【裏社会の悪魔の転生先は、完璧で究極のアイドルの子でした】(本編完結) 作:Woudy
あの事件から2ヶ月が経つ。俺たちの周りでは様々な出来事があった。
アイを襲った悲劇は3日も経てば世間からの関心が薄まり、少し早い雪による交通網の麻痺というニュースを境に沈静化していった。あれだけ騒がしかったのが夢だったかのように、人々はアイという存在を忘れて日常を送っている。
当事者である俺たちの時間は、あの事件から未だに止まったまま。そんな俺たちの存在や気持ちなぞ知る由もなく、無常にも置いてけぼりにしていく世界。空から舞い降りる雪の冷たさだけが、俺たちを含む全てへ等しく齎された。
あの場に駆け付けた警察や救急隊の前でアイが母親である事を暴露してしまった俺やマリアだったが、後にミヤコさんが、
『自分の子供たちはアイをもう一人の母親のように慕っていた。だから、きっと強いショックを受けたのだろう』
……と誤魔化してくれた事で、アイの隠し子だという事実の拡散は防がれた。元々俺たちの戸籍は社長夫妻に移されていたのもあり、ニュースの中心に取り上げられる事はなかった。
B小町はアイという絶対的センターを失った事で、恐ろしいほど急激に人気が失速。誰もがアイの回復を絶望的なものと捉え、そんな彼女のいないB小町に興味はないと言わんばかりに続々とファンから離脱していく。
数少ないアイの帰還を信じる社長が血のにじむような奮闘を続けているものの、アイありきで成り立っていたグループを残りのメンバーだけで保つのは限界があり、解散という言葉すらチラホラと出始めていた。
ほんの少し前まで世間に名を轟かせる勢いだったアイドルユニットは、今やかつての栄光の一端すら見受けられない。盛者必衰とはよく言うが、幾ら何でも早過ぎではないだろうか。
そしてアイは――今も白く無機質な病室で、何時覚めるとも分からぬ深い眠りに就いている。未だに面会謝絶で、俺たちは会う事すら出来ていない。
――あれからマリアは、アイの帰りを待ち続けている。
「…………」
一日の大半――俺たちと寝る時や外出する時、食事をする時などを除く――を、マリアは社長宅の玄関で壁を背にして座り込み、外へ続く扉を生気の感じられない目でジッと見つめ続けていた。
ずっと、ずっと、ずっと―――――アイがその扉を開けて現れる、その時まで。
もし現れた人物がアイや俺、ルビー以外だった場合は溢れんばかりに涙を流した。この世の終わりのような顔で、今にも消え入りそうな弱々しい声を漏らしながら。訪問者は扉を開けた先にポツンと座るマリアに一度驚き、直後に泣き出す姿で二度驚かされた。
無論、薄暗く寂しい空間で独りぼっちにはさせない。
「マリア」
其処へ俺とルビーがゲームや菓子などを持ち込み、遊びながら彼の側で時を過ごした。決してマリアを一人にしない為に。
今や玄関は俺たち3兄弟の遊び場となっていた。
「――マリア~? 次はマリアの番だよ?」
「ん」
「ほら、お姉ちゃんの持ってるカードから一枚取って頂戴?」
「ん」
マリアは全く無反応という訳ではなかった。ゲームに誘えば付き合ってくれるし、話し掛ければ最低限だが返事もくれる。
「……おれ、7歳の時に母さんに捨てられちゃった」
その最中でマリアが自らの前世について詳しく話してくれた。暴力を振るう最低な父親に、幼くして母親を奪われた過去を。
PTSD。トラウマの再体験による幼児回帰。マリアの性格が急変した原因を俺はそう診断した。きっとこの子の精神は、母親を奪われた7歳で止まったままなのだろう。幼児期の虐待と喪失は子供の心に深刻な傷を与え、その成長を大きく阻害させる。今まで見せてきた冷静沈着で大人びた振る舞いも、自らの心を守る一種の防衛本能に過ぎない。それがアイが襲われた事をキッカケに崩壊し、元来の本質が表面に現れたのだろう。
母の帰りを何十年も孤独に待ち続ける幼子。そんな弱々しく儚い存在こそが、弟の本当の姿だった。
「マリア、そろそろ時間だ。今日はもう準備して寝よう。アイが帰って来た時に元気な姿を見せて安心させないとな?」
「ん」
就寝時間が近付くと素直に付いて来てくれる。歯磨きしてパジャマに着替えて、寝室の布団にもぐり込んだマリアの両脇に俺とルビーが入り、眠るまでずっと待ち続けた。そうして夢の中に入ったのを確認してから、俺たちも眠りに就く。
「んぐ……ひぐっ……」
「よしよし泣かないでマリア。お姉ちゃんたちが一緒だからね?」
怖い夢でも見たのだろうか。時々起きて泣き出すマリアをあやすのは主にルビーの役目だ。割れ物を扱うが如く抱擁し、柔らかな金髪を何度も愛撫する。そうするとマリアは彼女の腕の中で安心したように再び寝息を立てるのだ。
