「やっほー、善吉くん。生徒会戦挙編が終わったっていうのに全然会いに来てくれないから、僕から遊びに来ちゃったよ」
机に腰掛けた人外は、そう言って朗らかに笑ったのだ。
皆の驚きを意に介することなく、白髪で巫女服の人外は、その調子を崩さないまま雪にも話しかけた。
「それに、随分久しぶりだね、雪ちゃん。君が傷付けた人達のことはすっかり忘れて、楽しく過ごせているようで何よりだ。僕としても鼻が高いよ」
『頭が高いの間違いじゃあないのかい?』
現実味のない人外の、皮肉を込めた言い回しに最も早く反応したのは、最低最悪の『負完全』である球磨川禊だった。
『どういうつもりでそんなことを口走ったのかなんて、僕みたいな一般人からすれば到底及びもつかないことだけれど……言葉には気を付けろよ』
「やあ、球磨川くん。随分元気がいいねえ。どうやら、何かいいことでもあったとお見受けするが……差し支えなければ、聞いても構わないかな?」
『これはまた随分と白々しいね。他のみんなは、君のことを覚えていないようだから分からないだろうけど、僕には分かってるぜ。君が一部の生徒に雪ちゃんを悪く言わせたってことは』
「なっ……こいつが!? 一体どうやって……いや、そもそも誰なんだ? それに、いつからそこにいた!?」
禊がさらりと吐き捨てた言葉を聞き逃した者は、その場に誰一人としていなかった。普段の禊の発言はふわふわとしていて掴みどころの無いものではあるが、こと妹……雪・雪の話になれば、その認識は反転する。
あの妹想いの球磨川禊が、確かに、一つの迷いもなく、言い淀むことなく『お前が犯人だ』と言い切ったのだ。当然生徒会執行部の面々+人吉瞳は、その発言を一も二もなく信用した。
「いつからって、そりゃあいつからでも、さ。「腑罪証明」という、僕の持つささやかなスキルでね」
座ったままの人外は、複数人から睨みつけられても動揺一つしない。それどころか、睨みを利かせている善吉たちに向かって、不敵にも微笑んで見せた。
「僕はいつでも好きなときに好きな場所にいられるのさ。密室でも宇宙でも、天国でも地獄でも、夢の中でも心の中でもきみ達の中でもねえ」
「な……そんな馬鹿なことが──」
『囚われるなよ、善吉ちゃん。確かに「腑罪証明」は彼女が好んで使うスキルだけど、それを彼女の本質と思っちゃ駄目だ』
禊は存在があやふやな人外を螺子で制圧したまま、善吉の方を向かずにそう諭す。続けて禊が口にしたのは、聞き間違いのような一言だった。
『そんなスキルは彼女にとって、わずか一京分の一に過ぎないんだから』
「……一京!? おいおい球磨川、そいつは流石に冗談だとしても笑えねえぞ……!」
『そいつが残念、なんと冗談でも怪談でもないんだよね。ちょっと前まで大嘘吐きだった僕の言うことだから信じられないかもしれないが、こいつに関しては真剣なつもりだよ』
再び禊のセリフによって場が凍る。善吉は禊の声音が真剣なものになっていることを感じ、疑いを持つことをやめた。その代わりに、自分のその眼をもって人外の心内を覗き込むことにした。
(一京……一京だって? 球磨川や雪だって二つが限度だったっつうのに、一京のスキルとかまるで信じられねえ……ここは「欲視力」で……!?)
