時計台内部。つい先ほどめだかとの戦闘に敗北した鴎は、血まみれになりながらも、なんとか意識を保っていた。
勝者であるめだかは、伝聞だけで赤のスキル「五本の病爪」を再現し、自分とついでに鴎の体を治療して帰って行った。
と、そこへ突如として安心院なじみがやってきた。目的はもちろん、鴎の安否確認である。
「やあお疲れ、鶴喰くん。どうだったかな、黒神めだかを経験した感想は」
「ああ、えっと……安心院さん、ちぃーっす……」
「おや、いつもみたいに『安心院さん』って呼ばないのかな。僕はいつもの決めゼリフを言うのを楽しみにしていたというのに」
「そうならそうって先に言ってくださいよ……大体私は疲れてるんです、事情聴取ならまた今度にしてくれませんかね?」
鴎のその発言に、安心院なじみは少々困惑した。なぜか普通に喋ることができているからだ。いやまあ、別に鴎は『女子と話せない』だなんて、そんなコテコテの設定を抱えているわけでもないのだが。
その辺り、どうにも違和感を覚えないでもない──。
「きみ、そんなに女子と喋れるタイプだったっけ?」
「ん? ああ、これ……ほらあの子いるじゃないですか、雪ちゃん。あの子と話してるうちに段々と慣れてきて──」
「あー、うん。もうそこらで止めてくれて構わないよ。あの子は本当に友達を作るのが上手いねえ。この学園の半数以上どころか、ほとんど全員と顔見知りなのだから大したものだよ」
安心院なじみは思いを馳せるかのように宙を仰いでから、しばらくして、再び鴎の方へと話しかけた。
「そうそう、本題を忘れるところだった──きみの実父を殺した女である、きみの義姉の感想はどうだった?」
あまりにも突然の話題提供。しかもそれなりどころか、背負いきれないほど重い事実。
が、しかし。鴎はいっそ落ち着き払って、満身創痍の体ながら立ち上がって答えた。
「……義姉、と言われましてもねえ。義理の姉なんていうのは、もっと萌えるもんだと思ってましたけど──やっぱり実感湧きませんよ」
「わっはっは、それもそうか! それにボコられ治され、けちょんけちょんに負けた後で感想もないよね!」
「…………」
鴎はその言葉に振り返り、何やら一瞬迷ってから──それらしい顔でそれっぽい言い訳を口にした。
「私別に負けてないですよ? 確かにダウンはしましたけれどそれは足が滑っただけであって常識的に考えてテンカウントまではセーフでしょ? 誰かカウント取ってたの? 誰も取ってなかったんだったらこれはもう引き分けとしか言えないじゃないそれはルールを最初にちゃんと決めておかなかったあいつの責任ですよまあちゃんとルールを決めるべきだよと忠告してあげなかった私にも責任の一端がないとは言いませんけどそこまで言及するのもいい奴ぶってて逆に嫌味だと思うからやっぱりあいつ一人の責任なんですよそもそも私としてはこんな前哨戦では全然本気出すつもりはなかったわけですし更に言えばここで私が勝ったら話が終わっちゃうわけでしょ? いくら私でもそこまで空気読めない子供っぽい真似はしませんよあくまで私は自分の役割を心得ている大人っていうか役割をまっとうしたという意味では私の勝ちといっても過言じゃないと思いません? 客観的に判断してみて下さいよ誰が本当の勝者なのか大人だったら分かるはずですから」
「…………」
あまりにも長く、あまりにも鬱陶しい挑発じみた言い訳に、どうやらさしもの安心院なじみも辟易としたらしく、彼女は鴎に寝技をかけ、関節を極めた。
鴎は脂汗をかきながらタップするが、技がほどける様子は一切ない。それどころか、むしろ強まっていく一方だった。
「まあ確かにきみのいう通り、負けたと思わなければ負けじゃない。めだかちゃんだってあれ──乱神モードでの一発だけできみに勝ったつもりは全く無いだろうしね。善吉くんにはそのあたり、レクチャーしてあげないといけないな」
「ああ──あいつですか。思ったより見込みがあったから、まあそんなに心配はしてませんけど、それでも……」
「その点できみが心配するようなことは一切ないよ。なんたって──」
「──彼は全盛期の僕相手にも、なんだかんだで上手くやってくれたからね」
夢の世界の安心院なじみは、天井に張り付くスキル「逆転掌訴」を使って天井に張り付きながら、そう呟いた。
「ん、なんだよ安心院さん、なんか言ったか!?」
「いいや別に? ただの独り言だからそんなに気にせず、きみはそのまま考え事を続けなさい」
