【裏社会の悪魔の転生先は、完璧で究極のアイドルの子でした】(本編完結) 作:Woudy
夢ではないかと何度も疑った。
次の瞬間には無常な現実に戻され、立ち直る遥か先の時までの間を内に溜め込むしかない苦痛に苛まれ続けるのかと。
「――という訳でアイちゃん完全復活~! 死の淵から無事帰還致しましたー! 検査の結果もまったく問題無し! やったね皆、パチパチパチパチ〜!」
「……アイ」
「ママ……」
「あれ? 暖房効いてるのに皆の視線が冷た過ぎて寒気が……」
「全く洒落になってねえぞ?」
「貴女って子は……場を盛り上げようと明るく振る舞うのは分かるけど、一生目覚めないかもって皆気が気でなかったのよ? この子たちがどれだけ悲しんでいたことか……」
「ごめんなさい、ご迷惑をお掛けしました」
「宜しい」
でも現実に母さんは意識を取り戻し、ミヤコと連絡を受けて駆け付けた斉藤も含め、こうしてみんなと和気藹々とお喋りしている。これが一生続くかもしれない眠りに就いていた女性の姿だと、どうして信じられるだろうか。
「……母さん」
吸い込まれるかのように母さんを見つめ続ける。
目が渇こうと瞬きなんて一度もしたくない。母さんの元気な姿を目に焼き付け、脳裏に焼き付け……漸くおれは眼前の光景を現実のものと認識する。
……本当に、夢じゃないんだ。
また視界が歪んだ。目から熱いものが零れて頬に熱が伝わる。
「おっと。マリア?」
おれはベッドに乗り上げ、母さんの左腕に顔を埋めていた。
「―――、――――!」
ちゃんと声を出せているかどうかも分からない。止めどなく流れる涙が入院服を濡らしてしまったが、母さんは嫌な顔一つせず微笑みながらおれの頭を撫でてくれた。
「ごめんね、寂しい思いをさせちゃって。ずっと待たせちゃって」
「……母さんが助かったなら、それで良い」
頭を中心に母さんの温もりが全身へじんわりと広がり、幸せな気持ちでいっぱいになる。
前世では結局帰って来なかったけど、今世では帰って来てくれた。俺たちのところに……帰って来てくれた。
「あぁ、そうだなマリア。――無事に戻って来れて何よりだよ、アイ」
「う゛ん゛!! ママ、ホントに良かっだ……! あのままずっと目を覚まさないんじゃないかって私、すごく生きた心地がしなかったんだから……! マリアなんて物凄いボロボロで……! 私とお兄ちゃんがいなかったらどうなってたか……」
「……うん。君たちにもミヤコさんにも社長にも……みんなに辛い思いを沢山させちゃったね。本当にごめんなさい」
お兄ちゃんとお姉ちゃん――アクアとルビーも母さんに抱き寄せられ、家族4人で体温を確かめ合った。確かに存在しているという証を、おれは感じ取れた。
アクアがいて、ルビーがいて、母さんがいる。おれには掛け替えのない家族が3人もいる。
……そっか。おれ……もう一人じゃないんだ。
「母さん……」
「どうしたの、マリア?」
「――おかえりなさい」
「うん、ただいま」
おれは数十年ぶりにこの言葉を母さんに伝えた。伝える事が……やっとできた。
時が経つのはあっという間だ。気付けば病室の窓から一望できる街並みは暗闇でその輪郭を曖昧にさせていた。面会時間の終了は近い。
斉藤は社員やB小町へ連絡するため一足先に病院を後にし、ミヤコも帰宅前にトイレに行きたいとお願いしてきたアクアとルビーを連れて行ってしまった。病室に残ったのは、おれと母さんだけ。
きっとアクアとルビーが配慮してくれたんだろう。おれと母さんが二人きりで話す機会を作る為に。
……ありがとう。お兄ちゃん、お姉ちゃん。
「母さん。帰るまでこうしてて良い……?」
「もちろん。遠慮しないでいーっぱい甘えてね?」
おれは終始母さんに抱き着いていた。少しでも母さんの温もりを忘れないよう、自身の身体に刻み付けるために。
明日もまた来るとは言え、やっぱり母さんと離れるのはとても辛い。離した瞬間に何処かへ消えて、そのまま永遠に戻って来なくなるかもしれない。そんな恐ろしい事を想像してしまい、震えが止まらないのだ。
「大丈夫。ママはもういなくなったりしないから、ね?」
「……うん」
耳元で囁かれる優しい言葉で不安が少し和らぐ。それでも万全とは言い難い状態だけど、家ではアクアとルビーが一緒にいてくれる。だから大丈夫。一晩くらいなら何とか耐えられそうだ。
