ひょっとして前に会ったことありませんか。半袖くんは悪びれる様子もなく、そんな戯言を口にした。
薄っぺらい笑みを携え──貼り付けながら。
「半袖くん……」
「待って待って言わないで自分で思い出すから。えーっとえーっと……ああ、まさか前の職場のかたかな? じゃあ確か球磨川先輩と
ごめんねえ、あたしってどーでもいい奴のことはすぐ忘れちゃうんだ。半袖くんがそう言った──とか、そんなことは全部どうでも良かった。
「……ねえ、半袖くん。
ぼくは半袖くんを助けに、もとい連れ戻しに来た……ことを、きっと彼女は分かっている。彼女は何にでも精通しているから。
「ん? 忘れてる……あひゃひゃ、まさか
それなのに、どうして。
「どうして
返答次第では一度殺す。
「ッ──!?」
ぼくは一瞬で半袖くんのそばに近づき、うっすらと冷や汗の浮かんでいる、彼女のほっそりとした首筋に刃を突き立てた。ここから刀を引けば、即座にこいつを殺せる。
……殺せる、が、しかし。
ぼくは
随分と、信頼されてるみたいだ。
「──はあぁ……半袖くん、次はないから、あんまり下手な挑発はしないでね」
「えーっと……あ〜、思い出した思い出した、すっごく見覚えがある奴がいると思ったら、あたしが手を尽くし身を尽くし力の限りを尽くして助け出してやった……球磨川、
「どーも。おかげさまで
「…………そりゃあ、よかった、ね?」
半袖くんはぼくの方をチラチラと見ながら、冷や汗混じりにそう答えた。
まさか、本当に見えていないなんてこともあるまい。
と、ぼくが一人で半袖くんに対する怒りを募らせていたところで、突如としてわざわざ聞こえる声量で横槍を入れてきたのは、やはりと言うかなんと言うべきか、ここでも怪儡くんと帯くんだった。
「……しかし、どうやら半袖さまに対しての心配はいらないようですね、帯さま」
「当然だ、くだらん情に流されるような半袖かよ。半袖こそは不知火の里の体現者だからね──さて! 皆さんにはお取引願おうか。うちの半袖にこれ以上付き纏われても困るしね」
「そうでございますね。それならば帯さま、不肖このわたくしめが、予定通り皆さんに帰り道をご案内して差し上げましょう──」
こいつらは、本当に、他人に嫌がらせをするために生まれてきたのかってくらいに悪辣だ。やはりとことん、好きにはなれない。
僕はそんなふうに考えていたわけだけれど……しかし、そう考えていたのは、どうやら僕だけではなかったらしい。
「きみ達さあ、少し黙ろうぜ?」
「ッ!?」
まさかそれが
怪儡くんと帯くんを抱き寄せるようにしながら、その脇腹と首に手のひらが添えられている。相手がただの人間であれば恐るるに足らないだろうけれど、しかし悲しいかな、相対するは全知全能の
帯くん達の脳裏になにが見えたのかまでは分からない。が、しかし、十中八九は三途の川だろう。
「僕たちと不知火ちゃんの感動の再会──ってほどではないにしても、友人同士このままじゃ納得できない話もあるだろうしさ。こっちとしても後腐れが残るのは面倒なんだよねえ」
「
「おっと、勘違いしないでほしいんだが、これはあくまで僕が僕のためにやったことさ。縁というのは確かに大切だが、しかし腐れ縁になってしまうくらいならさっさと切除したい、というのが僕の本音であって、それ以上でもそれ以下でもない」
だから着せてもいない、濡れ衣同然な恩を勝手に着るのはやめなさい──つまりはそんなことを述べながら、
『……ところで、さっきからお利口さんに黙りこくっちゃってるようだけど、めだかちゃん。きみから不知火ちゃんに、なにか言いたいことはないのかな?』
「球磨川……うん、そうだな。当然! あるに決まっているだろう! さあ不知火! 旧交を温めよう久闊を叙そう!ところでこの屋敷は客人に茶も出さんのか!? 大きいのは土地と態度だけで器と心は小さいものだと受け取るが!!」
お兄ちゃんがめだかくんに発破をかける。珍しいことに、特段裏があるとかそういうわけではなさそうだった。
「……本当に変わったね、お嬢様。昔ならここでものわかりよく帰ってくれたのにさ。ま、だからこそあたしは、お役御免になったわけだが……」
