ベッドの上からこんにちは、夢月リュウカです。
おととい“無茶”をしたせいで体調を崩してしまい、今日はお休みをいただいた上でママに来てもらいました。
聴診器型の診察器具を鞄にしまいながら、ママは顎に指を当てました。
「ふーむ。急性
「そうでしたか……」
“キヴォトスの
『とある』コラボのキャラにヘイローと防御力が付与されただけでなく、その超常的な能力に大幅な使用制限がついた*1のがその証拠です。
この世界もキヴォトスである以上、同じような法則を持っていると考えた方がいいでしょう。
貴様の常識など不要だという融通の効かなさか、あるいは外敵から世界そのものを守るための防衛機能というべきでしょうか。
ママのように年季の入った“冒険家”ですと、そういった『修正効果』に対する防御手段を有しています。ですが私は半人前なので自力ではまだ無理です。
ですので、頭で考えていたより多くのMPを消費してしまったようです。
「ウイさんみたいに魔法みたいな
前に来た*2時『
『前世の子に成り代わられてたらちょっと“考えた”かもしれないけど、リュウカはリュウカでしょう?』と笑ってくれたのが救いです。
『トキさんって恒常じゃないの!?』と言われた時には少し引きましたけど……。
それはともかく。
「シャーレの先生……ルシア先生についてなんですが──」
あの時ルシア先生が落ちてきてカンナ局長らが駆けつけるまでの間に、のっぴきならない事が起きてそれに対処していました。
ミニパトの上に軟着陸させたまではよかったのですが、腹部を撃たれて重傷を負っていたのです。
シャーレの先生はシッテムの箱が何かしらの結界を張る事で『先生に致命的な被害が及ぶような事象』……例えば銃弾の直撃や爆発の被害を『起きなかった』事にしています。
いわゆる異能生存体*3に近い状況を意図的に起こす事で、脆弱極まりない先生へキヴォトス人なみの防御力を与えていると言えます。
『エデン条約編3章前半』と『最終編1章中盤』の出来事が有名ですし、通称『アロナバリア』の考察の際にはこの二点が真っ先に挙げられます。
ですが深く追求すると『エデン条約編2章中盤』のナギサの謀略*4や、『227号温泉郷の運営記録! ~白い吐息は寄り添って~』でメグが温泉郷を丸ごと爆破した時もカウントするべきです。
どちらも温泉開発部が実行犯……。
先生が原作で危害を加えられたケースは、いずれもシッテムの箱が機能停止に追いやられている状況です。
サオリに銃撃された際はおそらくバッテリー切れ。カイザー兵に殴り倒された際には、プレナパテスがシロコ誘拐のために出現した時の余波でOSがシャットダウンしていました。
また『カルバノグの兎編1章』でデカルトに麻酔ガスを浴びせられて誘拐された事から、気体を防ぐことも出来ないようです。
今回のケースでもシッテムの箱の電源が落ちていたようですけど、どうやら原因は──
「ママ、メインストーリーはどこまで進めましたか?」
「きのう百花繚乱編1章が終わったところ。これが最新のストーリーだね」
示したスマホ画面の『生徒管理』画面には、前衛枠として4.5PVに出ていた生徒三人が並んでいました。
ぐ……Vol.5を待たずに亡くなった『私』がすごく悔しがっている!
