善吉が去った教室の中。そこに満ちていたのは憎悪や殺気──などではなく、意外なことに純然たる闘志、そして互いが求めるゴールに向かおうとする意思だけだった。
「いやあ、それにしても困ったものだぜ。久しぶりに君に会った僕としては、雪ちゃんを頭の中で甚振ったことよりも先に、気を抜いている相手を乗っ取れるスキルである「慢心操意」で君の意識を乗っ取ったことを怒られると思っていたんだがね」
「ハッ、まさか私も気を失っていることを気を抜いていると解釈されるとは思ってなくてね……だけどそんなことはもうどうでもいいんだよ。私は雪ちゃんを虐めたやつを斬り伏せるためにここに来たんだから」
雪はぐっと手に持つ刀に力を入れる。当然そのまま斬れるとは微塵も考えていないが、攻撃の意思表示として力を込めたのだ。
「うーん、そうだな……徒手空拳で戦ってみるのもありだけれど、なんだか今の僕は興が乗っていてね。ここは一つ君の形式に則って、刀で遊ぶことにしようか」
安心院なじみは首筋に刃を付けられている状態から、好きな時に好きな場所にいることが出来るスキル「腑罪証明」を使っていとも容易く脱出すると、刀を精製するスキル「見囮刀」を使って刀をその手中に収めた。
「ま、いつでもかかってきなさい。僕は優しいからね、使うスキルは1京2858兆0519億6763万3865個のうちの50個に抑えてあげようじゃないか。これは大チャンスだぜ、雪ちゃん」
「ふうん、あんまり舐めないでほしいな? だけど、そこまで言ってくれるなら仕方ない!」
雪は口の端を吊り上げて笑うと、その手に持った刀を中段に構え、安心院なじみに正対した。相手をしっかりと見据え、雪ははっきりとした声で宣言する。
「こっちも50個で行かせてもらう」「それでこそ君だ」
雪は安心院なじみに向かって飛び掛かり、先手を取った。大きく振りかぶられた刀は振り下ろされ、安心院なじみの急所目掛けて吸い込まれるように進んでゆく。
当然のことながら安心院なじみがみすみす攻撃を食らうはずもなく、その手に持った刀によって雪の攻撃は防がれた。刀を盾にするスキル「腰のものを盾にする」による防御である。
「おっと、早速刀剣系スキルを2個も使っちまった。あと48個ねえ……流石の雪ちゃんとはいえど、僕の首を取るには少々厳しい数字なんじゃないかな?」
「ぬかせ、全能女! こちとらまだ0個だっつーの!! むしろこっからが本番だから、この程度でやられてもらっても困っちゃうからな!!」
雪はその獰猛な笑みを一層深めながら、安心院なじみに向かって啖呵を切ってのけた。そしてそれらは一切虚言ではなく、ここからが雪にとっての本番であるということを意味する。
深く息を吸い込む。目の前の強敵の姿を見据える。輪郭を鮮明に。境界は曖昧に。体が、心が熱く燃え上がる。しかし頭はあくまで冷静に。冷徹に。冷血に。温度差が格差を生む。全身から溢れ出す殺気にも似た冷えた気配が、戦いの火蓋を斬って落とす。
「──行くぜ。」
敵の体勢を斬り崩すスキル「危険体」先端から斬り裂くスキル「小手裂きの勝負」刀を盗み取るスキル「窃刀罪」全身くまなく斬るスキル「一視同刃」一振りの重さを二倍にするスキル「鍛冶場の馬鹿力」斬った相手が犯した罪の数だけ切断するスキル「人科千件あれば愛も地に堕ちる」斬ろうと考えた部位がいつの間にか斬れているスキル「刀行逆施」刀傷に病原菌を流し込むスキル「一寸裂けば病み」常に切れ味を最高の状態で保つスキル「初心に太刀返る」手で触れた刀身を瞬時に修復するスキル「元の鞘を手中に収める」先の先を取るスキル「先々恐々」過程を斬り落とすスキル「人の噂も一刀両断」刀の真価を引き出すスキル「刃事は棺を蓋わずとも定まる」窮地に陥ると刀の切れ味が増すスキル「剣が峰に仁王立ち」剣の動きを完璧に見定めるスキル「試剣官」斬撃がその場に留まり続けるスキル「虎は死して皮を留め人は死して傷を残す」斬撃に鎌鼬と雷電が追従するスキル「風刃雷刃」斬った物体が朽ち果てるスキル「腐れ縁は斬り離せず」攻撃を刀で受け流すスキル「細工は流刀仕上げを御覧じろ」急所を斬られたと錯覚させるスキル「寸断殺陣」刀身が燃えるスキル「発火傷」斬られた数だけ動きが鋭くなるスキル「斬って反省斬られて感謝」必ず鍔迫り合いに持ち込めるスキル「至れり鍔迫り」音の刃を放つスキル「斬響時間」相手に割腹を強要するスキル「腹を割って斬り離す」斬撃無効化のスキル「剣もほろろ」七刀流のスキル「七剣抜刀」ありえない斬り方をするスキル「剣士の一生は重荷を負うて今は無き道を斬り拓くが如し」斬れば斬るほど威力が上がるスキル「乱刀騒ぎ」刀に触れると勇気が湧くスキル「鼓舞道」攻撃権を持ち続けるスキル「基本的刃剣」斬り結んだ刀剣が持ち上がらなくなるスキル「上段抜き」最高の斬撃を繰り出すスキル「精神一刀何事か成らざらん」無闇矢鱈と斬りまくるスキル「斬虐」体内から斬るスキル「獅子心中の武士」悪感情の重みを刀に乗せるスキル「坊主憎けりゃ袈裟斬り」剣を引き寄せるスキル「剣引力」音を立てるように斬ると切れ味が上がるスキル「剣々諤々」傷からの出血を増やすスキル「裂き染め」斬った相手の冷静さを奪うスキル「堪忍袋の緒を斬り結ぶ」物理法則を斬るスキル「守破理」刀を受けた物体の経験値を減らすスキル「荒刀無稽古」光速で斬るスキル「電光切火」常識を斬るスキル「大根で正宗を斬る」声で斬り刻むスキル「言の刃」刀が薄くなってしなるスキル「剣先三寸」必ず斬撃が当たるスキル「見敵斬殺」全力を出し続けるスキル「死刀の果てに」何でも斬れるスキル「無想剣」
肉を切らずに骨を断つスキル「裁人の手技」命中のスキル「狙数増」一振りで二回斬るスキル「二重走」追加攻撃のスキル「二の腕三の剣」居合のスキル「健脚の抜き足」刀が曲がるスキル「ひねくれ者」刀傷が自動増殖するスキル「創傷」絶対斬のスキル「これっきりの厄足」刀の長さを変えるスキル「八刀身」原子を斬るスキル「骨盤号」三回斬れば対象のスキルを封じるスキル「三度目の消自棄」かすり傷が致命傷になるスキル「悪化傷」剣の重量が自在のスキル「剣重足帝」滅多切りのスキル「定滅多標敵」全方位同時斬撃のスキル「多手多様」斬らずに斬るスキル「無病死」剣速のスキル「足度違反」後の先を取るスキル「居待ち時間」剣を巨大化させるスキル「体剣断」第三の手で斬るスキル「剣士の禁じ手」斬った対象の血液を沸騰させるスキル「瀉血消毒」二刀流のスキル「双肩術」己を斬ると刀がパワーアップするスキル「身斬り発車」刀を合体させるスキル「合成樹指」鞘で斬るスキル「恋の鞘痕」柄で斬るスキル「柄見本」必ず折れるが威力絶大のスキル「下手な剣士も一度は名剣」格好いい台詞と共に斬ると威力が上がるスキル「鞘走りより口走り」刀身に触れていると体力が回復するスキル「疲れ知らず」対象武器破壊のスキル「へしきり叫べ」障壁をすり抜けるスキル「殺陣尽くす」刀傷を腐らせるスキル「腐論理性」常に自然体を保つスキル「自護精神」持ち主の代わりに剣がダメージを受けるスキル「肩側離」斬りたい物だけ斬ることができるスキル「血は水よりも薄い」剣戟弾幕のスキル「瞳孔隠し」星すらも斬るスキル「剣を翻せば星雲を斬り剣を覆せば流星群雨を斬る」挟撃のスキル「破砕身」平衡感覚を斬るスキル「斬半器官」斬った回数に応じて剣の形が変わるスキル「改吸剣」感情の重みを剣に乗せるスキル「気乗りな構え」隙を消すスキル「一刀骸」剣圧を飛ばすスキル「人を呪わば風穴二つ」生命以外を斬るスキル「命をおおごとに」微塵切りのスキル「斬り砲台」概念を斬るスキル「基本概念の大綱」降らずにいるほど威力が増すスキル「飛び斬りの一閃」残心を忘れないスキル「鬼気管理」