……見てるだけで悲しい気持ちになる。
あの冷静沈着で傲岸不遜な態度が今や懐かしい。一日でも早くアイが目覚め、そしてマリアが元気になる事を俺達は願うばかりだ。
「――アクアー、そっちの海苔取ってくれる?」
「ほらよ、ルビー」
「ありがとう」
現在、俺とルビーは昼食を作る為にキッチンで並んで立っている。その間はミヤコさんがマリアの側にいてくれた。
乳児の頃から俺たちの非凡ぶりを知る彼女は、俺たち星野家の次にマリアと近しい関係だ。マリアが彼女に対しても俺等と同様に接するまで、そう時間は掛からなかった。
今日の献立は様々な具材を混ぜ込んだ握り飯だ。じゃこ入りだけはマリアが嫌がるので加えていないが。
「……マリア、今日も全然笑ってくれなかったね」
「一度ならず二度も母親を失うような目に遭ったんだ。そう簡単にはいかないさ」
握った白米を海苔で包む手を止めたルビーは、己の無力さに曇った面持ちになる。
マリアの姉として出来る事を。そう意気込んでほぼ四六時中側に付いて元気付けようと頑張ったが、感情の失ったあの顔に色が戻る兆しもない。
「私……ちゃんとあの子のお姉ちゃんやれてるかな? 不安になってきちゃった……」
「勿論だよ。俺から見てだけど、マリアはあんなにもルビーに懐いてるじゃないか」
「うん。でも、どうせなら元気な姿で”お姉ちゃん”って甘えてきて欲しいよ。それが私の望んでる姉と弟の関係だもん。……やっぱりママじゃないとダメなのかな?」
マリアだって俺たち兄妹を大事な家族として見てない訳じゃないだろう。表情は変わらず死んだままだが、ちゃんと俺たちに甘えてきてくれている。
ただ、前世の関係で母親という存在がマリアの中であまりにも大き過ぎるのだ。俺たちはあの子が本当の意味で壊れるのを防ぐ事は出来ても、根本的に救うのは難しい。やはり
「私、何の役にも立ってないや。ママが襲われた時も、マリアが苦しんでいるこの瞬間も……」
「そんな事は……」
ルビーの目から一筋の涙が零れる。今の彼女を支配する感情は、姉としての不甲斐なさだけではなかった。
「ママだったらどうしたんだろう……? ママ……早く帰って来てよ……」
「さりなちゃん……おいで?」
「う、うぅ……せんせぇ……」
ルビーと二人きりの時、俺はこうして彼女の体に腕を回してその涙を受け止めていた。
弟の手前気丈に振る舞ってはいるが、ルビーだって辛くて苦しくて仕方がない。母親が目覚めない現状に、前世分含めて未だ無垢な少女の心は平気でいられる訳もなく、千切れてしまいそうな程に締め付けられていた。
本当は声を上げて泣きたくて……下手すれば彼女だってマリアみたいになってた可能性が高い。十分に成熟した心を持つ俺ですらアイが襲われ、死ぬ寸前の姿を見せられた時のショックは計り知れなかった。ルビーが――さりなちゃんが負った心の傷は、それ以上だろう。
……でも、そんな擦り減った俺たちの心を強く保たせているのは、皮肉にも精神が崩壊寸前まで進んでしまったマリアの存在があったから。
今にも死んでしまいそうな程にボロボロの弟を放っておけない。アイが不在の間、自分たちが守らなくて誰があの子を守るんだ。そんな使命感にも近い気持ちのお陰で、俺とルビーの精神はあの悲劇を何とか耐えていた。……無傷からは極めて程遠かったが。
「!」
そんな時だ。点けっぱなしだったテレビ画面を視界に入れたルビーが、目を見開いたのは。
「さりなちゃん、どうした?」
「せ、せんせぇ……あれってまさか……」
テレビでは丁度お昼のニュース番組をやっていた。司会者の初老の男性が機械的な声色で淡々と手に持つ資料の内容を読み上げ、それを隣に座る若い女性アナウンサーが難しそうな表情で聴き入る。
ルビーが驚いたのは、その二人の背後。大型スクリーンに映る人物――ピッシリとしたスーツを纏い、煙草を咥えて歩いている横顔の優男――に、俺とルビーは見覚えがあった。
『――――映像にある人物が件の巨大半グレ集団のリーダー、城ヶ崎賢志容疑者です。この男には麻薬売買や銃器類密輸の容疑が掛けられており、警察は4年経った現在も行方を追い続けています』
『この写真、背後に炎や煙が確認できますが、これは一体……?』
『4年前に城ヶ崎容疑者の関与が疑われる、爆破された京極組事務所から上がったものですね。偶然近くを通り掛かって爆発に巻き込まれた男性がいたそうで、その人物が事務所から去っていく容疑者の姿を撮影したそうです』
マリアが語らなかった前世の残りの部分。それを俺達はこのニュースで知るところとなった。
