「かつての魔王軍での戦いで我々は学んだのです。争いがいかに無益であるかを。そのせいで我々魔族は滅亡の危機にまで瀕しました。それに救いをもたらして下さったのが、断頭台ではない、天秤となったアウラ様なのです」
まるで宣教師のように嘘を囁き続ける。だがそれに違和感はない。嘘をつくのは私にとって当たり前のこと。何も考えることもない。やっていることはフリージアにいる時と変わらない。神官として、アウラ様の教えを説くのと同じこと。違うのは目の前にいるのがフリージアの民ではないことだ。
グラナト伯爵。
ここグラナト領の長であり、我々からすれば敵対する敵国の王でもある。それに違わぬ風貌と空気を纏いながらグラナト卿は私の話に聞き入っている。私たちがここへやってきたのもそれが目的。グラナトとの和睦交渉と言う名の降伏勧告。それを示すようにグラナト卿の後ろには護衛が控えている。当然だろう。だがそれでは私の嘘を妨げることはできない。実に順調だ。問題があるとすれば
(何故アウラ様はリーニエをここに……? 何の役にも立ちはしないというのに)
ここに来てからずっと興味津々に、きょろきょろと忙しなくしている同僚のみ。唯一の懸念が身内にいるなど冗談にもならない。一応余計なことをしないように釘を刺しているが何の保証にもならない。アウラ様の命令ですらそうなのだ。せめてあくびや居眠りをしないように祈るしかない。女神ではなく、アウラ様にか。
「五十年前、かつてこの地で起こしてしまった騒乱を悔い、その償いのためにアウラ様は我が国、魔族国家フリージアを建国されました。そして自由と平等。その天秤の下で我らを導いて下さっているのです。人類と魔族の共存を目指して」
下らない煩悶を切り捨てながらさらに続ける。先日、ソリテール様にご教授して頂いた嘘を織り交ぜながら。自由と平等。そして共存。償いという理解できない、人間が好む概念。魔族である我々からすれば蒙昧な戯言でしかないのだが、人間共には効果覿面だろう。流石はアウラ様が考えた嘘なだけはある。私やソリテール様すら超える域にあの方はいるのだろう。
「グラナト卿。我らには消えることのない遺恨があります。私もかつての戦いで父を亡くしました。今でもその恨みは消えておりません。ですが、これ以上互いに血を流し、同じ悲しみを繰り返したくはないのです。私たちには言葉があります。どうか共に生きる道を選んではいただけないでしょうか?」
交渉と言う演説の締めをそう締めくくる。私自身が考えた嘘。ソリテール様にも認めていただいた、人間にもっとも効果があるであろう家族を利用したもの。自画自賛できるほど、ある種の美しさすら感じる言葉。やはりアウラ様がこの大役を私に任されたのは正しかったのだろう。リーニエでは到底不可能なことなのだから。
そのまま手を差し出す。握手という人間の友好を示す動作。我々からすれば騙す手段の一つ。この場においての勝利宣言。だというのに
「……聞くに堪えんな。本当に
それまで静かに私の話に聞き入っていたはずのグラナト卿から、予想だにしていなかった言葉が返ってきた。
「何が共存だ。あれはただの支配だ。人間と魔族を同じ牧場に無理やり閉じ込めているだけにすぎん。かつての魔王軍と何ら変わらん。いや、アウラの服従の魔法がある分、さらに質が悪い」
いかな尊大な態度を取るのが常の人間の領主だとしても、招き入れた使者の前で取るべき態度ではないのは私にも理解できる。理解できないのはその言動。明らかに私に、いや私たちフリージアに対する侮辱だった。
「父だと? お前たちにそんなものが分かるはずがない。子育てすらしないのだろう」
私の嘘についても見破っていたらしい。この人間は人情に厚い習性があるはずとのことだったが、間違いだったのか。いや、想像を遥かに超える域で、グラナト卿は魔族に関して理解している。父も母も、私にとってはただの別の個体でしかない。気にかける理由など存在しない。子育てなどもってのほかだ。元々知っていたのか。それとも何者かの入れ知恵か。何にせよ、見通しが甘かったと言わざるを得ない。
「答えろ。お前たちの目的は一体何だ?」
鋭い眼光を見せながら、グラナト卿はそう問い質してくる。欺くことは許さないと告げるかのように。奇しくもそれが先の謁見を思い出させる。その天秤を見せつけながら、私に真偽を問い質してきた我が主。
