【推しの子 ~さみしがりやの悪魔~】(本編完結) 作:Woudy
日野崎にとっては復讐の為の最後の手段だった遠隔操作爆弾。それが潰えた今、眼前の若造へ向ける視線は憎悪を超えて殺意に満ちていた。
「舐めるなよガキが!!」
もはやガラクラでしかないスイッチを雪河目掛けて投げ付ける。
「お前こそ龍珠組を舐めるな」
無論、この程度の攻撃が優秀な戦闘者である雪河に当たる筈もなく。軽く横にスライドして避けてしまう。
「テメエだけでもブチ殺してやるよ、小僧ッ……!」
「そんなモノも当たんねえな!」
すかさず追撃に銃弾を放つが、集中状態にある雪河はこれも外してみせる。
「チイッ、もしや龍の蹄か!?」
「ご名答。つまり貴様の人生はここで終了って意味だ。諦めてお縄に付けば、手足の関節を外さないでやるが、どうする?」
「ほざけッ!」
研ぎ澄まされた軍用ナイフを取り出したテロリストの参謀に対し、警備員に化けた武闘派極道も警棒で応戦。両者の間では、割り込めば一瞬で切り刻まれる程の斬撃の嵐が吹き荒れる。
日野崎も長年に渡り裏社会を放浪してきた身。経験した鉄火場の数も並大抵ではない。
「うぉおおおおおおお!!」
「フン、市民を爆弾で不幸にする下衆にしては結構やるじゃねえか」
事実ナイフの腕は相当でキレが良く、フェイント混じりの搦め手も繰り出して雪河の頬や腕を数ヶ所薄く切り裂いてみせた。それなりに名が売れるくらいに実力者なのは確かである。
だが……
「俺の方がずっと速いがな?」
「な、がぁあああああッ!?」
(馬鹿なッ……! まだ差があんのかよ……!?)
それでも雪河の方が何段も上手だ。たちまち日野崎は全身を警棒でブチのめされまくる。
「俺の背中には明日も幸せに生きていく人々の命が掛かってる――負ける道理なんて有り得ないんだよ!」
「ぼごぉおおおおおお!!?」
何より背負っているものが違い過ぎる。方や弱きを救う為、方や自己満足目的の身勝手な死体蹴りの為。自身の命を懸ける覚悟の差が圧倒的となって、雪河に絶対の勝利をもたらした。
「ごあ、が、はぁああああああああ!!?」
哀れ、信念とも呼べぬ矮小な覚悟しかない日野崎は猛烈な打突を腹に喰らい、盛大に地面を転がされてフェンスに叩き付けられた。
既にボロボロな奴を、雪河は冷徹に見詰めるのみ。
「……何故こんな恐ろしい所業を躊躇なく実行出来る? 沢山の人間が傷付き死んだら本人は勿論、その人を愛する何倍もの人達が不幸のどん底に叩き落とされるんだぞ?」
「……は? 復讐に決まってんだろ? 俺をその不幸のどん底に落としやがったクソ野郎へのな」
日野崎は態勢を立て直し、雪河に怒りと憎しみに満ちた表情で叫んだ。しかし、その顔に宿る感情の矛先は雪河本人に向けたものではない。
「俺が入っていた組織を鉄砲玉にして使い潰したマフィアのトップがいたんだよ――城ヶ崎賢志。お前みたいな若い野郎でも名前程度なら知ってんじゃねえか?」
「! 城ヶ崎って、あの……?」
雪河が極道入りするよりも更に10年前――つまり約16年前、関東裏社会のマフィアや半グレを牛耳っていた羅威刃の2代目トップ。冷酷非道なマフィアとして有名だった男の名前は、現代でも忘れ去られる事なく裏社会で残っていた。実は雪河も極道入りして暫くした後、当時を知る若頭から聞かされていたのだ。
