【推しの子 ~さみしがりやの悪魔~】(本編完結) 作:Woudy
つい数分前まで静寂に包まれていた森林公園は、無数のパトランプが放つ赤と青の明滅で煩わしい程に照らされていた。
それが最も強い場所――日滅軍の移動司令部である2台のバスには、漆黒の装備を纏った集団が至近まで迫り、現場リーダーの合図を待っていた。
『――突入せよ』
リーダーの命令が無線を通して集団全体に浸透した直後、放り投げられたスタングレネードが窓を突き破って中へ入り、強烈な閃光と轟音で暴れまわった。
「続いてスモーク」
「投射」
「起爆10秒前」
すかさずスモーク弾を割れた部分から放り込み、混乱中だろうテロリストの視界を奪う。同時にそれぞれのバスの扉に取り付けた爆薬を爆破させ、破壊した。
「よし、いくぞ!」
「突入突入!」
漸く集団――SATは怒号を上げながらバス内部へ突撃する。重武装の犯罪者を確実に制圧する為に鍛え上げられた警察の最精鋭だが、相手は自衛官としての素質を備えた日滅軍の兵士。激しい戦闘が予想された。
しかし……
「動くな、警察だ!! ……む?」
「あれ……?」
SATは眼前に広がる光景に小銃を構えたまま呆然と立ち尽くす。拳銃やサブマシンガンの弾丸が飛んでくるだろうと身構えていた彼等だが、いざ突入してみれば多数の若い男女が白目を剥いて気絶していたのだから。
「全員死んではいませんが、意識を失っているようです。何者かに殴られたような形跡も見受けられます」
「我々より先にテロリストを制圧した者がいるとでも……? 一体誰が、何の目的で……?」
想定外の展開に拍子抜けになる隊員も続出するものの、だからといって疑問を抱いたところで答えが出てくる筈もなく。
「しっかし20代前半の若い奴ばっかっすね……中には少年少女ともギリ言えそうな子達までいますよ?」
「いくつだろうと犯罪者は犯罪者だ。しかし危険な戦闘をせずに済んだのは好都合だ。1人残らず拘束しろ!」
「「「「了解!!」」」」
こうしてSATは怪我の1つすら負う事なく、バスの中にいた通信兵25人を逮捕・拘束する事に成功した。
また、アリーナ周辺に点在していた監視兵10人も同様に気絶していた為、あっさりと捕縛するのだった。
「――いつつ……」
「大丈夫か、柊?」
「はい、肩に少し掠りましたが大したレベルじゃありませんよ、朝比奈の兄貴」
同時刻。公園とアリーナの中間を通る道路脇を歩く巨漢の壮年男性と、水色のロングをハーフアップした清楚そうな20歳の美少女。澤本や雪河、菖蒲と同じ”龍の蹄”に属する超武闘派の極道だ。
名前は男性が朝比奈
「澤本の姉貴や雪河の兄貴、菖蒲達は無事でしょうか……?」
「案ずるな柊。彼等は誰もが非常に優秀だ。きっとテロリスト共を全員ブチのめしている頃だろう」
この2人は日滅軍の移動司令部制圧を完了させ、アリーナ外で待機中の味方に合流する最中だった。サクラが肩に怪我をしているのも、制圧戦で敵兵のサブマシンガンが掠った所為である。
サクラは朝比奈の言葉に僅かな安堵の色を見せたものの、直ぐに深緑の瞳を暗い反省の色で染めた。
「……しかし情けない限りです。募集先の警備会社を通じて、テロリストのアリーナ浸透を許してしまうなんて」
ギリギリ最悪の事態は回避出来たとはいえ、これではアリーナ警護を任された龍珠組の面目丸潰れである。
「”ミス即ち死”……この教訓を澤本の姉貴を通じて伝授して下さった天羽組の野田さんが知ったら、本当にブチ殺しにきそうですね……噂のアイスピック連打かな?」
自嘲気味に笑うサクラ。守るべき人々が死なずに済んだのは偶々悪運に恵まれたに過ぎないと、彼女は断じていた。そして偶然というものは何度も訪れるものではない。だからこそ自らを厳しく戒めていた。
「確かに、身元確認をもっと厳重にするべきだった……だが誰もが前科者でもなければ、アウトローでもない。至って普通の社会を生きてきた堅気ばかりだったんだ。気を落とすな」