「さきほど申し上げた通りです。私たちは、アウラ様は人間との共存を望んでおいでです。その証拠にフリージアができてからこの地では小さな小競り合いはありますが、大きな騒乱には至っていません。それこそが何よりの証明」
その答えもまた同じ。欺くこと。それこそが私の在り方。相手が人であろうと魔族であろうとそれは変わらない。疑われているのなら、さらなる嘘で騙し切ってみせる。そのための力が私にはある。アウラ様の行動もまたそれを見越しての物だろう。この和睦のために、人間を騙すためにあえて手を出してこなかったのだから。まさに深謀遠慮。その事実を利用させてもらう。嘘ではない、紛れもない事実として。
「グラナト卿。私たちには言葉があります。どうかご再考を」
そう、我らには言葉がある。それが魔物と魔族の違い。人を食らう捕食者が人の言葉を話す理由などただ一つ。分かり合うための言葉ではなく、欺くための言葉。しかしそれはこの場において、この人間に対しては意味をなさなかった。
「……話にならん。和睦などクソ食らえだ」
それが合図となったのか、部屋に大挙として兵たちが押し寄せてくる。武装した、手練れと思われる兵たち。息つく暇もなく、私たちは包囲されてしまう。思わず舌打ちしてしまう。事ここに至ってようやく気付いた。そう、最初からこの人間は私の話を聞く気などなかったのだ。私たちが人間の言葉に全く耳を貸さないように。命乞いすら通用しない、私たちが魔族だと理解している側の人間だったのだと。
「グラナト卿……まずは落ち着きましょう。私たちは」
「これ以上お前たちに騙される人間を増やすわけにはいかん。お前たちを招き入れたのは宣戦布告するためだ。生かしては帰さん」
自らその手に剣を持ち。その切っ先を私へと突きつけてくる。本当に愚かな生き物だ。自分たちが捕食される側だとまだ理解できていないのだろう。黙って騙されていれば、死ぬのをいくらか先延ばしにできただろうに。所詮は人間。そんなことも分からないとは。
本当に不愉快極まりない。和睦交渉はこれで決裂。それ自体はどうでもいい。ただアウラ様から命じられた役目を果たせなかったこと。その恥辱だけが我慢ならない。こんな下等な生物のせいで、この私が。全部台無しだ。
だが不思議だ。暴力で解決するしかなくなったこのクソったれな現状を、私は堪らなく楽しいと思っている。そう、所詮我らは猛獣だ。
なのに、私は未だにその牙を隠したまま。一体何故。魔族の本能以上に、重きを置くものなどありはしないというのに。ただ何かが引っかかる。そうだ。アウラ様は、あの時、何故あんなことを。私の中の天秤が、その秤が揺らいだ瞬間
「何でそんな嘘ついてるの?」
まるで子供のように、あまりにもその場に似つかわしくない少女の声が部屋に響き渡った。
「リーニエ……?」
思わず私もそんな声を上げてしまう。だが仕方ない。交渉が始まってから、全くその気配が感じ取れなかったのだから。珍しくじっとしているものだと思っていたが。しかしそれこそがおかしかったのだ。何故ならリーニエにとって、アウラ様が侮辱されることはあってはならない、許されないこと。その一点のみにおいては私を遥かに上回る。だというのにリーニエは全く動きを見せなかった。手を出さないように命じられてはいたものの、態度にすら出さないのはリーニエらしくない。それは
「嘘だと……? 儂は嘘などついていない。お前たちとは違って」
「だって見れば分かるよ。おじさんはここに来てからずっと嘘をついてる。私、人間が嘘をついているか見れば分かるの」
目の前の人間、グラナト卿が嘘をついているからに他ならなかった。その魔力を見通す瞳で、リーニエはそう暴く。そう、リーニエが以前言っていたことがある。人間の嘘を自分は見抜くことができるのだと。いつもの世迷言だと気にしてはいなかったが、それは事実なのだろう。嘘をつく時、人間は魔力が乱れるのだと。逆に魔族は乱れることはない。嘘をつくのが当たり前だからだと。アウラ様の天秤と似て非なる物。
「そっちの兵の人たちもそうだよね。本気で構えてないもん。あ、でもそこの一番前の人は強いね。もしかして偉い人かな?」
それによってリーニエはさらに暴き立てていく。この場の人間たちの嘘を。何の悪意もなく。ただ純粋に。その強さすらも例外ではない。リーニエの神官としての資質。