既に修行は終わっていた。それもこれも、雪と雪が世界に存在した影響である。
向上心の塊のような人間である善吉が、仲間に置いていかれることを許容するはずがない。彼は日頃から真黒・名瀬の監修のもと鍛錬を重ねて、大幅な身体能力の強化を達成していた。
つまり戦闘面での問題は一切ない。となれば、次に考えるのはもちろん、善吉の精神面についてである。
議題は「果たして『勝つ』とはなんなのか」。一見哲学的に見えるかもしれないが、その実そんなことは一切ない。
ただ単純に、どのような結果になれば善吉自身が勝ったと思えるか、ということを考える時間だ。
極端な例を挙げるとすれば、こうだ。
16歳男子高校生が5歳の幼女と口喧嘩になり、負けそうなのでぶん殴って黙らせ、負けを認めさせた。
──果たしてこれが、勝ったと言えるのか? いいや、言えるはずがない。言えるのだとすればそれは相当に恥ずかしいことだし、人格面の方に問題がある上、立派な犯罪なので警察に捕まるべき人間である。
あの球磨川禊でさえ、こんなことはしない。
あまりにも極端な例だったため分かり辛かったかもしれないが、もう少し端的にまとめるのならば、要するに「暴力で女の子を屈服させて、それで勝ったと言えるのか?」ということである。
善吉がめだかを足蹴にしたとして。そして運良く勝利したとして。目の前でズタボロになっているめだかを相手に、果たして善吉はどんな声をかければいい?
散々痛めつけておいて、終わったからノーサイド! はい仲直りしましょう! なんてことは通用しない。それが通用するのは幼稚園までだ。
もちろんこの例では、確かにめだかは「負けた」と思うかもしれない。だがしかし、善吉は「勝った」と胸を張って言うことなんて出来ないだろう。
断言しよう。そんな勝ちに価値なんてない。
負けたと思わなければ負けじゃないが、裏を返せば、勝ちだと思えなければ勝ちじゃないということだ。
これを踏まえて、善吉はまず、どんな気持ちでめだかが自分のそばにいたのか──その辺りから考え始めた。
俺は昔からずっとめだかちゃんが好きで、いつまでもずっとめだかちゃんのそばにいたいんだけど──だけど思えばめだかちゃんがどんな気持ちで、俺のそばにいたのかを考えたことはなかった。
ほんの少しも。
ただの一度も。
これっぽっちも。
きっと好奇心だってあった。今も昔も、超人的で怪物的なあいつの無茶振りに付き合えるのは、世界中探しても俺一人くらいのものだろう、という自負がある。仮に他にそんな奴がいたとして、負けてやるつもりは毛頭ない。
そう考えると、雪や雪なんかも俺と同じ、安心院さんが言うところの「好奇心があるから一緒にいる」枠なのかもしれない。だから俺はこんなに焦って、急いで、一秒でも早くめだかちゃんに間違いを認めてほしい──というのは、なんだか違う。
確かに俺は自分と球磨川姉妹を比較して、勝手に負けた気になっている。俺に出来ないことができる──この場合は、めだかちゃんと戦いというステージで関わり合えるのを羨んでいる。
が、しかし。それは決して俺が「めだかちゃんと血湧き肉躍る争いをしたい」と考えていることを意味しないし、むしろ俺がイメージしているのはもっと、こう……平和的な結末だ。
だって俺は別にめだかちゃんを恨んでない。死闘の末にめだかちゃんを打倒したとして、残るのはきっと「幼馴染を足蹴にして痛めつけた男」という、なんとも後味の悪い肩書きだけだ。だからこんなことは勝ちじゃない。
めだかちゃんのそばにいることが俺の目的で、俺の勝利条件なのだから、最後は全員で「楽しかったね」とか「大変だったね」とか言って、笑い合っている光景が広がっていなければいけない。
当然その笑顔の輪の中には雪もいなければ意味がない。「親友は救えなかったけど幼馴染と仲直りできたからまあOK!」みたいな腑抜けたことを言う男に、俺はなりたくない。
それ故の、全員揃っての大団円を望んでいるわけだが──しかしそれって、必ずしも俺が勝つことで入手できるとは限らなくないか?
例えば俺が健闘の末に、めだかちゃんに敗北したとして。しかし最悪の場合、雪さえ救えていれば大団円だろ。
確かにみんなハッピーで、むしろ今までより仲が深まる可能性がある──とはいえこれはやっぱり勝ちではないし、価値があるわけでもない。
こうやってみんな揃ってハッピーエンドを迎えたとして。結局それは以前の関係の焼き直しでしかない気がする。あくまで俺の勝手な勘だけど、しかしあながち間違いでもないんじゃねえか?