「ありがとうございます、兄貴。……ただ、それでも自分と同い年くらいの人までテロリストとして襲ってきたのは、やはり良い気分じゃありませんね」
「……」
俯き悲痛に歪んだサクラを見て、何とも言えない気持ちになる朝比奈。
そう、これこそがこのテロ未遂事件の特異で恐ろしいところである。通常、テロを起こすような人間は過去に犯罪歴があったり、反社会的勢力と繋がりがあったりする。その為、龍珠組のような裏社会のプロの目に引っ掛かりやすくなる。
だが今回は会社や大学に居そうな普通の若者達が、狂ったブログを通じた洗脳によって殺戮兵器へと作り変えられてしまった。これでは厳しいチェックすらも容易にすり抜けてしまうだろう。
「おーい! 朝比奈の兄貴ー! サクラちゃーん!!」
「む」
「菖蒲! 無事だったのね!」
そこへ手を振りながら駆け寄る少女。サクラの同期で縄使いの楠木菖蒲だ。
「アリーナの中でジャミングを持ってた連中は全て倒しといたよ! ちょうどサツが近付いて来てたから、取り敢えず縛って外に放り出しといた! 今頃全員御用じゃないかな?」
「がっはっはっ! 流石はサクラと並んで優秀な奴だ。よくやった楠木」
「へい、兄貴!」
兄貴分に褒められて無邪気にガッツボーズをする姿からは、とてもヤクザを連想する事は出来ない。見た目や振る舞いは至って普通の少女である。
「菖蒲、澤本の姉貴や雪河の兄貴はどうしたの?」
「あー、それなんだけど。実は通信が回復した後に屋上へ向かった兄貴から姉貴へ電話が掛かってきてさ、あたしに後処理を託して姉貴はそっちへ行っちゃった。……なんでもリーダー格らしき男がホームレスを操って、自爆部隊として観客に突撃させようとしたのを阻止したんだって」
「ええっ!?」
驚愕する朝比奈とサクラ。最初に捕らえた女テロリストの証言に、そんな内容は含まれてなかった筈だ。
「あの女テロリスト、まさか嘘を吐いたのでしょうか?」
「……いや、これで全部だと言った時の彼女の目に嘘は宿ってなかった。寿みなみという少女に説得された彼女は、完全に憑き物が取れたような雰囲気だったしな」
「となると……独断?」
「その可能性もゼロではないだろう」
味方に秘匿して独自の攻撃部隊を編成し、観客を吹き飛ばそうとした謎の男。しかし既に裏社会の災厄に捕われ、地獄の窯よりも恐ろしい拷問を待つだけの身になっているなど、彼等には知る由もない。
「兎に角、まだテロリストを全員無力化出来たとは断言出来ん。Kakabelの少女達はバスには居なかった。アリーナに侵入したか逃げ出したかは分からんが、引き続き警戒を厳にして動くとしよう」
「承知しました!!」
「もっとも、サツが来た以上は私達に出番は無いでしょうけどね」
「それでも不審者の有無を監視するくらいは出来るさ――行くぞ!」
続々と警察などの増援が到着する中、3人は道路を横断し、駆け足でアリーナ外周へ戻るのだった。
私の名前は芹澤千夜。
「芹澤警部、先行した部隊がアリーナ外周および偽装バス内部のテロリストの身柄を確保しました」
「了解、案内宜しく頼みます」
アリーナ爆破を目論むテロ組織を捕まえるべく現場へ駆け付けた、警視庁捜査一課の刑事だ。
けたたましいサイレンの残響が鳴り止まぬ中、建物外周を完全に封鎖した警察車両の群れから重武装の機動隊員や捜査員が次々と外へ飛び出す。赤と青のパトランプが、巨大な流線型の建造物の壁面をひっきりなしに照らし出している。
1500人を超える国家権力の総動員。それは嘗て日本が経験したことのない未曾有のテロリズムを水際で防ぐ為の、絶対的な暴力の顕現であった。
私も覆面パトカーから降り立ち、部下の幡野巡査部長や捜査一課の仲間達と共に現場の最前線へと足を踏み入れた。
「どうぞ、こちらです」
案内役の機動隊員は如何にも百戦錬磨の警察官らしい冷徹さを保っていたが、同時にその胸の奥底には形容しがたい苦痛が渦巻いているようにも感じられた。一体……どうしたと言うのだろうか?