「彼奴の所為で俺の人生は滅茶苦茶だ! なのに俺に復讐される前に勝手に死にやがって! 恨みを晴らせねえからフラストレーションは溜まる一方じゃねえか!!」
日野崎の口角が三日月のように釣り上がる。
「……なら、せめて奴自身の名誉を徹底的に貶めてやる他ねえだろ? このJIFの爆破が上手くいった暁には――その責任を全て城ヶ崎に押し付ける。そうすれば奴は世界中から悪魔として半永久的に糾弾される! これで俺の溜飲も少しは下がるという訳だ!」
「……」
「まあ彼奴も自他共に”悪魔”と認めてたからな。寧ろ本望だろうよ」
醜い。黙って聞いていた雪河の内心で渦巻く感情を一言に凝縮すると、そうとしか表現出来なかった。
眼前の男は、とっくに死人になった人間への報復という矮小な目的の為に、無関係な人間を何万人も死傷させ、あまつさえその責任を死人に押し付けようというのだから。
Kakabelは歪んでいながらも、その狂気は愛する者を守る事のみに向けられていた。……だがコイツは何処までも自分の事しか考えていない。そんな自己愛の怪物に成り下がった奴は、大勢を不幸にする事に躊躇など無かった。
「外道が。耳障りな鳴き声発しやがって」
「……あ?」
ピクリと眉をひそませ、笑みを消した日野崎は不愉快そうに雪河を睨む。
「一つ確認したい。お前が従わせていた連中、明らかにジャンキー特有の甘い匂いが感じられる。まさかとは思うが薬物で自由を奪いやがったな?」
「あぁ? ドヤ街や川辺のホームレス共を背後から薬で眠らせてからヤクを打ち込んだんだよ? それがどうした? どうせ社会からの爪弾き者だ。居なくなったところで誰も困らねえだろ? 有効活用してやっただけだ」
雪河が地面に転がる浮浪者達を見下ろしつつ尋ねるも、日野崎は鼻で笑って醜悪な所業を語る。
「有効活用だと……?」
「元々無価値な人間だ。そんな連中に生きる意義を与えてやってるんだよ――俺の心を救うという立派で崇高な意義がな」
偶然にもかつての上司――操神と似たような鬼畜論理を言い放つ日野崎に、雪河が纏うオーラが一気に色を変えた。
「多数の人間を不幸にしてきた城ヶ崎は紛れもなく下衆だ。俺が最も嫌う人間の1人に違いはない」
雪河は伏せていた顔を上げ、鋭い黄色の瞳を日野崎へ向ける。
「……だが貴様は今日、何の罪のない人々を不幸にして、明日以降も受けるだろう幸福を奪おうとしている。お前と城ヶ崎、何処に違いがあるのか俺にはさっぱりだ」
警棒を掲げ、闘志を練り上げる。
「城ヶ崎は他人を不幸にし過ぎた。故に奴は報いを受け、京極組に殺された。……ならば貴様も、同じく報いを受けて然るべきじゃないか?」
「ふざけんな! 俺はただの等価交換だ! その報いってヤツも全部城ヶ崎が受けなきゃなんねドホベッ!??」
どこまでいっても己の罪を認めようとせず、責任転嫁ばかり繰り返す外道。そんな奴の言葉など聞く価値無しと断じ、雪河は警棒で顔面を殴り飛ばす。
「ご、へ……このガキぃ……!」
(不味い、このままじゃ負ける……!)