結局いつかは破局が訪れ、俺は再びめだかちゃんと敵対し、同じことを繰り返すだけなのではないか。そうして同じような展開を繰り返しているうちに、きっと俺の高校生活は終わりを迎えるだろう。
と、なると。やはり格闘とか知恵比べで勝ったところで、めだかちゃんに勝ったとは言えないわけだ。結局俺は勝ったつもりになるだけで、人生という長丁場のレースであいつに勝っただなんて、口が裂けても言えない。
「正しすぎることは間違っているのだ」と、俺はあいつに、めだかちゃんにそう伝えたい。どうにかして、なんとか手を尽くして分かってほしい。
だけどめだかちゃん自身、それをなんとなく理解しているような気もする。だからこそあいつは、自分を否定する敵の方を好んでいるのだとも思う。きっとこれも、間違っていないはずだ。
だからまあ敗北したとしても、それはあくまでめだかちゃんの思惑通りに、「めだかちゃんが負けてしまうほどに強大な敵」という強い抑止力が働いた、と……そういう結果に落ち着くのだろう。
これじゃあ俺が勝っても意味はない。というか、なにで勝っても意味なんてない。そもそも俺とめだかちゃんでは格が違いすぎるせいで、勝ち負けの話にすらならないのだ。
だから、そう。俺はめだかちゃんに随分振り回されたつもりでいたけど、今から思えばめだかちゃんにとってはあんなの、わがままでもなんでもない普通のことだったのかもしれない。
だとしたら、わがままだったのはめだかちゃんじゃなくてこの俺だ。めだかちゃんから離れようとしたこともあったけど、結局俺は今もこうしているわけだし──。
……待てよ?
そもそもなんで、俺はめだかちゃんのそばにいたいんだ?
いや、それはもちろんめだかちゃんのことが好きだからだ。だけどそれを言うなら好きな奴なんて他にもいっぱいいるだろう?
例えばここにいる江迎怒江。戦挙戦のときは色々あったけれど、今となっては俺はこいつの個性がかなり好きじゃねえか。少し激情家だけど、そこはまあご愛嬌で流せるしな。
例えばあそこにいる球磨川雪。中学三年生の頃からの付き合いで、俺達はかなり仲が良かったと思う。なぜかいつも他人を立てるような動きをするけど、あいつのそういう優しいところが俺は好きだ。
例えば外にいる球磨川雪。ちゃんと友達になったのは割と最近だけど、それでも俺は既にあいつの人格が好きだ。薄暗い過去を断ち斬って、明るい未来のために努力する姿には好感が持てる。
例えば優しい先輩肌の阿久根高貴。例えば生徒会の資産運用を一手に担う喜界島もがな。例えば本当にほんの少しだけ改心した「負完全」の球磨川禊。
今挙げた六人全員が、なんらかの形で生徒会と敵対したことがある。つまり、俺にとっては敵だった時期がある。
にも関わらず、俺はみんなのことを好きじゃないとは言えない。一時期敵対していたけれど、今となっては良き友人となっているからだ。
むしろ、大好きだ。
友人になった人に限ったことじゃない。めだかちゃんの選挙戦の対立候補だった鹿屋先輩や、風紀委員長である雲仙先輩。そして「創帝」の都城先輩。
めだかちゃんと「戦闘」というステージで、俺より深い段階で関わり合うあの人達に、なるほど俺は嫉妬に近い好感を持っているのだろう。その辺は安心院さんの言う通りなんだ。
あの人達と仲間になる未来だって、俺にはきっとあったはずだ。だけどどうしてそれなのに、俺はあの人達を敵に回してめだかちゃんの味方をしてきた……?
……そう、そうだな、例えば。
例えば俺は、お母さんが好きだ。俺を生み、俺を育ててくれたお母さんが大好きだ。心配性でうるさいとか思うこともあるけれど、俺はお母さんのためなら死ねる。多分死ねると思う。
だけどそれでもしもお母さんとめだかちゃんが戦うようなことがあれば、俺は迷うことなくめだかちゃんの味方をするのだろう。それこそ、雪辺りには苦言を呈されたっけ。けど、これが俺だ。
何もお母さんに限った話ではない。今救おうとしている球磨川雪の目的が、実はめだかちゃんの抹殺とかだった場合。俺は一旦雪を救ってから、その後に改めて敵対すると思う。
要するに、誰が敵になろうと、俺はめだかちゃんの味方をするのだ。今回は俺自身が敵対しているから、少し事情は異なるが。
……これだけ聞くと、なんだか敵対することでめだかちゃんを守っているように聞こえる。だとしたら俺は一体、何をやっているんだ?