薄く笑いながら、そしてどこか遠くを見るようにしながら、半袖くんはそう呟く。普段から箱庭学園で発揮していたあの溌剌さは、今の彼女からは見て取ることができなかった。
ぼくが半袖くんの表情に憂いのようなものを読み取っていたその時。どうやらいつの間にか
「……怪儡、茶を出してやれ、茶請けもな。そしてその後のことはお前に任せる」
「……! 承りました……が、帯さまはどちらに向かわれるのですか?」
そう、そこだ。ぼくもそこが気になっていた。可能性として考えられるのは、
いや、流石にそんなことはないか。
何というか、帯くんは、力尽くでどうにかしようってタイプじゃなさそうだし。
「なに、取り越し苦労だとは思うが、用心深く念の為だ──」
「…………」
「心配するな、あくまで深謀遠慮だ。杞憂であることを、俺が誰より願っているよ──」
……
──何者なのだろう、
「……先に言っておくけどさ──箱庭学園に戻ってきて! 一緒に箱庭学園に帰ろう! とか、そういう寒いのはやめてよね、お願いだから」
怪儡くんが甲斐甲斐しく用意してくれたお茶とお茶請けが届いたタイミングで、半袖くんはそんなことを口にした。
せっかく用意してくれた美味しいお茶と程よく甘いお菓子を、半袖くんが口にすることはなかった。
半袖くんの分も含めて、用意された湯呑みは五つだった。
「箱庭学園でのあたしの
半袖くんの表情に変わりはない。
「まあ精々満喫してくださいな、お嬢様。一生に一度で価値があるらしい貴重と噂の、青春とかなんとかそーゆー奴を」
そんなあからさまな言葉に耐えかねて表情を崩したのは、善吉くんの方だった。
「仕事仕事って! 全部仕事だったっていうのかよ! 不知火! 生徒会の執行を裏から支えてくれたことも! マイナス十三組との戦いで暗に味方してくれたことも! 年末の選挙で影ながら俺を応援してくれたことも! 漆黒宴でめだかちゃんの後ろを守ってくれたことも!」
「仕事仕事って! 全部仕事だったっていうんだよ、人吉。生徒会の執行を裏から支えてあげたことも、マイナス十三組との戦いで暗に味方してあげたことも、年末の選挙で影ながらお前の応援をしてあげたことも、漆黒宴でお嬢様の後ろを守ってあげたことも、ずえええええええんぶ仕事さあ! 言われたことを粛々とこなしていただけ!」
「…………!! がっかりだぜ、不知火、お前はもっと自由な奴だと思ってた」
「自由? それはあたしからもっとも縁遠い言葉だ。もっとも、最も面倒な言葉でもあるけどね」
あえてなのかそうじゃないのか──半袖くんは善吉くんに向けて、そんなふうに悪意ある言葉を投げかけた。
わざわざみんなの記憶から自分の存在を消していくあたり。この悪意ある言葉も、いくらかは本当の部分が含まれているんだろうね。
だけど、やっぱり。
ぼくに言わせれば、
……下手くそ。
「まあでも人吉、お前には感謝してるんだよ、これでも感謝してるんだ。お前のおかげであたしの仕事は随分やりやすくなったんだから」
「俺のおかげ……? どういうことだよ、不知火」
ヒートアップするかと思われた議論は、しかしぼくの予想に反して早々に鎮火された。そしてそのタイミングで半袖くんは、何やら善吉くんに衝撃の事実を明かすことにしたらしい。
「将を射んと欲すればまず馬を射よって奴だよ。箱庭学園に潜入したはいいものの、ガードが固くてお嬢様にはなかなか近づけなかったからねえ。だからあの日──お前と出会った日、きっかけ作りのためにあたしは、お前の足下に消しゴムを落としたんだ」
「ん? ああ、あれだよね。突然善吉くんが『おいおい! 俺の前に消しゴムを落とすとは、これは挑戦状と受け取っていいんだな!? カッ! 俺が中学時代ケシオトを極めし男略して消し男と呼ばれていたと知らんらしい。よーし受けて立つぜ、だが明日まで待て、マイ消しゴムを用意する! 俺は人吉善吉、お前は誰だ!?』って言い出したから何事かと思ってたけど、そういうことだったんだね」
ぼくが半袖くんの言葉に続けてそう言うと、善吉くんは頭を抱えながらうずくまってしまった。そんな恥ずかしがるくらいならやんなきゃいいのに。
……あれ?
でも、
そうだ、ぼくはあの後、善吉くんと半袖くんに「ケシオトやるの? 混ぜて混ぜて!」って言いに行って──?
