【裏社会の悪魔の転生先は、完璧で究極のアイドルの子でした】(本編完結)   作:Woudy

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今回はアクア視点でいきます。この時点のマリアは語り手になれるような精神状態ではないので。


16話

アイが動かなくなって僅か数分後、俺からの連絡で駆け付けた救急隊と警察が部屋に雪崩れ込んだ。

 

「ママ……!!」

 

彼らは俺たちをアイから引き剥がし、現場から遠ざけようとする。ルビーがアイへ必死に手を伸ばそうとするが、大人の力には敵わず外へ連れ出されてしまった。

 

「アイ……」

 

俺は結局、医者として何が出来たのだろうか。さりなちゃんの時も、アイが出産する時も……アイが刺されて命を落としたこの瞬間まで。急速に広がる無力感に押し潰され、もう何もかも嫌になる。

 

「ごめん……俺は……俺は……」

 

俺たちが離れるとほぼ同時に、救急隊員がアイの側に寄る。そして容態を確認すると――。

 

「おい、まだ脈があるぞ!!」

 

体を張った警官によってアイの姿を隠された俺は、その向こうから届いた微かな希望により絶望から無理矢理引き上げられる。あれだけの深傷を負いながらも、アイの命の炎は完全に消えていなかったのだ。

 

「応急処置を急げ! 絶対に死なせるな……!!」

「頑張れ! 子供たちを悲しませるんじゃねえぞ……!!」

 

しかし、それでも予断を許さない状況なのは変わらない。刺されば致命傷となる腹部大動脈をギリギリのところで掠めていた。今のアイは未だ薄氷の上に乗っているような状態。何時氷が割れて冷水の中に落ちてもおかしくない。

 

(お願いだアイ。死なないでくれ……!)

 

隊員たちは応急処置を施しつつ、アイの身体を抱えて慎重に救急車まで運搬しようとする。最早俺に出来るのは、彼女が奇跡的に助かる事を祈るのみ。

 

「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」

 

「!?」

 

そんな緊迫した状況を塗り潰したのは、この場で最も幼い少年の悲鳴だった。

 

「待ってよ母さん!! 嫌だっ、行かないでっ……!!!」

「大丈夫だからね僕! お母さんの事は私たちに任せて!」

 

警官と隊員たちによって運び出されるアイに飛び付かん勢いのマリアは婦警に抑えられ、宥める彼女の腕の中で泣きながら暴れていた。

 

「放せぇッ……!!!」

「痛っ!」

 

マリアは自分の邪魔をする婦警の手に思いっきり噛み付く。4歳の幼児とは思えない、まるで猛獣のような血走った目で女性の皮膚と肉を本気で引き千切ろうとしていた。

 

「フーッ! フーッ!!」

「痛い痛い!! やめて僕……!!」

「コラッ、君! 何をやってるんだ……!!」

 

其処へ男の警官が3名加わり、婦警とマリアを強引に引き剥がす。1名が手から血を流す婦警を連れて部屋を後にし、なおも暴れるマリアを残る2名の警官が力づくで取り押さえた。

 

「このっ! 大人しくしなさい……!!」

「落ち着かんか……!」

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」

 

警官たちが至近で放つ怒声もマリアには一切聞こえていない。愛する母を連れ去られる光景が彼の中のトラウマを呼応させて心をぐちゃぐちゃに掻き乱し、もはや言葉にもなってない叫声(きょうせい)を部屋中に響かせていた。

 

普段は誰よりも冷静沈着で、俺以上に大人だった弟。しかし今はあまりにも儚く、脆く、このままでは完全に壊れてしまいそうで――兄として放っておけなかった。

 

「ちょ、ちょっと君……!」

 

俺は自分を抱える警官の腕をすり抜け、狂乱し泣き叫ぶマリアの元へ向かう。そしてその小さな両肩を、同じく小さな両手で掴んだ。

 

「マリア!!!」

 

俺の声が届いたのか、マリアは涙でぐしゃぐしゃになった顔で俺を正面から見据えた。再び暴れ出す前に俺は言葉を発する。

 

「アイはまだ死んでない! 生きてる!! だから急いで病院へ連れて行って治療しなければならない! その邪魔をしたら、今度こそアイが死んでしまうかもしれないんだ!! 辛いのは分かるけど、今は病院の人たちに任せるべきだ!」 