善吉は戦慄した。目の前にいるその女には、人間と風景の区別がまるで無かったのだから。
「ふふっ、なんだいなんだい。ついこないだまで切った張った……いや、斬った貼ったをしていた癖に、球磨川くんも善吉くんもすっかり仲良くなっちゃって」
徐ろに立ち上がった人外は、者を物として見ている瞳に涙を浮かべて善吉と禊に近づいた。そしてその体を善吉と禊に預ける直前。その動きを阻害する者が二名ほど現れた。
「おいおい困るぜ、人のお兄ちゃんに色目を使っちゃあ。いやまあこの場合は、色目というより涙目なのだけれど」
「それに善吉くんも困ってるよ。ぼくとしては、できればこのまま、脇目も振らずに離れて欲しいなって思ったり」
既に涙を引っ込めている人外の動きを、刀を用いて停止させたのは、メイド服を着用した二人の女子──球磨川雪と球磨川雪だった。
「おや、雪ちゃん……その様子だとどうやら、そこまで動揺はしていないみたいだね。さっきは酷いことを言ってすまなかった、許しておくれ」
「別に怒ってなんかないよ。ぼくはただ、生徒会室に帰って来たらきみと鉢合わせたことにびっくりしただけだから……だから気にしないで?」
「そういうことらしいぜ、安心院なじみ。雪ちゃんの広ーい器に感謝しながらさっさとどこかへ消えてくれ」
左右の頸部に真剣を添えられているにも関わらず、へらへらと笑う人外──安心院なじみは余裕たっぷりに言葉を紡いだ。
「安心院なじみ? いいや違う、僕は安心院なじみじゃない。彼女の双子の妹の、安心院うとみだ……なーんちゃって。いつかの球磨川くんの物真似だぜ」
「はっ、誰も引っ掛からねえよそんな嘘。それよりお前、随分と余裕じゃないの。私は今ここで、もう一回やり合ってもいいんだけど?」
「まあまあ落ち着きなよ雪ちゃん。そんなに怒っても僕が君にあげられるものなんて、精々『敗北』の二文字がいいところだぜ」
怪しく笑う人外はそう言って雪を煽ると、喜界島、阿久根、瞳、そして善吉を順に見やってから、再び机に腰掛けた。そして正面を見据え、透き通った声を放ち始めた。
「そんなことよりも、だ。初対面の人もいるし、忘れてる人も、うろ覚えの人もいるみたいだからね。何事も最初が肝心だからね」
「この箱庭学園の 創設者で」
「平等なだけの
人外だよ」
「ちなみに後ろの彼……僕が登場した時から、ずっと僕の背後に立ち尽くしている、背中に≠と書かれた服を着ている彼は不知火半纏。ただそこにいるだけの人外だ」
あっけらかんとそう言ってのけた人外──安心院なじみの語り口は留まるところを知らず、二の句三の句を継ぎ続ける。
「これは君達に合わせて適当に名乗っているだけだけれど、呼び名みたいなものも一応教えておこうか。二人合わせて『悪平等』だ。名前だけでも覚えて帰っておくれ」
そこまで一息で話し切った安心院なじみは、勝手に満足した気になって、話すことをやめた。当然納得など出来るはずもなく、阿久根は安心院なじみの言葉に噛みついた。
「箱庭学園の創設者だって……? あまり適当なことを言うなよ、安心院さん! 箱庭学園は、黒箱塾時代も含めれば200年の歴史を誇る──」
「僕のことは親しみを込めて安心院さんと呼びなさい。そして、たかが二百年がどうしたと言うんだい。一京分の一のスキル、『死延足』によって永遠を生きている僕にとって──」
「──そんな数字は歴史じゃないな」
彼女を言葉で表現するのであれば、それはまさしく「人外」であった。それもそのはず、思考や発言などが、あまりにも人間から逸脱しているのだ。自らを人外と称する彼女は、正真正銘の「人でなし」でもあった。
感情が読めない。表情が読めない。故に、心が読めない。緩やかな笑顔を携えたその鉄面皮の下では、いったい何を考えているのかが全くもって不明瞭であった。
それならばここは当然、心療外科医である人吉瞳の出番であろう。全員がそのことを理解していたからか、一旦その場は瞳の手腕に託された。
「……安心院さん、だっけ? やたらと人外であることを強調したがるけれど、人外であることにこだわりでもあるの? それとももしかして、そこに何かヒントがあったりするのかしら?」
「ノーコメントだ。その質問に僕が取り合う必要は全く無いぜ、心療外科医の人吉瞳ちゃん。ま、こだわりのような物は持っている、と……ここはそう答えておこうかな」
瞳の診察によって何かが分かったかというと、特にそのようなことはない。核心に迫るような発言も無ければ、肝心の精神性を理解することもできなかった……が、しかし。
安心院なじみの発言に、魚の小骨のような、僅かな引っ掛かりを覚えた者が三人程存在した。その人物とは、球磨川禊、球磨川雪、球磨川雪の三人である。
(ノーコメント、ねえ。あの安心院さんが? そんなことはあり得ない。多分なにか考えがあるからこその沈黙だね、これは)
(安心院さんがわざわざ茶を濁したってことは……それだけ触れられたくない所ってこと? だとしても、一体どこが……)
(なるほどね。多分だけど安心院さん、文字通りの意味で人外を名乗っているわけではないな?)