「そして最後にスキルを数えるスキル『指折り確認』だ。刀剣系スキル×50に、好きな時に好きな場所にいることができるスキル『腑罪証明』を加えて合計51個か。一つオーバーしちまったが──ま、ただの人間を相手にするにしては使ったもんだぜ。だろ? 雪ちゃん」
雪とスキルを用いた剣戟を繰り広げた安心院なじみは、指を一本一本折りたたみながら、汗一つかくことなく、相も変わらず余裕の表情でその場に佇んでいた。
「……あーくっそ、こっちは死力尽くしてやってるってのにさ……腹立たしくて嫌んなるぜマジで……!」
それに対し、雪の様相はまさしく死に体、全身から傷のない場所を探す方が難しいような有り様だった。
練度では負けていない。むしろ刀の使い方だけに話を限るのであれば、雪の方が安心院なじみよりも数段上手である。だというのにどうしてここまでの差が生まれているのかと問われれば──。
「それにしても、君もよくやるね。まさかこの僕を相手に、たった今考えついたであろうスキルで対抗しようとするなんて。いくら君のスキルが便利だからって、それに胡座をかいちゃあいけないぜ。安心院さんからのありがたいアドバイスだ」
「いやあ……度肝を抜ければ行けるかと思ったけれど……そこまで甘くないよな……そりゃそうか」
単純に、スキルの使い方が問題だった。安心院なじみはスキルを使う時に、いちいちどのスキルを使うかを吟味しない。する必要がないほどにスキルの量が膨大だからである。
それに対して、雪はスキルの効果、使い時を吟味しながら、適切なタイミングで使わなければ安心院なじみとは渡り合えない。そのほんの少しのタイムラグが、二人の試合の明暗を分けた。
「君が雪ちゃんに貸していたスキル……『改稿斬昧』だったっけ? 雪ちゃんは球磨川くんの真似事をするために本質を『却説遣い』で書き換えて使っていたみたいだけれど……まさか君の元に帰ってきていたとはね!いやマジで驚いたぜ、実際」
「そりゃどーも……それと私が使ってる時は全てをつまらなくする過負荷の方の『改稿斬昧』じゃなくて、見たものを瞬時に理解して再現できるスキルの『懐古三昧』だから……」
「適当抜かしてな。負け惜しみだとしても見苦しいぜ」
雪はぜえぜえと荒い息を吐きつつも、安心院なじみの間違い(当然煽ることが目的である)を正した。正したところで意味はないのだが。
「君はどうせ、私がまるで本を読むみたいに他人のことを見るから編数とか呼んでいたのだろうけれど……とにかく、そこのところよろしく」
雪は大したことでもなさげに自らのスキルの正体を明かすと、荒い呼吸をどうにか抑えようと深呼吸を試みる。すぅっと息を吸い込むために上体を起こした雪は、突如何者かに……というか安心院なじみに抱きしめられた。
「いやね、本当に僕は感心したんだぜ。昔に比べて君は遥かに人間らしくなった。僕は君が羨ましいよ。やろうと思えば僕と同じことができるのに、それを我慢して他者に歩み寄れるっていうのはさ」
「ハッ……私が人間らしくなったと、安心院さんがそう思うんだったら、きっと変わったのは私じゃないさ……」