「う……あ……」

 

足から力が抜けてそのまま床に座り込んだマリアに、俺もその場に屈んで目線を合わせる。警官たちは俺たちの側でその行く末を見守っていた。

 

「なぁマリア。アイの奴が――俺たちの母親が、この程度で死ぬ人間な訳ないだろ? 信じよう、必ず俺たちの所へ戻って来るって。な?」

「……ほんとうに」

 

泣き腫らした目の中の黒星は俺を捉え、逃がさない。自らが安心する為の言葉を得る、その時まで。

 

「ほんとうに母さんは帰ってくる……? ぜったいに戻ってくる……? 嘘じゃないよね……アクア……?」

「っ……」

 

都合の良い事を言った手前だが、アイが助かるかどうかは俺にも分からない。彼女は救急隊の到着までにかなりの量の血を失ってしまった。生きながらえたとしたら、それはもう奇跡の領域だろう。

 

マリアに嘘は通じない。気休めの言葉を掛けても火に油なのは明白だった。でも、だからって正直に話せばまた暴れ始めるだけだし、そのまま精神が崩壊してしまう可能性が高い。

 

でも――

 

「――俺は信じてる、アイが戻ってくるって。きっとルビーも。だからお前も信じるんだ。俺やルビーと一緒に、アイの帰りを待とう?」

「……わかった」

 

曖昧な返事をするしかなかったが、マリアはどうにか納得してくれた。

 

「行こう?」

「ひっく……うっく……」

 

俺はマリアを抱き上げて一緒に立つと、寄り添いながら先に外へ連れ出されていたルビーと合流する。アイを乗せた救急車がけたたましいサイレンと共に走り出したのは、丁度その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人気アイドル宅で起きた傷害事件。

 

主にそのようなタイトルで俺たち星野家を襲った事件が日本中に、そして一部の外国で大々的に報道された。テレビや新聞は勿論、ネット上でもこの事件の情報は短時間で拡散され、膨大な数の人間の注目を集める事となった。

 

内容を要約するとこうだ。

 

熱狂的なファンが凶器を持って自宅に押し入り、件のアイドルを刺した。刺された当人は腹部からの出血多量により、救急隊が駆け付けた時点で意識不明の重体。その後、搬送先の病院にて緊急手術が行われ――――奇跡的に一命を取り留めた。

 

医療チームは会見で、腹部大動脈を僅かに掠めていたものの、出血そのものは想定より少なかったとの事。もし犯人のナイフがあと数ミリでも横にずれて刺さっていたら、あるいは救急隊の到着があと数分でも遅れていたら、死亡していた可能性が高かったと話す。

 

後に警察の事情聴取により、当日居合わせた社長夫妻の子供が咄嗟に被害者に抱き着いた事で、ナイフの刺さる位置が中央からズレた事が判明。その子供の勇気ある行動が無ければ、大動脈の中心を刺されてすぐに命を落としていたかもしれない。

 

しかしあくまで”大動脈として”は出血が少なかったというだけで、全体的な出血は致死量寸前まで達していた。その影響で脳を含む身体的ダメージはかなり大きく、被害者女性は数日経った現在も意識が回復せずにいる。

 

当然ながら事件当日に予定されていたドーム公演は中止。ドームに詰め掛けていた大勢のファンは悲しみに暮れ、被害を受けたアイドルの回復を祈った。

 

そして肝心の犯人だが、地面を這い蹲ってマンションの屋上へ向かうところを警察が確保。どうやら自責の念に堪えかねて飛び降り自殺を図ろうとしていたらしい。何故か左の太腿に裂傷を負っていたが、犯人は何かに怯えるように黙秘を続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

警察の事情聴取が済んだ俺たちは、社長夫妻の暮らすマンションに身を寄せていた。宛がわれた寝室で、3人横並びで部屋の隅に座り込む。

 

アイは奇跡的に助かった。だが俺たちは全く喜べなかった。大量出血の影響で脳へのダメージが大きく、最悪一生目覚めないままの可能性が高いと聞いて、どうして安心出来るだろうか。

 

『――いくら?』

 

それを悲痛な表情のミヤコを通じて聞かされた時のマリアは、血相を変えた様子で彼女に迫った。

 