「羨まし……ではなくて、ルシア先生のシッテムの箱は銃撃による損傷を受けていました。おそらくプレナパテスになった先生が
「……あー。ヤバい力でアロプラさんがダウンしたって事か」
ルシア先生を撃った男が本当に“シャーレの先生”であるなら、シッテムの箱が弱点でもある事は身を持って知っているはずです。
“反転”したシロコの攻撃に≪色彩≫の力が宿っていたかはわかりませんが、今回のは“名も無き神々”時代の超技術と同等かあるいは──
先生の体内から取り出したFMJ*5拳銃弾が入ったビニール袋をママへ渡します。
「もしかするとヘイロー破壊爆弾のような
「何やってんだよ、その先生は……」
“シャーレの先生”ルシア・ガーネットにはいくつも秘密を抱えている。
『実はモテるために裏で日々勉強している事*6』『薄い本をシャーレ居住区の自室に山ほど隠している*7』『実は狐耳と尻尾があって、頼めばモフらせてくれる』とか、そんな他愛もない(?)ものばかりだ。
しかし、誰にも言えない・知られてはいけない秘密も当然ある。
彼女が一週間に一度の頻度で足を運ぶ、“隠れ家”と呼ぶキヴォトス某所の一軒家はその一つだ。
ゴシップ目当てのマスゴミや犯罪者が常にプライバシーを暴こうとし、危険地帯と化しているシャーレと“シャーレの先生”としての責務から解放されるただ一つの場所。
彼女のプライベートスペースであり秘密基地だ。
裏で賭けらた賞金を狙う連中、および『賞金稼ぎに追われてる先生の警護』と称してストーカー行為を続ける
これは今から一〇年ほど前、研究のために長期滞在した際に買ったものだ。
五年前に一度キヴォトスを離れて放置していたが、幸いな事に空き巣などに荒らされておらず、改修のうえで今も使い続けている。
学園都市では複製困難な特殊な鍵がついた玄関扉を開くと、無人のはずの屋内に人の気配を感じ取った。
「(この波形は……)」
ルシアは“今はシャーレの先生じゃない”とばかりに、腰に下げた“アクセサリー”を手にリビングへと向かう。
「やっほ☆ 久しぶりだねルシア」
そこには本棚から出したデカグラマトンに関する私製資料を片手に、ソファーでくつろぐ旧友の姿があった。
「……アガサ」
手招きされるがままに隣に座ると、ニマニマした笑顔が目前に近づけられる。
「リュウカから聞いたよ。まさか噂のシャーレの先生が君だったなんてね。ああ、喋り方は楽な方でいいよ?」
周りが生徒だらけのキヴォトスに赴任して以来、親しまれやすいよう口調はあえてフランクにしている。
だがルシア本来の彼女はリュウカと同じような“です・ます調”だった。
「ええ、でしたら遠慮なく」
口調を戻すと同時に狐のような耳と尻尾が現れ、ふわふわした尻尾がアガサの左肩を軽く叩いた。
「……それよりもそのリュウカちゃんですが」
「知ってるよ、あの子は
この下りでそんな大げさな言い方をすると言うことは、リュウカが前世で見てきたものの見当はつく。
「……でも君に伝える意味はない」
何故です? とルシアは一瞬言いそうになったが、横着せずに友の思想を思い出しながら解答を探し出す。
典型的な転生者はいま生きている世界を書籍やゲームという形で予め知っており、その知識に基づいて何かしらの行動を起こすのが典型的な
もちろん『原作』への影響を恐れて一切介入しないという者もいる。
「……バタフライ効果*9を恐れている?」
「減点四〇。主な理由は“この先の未来を知らない”からだよ」
『ずっと前に見せた
これから先に起きる事件や災害を『原作知識』として知っている転生者は、見て見ぬ振りをできないか或いは自己利益のためか、あちこちに働きかけてそれを阻止・軽減を試みる事がある。
それらが認知されるうちに『預言者』だの『聖女*10』だのと持て囃されるが、やがて行き詰まってしまい逆に白眼視されるようになるというビターな筋書きの作品もある。
物語はエンドマークがつけばそこで全てが終わるが、現実はどこまでも続いていく。
本編や後日談が終わってしまえば、それ以降の歴史は裏設定としても作られる事は少ない。
前述のバタフライ効果による歴史の変化で精度が下がるだけではなく、“予言”の基となる原作知識が尽きてしまうから予測しようがなくなってしまうからだ。
「それにさ、未来は良いようにも悪いようにも変えられる。現実とゲームの筋書きの区別をつけないと足元をすくわれるからね、だから何も教えないよ」
“転生者の短所は原作から得た知識を妄信すること”とは誰が言ったものか。