そのまま頭を撫でて貰ったり背中をさすって貰ったりしていると、
「ありがとう、マリア」
唐突に母さんがおれにお礼を言ってきた。
「どうしたの、急に……?」
「あの時、マリアが咄嗟に抱き着いてくれなかったら……きっと私はこの世にいなかった。皆と楽しくお話しする事も、こうしてマリアを抱き締めてあげる事も二度とできなかったかもしれない。――だからありがとう、小さなヒーローさん? 君は私の命の恩人だよ」
ストーカーの襲撃を受けたあの日。母さんは奴に腹を刺され、生死の境を彷徨った。凶刃が母さんの体を貫くのを阻止しようと飛び付いたおれだったけど、結局間に合わなかった。
警察や病院はおれの行動が奇跡的に母さんの命を繋いだって言うけど……初動が遅れてさえいなければ、そもそも刺される事自体を止めれた筈だった。恩人なんて呼ばれる程の事はできなかったし、呼ばれる資格もない。
「……違う。おれがもっと早く動いていたら、母さんが傷付く事はなかった。おれはあの日、母さんに合わせる顔がなくて態と玄関へ行くのを遅くしたんだ。もっと早く受け入れて、”母さん”って呼べていたら…………母さんが死ぬような目に遭わなかったんだ……」
信じる勇気がおれには無かった。もっと勇気があったら誰も辛い思いをせずに済んだ。
みんな顔には出さないけど、ここ数ヶ月をどんな気持ちで過ごしていたか……俺の不甲斐なさが原因でみんなに地獄の苦しみを与えてしまった。
「全部……全部おれの所為なんだよ。おれがみんなをいっぱい苦しめちゃった……ごめんなさい、ごめんなさい……」
おれは何度も謝った。母さんに、そして此処にはいないみんなに。
「ううん、マリアは何も悪くない。君は私やみんなを救うために自分に出来る事を精一杯やっただけ。それがみんなが笑い合える”今”を作ってくれた」
だが母さんは責める事も怒る事もせず、おれの額に自分の額で触れて至近から笑い掛けてきた。アクアとルビーと同じようにおれの罪を否定し、感謝の気持ちを伝える。
「それでも君が君自身を許せないと言うなら……ママが君を許してあげる。だからもう苦しまないで?」
「母さん……」
その言葉がどれ程の救いになった事だろうか……おれはほんの僅かだけど気が楽になった。
「……ありがとう」
「あ、少し元気になったかな? うん、やっぱり君には辛い顔なんて似合わないよ。もっと可愛い笑顔、ママに見せて欲しいな?」
「えと……こう、かな?」
「きゃ、きゃわー!!」
「わふっ!?」
無理矢理作ったような笑顔だったが、それでも母さんは目を輝かせて喜び、おれを強く抱き締めた。母さんが笑ってくれて、おれも嬉しくなる。
歪な笑顔が柔らかくなるのを感じた。
「ねぇ、母さん」
「ん? なぁに、マリア?」
「母さんに聞いて貰いたい事があるんだ……おれの前世に関してだけど」
「マリアの前世? お父さんに虐待されて、お母さんに捨てられた事でしょ? そんな辛い事、無理に話さなくても大丈夫だよ?」
「違うよ、親に捨てられた後の人生についてだよ。母さんには、どうしても知っていて欲しいんだ」
おれは、この人を完全に受け入れる事ができた。だから母さんにも、おれの全てを知った上で受け入れて欲しい。そう強く望んだおれは、自らの前世を詳しく語り始める。
「――おれ、実はとんでもない極悪人だったんだ」
「……え?」
流石の母さんもこれには驚いている様子だ。
やっぱり言うべきじゃなかったかな? 不安と後悔が少しばかり芽生えたが、今更止める事などできない。おれはそのまま続けた。
他人を暴力と恐怖で支配した事、愚連隊を率いていた事、羅威刃という巨大な半グレ組織のトップになった事……数え切れない程の人間を殺めた事。自分が前世で犯した罪の数々を全て、包み隠さず伝えた。
「……母さん。貴女が産んだ息子は……悪魔の生まれ変わりなんだよ」
遂に……遂に言ってしまった。かつての自分が他人の血に塗れた悪魔だった事を。
母さんは呆然とした様子で、黙ったままおれを見詰めていた。この沈黙が少し辛い……。
それでもおれは決めたんだ、この人を信じるって。こんなに素敵で優しい人なら、おれの正体を知ってもおれを愛してくれるに違いないって。
「――良かったぁ」
そして、僅かに抱いた不安は杞憂に終わった。母さんは心底安心したような笑みを浮かべ、おれをその両腕で包み込んだ。