三人はそれぞれの考えを脳内で巡らせる。別々の観点、別々のアプローチ、別々の思考回路……結果として禊、雪、雪の三人は、同じ結論に辿り着いた。
(((とりあえず初動は、様子見といこうか)))
勇気ある思考の放棄。というよりは、放置であった。それもそのはず、安心院なじみの発言の意図を完全に理解するには、まだ言葉が足りなすぎるためである。
しかし安心院なじみを前にしてなお冷静さを保っているのは、三人に加えてめだかくらいのものだった。近頃はバトルで問題を解決することが多かったからか、やけに好戦的な善吉は安心院なじみに突っかかった。
「ハッ……! だからなんだっつーんだよ、馬鹿馬鹿しい! 人外だか人でなしだか知らねーが! 要するにお前達が次の敵なんだろ! いや、最後の敵というべきか!? いいよ分かった、戦って──」
「落ち着いて、善吉くん。安心院さんが意味深に言っているからついつい勘違いしちゃうと思うけど、事態はそこまで深刻じゃないから」
焦りは伝播する。恐怖は伝達する。ならばそれは逆もまた然りであり、雪は善吉にそう言うことによって、ヒートアップした空気感を冷静な状態に戻してみせた。
「雪ちゃんの言う通りだよ、善吉くん。僕は別に、君達と戦いに来たわけじゃないんだからね。だからつまり、僕は白旗を上げに来たのさ。めだかちゃんには何があっても勝てないからね」
「へえ、一京のスキルを持つ安心院さんが随分と弱気なことじゃないの。一回私に負けて、また負けるのが怖くなっちゃったのかな?」
「今日はよく口が回るねえ、雪ちゃん。さっきから随分と僕を煽ることに躍起になっているようだけど、君は一体何をそんなに探っているのかな? それとも、僕に知られたらまずいことでもあるのかい?」
「別に? らしくもなく弱気だからね、老婆心ながら発破をかけさせてもらおうと思ったのさ。ま、年齢的にはお婆ちゃんなのは安心院さんの方だけれど」
「わっはっは、幼稚な暴言だねえ。身長も小さいし、雪ちゃんって本当は小学生とかじゃあないのかい? 雪ちゃんと比べて、随分と器も小さいみたいだしね。胸も小さい」
が、しかし。折角雪が一度納めた生徒会室の空気は、一瞬にして再び沸騰した。そして雪が手に持つ刀に徐々に力が込められ、安心院なじみの首が斬られる直前で、雪の持つ刀が突然砕けた。
一本の螺子によって。
『雪ちゃん。君の気持ちも十分に分かりはするけれど、ここは堪えておくれ。それをやっちゃあおしまいだからね』
「そうそう。ぼくのためを思ってやろうとしてくれていたのは分かるけど、ほら、ぼくはあんまり怒ってないよ。それに、雪ちゃんはもう汚れ役なんてしなくていいんだよ」
「……分かった。ごめんね雪ちゃん、お兄ちゃん。それに……安心院さん、斬ろうとしてごめん。でも、いつかは謝ってもらうから」
「別に構わないさ、僕は気にしてないよ。なんてったって、僕は人外だ。首どころか胴体を両断されたって死なない……ん? いきなりどうしたんだい、雪ちゃん」
何故かは分からない。何故かは分からないが、突然雪の表情が死に、その顔色は真っ青に染まっていた。それに呼吸も荒い。あまりの変わりように、安心院なじみでさえも本気で心配した。
何故かは分からない。雪と雪以外には、絶対に。
だから雪を守れるのは、雪しかいない。
守らなきゃいけない。
「……ごめんお兄ちゃん、ここは任せてもいい? 雪ちゃんちょっと、安心院さんが胴体から両断される所を想像して気分を悪くしちゃったみたいだから」