「いよいよご対面ですね警部。一体どんな強面の集団か、気になるところです」
「幡野、拘束されていようと油断は禁物よ? 相手は5万人の一般市民の虐殺を目論む狂人なのだから」
「無論です」
15年前に空龍街を火の海にした極左過激派集団、『日滅軍』の名を受け継ぐテロ組織。その組織の幹部に就いた元トップアイドル『Kakabel』の少女達は兎も角、彼女達の下に付いた部下達の容姿を拝むのは、これが初めてとなる。
――しかし、
「ッ!?」
「嘘、でしょ……?」
規制線が張られたアリーナ裏手の森林公園エリア。投光器の眩い光に照らし出されたその光景を前に、私達は思わず足を止めて絶句した。
「若い……若過ぎる。とてもテロリストとは思えないわ」
其処にあったのは無数の結束バンドで両手を背後に縛られ、冷たい地面に座り込まされている数十人の若者達。しかも大半が20歳か20歳初頭の、何処にでもいるような若い男性や女性ばかりだったのだ。
「なんか、普通に街中や大学で見掛けるような子達って印象ですね」
「こんなに若い男の子や女の子達が、どうしてこんな恐ろしいテロなんて起こすのよ……」
イメージからあまりにも掛け離れた姿は、私達の脳内に強い認知的不協和を起こさせ、困惑させる。
先行部隊の報告によれば、SATが突入した時点で彼女たちの殆どが何者かの手によって既に気絶させられ、無力化されていたらしい。
「――何なのお前達? 刑事か何か?」
私達の足音に気づいた彼等の何人かが顔を上げる。制服警官や機動隊の群れをかき分け、捜査一課の腕章を付けた私達が歩み寄ってきたのを見て、地面に拘束された一人の女の子が射殺さんばかりの憎悪で睨んだ。
「はんッ! 今更出てきて何の用よ、国家の犬が!」
甲高い怒声が夜気に響き渡った。彼女は結束バンドで縛られた手首から血を滲ませながら、私達に罵声を浴びせてくる。その絶叫を皮切りに隣に座っていた女の子も、堰を切ったように感情を爆発させた。
「ふざけんなよ……私が搾取されてた時には真面に相手しなかった癖に! 所詮は偉い奴の言う事しか聞かないのね、アンタ達って!!」
(この子、もしかして芸能人かしら……?)
彼女の顔は涙と土埃でぐちゃぐちゃになっていた。かつて夢を抱いて飛び込んだ芸能界で彼女を待っていたのは、権力者からの理不尽な性接待の強要だった。勇気を振り絞って警察に助けを求めた事もあったが、当時の警察は証拠不十分を盾に彼女をやんわりと追い返した。大物スポンサーの圧力を恐れた結果だった。
「まあそうよね! 治安維持なんてただのお題目! 実際は強い連中の権力維持がアンタ達の本当のお仕事なんだからさ!」
「――ッ」
彼女の叫びが私の胸に鋭い刃となって突き刺さる。
(刑事として反論する事は簡単だけど……)
言い返せない。彼女をここまで追い詰めた原因の一端は、間違いなく警察組織の怠慢と腐敗にあったから。
「……そうやって動けるなら、もっと早くクルミさんを助けてよぉ……遅過ぎるよぉ」
追い打ちをかけるように、Kakabelが現役アイドル時代から大ファンだった女の子が、嗚咽を漏らしながら呟いた。
「アオさん達だって、本当は好きで革命を起こした訳じゃないのにぃ……」
「……」
推しが見えない密室で大人達に嬲られ、心を壊され、寮の屋上から身を投げた。警察が動かないなら、自分達で無念を晴らすしかない。テロの首謀者は、その純粋すぎる悲しみと無力感に付け込み、彼等を救いようのないテロリストへと作り変えてしまった。
地面に縛り付けられた女の子達の慟哭が連鎖していく。男の子達も親の仇と言わんばかりに私達を睨み続ける。周囲の機動隊員や捜査員達は言葉を失い、ただ沈黙するしかなかった。誰一人として、彼等を凶悪なテロリストとして冷酷に罵倒出来る者はいなかった。
「……」
「芹澤警部?」
私はゆっくりと息を吸い込み、彼等の前に進み出た。そして冷たい草むらの上で身を捩る若者達と同じ目線になるよう、静かに片膝を突く。
「――遅くなってごめんなさい」
彼等の憎悪と悲しみに満ちた瞳を一切逃げる事なく真っ直ぐに見詰め返し、深い後悔と痛みに満ちた声を絞り出す。
「なッ……」
「け、警部……!?」
周囲の警察官や刑事達は驚愕する。普通は一介の警察官が凶悪犯相手に自分達の不甲斐なさを認め、謝罪を口にするなど有り得ない。警察組織の面子を潰すような真似は、更なる犯罪の増加へ繋がるリスクもあるのだから……それが例え自分達の怠慢で起きた事件だったとしても。