やっぱりいつ話してもこの人は変わらないと、ルシアは張り詰めた緊張の糸が弛むのを感じる。
最後に会ってから一年も経ってないはずなのに、もう三年近くやり取りをしていないように思えた。
「それよりも、さ」
流れるような動きで有無を言わさず、腰に下げられたホルダーからシッテムの箱を抜き取る。
ゲーム内のスチルで示された『画面に複数の弾痕が残る』それとは異なる、完全破壊を目論んだかのようにボロボロにされたそれに赤いハンカチを被せた。
そして手品師のようにハンカチを取り去ると、まるで新品同様の状態になったシッテムの箱が現れた。
「……ありがとうございます。何分オーパーツですから、どう修理すればいいのか迷ってた所です」
「出血大サービス。私にできる事はこれぐらいだもの」
シッテムの箱をルシアに返し『さて』と呟き立ち上がると、リビングとキッチンを往復して酒のつまみになりそうな料理をテーブルに並べてゆく。
最後に舌触りがよく食中酒として人気の日本酒を持ち出し、二つ並べたグラスへと注いだ。
「こっちじゃ相手がいないからお酒は飲んでない*11でしょ? 久しぶりに一杯付き合ってよ」
「ではいただきましょうか。後もう一人いたら良かったのですが」
「贅沢言わないの。あの子ホイホイ別世界に行けないんだから」
……
つまみの皿が粗方空になった頃。
「誰だって器用不器用さはありますよ? でももう少し報連相ってものを……」
そこにはシクシクと涙を流しながら、これまでの出来事をベラベラ話す先生の姿があった。
「(やっば……パンドラの箱開けたかもしれない)」
そもそもアガサもルシアも人付き合い程度にしか酒を飲まない人間である。
そしてキヴォトスにおけるルシアは“シャーレの先生”として多忙な毎日を送ると同時に、必ず『先生』という色眼鏡を通して見られるため『友人』と呼べる間柄の者がいない。
目の届く生徒からは『先生なら』と頼られ続け、無関係の周囲からは救世主か精神異常者のように扱われ続ける中で『本質的に孤独である』など普通は耐えられない。
そんな時やってきたのは実の姉妹のように仲が良い長年の友、しかも『物語』を知ってる事を匂わせてなお『自分は関わらない』と一線を引く
酒が入ったのもあり饒舌になった彼女は『良い大人』として『先生』として振る舞うための仮面を脱ぎ捨てて、ひたすら己の中に溜めこんだ膿を吐き出し始めたのだ。
「ほらほら水飲んで! 三■歳にもなって酒に呑まれるなんてみっともない」
「ううう」
キンキンに冷やした水を泣きながら飲むルシアを眺め、アガサは手に入れた情報を心の中で精査し始める。
「(赤の他人なんだか当然といえば当然だけど、ゲームの先生とはだいぶ違うね)」
アガサは娘の話に合わせるために『ブルーアーカイブ』をプレイし始め、まだ常設化されていないイベントなどは動画サイトで補いSNSでの議論も多少目を通していた。
“ルシア先生”は概ね原作の先生と同じように動いているが、大きな差異が生まれている箇所も見受けられる。
原作の先生は『生徒の意思を尊重する』あまり『生徒が己の責任で行動する』事に関しては寛容というか放任主義的で、それ故にユーザー目線から見て不興を買うイベントがいくつもある。
特にメインストーリーのうち『特定の生徒が話の中心であり、先生は狂言回しに徹している』タイプは賛否が分かれやすく、天童アリスとその周辺人物を中心とした『Vol.2 時計仕掛けの花のパヴァーヌ編』は特に荒れた事で有名だ。
本人の愚痴を聞いた限り“ルシア先生”は原作の先生とは正反対に、リオとヒマリの間に立って積極的にアリスや『名も無き神』の遺産を調べて回っていた。
彼女は本質的には学者であり、リオが独自に調査を進めていたオーパーツに強く惹かれたのもあるだろう。
先生はうまく緩衝材として働き、何もしなかった原作よりは良い方向に傾きつつあったらしい。
だがそれでも、リオは原作のシナリオ通り『アリスを処分して確実に安全を確保する』道を選んだ。
そしてアリスが暴走したその日のうちに『ヒマリ以上の障害となる』彼女を、トキを使って拉致し幽閉してしまったのだ。
ユウカとノアによって救出され要塞都市エリドゥに駆けつけた頃には、既にアバンギャルド君もアビ・エシェフも先生抜きで打倒されていた。
確かに先生の存在がノイズと思えるほど、同編は生徒のみで話を進めたほうが筋が通る回でもある。
しかしそれはそれでどうなのだろうか?