羅威刃――これまた何とも凄い名前である――という半グレ組織が4年ほど前まで存在し、関東地方にて猛威を振るっていた。
その規模は超巨大で、羅威刃本体だけでも構成員は500人以上。更には大量の半グレ組織や関連の犯罪集団を傘下に付けており、その総数は3000人を下らない大組織である。
潤沢な資金で拳銃や爆弾などの武器も大量に保有し、最早マフィアと呼んでも差し支えのない集団だった――
しかし、それ程の大規模組織が突如として謎の崩壊を遂げたのだ。その原因は4年経った現在も不明なまま。世界規模の麻薬組織に喧嘩を売って潰されたという噂もあるらしいが、真相は定かではない。
……そして、その巨大組織を率いていたトップこそ、俺たちが前世で出会ったあの優男――城ヶ崎であり、現在は俺たちの実の弟――マリアだったのだ。
「前に大組織のリーダーを務めてたって聞いたけど、まさか半グレの事だったなんて……」
「はんぐれ、って何なのせんせ?」
「さりなちゃんもヤクザは知ってるよね?」
「うん、指詰めろとかショバ代出せとか言ってくる怖い人たちでしょ? あと仁義がどうとかって」
「まぁ、その認識で間違ってはいないけど……ヤクザと同じ裏の世界の人間で、今ニュースで言われた通り麻薬を売ったり詐欺をはたらく犯罪者さ。半グレは半分グレーの略だけど、実際はかなり真っ黒な行為にも手を染めてる奴らだね」
「……つまりマリアは……城ヶ崎って人は、悪い人だったって事……?」
「……うん、そうなるね」
重苦しい雰囲気が俺とルビーの間で漂う。
殺すや銃創などの物騒な言葉の連発。時折浴びせられる普通じゃない殺気。そしてストーカーに襲い掛かる時の戦い慣れた人間の動き、殺しへの躊躇の無さ。
唯の人間ではないとは思っていた。前世で何をしていたのか強い興味を抱いていた。まさか真相が巨大マフィアのボスだったなんて、全くの予想外である。
「お母さんに捨てられなかったら、マリアは悪い大人にならなかったかもしれないのに……」
しかしマリアの正体を知っても、俺とルビーがあの子を恐れる事は全く無かった。
どうして? 何故? 内から湧き出るのは疑問ばかり。
「あそこまで弱い姿を見てしまったらな……」
どれほど母を強く求めていたのだろう。母を犠牲にして生まれたような俺にとって、あの姿は深く心に来た。
そしてそれはルビーも――母に愛されなかったさりなちゃんもだろう。
「もしかしてせんせぇもなの? 私、マリアがママを探しに行こうとした時、血塗れでボロボロになった城ヶ崎さんの後ろ姿が重なって見えたんだよ」
「さりなちゃんも? ……あぁ、まるで母親を探して彷徨う小さな子供みたいだったよ」
「うん。お母さん何処?、お母さん何処?って泣いているようでさ……私、物凄く胸が締め付けられそうだった」
俺たち3人は揃って”母”に恵まれなかった。そんな悲しい共通点があるからこそ、マリアが――城ヶ崎が如何ほどの苦痛だったか心底理解してしまった。
無論、だからって彼が前世ではたらいた悪事を容認する事はできない。どんな理由があろうと、犯罪は犯罪だ。
だがそれも母を失わなければ、あるいはそれに代わる大事な存在に巡り合えていたら……きっとああはならなかった。そう思うと遣る瀬無い気分になる。
「あそこで止めないとマリア、本当に死んじゃうかもしれないって思った。……これ以上、あの子に苦しんで欲しくない、悲しんで欲しくない」
そんな憂鬱な気持ちを吹き飛ばすように、ルビーは両手で己の頬をパシッと叩いた。
「――うん、何時までも悲しんでばかりじゃいられないよね?」
開かれた紅い瞳に宿る強い信念の輝き。先ほどまでの辛く苦しそうな姿は、いつの間にか消え失せていた。
「ママがいない間、私とせんせであの子をしっかり守ってあげなきゃ! ね、せんせ!」
弟という存在が、その弟を襲った悲劇が、まだ幼さを残していた筈の少女の心を大きく躍進させ、立派な姉としての姿を俺に見せていた。
その様子が俺には微笑ましく、そして頼もしかった。会いに来てくれない親を病室で待ち焦がれる病弱な少女は、もはや其処にいなかった。
「あぁ、さりなちゃんの言う通りだ。マリアの前世がどんな人間だろうと関係ない。あの子は俺たちの可愛い弟で、守るべき家族だ」
「うん!」
重苦しかった空気は霧散し、俺とルビーは笑みを浮かべて頷き合った。
例え
「――アクア、ルビー」
そう改めて決意した時、マリアと手を繋いだミヤコさんがリビングに現れた。
「出掛ける準備をして頂戴。病院へ行くわよ?」
それは未だに眠るアイへの面会許可が降りた旨を伝える為だった。