「はぁっ、はぁっ…」
夕陽で赤く染まった山道に、少女の切羽詰まった息遣いが響く。木の根や石に躓き何度も転びそうになりながら、必死に体勢を立て直し走り続けていた。
その背後からは、黒い影が軽やかに、それでいて少女よりも明らかに上の速度で迫ってきていた。
「いや、いや、いや……!」
少女の口から悲痛な声が漏れる。その頬を涙が伝った。
「誰か……あっ」
足がもつれ、とうとう少女は倒れこんだ。必死に立ち上がろうとするも、限界が来たのか体が言うことを聞かない。
「やだ、やだ……」
動いて、とすすり泣きながら少女は足を叩く。それを嘲笑うかのように黒い影はゆっくりと少女の前に立ち、そして少女が悲鳴を上げる間もなく覆いかぶさった。
大小五つのシャンデリアが照らす大広間で、大勢の人がグラスを片手に談笑している。
周囲の麓に三つほど村がある、そこまで高くない山の中腹辺り。そこに周囲の村の領主が住む屋敷が建っていた。
今日はその領主、モブ・ジーノの誕生日ということで、村から沢山の人が祝いのために訪れていた。
「あ、クリスさん!お久しぶりです」
小柄な色黒の少年アーニーが、知り合いの男性を見付け嬉しそうに声をかけた。
クリスと呼ばれた男性は、振り返りアーニーの姿を確認すると、それまで話していた者達に軽い会釈をしてアーニーの元へ歩み寄った。
「久しぶりだなアーニー。結構大きくなったな」
「一応成長期ですから。マリアンヌさんは一緒じゃないんですか?」
「マリアは風邪を引いてな。ニックとカミラもその看病で今日は来てない」
「そっか、残念。久々に会いたかったな」
「また今度うちの村に遊びに来いよ。そうだ、アンナは来ている筈だぞ。俺の方が先に村を出たが、多分もう着いてる頃じゃないか」
「そうですか。そしたらちょっと探してきます。またあとで」
「あぁ、後でな」
アンナを探しに、会釈をしてその場を離れるアーニーをクリスは煙草に火をつけながら見送った。
「お姉ちゃん、食べすぎじゃない?太るよ」
「うるさいジェシカ。今日くらい平気よ」
「そんなこと言って……。昨日もママの分のドーナツ貰ってたの知ってるよ?」
「……!? べ、別に、それは……もう、うるさい!」
大広間の中央、大テーブルの脇。頭にそれぞれ白と黒のリボンをつけた、顔のよく似た二人の少女が何やらじゃれている。その横で、ショートヘアの女性が呆れた顔で見守っていた。
「私だって言いたくて言ってないよ?でもお姉ちゃんが、痩せたい!って言うから」
「今日はいいの!特別な日でしょ!」
「そういうもの……?」
「そういうものよ。ジェシカも折角なんだから、色々食べなさいよ。先から何も取ってないじゃない」
「あ、うん。お昼ご飯食べすぎたみたいでまだそんなにお腹減ってないから後ででいいかな」
「そう。早くしないと無くなっちゃうと思うよ」
「まぁその時はその時!!」
「ジェシカ、まだ食べなくて大丈夫なら少し手伝ってもらえる?」
二人のじゃれあいが落ち着いたところで、見守っていた女性ソフィアが白いリボンの少女ジェシカに声をかける。
「いいけど、手伝いって何?ソフィア」
「モブさんへの村からの贈り物をそろそろ運んでおこうと思って。さっき荷車が届いたみたいなの」
「わかった」
「じゃ、サンドラはここで待っててね。食べ終わったからって勝手にどっか行かないでよ」
「ふぁい」
もう片方の黒いリボンの少女サンドラは、パンを口に含みながら返事をした。「ものを口に入れたまましゃべっちゃダメ」と注意するジェシカに、不服そうな顔で「うー」と返事をするサンドラを残し、ソフィアとジェシカは屋敷の玄関へ向かった。
「あ、バニラさん」
「あら、アンナ。ご無沙汰してる間に随分美人になってまぁ」
「ふふ、やめてよ。バニラさんも変わらず元気そうで良かった」
「まぁアタシは体が丈夫なのが昔からの取り柄だからね」
サンドラが食事をしている所から少し離れた大テーブル脇にて、白髪の老婆バニラと先ほどクリス達から名前の出ていた少女アンナが挨拶を交わす。
「二年ぶり?去年は来ていなかったよね」
「去年は足を悪くしちゃってね。今年も別に良かなってないけど、モブもそんな長くないだろうからね。念のため顔拝んでおこうと思ってさ」
「またそんな……」
「アンナ!」
「あ、アーニー」
二人の元へ小走りでアーニーがやって来る。アンナへ笑いかけ、その隣にバニラが居るのを見ると目を丸くした。
「あれ、バニラ。今日は家で休むんじゃなかったの」
「今ちょうどアンナとその話をしてたとこさ」
「モブさんに会いたくなったんだって」