雪は自分を抱きしめる安心院なじみの腰に手を回し、緩めに抱きつき返しながらそう言った。抽象的で要領を得ない発言だが、何かが気にかかる。
「……それは、一体どういうことかな?」
「いやなに、別に大したことじゃなくてね……おっと、その前に安心院さんには、言っておかなきゃいけないことがあるんだった……」
雪はそう言うと突然ニヤリと笑い、そして訝しむ安心院なじみに向けて、高らかに、いっそ自慢げに宣言したのだった。
「胴がガラ空きだったぜ!!」
安心院なじみは、突如としてチクリとした感覚を感じたために感覚の方向を見る。ちょうど胴のあたり、雪に抱きしめられている部分。
安心院なじみの服はその部分だけぱっくりと裂かれており、その下に秘されていた白々とした肌が赤く染め上げられていた。
「……んふふ、胴ありで私の一本勝ちだ、このやろー」
そう悪態を吐いた直後、雪は血を流しすぎたこともあってか、ぱたりとその体を完全に安心院なじみに預けて気絶した。安らかな寝顔であった。
「……ああ、なるほど……しまったな、完全に僕のミスだこれは。雪ちゃんの形式に則っちゃったら、それはつまり剣道のルールで戦ってあげようって言ってるようなものじゃないか」
安心院なじみは気絶した雪を床に横たえてから、彼女に向けてスキルを数えるスキル「指折り確認」を使用する。
「……刀剣系スキル×49、そのあとしばらくしてからもう一つ……なるほど、思わず抱きついた時に使われたね、これは」
安心院なじみの観測通り、雪は気絶する寸前、もう一つスキルを使っていた。とはいっても、大したスキルではない。体の部位を刀であると定義するスキル「刃則化断」という、あまり使い所のないスキルだ。
「ふむふむ、なるほどねえ……手を刀と定義する……つまり手刀で、僕は一指報いられたわけだ」
驚異的な回復力のスキル「全治死」によって即座に斬り傷を治すと、安心院なじみは一人で感想戦を始めた。
「うーん、これは一本取られたかな。言い訳をする気にもならない、完膚無きまでの大敗北だぜ」
安心院なじみはやれやれといった風に立ち上がると、教室の扉に向けて迷いなく歩き始める。その顔にはいつもの笑みが浮かんでいる。
「ま、別に負けたからなんだっつー話だけどさ。別に僕はこのまま外に出て行って好きに出歩いて、その辺でインターネット小説を読みまくってめだかちゃんの卒業を待ってもいいわけだし」
雪の作戦には穴があった。それは安心院なじみを縛る封印は既に、雪が知っているよりも緩んでいたということである。当然安心院なじみのスキルは多少制限されているけれど、それでも一億個くらいであれば完璧に扱うことができる状態になっていた。
「……………………ただまあ、ここは雪ちゃんの顔を立ててあげてもいいかな。別に今外に行こうが行かなかろうが、なーんにも変わりやしないしね」
しばらくの間何かを考え込んだ安心院なじみは突然踵を返すと、今なお床で眠る雪の顔をじろじろ眺めながら、何やら不穏なことを呟いた。
「君にはまだやってもらうことがあるからね、ちょっと付き合ってもらうよ……雪ちゃん」
誰の耳にも安心院なじみの呟きは届かず、あらゆる備品が破損した教室に音が響いただけだった。
「……よお、雪。話がある。聞いてもらうぜ」
「うん。なんでも言って。全部聞かせて。とっくのとうに……覚悟はできてるよ」
所変わって箱庭学園の教室。
もう一つの戦いが、終局を迎えようとしていた。
「お前……結構バカだよな?」
「えっ?」
意外なことに、最後の戦いは穏やかな始まりだった。