分からない──どうして俺がここまでめだかちゃんにこだわるのかが、分からない。どうしてめだかちゃんにだけこだわるのかが。
仮説を立てるなら、いわゆる「希少価値」って奴か? めだかちゃんみたいな人間は他にいないから、めだかちゃんが俺に対してそうであったように、俺もめだかちゃんを物珍しいからこだわっている……?
いいや、これも違う。例えフラスコ計画でめだかちゃんみたいに特別人間が大量に生産されたとして、それでも俺はやっぱりめだかちゃんを選ぶのだろう。そうに決まっている。
そういう俺にとってだけの特別が、めだかちゃんにはあるんだ。だから俺はめだかちゃんが好きで、いつまでもずっと一緒にいたくて、誰よりも愛おしくて──。
──愛おしい?
好きじゃなくて?
うん、愛おしいんだ。
好意じゃなくて愛してるんだ。
……ああ、なるほど。こんなことか。こんなに簡単だったのか。随分と長い間考えたけれど、蓋を開けてみれば、ここまで簡単だったのか。
「俺、めだかちゃんと付き合いたいんだ」
は、はは。
なーんだ、そんなことかよ。
そんなことで、俺はめだかちゃんに敵対したのか?
「は、はは、ははは、はははははははは──」
恥ずかしい。
そして、そのあまりの恥ずかしさに、善吉は。
「恥ずかしいいいいっ!!」
絶叫した。
「恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい! 結局俺はモテたいだけの奴か! 繁殖したいだけの人類か! ぐああああああああああ! 死ね! 俺死ね! デビル死ね! サタン死ね! 恥ずかしい恥ずかしい! 女目当て! ごちゃごちゃ御託並べていちゃいちゃしたいだけだった! 雪にあんな格好つけた啖呵切ったそばからこれか! 雪を救うとか言っておきながらこのザマか! 見当たらない自尊心! 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい! 誰でもいいから俺を今すぐに殺してくれ! 戦いが趣味ってほうがまだアリだ! ほんの少し前より動けるようになっただけの猿! なんという動物的本能の塊! 性欲の権化! 下心満載だ! ただのけだものだ! 欲望の化身だ! 今まで頑張ってたのは全部ちゅっちゅしたりおっぱい触ったりするためだったのか! こんなことのために俺は16年間生きてきたのか! 恥ずかしい! 正しさとか志とかそれっぽいこと言っといてアホか! これ以上ないほど格好悪い! 志の欠片もない下衆野郎だ! 他人をダシにして詭弁っぽい何かを並べ立てただけ! 人の心をわかって欲しい? わかって欲しいのは俺の心じゃねえか! 俺を信じてくれた皆に顔向けできない! こんなの主人公じゃなくて三下の木端だ! 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい──」
「恥ずかしくないっ!!」
あまりの恥に、あまりの情けなさに、ぽっきりと中途から折れかかった善吉の心をなんとか繋ぎ止めたのは、江迎が涙ながらに放った、そんな言葉だった。
「──江迎……」
「ッ……それは、それは下心じゃなくって、恋心って言うんだ。誰かに恋して、それが恥ずかしいなんてことはないっ!」
力強く、江迎は語る。恋に恋する女の子は、まるで何かを乞うように叫んだ。
「だって、だってだってだってだってだってだって、人の心に大切なのは、志より、正しさより、戦いより──何より!!」
「真・フラスコ計画フェイズ1『安心院さんに勝とう』改め、真・フェイズ1『自分の気持ちを自覚しよう』──完了だぜ。強くなるために必要なのは、強いモチベーションだからねえ」
天井から逆さに立ちながら、ことの顛末を見届けていた安心院なじみは、一人でそう呟いてから、未だに隅の方で座り込んでいる雪の方を見た。
「……きみもそろそろ、自分と向き合うべきなんじゃないかな──なんて、僕が言うことでもないがね。いつまでも待っていられるほど、僕の気は長くないよ、雪ちゃん」
再び安心院なじみは正面を向き、再びどこかの誰かへと語りかけた。
「くだらねーバトル漫画も、甘ったるいラブコメも、熱苦しい青春モノも──ぜーんぶまとめて手に入れちまえ、善吉くん。来週から始まるのは筋書き通りの少年漫画なんかじゃなくって」
「きみが主人公の人生だぜ。」
かくして激動の日曜日は幕を閉じた。そして翌月曜日、生徒会執行部のないらんが──黒神めだかと人吉善吉の対立が、箱庭学園の全校生徒に知れ渡ることになる。
終わりは、近い。