【推しの子 ~さみしがりやの悪魔~】(本編完結) 作:Woudy
ただ、日野崎VS雪河に入る前に1話挟みます。
私の名前は田沼渚。
「えぇ、そうです。アリーナのVIPエリア周辺は完全に封鎖を。ネズミ一匹逃がさないで下さい」
現在は医者として活躍している翼くんの所へ嫁いだ、柏木造船令嬢にして経団連理事の孫娘だ。
「……はい、その通りです。お爺様」
警察車両の車列とは別ルートでアリーナへ急行する黒塗りハイヤーの後部座席。私は耳に当てたスマホ越しに祖父と会話を交わしていた。
「本当にありがとうございます。突然こんなお願いをしてしまって、大変申し訳御座いませんでした」
『気にするでないぞ渚。可愛い孫からのお願いだ。ここは大船に乗ってつもりでお爺ちゃんに任せなさい。政財界の重鎮共には、儂が上から末端まで全て蹴りを入れて動かしてやろう』
「あはは……私から頼んでおいて何ですが、どうかお手柔らかに」
経団連理事である祖父の権力は冗談抜きに絶大で、あっという間に警察はおろか自衛隊までも巻き込んだ国家総力戦へと移行してしまった。
「はい、はい。是非また娘の顔を見に来て下さいね――では」
全ては罪無き5万人の命を救い、そして悲劇の底で狂気に呑まれた女の子達をこれ以上の罪から引き剥がす為、私は持てる全ての力を使うつもりだ。
「……ふぅ。これで外道共の退路は完全に断ってやったわ」
「お疲れ様です渚さん」
通話を終えた私が小さく息を吐くと、隣に座るかぐやちゃんが静かに頷いた。
「貴女の迅速な手配のお陰で、不相応な権力を持ったゴミ共を1人残らず社会から抹殺する準備が整いましたわ」
「当然の事をしたまでよ、かぐやちゃん。葵さん達を怪物に変えた害虫達に、これ以上この国で美味い空気を吸わせる訳にはいかないもの」
怪しく光る私の瞳には、一切の容赦がない。
田沼病院の看護師として、昏睡状態の胡桃さんと、その傍らで悲しみに暮れながらも気丈に振る舞っていた母・美津子さんの姿を、この4年間ずっと一番近くで見守り続けてきたのだから。
その時、このハイヤーの運転手で持ち主でもある、四宮財閥の三男坊が声を漏らした。
「……しっかし、いきなり呼び付けられたと思えば、まさか文字通り国家危機の渦中に放り込まれるとはな」
「すいません義兄さん、運転手代わりのような役目をさせてしまって……」
「構いやしないさ御行。丁度仕事も終わって暇を持て余してたところだからな。何より他ならぬ妹と義弟の頼みだ。これ位なら聞いてやるよ」
「助かります、雲鷹兄さん」
かぐやちゃんのすぐ上のお兄さんの四宮雲鷹さん。一見冷酷そうな出立ちで、実際に部下達を恐怖で従わせてるところもあるが、シスコンという意外な一面を持ち合わせている。
私はアリーナがある方向を見詰めつつ、理不尽に苛まれた親子を想う。
(胡桃さん、美津子さん。遅くなって本当にごめんなさい。私達が必ず、あの腐った大人達に罪を償わせるから。そして葵さん達の暴走も……絶対に止めてみせる)
スマホを挟んで祈るように両手を組んだ、その時だった。
プルルルルルルッ!!
上着のポケットに入っていた、病院関係者専用の業務用携帯がけたたましく鳴り響いた。
「あら、病院から?」
画面に表示されたのは『田沼総合病院・第1特別病棟ナースステーション』。胡桃さんが入院している、まさにその病棟からの緊急連絡だった。
「……はい、田沼です。どうしました? 今、緊急事態で──」
『た、田沼さん、大変です!! 胡桃さんが……胡桃さんが消えました!!』
「――――は?」
電話越しに響いた同僚の当直看護師のパニックを起こした絶叫に、私の思考は一瞬だけ完全に停止する。
ハイヤーの車内を異様な静寂が満ちる。かぐやちゃんも白銀会長も、雲鷹さんも、ただ事ではない様子に眉をひそめた。
「消えた……? 落ち着いて下さい。消えたとはどういう事ですか? まさか、何者かに誘拐されたとでも?」
私の口からかつてないほど険しく、そして震えた声がこぼれる。一体誰が、何の為に胡桃さんを誘拐なんて。
(胡桃さんは4年前までトップアイドルだった……まさかストーカーがいたって事?)
そうだとしたら最悪だ。もし胡桃さんの身に何かあったら……葵さん達が絶望して、更なる凶行に及ぶ可能性もある。
しかし電話口の看護師の言葉は、此方の予想を全く別の方向へと裏切るものだった。
『ち、違います、争った形跡はありません! ただ、生命維持装置や点滴の管が乱暴に引き抜かれていて……窓が開け放たれていたんです! まるで、ご自身の足で外へ出て行かれたかのように……!!』
……
…………はいぃぃ?
「そんな馬鹿な事がある訳ないじゃないですか……!!」
思わず叫んでしまう。医療従事者としての常識が、その報告を全力で否定する。
「彼女は4年間も昏睡状態だったんですよ!? 筋肉は著しく萎縮して、自力で呼吸する事すらギリギリだったのに! 仮に目覚めても立ち上がって歩くなんて、医学的に絶対に不可能な筈……!」
『わ、分かっています! 私達だって信じられません! でも、院内のどこを探してもいらっしゃらないんです! それに防犯カメラにも、それらしき人影が外へ向かう様子が……っ!』
「…………ッ」
スマートフォンを強く握りしめたまま言葉を失う。
医学的に不可能。現実的にあり得ない。
(でも、もし……もし仮に、その”あり得ない奇跡”が本当に起きたのだとしたら……)
4年間ただの一度も目を開かなかった彼女が今日、この数万人が死ぬかもしれないという最悪の夜に突如として目を覚まし、そして姿を消した。
(何故? どうして今になって?)