純粋な戦闘力では勝負にならないと判断した日野崎は背を向けつつ、懐から濃緑色の何かを取り出す。雪河はその正体に気付いて叫んだ。
「! テメエ何しやがる……!」
それは手榴弾! 奴はまだ切り札を隠し持っていやがったのだ。
「ホラよ、大好きな堅気が不幸になっちまうぞ?」
素早くピンが抜かれ、観客の方向へと投げられた。そして即座に日野崎は逃走を始める。
「下衆野郎が……!!」
追撃を選択すれば観客が吹き飛ぶ。雪河は日野崎を諦め、手榴弾の対処に走り出す。
「よっしゃ!」
幸い直ぐに追い付き、手榴弾のキャッチに成功。そしてそのまま屋上の端まで移動し、
「うぉおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
咆哮と共に斜め上方へ向けて投射した。
直後――爆炎が発生し、当たりにオレンジの光と轟音を齎す。
「ぬぅううううう!!」
当然、その爆発は観客達も知るところとなった。
「きゃああああああ!?」
「な、なんだ!?」
「今度は向こうで爆発が……!?」
「みんな落ち着け!! 落ち着くんだ!!!」
パニックに陥りかける観客に大声で呼び掛けて落ち着かせつつ、紅林が爆心地近くまで駆け寄る。彼の眼前には、爆風から身を護る為にうずくまる雪河が居た。
「おい、アンタ! 一体此処で何があった!」
「……何、脅威は既に去ったさ。犯人は逃がしちまったがな」
雪河は起き上がり、紅林と向き合う。背丈はほぼ一緒の彼等は正面から視線を交わした。
「それよりもこの人達の介抱を手伝ってくれないか? 逃げた犯人に操られて、自爆特攻されられそうになってたんだ。遠隔操作型らしくてな、犯人が持ってた起爆装置は俺が破壊しといた」
「何だって!?」
見れば近くに8人の男達が白目を剥いて倒れている。紅林やアクア達が無力化した16人と同じ、格好だけは立派な浮浪者達だ。
「……分かった。どうやらアンタは俺達の味方みたいだしな」
「助かる。薬漬けにされた挙句人間爆弾にされかけたんだ。これ以上この人達を不幸にさせる訳にはいかねえ」
「あぁ、そうだな。この人達はただの被害者だ。こんな事をしやがった外道は、必ず顔面を凹ませてやらあ」
こうして紅林・雪河を中心に、警察が来るまで24人の浮浪者達は隔離しつつも応急処置を施されるのだった。
因みに応急処置を担当した人間の中には、前世が医者だったアクアも含まれていたのは、言うまでもない。
冷たく無機質なコンクリートの臭いが鼻を突く。
非常階段の薄暗い闇の中を、日野崎は荒い息を吐きながら駆け下りていた。
「クソ、クソ、クソ……!」
腹部には先程の警備員姿の若い極道――雪河宗弥に叩き込まれた強烈な打撃の痛みが鈍い熱を伴って脈打っている。肋骨が数本イカれているかもしれない。口の中に広がる血の鉄の味を吐き捨てながら、その表情は怒りと屈辱で醜く歪んでいた。
「なんで邪魔ばっかり入りやがる……! なんでこうも上手くいかない……!!」
本来であれば今頃、アリーナの屋上で薬漬けにした24人の浮浪者軍団を自爆させ、観客達を血肉の雨に変えている予定だった。
そしてその混乱に乗じて地下に潜ませたKakabelにメインの爆薬を起爆させ、5万人の命ごとアリーナを崩落させる。
完璧な計画だった。何年もかけて練り上げ、資金を集め、人員を洗脳し、ようやく辿り着いた集大成。それが何処の馬の骨とも知れない警備員や、龍珠組の若者、更には意味不明な強さの子供達により、文字通り木端微塵に打ち砕かれようとしている。
「ふざけんなよ……俺の復讐に泥を塗りやがって……!」
日野崎の脳内で渦巻いているのは正義でもなければ、社会への義憤でもない。
あるのはただ一つ。とっくにこの世を去った1人の男に対する異常なまでの怨嗟と、己の矮小な自己愛を満たす為の死体蹴りへの執念だけだった。
「葵達もあれから連絡してこねえし……役立たずの小娘共が!!」
日野崎は数年かけて洗脳し、準備させてきた手駒――Kakabelや若き兵士達――が失われた事に対し怒りこそすれ、一切の未練や執着は無かった。彼にとって他者など文字通りどうでも良く、故に計画が失敗したと判断すれば躊躇なく彼等を損切りする事が出来る。