「あれ……」
言いに行ったの、
それとも、
まあ、いっか。
「うん……まあおおむね
人吉、お前はいつもそう言う立場だったよね。半袖くんはそう前置いて、再び悪態をつき始めた。
曰く、鹿屋くんや鍋島くんが声をかけてきたのはあくまでもその後のめだかくん戦を見越していたから。
曰く、お兄ちゃんが突っかかってきたのはめだかくんのそばにいる善吉くんが不愉快だったから。
曰く、
「結局、お前はお嬢様への橋渡し役に過ぎないんだよ。だから傷つかないでね、
お前を友達ともなんとも思ってないくらいのことで。
そう締め括られた、わざとらしいほどにわざとらしい言葉は、流石に善吉くんを傷付けるのには十分だったらしい。
「……半袖くん。ぼくのことは、どう思ってたわけ?」
「え? ああ……別に、どうも。強いて言うなら、
『なるほどねえ。不知火ちゃん、きみはあくまで
顎に手を当てながら、いつもと変わらない様子でお兄ちゃんが呟く。その様子を見るに、やはりお兄ちゃんも半袖くんの秘めたる想いには気付いているらしかった。
「どうも、球磨川先輩──てゆーか、話が違うじゃん。当事者のお嬢様と人外の
『……理由聞きたい?』
「いや、いいですよ。別に聞きたくもない。どうせどうでもいいような理由なんでしょ。それよりお願いが──」
「不知火」
今の今まで沈黙を貫き続けていためだかくん。それがこのタイミングで、突如として口を開いた。
「私が問題にしているのはその点だ。どうして貴様は学園を去るにあたって、みなの記憶を消すような真似をしたのだ?」
「…………」
この場にいる誰もが気になっていた事実。気になってはいたが、直接聞くことはできなかった事実。
めだかくんは、そこに土足で踏み入った。
「みなの記憶を消す。なるほど確かに一見合理的で手っ取り早く見えるな。手っ取り早く見える──が、しかし。私は思うのだ……
「…………」
「わざわざそんなことをせずとも、仕事が終わったのなら黙って姿を消せばいいだけの話だろう。なのにどうしてわざわざひと手間かけた?」
「……………………」
「退路を断ちたかったのか? それとも、今の話では私に記憶が残ることは分かっていたようだし──
「……!!」
その言葉に、半袖くんの双眸が見開かれたのを、ぼく達は確かに目撃した。しかしそれは一瞬にして引っ込められてしまい、それ以降は先ほどまでのように、何もかも諦めたみたいな仏頂面を晒すだけだった。
「……追いかけてくるって分かってたから退路を
ここでもまた、半袖くんはそんな憎まれ口を叩く。まるで「帰ってくれ」とでも言うように──「嫌ってくれ」とでも、言うように。
しかし、しかししかししかし。
その程度の憎まれ口で憎んでくれるような、この程度の減らず口で口数を減らしてしまうような、そんな奴は、今ここには存在しない。
いい加減に、分かれよ。
折れろよ。
「……それが貴様の本音なら引き下がろう。そのときは昔みたいにものわかりよく、すぐに帰ってやるさ」
「だったら──」
「だがもしも! 貴様の本音が違うところにあるのなら、私達はそのために全力を尽くす。貴様が箱庭学園で作ったのは、そういう仲間だ。」
毅然とした態度で、一切の澱みなく、そして一片の迷いすらもなく、恥ずかしげすらもなくそんなことを宣うめだかくん。
聞く人が聞いたらいっそ恥ずかしさを覚えるかもしれない、そんな赤裸々な内心の吐露。それを受けた、半袖くんは。
「……あっ、あひっ」
高らかに、
「あひゃひゃひゃひゃ☆ えーっと、こういう笑い方だったっけ? 笑わさないでくださいよウケるなあ! あたしに
「…………へえ」
「割り切ってんですよ、あたしはそういうとこ。分かり切ってるでしょうがそんなこと! てゆーか学校なんて大抵の奴は嫌いでしょ、みんな嫌々義務的に通ってるとこでしょ、だるいとかしんどいとか言いながら仕方なく通うのが学校でしょ」
冒涜的で、侮辱的なその発言も、しかし半袖くんの表情を──内情を覗いてしまえば、やはり責め立てることはできない。それくらいの覚悟は、すでに決めているようだから。
だけど。だけどそれでも。
ぼく達は、まだ聞き分けの悪い子供だから。
「不知火……」
善吉くんが、誰にも聞こえないような声量で、そう呟く。
誰にも聞こえないような声量──
つまりは、善吉くんによる
それをまさか、半袖くんが聞き逃すはずもなかった。
聞き流せるはずもなかった。
だから、曝け出してしまった。
「…………そう、あたしは、箱庭学園が嫌いだった」
……そんなことを口では言っているけれど、しかし。
半袖くんの綺麗な両目からは、透き通った涙が溢れ出していた。
やはりというか、なんというか……当初から想定していたことではあるけれど、半袖くんの本音は、どうやらそういうことらしかった。
あんなにぼく達を遠ざけようとしていたのだから、流石に鈍いぼくと善吉くんでも気付くって。
というかそもそもきみはぼくの恩人で、友達なんだ。
善吉くんも含めて三人で焼肉食べ放題に行く約束、まだ果たせてないし……このままお別れなんて、そんなことにはさせない。
…‥あれ、三人、だったっけ?