「アウラ様が言ってたよ? このまま何もしなくても私たちの勝ちなんだって。力押しなんて馬鹿のすることだって。リュグナーだって覚えてるでしょ?」
「っ!? リ、リーニエ……!」
思わず制止するも間に合わない。欺くことなく、こちらの真意を曝け出してしまう。魔族どころか、人間ですらしないであろう愚挙。交渉そのものを無意味にしてしまう言葉。さらには無自覚にその力押しをしようとしているグラナト側を煽ってしまっている。完全にその場を混沌に陥れながらも
「なのに何でこんな無駄なことしてるの? そんな嘘ついても、おじさんたちには何の得もないのに」
リーニエの言葉によって、私を含めたその場の者が支配されてしまう。まるで子供のような、愚かな疑問。確かにそれは正しい。人間たちには何の得もない。だがそれをしてしまうのが人間なのだ。不合理に、自分にとって得もないのに感情に駆られて愚かな行動をする。アウラ様曰く、それが悪意なのだと。私たち魔族には存在しない、理解できない感情。
「嘘はついちゃダメだってアウラ様が言ってたよ」
その申し子が告げる。真逆のことを。本来なら人間が口にすべき言葉を。魔族であるリーニエが。
曰く、生まれてから一度も人間を食べたことがない。
曰く、生まれてからずっと魔力を制限し、欺きながら生きている。
曰く、魔族でありながら勇者の名を冠する偽物の剣を振るっている。
『例外』のリーニエ。
それが彼女の二つ名。主であるアウラ様の『天秤』と対照的な呼び名。魔族はもちろん、人間から見ても異常な存在。
「……ふっ、はは、はははは!」
「?」
「グラナト卿……?」
それを目の当たりにした後、しばらくしてグラナト卿は一人で笑い出してしまう。まるで気でも触れてしまったかのように。それを前にして私もリーニエも呆気にとられるしかない。
「いや、悪かった。まさか魔族にそんなことを言われるとはな。それともそれも嘘なのか?」
そんなこちらの困惑を知ってか知らずか。グラナト卿はそんなことを口にしてくる。先程までの剣呑な空気は消え去ってしまっている。まるで騙されてしまっているかのように。一体どうしてしまったのか。
「? 私は嘘はつかないよ?」
この状況を生み出したであろうリーニエ本人はきょとんとしたまま。ただいつものようにしているだけ。嘘をつかないこと。欺かないこと。それが彼女の在り方。私とは、いや魔族とは対照的なもの。
「なるほど。なら我々も嘘をつくのは止めるとしよう。非礼を詫びよう。リュグナー殿、我々は貴殿らを試していたのだ」
「試す……? 一体何を」
まるで種明かしをするように、グラナト卿はそう明かしてくる。私たちを試していたのだと。理解できずただ聞きに徹するしかない。一体何のことを言っているのか。
「本当にフリージアに和睦の意志があるかを、だ。魔族の本音など我々人間には分からん。だからこそ、貴殿らを騙したのだ。結果は見ての通り。逆に見破られてしまったが」
それはまさに私にとっては理解の範疇の外のことだった。当たり前だ。魔族の私が、人間に騙されるなど。いや、そもそも人間が私たちを騙そうとしてくるなど。これでは立場があべこべだ。何故捕食者たる私たちがそんな……いや、そうではない。私は知らず侮ってしまっていたのだ。人間のことを。捕食される側の人間たちにも欺かれることがあるということ。
「何故そのような愚かなことを……失敗すれば全面戦争になっていたかもしれないというのに」
それでもこれは明らかに常軌を逸している。愚かにもほどがある。いくら私たちを騙すためといっても限度がある。もしあのまま私たちが騙されていればどうなっていたか。そのままグラナトとフリージアの間の戦争になっていたかもしれない。それはグラナト、人間側にとっては悪手でしかないはず。私たちの和睦の意志が本物かどうかを試すにしても釣り合いが取れない。
「それほど我らは追いつめられていたのだ。いや、フリージアという国を無視できなくなったと言うべきか」
だがグラナト卿もそれは理解していたらしい。いわば背水の陣だったのか。嘘ではないのだろう。ここで嘘を言う意味がない。なら本音を喋っているというのか。交渉という、この騙し合いの場で。
(これは……まさか、アウラ様はリーニエをこのために……?)