奇しくもそれは初代日滅軍が健在だった頃、天羽組の襲撃で部下達をあっさりと見捨てて単身逃走を図った松村と、全く同じ構図だった。
「……まあ良い。これだけ騒ぎになっちまったんだ。十分だろ」
日野崎は不気味な笑みを浮かべてスマホを取り出すと、薄暗い空間を走りながら操作を行う。実は城ヶ崎の仕業に仕立て上げる為の情報工作の準備は既に整っていたのである。
「北九州フェスタ爆破と、JIF爆破未遂。これら2つの惨劇の元凶となった史上最悪のマフィア――ククッ、これ程の肩書があれば、お前は世間から散々叩かれまくるぞ、城ヶ崎さんよぉ?」
奴のスマホの中には、2つの事件で使われた爆弾が羅威刃の技術に由来するものであり、その組織のトップは城ヶ崎である事、そして城ヶ崎が過去の抗争で敵対組織を悉く爆破してきた事が事細かく記されていた。使用された爆弾の中身を映した写真まで入っている。
日野崎はこのフェイク情報をネット上に拡散するつもりでいた。
「さあ城ヶ崎、世界が認める悪魔になる歴史的瞬間だ」
タップしようとした、その時。
「ッ! あ、おい!?」
突如闇から現れたカラスが1羽、奴の持つスマホを目にも留まらぬ速さで掴み、何処かへ飛び去っていったのだ。これには日野崎も予想外で、憤慨して銃を抜く。
「返せクソ鳥! その中に重要なデータが入ってるんだよ!!」
四方を壁や天井に囲まれた空間に反響する幾つもの銃声。しかし空を飛ぶ小型の目標を撃つ想定などしておらず、弾道は虚しく外れるばかり。そうこうしている内に弾切れとなった。
「――なんとまあ醜く哀れな人の子だ」
「……あ? 誰だお前?」
気が付けば数多のカラスを侍らせた少女――ツクヨミが日野崎と距離を置いて立っていた。
「よくも私の推しの子達を、お前の下らない自己満足の為に惨劇に巻き込み、殺そうとしたな?」
「推しの子? 何をほざいてやがるんだ、このガキ?」
いつの間に……? 冷や汗を流しつつも努めて虚勢を張る日野崎だったが、そんな奴の内心なぞとうに見抜いているツクヨミはスルーし、ただただ人ならざる者を彷彿させる冷徹な眼差しを向けるのみ。
「何よりあの子は罪を償って、とっくに前を向いて生きている。お前がしようとしている事は、人並みの幸福を願うあの子の無垢な魂を踏み躙る行為だ……到底見過ごせないね」
推しの子を死にかけさせたのだ。マリアの心を深く傷付けようとしたのだ。ツクヨミにとって日野崎はアクア達を脅かす敵でしかない。故にこの男に下される裁決は、ただ一つ。
「お前はあの子に存在すら認知されないまま消えていく――それも惨たらしくだ」
徹底的な極刑。それしかない。
「じゃあね? 永遠にさようなら?」
「……さっきから聞いてりゃあ、何だその見下しきった目は」
日野崎は幼子相手に銃口を向け、躊躇なく引き金を引いた。
「死ね」
放たれる銃弾。しかし直後にカラスの大群が押し寄せ、ツクヨミと日野崎を飲み込む。
「わ、ぷッ!? 邪魔すんな鳥無勢め……!!」
今しがた放った弾がツクヨミに当たったかは分からないが、その一発で弾切れとなってしまう。日野崎はナイフを取り出し周囲のカラスを切り付けようと振り回した。
そこへ――、
「――お前が日野崎新太だな? 無作為にナイフを振り回して何をやっている?」
「……へ?」
何時の間にかツクヨミもカラスの群れも綺麗さっぱり消え失せ、代わりに背後から強烈な死の冷感を帯びた声が奴の鼓膜を突き刺してくる。
瞬時に振り返り、絶望的なまでに顔を蒼褪めた。七三分けした黒髪に糸目、バーテンダー風の整った紳士的な衣装と出で立ち……長年裏社会で過ごしてきた日野崎がその正体を知らない筈がなかった。
そして誰も居ない空間で自分を名指ししてきた拷問ソムリエの狙いを察せない訳がなかった。心当たりがありまくりなのだから。
「お、お前は……! 伊集院ゴボッ!!?」
「お前には今回と北九州テロの件で用がある――さあ、断罪の時間だ」
「ごか、か、かぁ……」
無論、雪河から喰らったダメージが残る中で逃げ切るなど不可能。もっとも万全であろうと裏社会の災厄から逃れるのは至難の業であり、日野崎はあっさりと縄で絞められて意識を失った。
「………」