『1億か!? 2億!? 幾ら払えば良い……!!? 俺、金を稼ぐ天才なんだ!! 何億だろうと、すぐに用意してみせる……! だから母さんを助けてよ……!!! ねぇ、お願い……!!』

 

おそらく前世での才覚なのだろう。巨大組織のトップと言っていた事からも、相応の実力を持っていたのは間違いない筈だ。

 

……だが今回の問題はお金でどうこう出来る話じゃない。それをミヤコから告げられた時は一瞬感情が抜け落ち、そして間を置かず張り裂けんばかりに狂笑した。

 

『あははははははハハハハッ!!!! おれ、なんの役にも立たないや……!! 母さん一人助けられない、守れない……!!』

 

俺とルビーとミヤコで何とか宥めたが、あれからマリアは感情の持たない機械のように黙り込んだままとなってしまった。

 

 

 

 

 

「――しゃーなしって何?」

 

スマホを覗いていたルビーが唐突に口を開く。ネットに書き込まれた謂れのない誹謗中傷の羅列を冷めた目で見下ろしつつ。

 

「アイドルが恋愛したら殺されても仕方ないって言うの!!? そんな訳ないでしょ……!!」

 

世間はアイに対して概ね同情的だったが、中には己の妄想に基づいて無責任に暴言を吐く輩も一定数存在していた。そんな連中に対してルビーは切れ散らかす。

 

「有名だったら何しても良いの!? 何が有名税だ!? お客様は神様みたいに言いやがって……!! 傷付けられる側が自分を納得させる為の言葉を、人を傷付ける免罪符に使うなよ!! それはお前等の使う台詞じゃねえんだよ……!!」

 

ルビーは未だに眠るアイの為に激怒していた。そして――。

 

「それに何!? ママを助けたマリアに対してまで、こんな酷い事……!! この子があの時どれだけ必死だったか知らない癖に……!!」

 

誹謗中傷の相手はアイだけではない。マリアもまたネット上の顔も分からないゴミ屑たちの格好の玩具にされていた。

 

『その社長夫妻の子供。そいつの所為でアイは重症を負ったんじゃないの?』

『だよな。飛び付かれなきゃアイも後ろに躱すとか出来たかもしれないし。余計な真似だったと思うよ』

『身体ズラすとかじゃなくて、盾になって刺されとけば確実に防げたのに。お陰でドーム公演は中止。俺の貴重な時間を返せってんだ』

 

中にはアイの代わりにマリアが死ねば良かったと、到底4歳の幼子に対して向ける言葉ではないものまで散見した。自らの正体さえバレなければ、人はここまで残酷になれるのか。

 

「テメエ等にママとマリアの何が分かるってんだよ!!? ネットで時間を潰すしか能の無いクソ共が……!! マジできめぇんだよ死ね!!!」

 

母親だけでなく弟まで侮辱され、ルビーは涙を流して声を荒げる。俺も平静を装っているだけで、内部から湧き上がる激情に気が狂いそうだった。ルビーの持っているスマホを奪って、床に叩き付けたい気分である。

 

「――ごめん」

 

そんな時だった。ずっと黙っていたマリアの口から謝罪の言葉が漏れたのは。

 

「マリア……別にマリアに対して怒ってる訳じゃ……」

「俺、あの時わざと母さんと距離を置いて玄関へ向かったんだ。――顔を合わせるのが、辛くて」

 

アイが玄関に向かい、ストーカーに刺されるまでの空白期間。俺とルビーが直接目で確認できなかった時間帯の詳細を、マリアが教えてくれた。

 

「その所為で母さんがドアを開けるのを阻止出来なくて……せめて怪我を負うのだけは避けようと動いたけど、結局間に合わなかったんだ」

「……いや、お前のあの時の行動が無かったら、腹部大動脈の中心にナイフが入ってたかもしれない。そうなればもう手の施しようが無かった。お前がアイを救ったのは紛れもない事実だ。俺もルビーも、感謝してる」

 

俺はマリアの行動を称賛し、ルビーもコクコクと何度も頷く。

 

「じゃあなんで母さんは目を覚まさないの……? こうなったのは何……?」

 

しかしそれでもマリアは納得できなかった。

 

