蟲人の冒険 作:蟻人B
トウロウが蟲国を出立してしばらく経つ。蟲国といっても、明確に決められた国境どころか大まかな支配地さえもあやふやなので、トウロウの思う範囲での話だが。なので当然、国を出入りするときの審査などもない。とはいえ、本で軽く得た程度の知識でしかないので詳しくは知らない。だが、魔導国へと入るときにはそういったこともしなくてはならないのであれば面倒だな、とか考えながらも、ひたすらに北へ歩を進める。飛べたらもっと楽に進めるかもしれないが、トウロウに羽はなく、四本の後脚があるのみ。〈
そのうちエイヴァーシャー大森林が見えてきた。ここまでは何事もなく進んでこられたようだ。だがそのとき、遠方にトウロウの両の眼に写るものがあった。
「ん? 何かいるな」
前方の大森林側からこちら方向に向かってくる、黒光りした何かを発見し、トウロウは脚を止めた。
そして透明化と隠密能力を駆使し、その対象に気づかれずに接近することに成功した。だが、それを目にした途端、雷に撃ち抜かれたような衝撃を感じた。オスとしての本能に激震が走った。
それは一メートルよりあるくらいの体長をした虫だった。あらゆる攻撃を弾きそうな黒光りする外皮、俊敏に動けそうな毛の生えた脚、前方へ伸びたチャーミングな触角。そして何より、メスのフェロモンを強烈に感じてしまった。
そのメスは触角を交互に上下した。そして、トウロウに気づいたようだった。
だが、それらは重要なことではない。そんな化け物と正面きって戦闘する愚か者などいないから、その点は問題ではない。この生物の厄介な点は、その匂いを消せるのか襲われる直前までなかなか気づかないこと。そしてさらに厄介な事態になっている要因は、アンキロウルススが気に入った獲物に執着して捕食を行う習性にあった。これにより、ヒレンたちの部族はその地を立ち去ることを余儀なくされたのだ。
部族の者がまたウルススにやられた。ここを離れるしかないのでは。バラバラになりここから逃げよう。集まり、そんなことを話し合っていた矢先だった。突如として現れた魔獣熊に、皆パニックとなり、卵鞘から散るように逃げたのだった。
ヒレンの種族は、本能的に集団で集まって活動することが多い。だが、今の場合は追跡を避けるため、部族の血を残すためにも、やはり別れて逃げるのが良かっただろう。追手なく今ここにヒレンが生きているということは、きっとあの場の誰かが再び犠牲になったために他が逃げきれたということだ。だからこそ自分は生き残らねばならない。そうしてヒレンはエイヴァーシャー大森林の外まで逃げてきた。
(これからどうしよう……。まずは身を隠せるところを見つけて……同種族がいるところまで辿り着けたら、番になるオスを……)
そんなことを考えていたせいか、いつの間にか目の前まで接近していた存在に、そこでヒレンはやっと気がついたのだった。