「だから! だから球磨川先輩お願いです、私の記憶の方をなかったことにしてくださいよ、あなたの『
『
「──ッ!! だったら、
「……ぼくがやっても変わらないよ。お兄ちゃんの『
頼るように、縋るようにぼくを見る半袖くんに、こんなことを言うのは心が痛んだ。だけど、ここで嘘をついても何も始まらないし、何も終わらせられない。だから、正直に言うしかなかった。
「……なんで」
『なんで、と言われてもねえ。無理なものは無理だよ、不知火ちゃん。今の「
「ぼくの『
名瀬くんから聞いた話だ。僕たち兄弟の
『だから、不知火ちゃん。つまり善吉ちゃんがきみを憶えていて、ここまで追いかけてきたということは──』
お兄ちゃんはうっすらと、へらへらと笑いながら、こともなさげにそう言った。そんなことをしたのは、きっとそれが
『善吉ちゃんは今、曲がりなりにも生徒会長だからね、よくも悪くも
「……あたし、の……で、でも! それならどうして、
『おいおい、まさか
……ぼくと半袖くんを交互に見ながら、今度は随分と楽しそうな笑みを浮かべるお兄ちゃん。そういうところは本当に何とかした方がいいと思う、けど……今日だけはそれも、目を瞑ることにする。
そしてぼくは、何も言うまい。
だって、一番言いたいことがあるのは。
善吉くん。きみだろうから。
「……不知火、お前が俺をなんと思っていようとなんとも思ってなかろうと構わない。学校より仕事が大切ならそれでもいいんだ、かなり本気で泣きそうになったがそれでもいいんだ」
「人吉……」
「だけどこんな別れ方はねーだろ、心の準備ってもんがあるだろうが……せめてお別れ会くらい開かせろよ!!」
「…………」
「俺はお前ともう一回でいいから、できれば二回! 一緒にご飯が食べたいし、くだらねーことダベってたいし! 消しゴム落としがしてーんだよ!! だからせめて三学期が終わるまでくらいは学園にいろよ! みんなの記憶ならめだかちゃんと
善吉くんは人目も
半袖くんも、いつも通りに熱い漢な善吉くんの様子に気が緩んだのか、涙を流しながらも、先ほどまでの貼り付けたものとはまったく違う、自然な笑みを浮かべている。
やっぱりこの子は、嘘をつくのが下手だなあ、だなんて、そんなことを思った。
だけど、それでも。
半袖くんは、そのスタンスを崩すことはなかった。
「…………駄目なんだよ、人吉。あたしは仕事以外じゃ里の外には出られないんだ」
──その瞬間。
突如として、壁にかかった掛け軸がカタカタと音を立てて震え出す。
「だって、この不知火の里には」
隙間風、ではない。さりとて人為的な動きにも見えない。だからと言って、それが怪奇現象なのかと聞かれると、そうとも言い切れなかった。
言うなれば、それは。
地面が揺れている。
それは、まるで。
「決して外に漏らすわけにいかない」
刹那。半袖くんは壁をぶち破って現れた大男によってぶっ飛ばされ、壁に頭から激突し、気絶したらしい。
「──は?」
理解が、まさか、追いつくはずもない。それが追いつくまでに──親友が壁に叩き付けられているという事実を認識するまでに、ぼくは沢山のものを見た。
その手には
その身体はボロボロになっていて、上等な着物が台無しで、そして血まみれだった。それでもまだ息があるあたり、なるほど流石に不知火の元締めらしい。
めだかくんと
そしてそれに遅れて、善吉くんとお兄ちゃんが事態を認識する。ここで声をあげたのは、やはり善吉くんの方だった。
「なっ……なんだこいつ!? 里の人間か!? だけどさっきの帯って奴をぶん回して、不知火をぶっ飛ばすって……」
それに、答えるように。
「……いいぞ、その調子で来客をもてなせ、失礼の無いようにな──」
帯くんが、こう言い放った。
その名を聞いて、
こいつが、不知火の里の──────闇なんだ。
瞬時に、全身から汗が吹き出す。
言彦はそこにいるだけだというのに……
ぼくは、腰にさした刀に手を伸ばし、それを音よりも早く抜刀しようとして──しかしそれを、
音、というよりかは、
「…………おい、めだかちゃん、球磨川くん、
「ッ!?」
……
それが意味する事実は、すなわち。
ただ、それだけの事実が。
ぼくの身体から、体温を奪い去った。
ターニングポイントまで。
あと一歩。
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