「あらアンナ、言うようになったね。まぁ大体そんなもんさ」
「はぇー。一人で来たの?」
「いや、途中までエマが付き添ってくれたよ。なんでもソラ村で病人が出たとかで、薬草の注文が入ったんだと」
「あぁ、マリアのことかな……。クリスがさっき言ってたよ」
「クリスの坊も来てんのかい。挨拶だけして来ようかね」
「あっちのテーブルでさっき話したから、多分その辺りにいると思うよ」
アーニーはバニラに自分が来た方向を指し示そうと腕を振り上げ、それが通りかかった女性に当たってしまった。
「!?」
「あっ……!!!」
女性が持っていたグラスが手からこぼれ、床に落ち、絨毯に大きな染みを作った。幸いグラスにはヒビすら入っておらず、女性にケガはないようだった。
「ご、ごめんなさ…あれ、メアリーさん?」
「あぁ、えっと、君はあの村の、確か……」
「アーニーです」
「あぁそうだ。アーニー。君も来ていたのかい」
「えぇ、毎年周囲の村の人たちは皆招待してもらえるので。というか、メアリーさんこそ何故ここに……?」
アーニーの問いかけに対し、メアリーは「それでか……」と呟いたのち、言った。
「たまたま通りがかった。何やら人が沢山集まっているようだったのでね。興味が湧いて入ってみた」
「そ、そうですか。なるほど」
アーニーが困惑しながら返答している間に、「では」とメアリーはグラスも拾わずに立ち去ろうとしている。
「あ!あ、あの、メアリーさん、すみませんでした!!」
慌ててアーニーはメアリーへ謝罪の声を張り上げるも、聞こえているのかいないのか、メアリーは無反応でどこかへ行ってしまった。バニラはため息をついて呆れたように言う。
「相変わらず変な奴だねぇ」
「どなたですか?」
「ひと月くらい前かな。旅をしてるらしくてウチの村に訪れたんだけど、腕をケガしててね。それで治るまで村に泊まってもらってるんだ」
「ふーん」
アンナの問いかけに、アーニーがグラスを拾いながら答えた。近くに来た給仕にグラスを返しながら事情を説明し、床掃除を頼む。
「さてと。じゃ、アタシはクリスに挨拶してくるよ」
足のことを気にしたアンナの付き添いの申し出を断り、バニラはクリスの居たほうへ向かった。それを見送ったアーニーとアンナは、食事をしながら一年前のパーティ以降のそれぞれの出来事を語り合った。
——―数時間後
モブの挨拶や、各村からの贈り物や出し物の披露、モブも交えての食事の続きなど例年通りにパーティは進んでいった。モブが疲れを理由に部屋に下がり、それに伴って帰路につく人も徐々に増えて騒がしかった屋敷内が少しずつ静かになる中、給仕からの連絡を受けた老年の執事、「ジェフ・メイラー」がベルを鳴らし広間の客人全員の注目を集めた。
「えー、皆様、お楽しみのところ失礼致します。ただいま、天気が崩れそうな気配があるとの連絡が入りました。このまま皆様をお返しするのは危険と判断し、大変申し訳ありませんが、今夜はこの屋敷にてお休みいただければと思います」
「いやいやジェフさんそんな、遅くまで残っていた我々が悪いんだし、泊めていただけるのは寧ろありがたい話ですよ」
ジェフの申し出に真っ先に反応したクリスに続き、他の村人も賛同の声を口々に上げた。
「そうですか、それはよかった。ではお部屋の方を急いで準備させていただきますので、皆様はそのままくつろいでお待ちください」
ジェフは一礼すると、給仕数人を従えて屋敷の奥へと向かった。
「この時期は天気も荒れやすいからな。明日すぐに収まればいいんだが」
「そうだねぇ。いつだったか、二週間くらい吹雪が収まらなかった年もあったっけね」
「あー、俺が大分小さい頃じゃないか?それ。流石にそこまでにはならないと思いたいが」
「二週間はキツイね。マリアンヌさん大丈夫かな」
「ありがとなアーニー。まぁでも麓の方はこっちほど酷くならんだろ」
「ニックとカミラもついてるしね」
「お泊りだって。お姉ちゃん」
「みたいね。明日の朝ご飯まで出るのかな」
「サンドラ…あなた今の今までいろいろ食べてたのに、もうそんなこと考えてるの……?」
「だって朝ご飯は大切じゃない」
「……」
今の大広間の中央には、クリス達やサンドラ達の他に三四人のグループが幾つか残っていた。それだけの人数分の部屋を用意するのはそこまで楽では無かったようで、戻ってきたジェフの額には汗が滲んでいた。
「皆さま大変お待たせいたしました。男性の方は私に、女性の方はこちらの者についていってください」
ジェフの指示で村人たちはそれぞれの部屋へと別れていった。