「俺がもっと早く母さんを止めていれば……わざと遅れて玄関へ行くような真似さえしなければ――――少しでも早く、母さんや二人を信じる事が出来たら……。こんな事には、ならな、かった……」

 

マリアの声が震える。無表情のまま光の無い目から涙を溢し、俺とルビーへ視線を向けた。

 

「ごめん……ごめんなさ、い……俺が、母さんや二人を……みんなを不幸にした……」

「違う!!」

 

俺はアイが病院へ搬送された時のようにマリアの両肩を掴んだ。

 

「お前の所為なんかじゃない! 悪いのは全部、アイを殺しに来たストーカーの菅野良介だ! それに、まだ部屋で寝ぼけていた俺もルビーも当時は出来る事はなかった! でもお前だけは違う……! お前はアイツの凶刃からアイを守ってくれた! その事実は揺るがない! だから――」

 

俺はマリアを抱き締めた。更にルビーも後ろに回って俺ごとマリアの身体に腕を回す。

 

「ありがとう、マリア。お前のお陰で、俺たちは大事な人を失わずに済んだ」

「うん、本当にありがとね。マリアはママの、そして私たちの一生の恩人だよ」

 

俺たちはマリアの耳元で告げた。この子の行動が決して無駄ではなかったと。意味のあった事だと。自らの全てを己の罪と見做して潰れようとする弟の心を救うために。

 

しかしそれでも――。

 

「あ、母さんはどこ……?」

 

俺たちの声が届いていないのか、マリアは何の前触れも無く急に立ち上がる。

 

「ま、マリア……?」

「探さないと」

 

そう言ってマリアは寝室のドアへ向かって歩き出した。文字通り子供が親を探し彷徨い歩く、とても弱々しく寂しい姿。その後ろ姿に、俺とルビーは二つの幻が重なって見えた。

 

一人は俺が数年前にも見た黒い髪の小学校低学年くらいの男の子。そしてもう一人は前世で一度会った優男だった。優男の方は纏っているスーツがボロボロな上に全身が血塗れで、一目見ただけで死ぬ寸前だと分かる程に重症だった。もしかしてマリアの――城ヶ崎賢志だった頃のマリアの最後の姿ではないだろうか。

 

二つの幻もマリアのように幼く映り、吹けば飛ぶような儚い背中だった。

 

「待って!」

 

ルビーが叫び、マリアに追い付いて腕を掴む。

 

「どこに行くつもりなの……!? ママはまだ――」

「……はなしてよ。待ってても母さんからは迎えに来てくれないんだよ? おれの方から探さないと、いつまでも母さんに会えないじゃないか」

 

マリアの言動は変わっていた。中身が本当に大人とは思えない程に幼い。あれだけ強い精神的ショックを受けたのだ。はっきり言って、この子は壊れかけていた。

 

「もう一人は嫌だから……」

「一人じゃない!!」

 

ルビーは今度こそ離さないと言わんばかりに、強く、強くマリアを抱き締めた。

 

「マリアには私たちが居る! なのに、いない人扱いなんて寂しいじゃない!! ……もっと頼って良いんだよ? 私とアクアは――マリアのお姉ちゃんとお兄ちゃんなんだから」

「ほんとに……? おれ、ひとりじゃないの……?」

「うん、そうだよ! ママだってきっと帰って来る! それまで私たちがマリアの側にずっと付いていてあげるから、ね?」

 

ルビーの優しい言葉に漸くマリアは足を止めて振り向き、彼女の顔を見上げる。

 

「……おねえ、ちゃん」

 

相も変わらず色を宿さない顔と瞳。ただ唯一溢れんばかりの涙だけがマリアの感情を表していた。自らの胸に顔を埋めて泣く弟を、ルビーはその細い腕で優しく包み込む。

 

「おねえちゃん……おねえちゃん……」

「うん、うん! まだママには会えないけど、これからもお姉ちゃんやお兄ちゃんと一緒に過ごそうね?」

「ん……」

 

ルビーにとっては念願の呼ばれ方。当然、この状況では素直に喜べる筈もなく、ルビーの顔は曇っていた。

 

(……アイ。何時までも寝てないで、早く戻ってきてくれ)

 

今のマリアを本当の意味で救えるのは、きっと母親(アイ)しかいないだろう。俺は今も病院で眠り続ける彼女に届く事を願い、心の中でそう呼び掛けた。

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