「私達が遅れたから、関係者全員を罪人として裁く結果となってしまった。こんな酷いマッチポンプはないわ」
それでも私は全ての警察・司法を代表し、彼等に頭を下げるべきだと判断した。
「権力に忖度し、見て見ぬ振りをし、救うべき命や尊厳が壊されていくのをただ見ていた……自分達で火の粉を撒き散らしておいて、それが大火事になってから慌てて消しに来る。私達警察は、貴方達を裁く前に自分達の無能と腐敗を恥じなければならない」
テロリスト達は目を見開いた。国家の犬だと罵倒した相手が自分達の痛みを否定せず、組織の原罪を認めて心から謝罪している。
「――安心して?」
私の低く静かな声が、張り詰めた空気の中で異様なほどの説得力を放った。
「貴方達や杠葉さん達を苦しめた搾取者共は、明日以降死ぬまで惨めに生きていく事になったから」
「え」
「どういう、意味……?」
信じられないというように息を呑む中、私は冷徹な死神のような声で断言した。
「アリーナにいる搾取行為を重ねてきたVIP81名の内40名。そしてアリーナに来なかったけど、過去に同様の搾取を働いていた権力者数百名。今回限り、私達は連中に一切忖度しない。ただの薄汚い犯罪者として逮捕し、刑務所にぶち込んで、社会的にも永遠且つ完全に抹殺する――それが正式に決定したわ」
それは彼等彼女等にとっては青天の霹靂。あまりにも遅過ぎたが、しかし確実な救済のカタルシスだった。
「本当に、彼奴等を潰してくれるの……? 私の体を穢した大手芸プロの経営陣も……? 嘘じゃないわよね……?」
元芸能人の女の子が目からポロポロと、大粒で温かな涙を溢す。暗かった瞳に、強い光が宿り出す。
「ええ。奴等は奴等で犯した罪をこれから盛大に裁かれる……だから貴方達は貴方達で、自分が今日起こしてしまった罪を償いなさい」
どれほど悲惨な背景があろうと5万人を巻き込もうとした罪は消えない。だが、仇は私達が必ず討つ。だからもう人間としてやり直して。私はそう彼等に告げた。
「う、ぁぁ……あぁぁぁぁぁぁ……っ!!」
誰もが次々と堰を切ったように泣き声を上げ始めた。復讐という呪縛から解き放たれ、ようやく訪れた悪い大人達の破滅を知り、彼等は初めて普通の人間に戻って泣きじゃくった。
「この子達を乱暴に扱わないで頂戴。加害者だけど、同時に被害者でもあるのだから」
「……承知しました。丁重に連行致します」
「お願いしますね?」
私は立ち上がり、機動隊員達に目配せをして対象の身柄を護送車へと案内させた。その背中を見送りながら深い溜息を吐き出す。
「警部……果たして我々は今後、同じ事を繰り返さずに済むでしょうか?」
静観していた幡野が、警察官としての根本的な苦悩を口にした。今回たまたま強大な権力が味方しただけで、警察はまた弱者を見殺しにし、第2第3のKakabelを生み出してしまうのではないかと。
「限りなく不可能に近いでしょうね」
私は夜空を見上げたまま、冷徹な現実を口にした。幡野は私が前向きな返答を出してくれる事を期待していた故か、呆然とした顔になる。
「そんな……身も蓋もない」
「その通りよ。この世は何処まで行っても残酷で、身も蓋もない。弱い立場の人間はされるがままとなり、且つ秩序維持の為に我慢を強いられる……この不条理が現実なの。残念ながら」
完全な正義? そんなもの、何処にもない。権力という引力がある限り、必ず暗がりで泣く弱者が生まれる。酸いも甘いも噛み分けてきたベテラン刑事としての、偽らざる本音だ。
……ただ。
「一つ言えるのは、今夜だけはその現実の不条理が無効化された。この間、好き放題してきた強者は狩られる側に落ちた……それだけの事」
私はアリーナのVIP席へと視線を移し、誇り高い笑みを浮かべた。
「今頃無駄に高価なスーツに身を包んだVIP共が、突入してきた公安警察や機動隊員に銃口を突き付けられ、手錠をかけられて無様に床に這いつくばらされている頃かしら?」
人生の全てを失って絶望のどん底に叩き落とされる瞬間の顔、さぞ見物でしょうね。
――ざまあみろクソ共め。権力を悪用した報いを一生受けるが良い。
「行くわよ幡野。私達が今すべき事は、この滅多にないチャンスを最大限活かす事なんだから」
「……ふふ、そうですね。1人でも多く好き放題してきた犯罪者共を捕まえて、未来の被害者を少しでも減らしときませんと」
私達はアリーナのVIPエントランスへと向かって力強く歩き出す。全員が嘗て弱者を見殺しにした罪を背負いながらも、今夜だけは真の正義を執行する威厳に満ちていた。