『構わないよ。ここ最近働き詰めで疲れていただろうしね。保健室にでも行って、一旦休んでくるといいさ。事の顛末は家に帰ってからでも話してあげられるしね』
「へえ、意外と可愛いところがあるんだね、雪ちゃんにも。心配してくれてどうもありがとう、心優しい雪ちゃん。だけどその心配は無用の長物さ。何故なら僕は死なないからね。『死なない遺伝子』というスキルを持っているから、そもそも死ねないと言ってもいいかな」
「……そうだね、そうだよ、そうだった……君は死ななかったね、忘れてたよ。だけど、ちょっと、憧れの人が死ぬのを想像しちゃって……疲れがどっと押し寄せてきちゃったみたい」
雪は誰が見ても、かなり弱っている。見た限りでは多量の発汗もしているし、顔色も悪い。話し声は震えていたし、話し方もいつもの強気なものではなく、弱々しいものになっていた。
そして何より、本音が隠せていない。
雪が言い放った「憧れの人」というワードを聞き逃した者は、その場には一人としていなかった。
もっともそれが、本音かどうかは、本人以外知る由もないことだったのだが。
「それじゃ、行こっか雪ちゃん。いつもお疲れ様、たまにはゆっくり休んじゃおっか」
「うん。ごめん……じゃないや。ありがと、雪ちゃん」
そう言って二人は、生徒会室を後にした。そこに残されたのは、やはりと言うかなんと言うか、漠然とした解散ムードだった。
「やれやれ、なんつーか、長話をする空気感じゃ無くなっちまったし、さっさと話を切り上げて僕は帰ることにするよ。僕の目的はめだかちゃんが卒業した後にフラスコ計画を再開することだから、そこの所よろしく頼むぜ。それじゃあね」
「なっ、卒っ……おい待て!!」
善吉の制止の言葉はまるで聞こえていないかのように無視され、雪と雪に続き、安心院なじみと不知火半纏は生徒会室を後にした。
「……なるほどな、安心院なじみ……聞いた事もない名前だな。いやはやまさか、箱庭学園の創設者と戦うことになろうとは」
生徒会室に戻ってきためだかは、皆からの話を聞くなりそう言った。どうやらめだかは、安心院なじみのことを覚えていないらしかった。
「俺も初耳だよ……それより、あいつはマジでやばいぜ。球磨川や他の過負荷達の方が数段マシだ。『欲視力』で覗いたあいつの視界では、俺達とその辺の消しゴムはまるで同じ価値だったんだからな!!」
「でも、それっておかしくない? そんな人外が『人間を完成させる』ためのフラスコ計画を立案したことは、何というか、辻褄が合わないような……?」
善吉の報告を受けて、喜界島は至極当然な疑問を口にした。どちらにせよ人間を平等にしか見れないのであれば、なるほど確かに「人間を完成させる」などという謳い文句は戯言だ。
『……どうする気だい、めだかちゃん。僕としては雪ちゃんのお見舞いに行きたい所だし、ここは一つ、君の鶴の一声で今後の方針を決めてほしい所だけれど』
「今後の方針? そんなもの決まっているだろう。というより、以前から決めてはいた事だ。地下研究所を潰して過去を粉砕し、マイナス十三組に勝利して現在を守った私達だ。であれば後は、未来を作るだけだろう!!」
心なしかそわそわしていて落ち着きのない禊の言葉に、めだかはごく自然に、落ち着き払った声で答える。めだかはあくまで余裕を保ったまま、彼女が前々から思い描いていた秘策を口にした。
「私が卒業した後のことなど、入学する前から憂いておった。であれば当然、どうすれば良いかも昔からとっくに考えていた!! 全ては簡単な事なのだ。つまりは──」
「私の後継者を作れば良い。」
扇子を広げ、凛とした態度で、黒神めだかはそう言った。