「(
であるならば、これらの出来事は
よほど根底から前提を覆さないかぎり、ありとあらゆる“シャーレの先生”が直面することになるだろう。
テーブルに突っ伏して泣くルシアの頭をそっと撫でる。
「アリウス分校の件といい、むしろ明らかに良い方向に向かってるじゃない。君は何も間違えてない。連邦生徒会長も君を選ぶなんて随分目が肥えてるじゃないか?」
親友が世界の命運を左右する立場にいるなんて凄い事だと、少々他人事であるがアガサは心の底から嬉しく思った。
しかし
「……違う」
「え?」
顔を上げ、光を写さない淀んだ瞳が向けられた。
「違うんです。私じゃない、私なんかじゃないんです」
「ちょっと? それどういう──」
「
そう叫び、ルシアは衝動的にアガサを床に押し倒した。
「ちょっと!?」
だがアガサは彼女の肩を掴んで横倒しにし、逆にルシアにマウントを取って叫び返した。
「プレイヤーの分身たる“先生”は連邦生徒会長に喚ばれてキヴォトスにやってきた。でも会長は先生の言葉に耳を貸さず、一人で突っ走って失敗した挙げ句キヴォトスが滅んだ! だからシャーレを作って“先生”に全てを託した二週目以降がこの世界だ。じゃあ君はなんだ!? 選ばれなかったというなら、君はどうしてシャーレの看板を背負っているのさ!?」
「……」
「プレナパテスはそれでも失敗してしまった世界線の先生だ! 『失敗した原因』を乗り越えた先にいた自分に
「……私は」
それでもルシアはあふれる涙を堪えもせず、血反吐を吐くような苦しみを噛み締めながら“ある”一言を告げた。
「……私は、ジン君の代わりでしかない」
「えっ、誰!?」
……
今から■か月前*12。
親友の養女の顔を見に来たルシアは『リュウカが生まれ故郷の高校に進学する』と知り、五年ぶりに学園都市キヴォトスへの渡航を決めた。
前の長期滞在は現地文明の調査が中心であったため、今回は学園都市やその歴史を辿っていくつもりだった。
夢月家からの帰り道、ルシアは十一年ぶりに一人の教え子と再会する。
彼の名は
国際交流の一環で行われた教員の派遣事業で、三年だけ受け持った日本の中学校で知り合った生徒だった。
まだまだ外国人というより珍しい動物を見るような目が多かった子供たちの中で、好奇心の塊である彼は偏見もなく懐いていたのでよく覚えていた。
……狐尾の匂いを時々嗅いでいたのも、悪い意味で強く印象が残っている。
ジン少年は大人になり、“思い出の先生”の後を追って教師となっていた。
他愛もない思い出話に花を咲かせ、さり気なくプロポーズしたのを断られ『これでようやく初恋の未練を断ち切れた』と笑う彼は、数■年生きてきたルシアから見ても“魅力的な大人”に育ったと太鼓判を押すほどの男だった。
そして彼は別れ際にこう言った。
『俺……いや、私はこれから学園都市キヴォトスへ行きます。“ある部活”の顧問になってほしいと頼まれまして』
これはシャーレの事を言っていたのだと、彼女は後で振り返って気付いた。
ルシアは自分もキヴォトスに行く事を告げ、そのうち向こうで会うこともあるだろうと行って別れた。
数時間後。
ルシアは彼の携帯を使った看護師から『患者がどうしても会いたい』と連絡を受け、キヴォトスへの出発を中断し病院に駆けつけた。
彼女はそこで、病床の上に横たわる変わり果てた姿となった元教え子を見た。
ルシアと別れてしばらく後に、居眠り運転で暴走した自動車が歩道に突っ込む事故が起きた。
彼は轢かれそうになった学生を庇い、代わりに犠牲になったのだという。
呆然とする彼女へ向けて、まだ動く右手がゆっくりと動き出す。
『ルシア先生……どうか』
虚空から現れ差し出されたものは、まだ誰のものでもない
『生徒たちを、お願いします』
『……わかった。後は任せて』
カードごと包むように手を取った直後、笑みを浮かべた彼はそのまま息を引き取った。
『今まで生き長らえていた事が奇跡』だと医師は語った。
……
「もしかしてプレナパテスの正体は」
「……ジン君です」
体育座りで膝に顔を埋めたルシアは、震える声でそう告げた。
いくら『ブルアカ』の話がギリギリの綱渡りで成り立っているとはいえ、親友が“失敗する”姿が浮かばないというのはあった。
でも二度も恩師に後を託して看取らせるなど、残酷極まりない行いだとアガサは思わざるを得なかった。
「じゃあさ、この間君を撃った別の世界線の先生も──」
「……」
「……そう」
アガサはそれ以上は何も言わず、そっとルシアを背中から抱きしめた。
決して人前で泣く事が許されない者の嗚咽は、彼女が泣き疲れて眠りに落ちるまで続いた。
早朝。
ルシアをベッドへ寝かせて後片付けと朝食の準備を済ませた後、アガサは娘とその親友が住むマンションへと戻ってきた。
まだ外が暗い時間。マーヤを起こさないように気を付けながら、リュウカへ“シャーレの先生”が抱える事情を洗いざらい語った。
「……まさか原作の先生にあたる人が他に居たなんて」
「何年ぶりかな、こういった話で驚くのは」
ベッドに腰掛けるリュウカと椅子に座るアガサは、揃ってため息をついた。
ジン先生なる青年の発言と今現在シャーレが存在する事実から、この世界を含む“キヴォトス”は一度『捻れて歪んだ先の終着点』を迎えているらしい。
であるなら本来は彼がシャーレの顧問となって
ならばこの異常事態の原因は何なのか?