「あの時、マリアを止める事ができて良かった。君がこれ以上誰かを傷付けなくて良かった。君の未来を守る事ができて……ホントに良かった」
……掛けられた言葉も注がれる眼差しも、さっきと全く一緒だった。ちょっとでも疑ってしまった自分が恥ずかしい。
「大丈夫だよマリア。君が何者で、前世でどんな事をしていたとしても、君に対する私の愛情は全く変わらないから」
また目から熱いものが溢れてきた。枯れるくらい泣いた筈なのに、まだ涙腺にはこんなにも沢山の涙が残っていたなんて……
「確かマリアは言ってたよね? 目を見ればその人が嘘を吐いているか分かるって?」
「え? うん、そうだけど」
「じゃあ、ちょっと良いかな?」
徐におれの左右の頬に両手を添えた母さんは、その美しい顔をおれに向けたまま確かめるような感じに口を開いた。
「愛してる」
何度でも言って欲しいと願った言葉が、おれの鼓膜を穏やかに揺らす。
ニッコリと、全てを受け入れ包み込む温かな笑顔。
「どう、マリア? 私の目を見て? 今の私の言葉は嘘? それとも……本当?」
すぐ目の前だったので、涙で視界が滲んでいても母さんの瞳の輝きはしっかりと見えた。”嘘”なんて欠片も無い、正真正銘本心から出た”本当”の”愛してる”。
でも、おれは正直に答えるべきではないと思った。それは母さんの為にならないから。
「……それは自分で考えなきゃダメだよ? 自分の言った事が嘘か本当か、貴女は理解出来てる筈だ。子供に答えを依存するなよ…………母さん」
いや、多分わざとだ。おれを安心させる為に、敢えておれに確かめさせたんだ。愛するとは何か、この人はもうちゃんと分かってる。
「うん、そうだね。マリアの言う通り、自分で答えを出さなくちゃ。――だからマリア、私は本当に君を愛してる。これからも家族4人、ずっと一緒だからね」
「……うん……う゛ん゛!!」
母さんの腕の中で、おれは何度目か分からない涙を流す。
……あぁ、思い出した。これだ。これだったんだ。おれが本当に欲しかったものは。
いくら他人を恐怖や暴力で支配しようと、どれだけ多くのお金を稼いでも……絶対に手に入らなかったもの。母さんに捨てられてから、心の奥底で何十年も求め続けていたもの。
やっとだ……やっと手に入れた。
「母さん、おれも愛してる……!」
「うん、ありがとうマリア」
今日、こうして家族を手に入れたおれは、”悪魔”から”人間”に戻った。
――そのままおれは眠ってしまい、夢を見た。
『何で……何でだよぉおおおお!!!!』
『賢志くん!』
『大人しくしなさい……!』
内容は前世の幼少期――僕が母さんに捨てられたと知った、あの日の再現だ。
職員に乱暴な手つきで抑えられる中、僕は全てを失った絶望で人としての心が崩れていくのを感じた。人間から悪魔へ変化するプロセスは、自分と言うアイデンティティが鋭利な刃物で徐々に削り取られていくようなもので、この世のものとは思えない壮絶な苦痛となる。
自分が自分でなくなる。それが怖くて仕方なかった。
誰か……誰か……助けて……
――マリア
そんな時だった。僕の耳に一人の女性の声が届いたのは。いつの間にか僕に乱暴をはたらいていた職員の人たちは跡形も無く消えていた。
『母さん……』
目の前に母さんが立っていた。母さんじゃなかったけど、母さんだった。とても綺麗な長い黒髪を揺らし、目の中の一番星を輝かせた、みんなを魅了するアイドルの方のお母さん。聖母のような微笑みを携えて、僕をジッと見詰めていた。
『マリア――ううん、賢志くん』
母さんが僕を抱き寄せて頭を撫でる。とても優しい手付きで、腕の中はポカポカと温かくて。
『遅くなってごめんね? 迎えに来たよ?』
その言葉で僕は涙が沢山溢れてきて、声を張り上げて泣いた。崩れかけていた心が、徐々に戻っていく。
『ふ、ぐっ……うあっ、ぁぁああぁあアアアアアアア……!!』
『辛かったね、寂しかったね。でも大丈夫。もう君を一人にさせないから』
母さんは僕を抱いたまま目線を合わせる為に腰を下ろし、僕の頬にそっと口付けをする。それはアクアとルビー……そしてマリアに普段からしてあげてるものと同じ、家族へ向けた愛情いっぱいのキスだった。
そして額同士をピトッとくっ付けて、僕にこう言ってくれた。
『一緒に帰ろう』
第3章、了。
次回は再び番外編です。