「ふう、カラスに導かれて来てみればターゲットが逃げる直前だったとはな。お陰で無事に捕縛する事が出来た」
マリアを医務室まで運んだ伊集院は、Kakabel以外のターゲット確保の為にアリーナ内部を捜索中だった。そこへ不思議なカラスと遭遇し、誘導されて此処まで来たのである。
「先生!!」
「む」
其処へ助手の流川も合流する。彼は両肩に気絶した男4人を抱えていた。全員でっぷりと肥えているにも関わらず表情は涼し気で、流石は伊集院に託されて日本の正式な拷問ソムリエに就任しただけはある。
「依頼人達の家族を直接性搾取した外道共を捕縛しました。……あと伍代さんから連絡で、もうじきアリーナに警察が雪崩れ込んで来るそうです」
「了解した流川。我々もそろそろお暇するとしよう」
直後、目的を果たした2人の拷問ソムリエは霞のように消えていった。まるで人外のように、最初からアリーナには来てなかったかの如く、痕跡は一切残さないで。
処刑人達がアリーナから去って僅か3分後。警察含む公権力の大群が到着した。
日野崎が死神の手に落ちるのと、ほぼ同時刻。
アリーナから少し離れた、静まり返った公園の木陰。夜風が木々の葉を揺らす中で漆黒のカラスが数羽、心配そうに1人の少女の周囲で止まっていた。
「……つぅ~~! いったいなぁ、もう!」
先程まで日野崎を前にして絶対的な神の如き威厳を放っていたツクヨミ。しかし今は近くのベンチに力なく腰掛け、顔をしかめていた。
彼女はスカートの裾を少しだけめくり上げる。白く細いふくらはぎの側面に、一筋の赤い線が走り、じんわりと血が滲み出していた。
「脚に掠っちゃった。あと少しズレてたら、骨ごと撃ち抜かれてたかもしれないね」
ツクヨミは傷口を指先でそっと撫でながら、ふぅと小さな溜息を吐き出した。
「全く、こんな小さな子供の姿をした相手に、躊躇なく鉛玉を撃ち込んでくるとはね。本当に救いようのない、醜い外道だったよ……」
カアッ
カアッ!
カラス達が主の痛みを和らげようとするかのように、彼女の肩や膝にすり寄ってくる。ツクヨミは彼らの羽を優しく撫でながら、苦笑いを浮かべた。
「心配しなくて良いって。この程度の傷なら直ぐに治るし」
ツクヨミはそう言って包帯代わりのハンカチを取り出し、不器用な手付きで自身の患部に巻き付けた。
超常的な存在に関与するオカルト世界の出身であるものの、あくまで彼女自身は物理法則に縛られた人間に過ぎない。ちゃんとした人の親から産み落とされた人間の肉体であり、当然ながら銃弾が当たれば血を流し、急所を突かれれば命を落とす。決して完全無欠の存在ではないのだ。
「しっかし危なかったぁ……私としたことが、ちょっと感情的になりすぎちゃったかな?」
もしあの時、カラスたちの目眩ましがほんの一瞬でも遅れていたら?
もし日野崎の銃の狙いが、あと少しだけ正確であったら?
この人間の肉体は永久に失われ、現世への介入が不可能になっていたかもしれない。
(……それでも止めるしかなかったからね)
ツクヨミは夜空を見上げた。アリーナの上空には未だ爆発の余韻である薄い煙が漂っている。
「アクアもルビーも……マリアも、本当に凄いじゃないか。流石は私の永遠の最推しだ」
あの巨大な建造物の中で、自らの体を張って凶悪な犯罪者共を物理的にねじ伏せ、家族と仲間を守り抜いた推しの子達の勇姿を思い浮かべる。
「あの子達の前世からの痛切な願いと、今生で必死に掴み取ろうとしている平凡な幸福……それをあんな小物の自己満足で壊されるなんて、絶対に許せないよねー?」
カアッ!!
カアッ!!
「ふふふ、みんなも同じ気持ちで嬉しいよ」
傷の痛みよりも愛する推し達の未来を守り切れ事への満足感が、ツクヨミの胸中を満たしきっていた。それに比べたら片足の掠り傷程度、些細な問題に過ぎない。
「――さあ、私達の役目はここまでだ。後のお掃除は表と裏の人間達に任せるとしよう」
ツクヨミはベンチから立ち上がると、夜風に銀色の髪を靡かせながら、カラス達と共に静かに闇の中へと溶けていった。
神を自称する小さな少女の、しかし愛する者達を救う為に負った傷。
それを知る機会を得る者は、この先きっと誰1人として出てくる事はないだろう。