「……私のせい、ですね」
「滅多なこと言うんじゃないよ」
アガサは娘の考えを即座に否定するが、一度脳裏に浮かんだ可能性は濁流のようにリュウカの心を呑みこんだ。
「捨てられていた私をママが拾った事でキヴォトスとの接点ができた。私がいたからルシア先生はキヴォトスに興味を持った、私がいたから先生はあのタイミングでママに会いに来てジン先生と再会した。それが無かったらジン先生が事故に遭遇する事だって──!」
「リュウカ!」
青ざめた顔で震える娘の肩を掴み、負のスパイラルに陥った思考を止めるために叫ぶ。
「君に落ち度はない! それを言うなら君をキヴォトスの施設に預けず引き取った私の責任だ! ルシアも、ジンさんもそれに巻きこまれてしまっただけだ!」
「……」
養母の剣幕に圧されたリュウカは言葉を失う。
それを見たアガサは一呼吸おくと、優しくほほ笑みながら娘へ語りかけた。
「……本当に悪いのは生まれたばかりの君を捨てたド畜生と、居眠りして車を暴走させた大バカ野郎だけだよ。違う?」
「……そうですね」
運命のイタズラとはなんと残酷なものか。
キヴォトスでもありふれた問題である『捨て子』の一人は、まさにバタフライ効果と呼ぶべき大きな影響を世界に与えていた。
「それでも“お前が悪い”なんて言う人は、きっとこの状況を望まない者だけだよ」
「そうそう。男だろうと女だろうと、代理であっても。“シャーレの先生”はあの人が積み上げてきた名前でしょ?」
「「え?」」
二人して扉の方へ顔を向けると、眠たそうな顔で扉の枠に寄りかかるマーヤがそこにいた。
「いつの間に?」
「だってリュウカもアガサさんもめっちゃ大声あげたじゃん。まだ四時だよ?」
防音対策はしっかりした建物であるが、流石に声を張り上げすぎたらしい。母娘揃ってなんとも言えない複雑な表情を浮かべた。
「最初から聞いてなかったから、気の利いた事は言えないけどさ」
マーヤは結ばず下げたままの髪を揺らし、リュウカの傍らへと歩み寄った。
「ボクは今ここにいるリュウカと出会えてよかったと思ってるし、その気持ちは変わらない。人としての道を踏み外さない限り、どんな時でもボクはリュウカの味方だよ?」
リュウカの隣に座り、そっと肩に寄り掛かる。
「貴族の忌み子でも異世界魔女でも関係ないよ。リュウカはリュウカでしょ?」
「……はい」
「そういうこと。……ぐぅ」
言いたい事だけ言い切ると、マーヤはそのまま二度寝を始めてしまった。
そんな彼女をベッドへと寝かせて、リュウカはささやくように感謝の言葉を伝えた。
「ありがとうございます、マーヤ」
「(せ、精神的イケメン……! マーヤさんが男だったら嫁にやってたわ)」
そんな二人の姿を見て、わりと台無しな感想を心に浮かべた母だった。