私の脳裏で無数の情報が高速で回転し、そして一つの明確な答えへと結びついた。
(――あの子達を、止める為……?)
「渚さん、一体何事ですか?」
異変を察知したかぐやちゃんが身を乗り出す。私は震える唇を噛み締め、彼女の方へゆっくりと首を動かした。
「かぐやちゃん……胡桃さんが、消えたって。自力で管を引き抜いて、病院から抜け出したって」
「……は? 杠葉胡桃さんが……? 彼女は昏睡状態だった筈では……」
「うん、普通なら絶対にあり得ない……でも、実際に彼女は起きたのよ。自分の愛する姉妹達が、自分の為に5万人を殺す悪魔になろうとしている。その最悪の凶行を……自分自身の命を削ってでも止める為に!」
かぐやちゃんと会長の目が、驚愕に見開かれる。
「おいおい、マジかよ……」
正面を見据えて運転を続ける雲鷹さんですら冷や汗を溢している。当然だ、常識外れな現象が現在進行形で起きているのだから。
「ちょっと待て……4年近くも昏睡状態だった身体で無理に動けば、命に関わるんじゃないのか!?」
「間違いなく危険ですよ会長! 最悪、心不全が起きかねません! それでもきっと彼女、今もボロボロの体に鞭打ってアリーナへ向かっている筈なんです! 最愛の仲間達が待つ、あの地獄へ……!」
気付けば瞳からボロボロと大粒の涙が零れ落ちていた。
(ああ……なんて悲しくて、残酷で……美しい姉妹愛なの?)
自分の為に修羅に堕ちた姉妹達を救おうと、自らの命を燃やして奇跡を起こした少女。
葵さん達の暴走も、胡桃さんの覚醒も、その全てが互いを狂おしいほど愛し、想い合った結果なのだ。
(尚の事許せない……こんなにも素敵な子達の未来を我欲で滅茶苦茶にした下衆共が。お前等が何もしなければ、あの子達は今もアイドルとして楽しく生きていた筈なのに……!!)
この悲劇の連鎖を生み出した大人達への凄まじい怒りと、Kakabelの純粋すぎる絆に対する痛切な感情が、私の胸を激しく締め付けた。
(お前等はもう、明日から息吸わなくて結構だわ)
最低の大人達へ徹底的な社会的・経済的抹殺を下してやる。虚空へ凍り付くような瞳を向けつつ、そう固く誓った。
「……泣いている場合じゃないわね」
乱暴に涙を拭い、再びスマートフォンを耳に当てた。その声には柏木造船令嬢としての威厳と、何が何でも彼女達を守り抜くという強靭な覚悟が宿っていた。
「報告感謝します! 私の方からも警察へ連絡し、杠葉胡桃さんの保護要請を出します! ですから病院の皆さんは受け入れ態勢の準備を! 院長先生にもそうお伝え下さい!」
『りょ、了解しました!!』
電話を切った私は、運転席へ叫んだ。
「雲鷹さん、もっとスピードを出して下さい! 恐らく胡桃さんはアリーナに現れる可能性が高いです!」
「兄さん!」
「……分かってる。もう加速中だ」
「ありがとうございます!」
そして隣に居るかぐやちゃんの手を強く握り締める。
「かぐやちゃん。胡桃さんがもしアリーナの地下へ辿り着いてしまったら……彼女は間違いなく、テロリスト達の銃火器や爆発の巻き添えになる。それに、彼女の体は限界を超えている筈」
「……分かっています。現場の機動隊とSATに、杠葉胡桃さんの最優先保護を絶対命令として追加します。同時に四宮の権限で1台の救急車と救急隊をアリーナへ向かわせるよう手配しますね?」
「ありがとう……本当にありがとう」
かぐやちゃんは私の手にそっと自分の手を乗せた後、装着していたインカムで警察上層部へ追加の指示を出し始めた。
「――はい、はい。そうです。彼女を巻き込む事は絶対に許しませんよ?」
私はかぐやちゃんから視線を外し、窓の外──アリーナが建っている方向を見詰めた。
(胡桃さん……Kakabelのみんな……)
そして――、
「……マリア君」
祈るような呟きが漏れる。寿みなみさんの連絡を通じて知った、現在も無謀な戦いに挑んでいる子供の姿を思い浮かぶ。
あの子が今も地下の最深部で爆弾解体の真っ最中なら、事態を察知した葵さん達と遭遇する可能性もゼロではない。単騎で何十人もの敵を壊滅させたらしいけど、命を失うリスクを背負っている事実は変わらないのだ。
私にとっても弟のような子。心配で仕方がなかった。
(お願いマリア君。どうか彼女達の暴走を食い止めて! 胡桃さんが其処に辿り着くまで、彼女達の未来を守り抜いて……!」
……でもそれ以上に、彼ならKakabelの子達を何とかしてくれるんじゃないかと、淡い期待を抱いてしまう。大人が子供に危険行為を望むなどあってはならないと、分かっていても。
それ程までにマリア君が叩き出した武功は規格外過ぎた。
「渚さん、警察と医療チームには連絡済みです。直ぐにでも動くとの事」
「了解、ありがとうかぐやちゃん!」
大人達の罪が生み出した、あまりにも悲しい復讐劇。それをこれ以上誰かが傷付く前に、終止符を打つ。
……それが出来るのは、あの小さな少年だけだと、私は本能的に確信していた。