今も状況が理解できないのか。首を傾げているリーニエ。だがそれによって状況は一変した。そうか。欺かないこと。それが相手を欺くこともある。そう、嘘をつくだけでは駄目なのだ。押して駄目なら退くように。それすらも利用する。かつてアウラ様に教えていただいたことがある。飴と鞭。支配する者として、その両方が必要なのだと。どちらか一つだけでは足りないのだと。
今の私とリーニエがまさにそれだ。飴と鞭。いや、本音と嘘か。リーニエだけでもこの状況は生み出せなかった。それが本当の意味で、相手を騙すということ。
ようやく理解した。何故アウラ様が事あるごとに私とリーニエを組ませるのか。互いに足りないものを補うため。個として独立し、完成している私たち魔族を個ではなく群体として捉えている。人間社会に精通している、アウラ様だからこそできる統治の形。
「それに上手くいく目算はあった。貴殿が言っていた通りだ。今の断頭台……いや、天秤のアウラはかつてとは違うのだと。もういいぞ、お前たち」
そんな中、グラナト卿の言葉と共に、最前列にいた兵の一人が兜を外す。そこには私の見知った顔がいた。何度か見たことがある人間。それは確か
「息子だ。今回の策を提案したのはこやつでな。フリージアの内情をここ数年調べた上での結論だ。間諜の件についても重ねて詫びよう。よく無事に返してくれた。感謝する」
グラナト卿の子息だった。どうやら今回のこの茶番は全てこの男の計画だったらしい。なるほど。間諜を放ち、フリージアの内偵を指示していたのもこいつだったのか。魔族に関して精通しているのも頷ける。直接我らと事を構えてたのはこの人間だったのだから。ある意味、グラナト卿よりも魔族に対しては厳しい態度を取っていた人間。それを軟化させたのも、やはりアウラ様の計略だったのだろう。一体あの方はどこまで先を見通しておられるのか。
「それでも我らが騙されている可能性もあるが、それは人間が相手であっても同じだ。表では手を握り合い、裏では出し抜こうとする。それが国同士のあるべき姿でもある」
剣を収めながらグラナト卿はそう評する。人間も魔族も同じなのだと。こと国においては騙し合うのが当然なのだと。私は浅慮だったのかもしれない。私たちだけが嘘をついているのだと。騙している側なのだと。そうではない。人間もまた騙す生き物なのだ。もしかしたら、魔族以上に狡猾に。あの方はきっとそれを知っていたのだろう。魔族で最も人間を理解しているあのお方は。その掌の上で私たちは踊らされていたに過ぎない。
「遅くなってしまったが、改めてグラナト領主として魔族国家フリージアと和睦の交渉を進めたい。いかがかな」
それに気づかないまま、いや気づいてもなおそれに乗ってくるグラナト卿。一歩進みながら、今度はそちらから手を差し出してくる。先程とは真逆の光景。違うのは、互いに騙し合っていると理解した上での、友好の証であるということ。
「勿論です。我々はそのためにここへ来たのですから」
その意味を噛みしめながら、その手を握る。己への戒めとして。自らの役目を果たすために。次があるとすれば、あの方のお手を煩わすことなく、それを完遂するために。さらなる研鑽を。それが私の忠義でもある。
「やったねリュグナー! これでアウラ様に褒めてもらえるよ!」
そんなこちらの決意も何のその。子供のように飛び跳ねながら、リーニエは私の手を握ってくる。その光景にグラナト卿も、その子息たちも苦笑いしている。醜態でしかない。それすらも人間たちを欺く結果になっている。まさに例外だろう。
その手の感触が纏わりついてくる。容姿に似つかわしくない、魔法使いらしくない、武骨な手。
私はこの手が嫌いだ。才覚の欠片も感じられない。積み重ねたものの醜さ。この手には、美しさがない。
「はしたないですよ、リーニエ。それに交渉はこれからです」
「むぅ……」
リュグナーは嘘をつき続ける。その名の通り。己にすら嘘をつきながら。
それが歴史上で初めて。魔族と人間の和睦が成立した瞬間だった────