。
「なるほど、年の功が為せる技ですな」
「……あんた、その内本気で不敬罪で処刑するわよ」
その手にある偽りの天秤をかざすも全く意に介していない司祭もどき。その言葉もそっくりそのまま返してやろう。種族ごとの寿命で考えれば、いつの間にかこいつの方が長寿だと言えるのだから。私よりも遅く生まれた癖に、私よりも先に老いて行く。本当に人間は愚かなのだろう。
「これは失礼。しかしリュグナー殿は分かるとしても、リーニエを同行させるのは何故ですか? あの子は腹の探り合いなどできる子ではないというのに……」
恐らくは今回に限らず、ずっと疑問に思っていたのだろう。今更シュトロはそんなことを聞いてくる。確かにこいつの言う通りだろう。いや、幼い頃から一緒に育ってきたこいつだからこそか。無論それは私も分かっている。交渉なんてあの子には最も縁遠い事柄だろう。腹の探り合いなんて言わずもがな。そもそもそれは私の育て方のせいでもある。だが
「だからこそよ。あの二人はあれで釣り合いが取れているのよ」
だからこそ意味がある。一見すれば真逆、水と油のように見える二人だが、そうではない。それ自体に意味がある。私が天秤だとするなら、あの二人はその両端に位置する重りなのだから。その私が保証しよう。あの二人は釣り合いが取れているのだと。互いが互いに足りない部分を補っている。人間で言うなら仲間、相棒にあたるのだと。
「それに最悪交渉が決裂しても問題ないわ。現状が続くだけだもの。私たちには『待つ』という選択肢がある。長命種の特権ね」
そもそもこの和睦交渉はグラナト側から提案してきたもの。それをあちら側から反故にしてくることなどない。人間の習性から考えてもそれは明らか。もし最悪、それが上手くいかなかったとしても大した問題ではない。経済に信仰。防御結界でも妨げられない侵攻によって人間側は劣勢に陥っていくだけ。時間はそれだけで私たちに有利に働く。長命種である魔族にはそれができる。私たちはそれを十年後にしてもいいし、最悪百年先にしても何の問題もない。人間たちは重大な選択を先送りにできないのだから。
こと、交渉においてはフリージアに負けはない。かつてあの生きた魔導書が単身、人間たちの国を手玉に取ったように。長命であることこそが私たちの最大の武器。生きていれば、何度でもやり直せる。生きてさえ、いれば。
「流石は姉さん。国王ごっこも板についてきましたな」
「私は本物の国王よ。どこかの生臭坊主とは違ってね」
私を偽物扱いしてくる偽物の司祭。一体何の冗談なのか。確かに始まりはそうだったかもしれないが、私はれっきとした国王だ。魔族としては恐らく歴史上二人目になるであろう魔族の王。意味合いは違うだろうが、私は人間たちからすれば第二の魔王なのだろう。いつかゼーリエに予言されたように。
そのままテーブルに置いてあるチェスの駒を手に取る。人間たちが遊戯で使う物。互いに駒を取り合い、相手の王を討ち取れば勝利となる遊び。聖都にいる頃にはハイターによく暇つぶしに付き合わされていた。単純でありながらその複雑さに翻弄されたものだが、今なら分かる。これが戦争の縮図であることが。
それに例えるなら、今私の側の駒は出揃った。先攻は私。一手目はもう指した。後は相手の出方を窺うだけ。ただ普通のチェスと違うのは、対戦相手が一人ではないこと。いや、陣営か。
フリージア。ソリテール。グラナト。表立った動きは見せていないが、魔法協会もそれに含まれる。人間と魔族。様々な種族と思惑が混ざり合う、本物の戦場。政争。
改めてその手にある駒に目を向ける。そこには魔法使いの駒があった。王ではない、それでも魔族にとっては天敵となる、全ての盤面をひっくり返しかねない駒。それが未だに姿を見せていない。葬送の魔法使い。本当に現れるかどうかも定かではない。それはソリテールの予測でしかない。それでも
(苛々してる……? この私が……?)
胸騒ぎがした。得も知れない感情。この三十年、感じたことのないような。駒を握る手に知らず力が籠る。まるで忘れていた何かが疼きだすように。それが気に障って仕方がない。それだけではない。それに呼応するように、高揚している、興奮している自分がいる。獲物を前にした獣のように。闘争という、この数十年忘れかけていた魔族の本能を刺激されたように。この状況そのものを愉しんでいるかのように。かつての自身の言葉を思い出す。血の気が多いのが魔族の性だと。どうやらその例にまだ自分は漏れないらしい。
(これじゃあ、リーニエやリュグナーのことも言えないわね)
知らず、私も慢心していたのだろう。油断していたのだろう。だがそれもここまで。ここフリージアの王として。私は負けることは許されない。相手が誰であろうとも。例え、魔族の天敵が相手だとしても。あのエルフも、流石に真正面から入国してくるほど愚かではないだろう。ならどう出るのか。お手並み拝見だ。
「天秤は誰に傾くかしらね」
魔法使いの駒を盤上に置きながら、自らも盤面の駒である魔王は俯瞰する。次なる一手を。その戦局の行く先を。それが自らにとって何をもたらすかを知らぬまま。
それが八十年の、全ての因縁が交わる地。フリージアで最も長い一日の始まりだった────