さほどの時間が過ぎたわけでも無いのに、何故か懐かしい。
礫の交易路を越え、午前の光が輝かせる日焼き煉瓦の城壁を見やる。
門の前には入りきらない隊商が拠点を作り、大小様々なテントを並べている。
そう言えば、イルドラードの春ははじめてだったかと気が付いた。
ふゆふゆと板は征く。
見知らぬ人の好奇の視線を過ぎ、見知った顔の笑顔に手を振り返し、
日向に倒れ伏す酔漢を作業用ハンドで日陰に転がし、ようやくに戻って来た。
「アルちゃん様の帰還ー」
お道化て言えば、ノリの良い酔っ払いたちの歓声があがる。
無駄に両手で伸ばしてくる手を叩き続け、アビヤドはどこって自治区だよ。
エミーラは副王都に向かったよ、そして潮が引く様に席に戻る全員。
「何この一糸乱れぬ見事な撤退」
「生命の危機に敏感で無いと生きていけぬからのう」
横から私を追い越しながら博士が酷い事を言った。
まあ何はともあれと賽銭箱を設置して、カウンターの定位置で一息を吐く。
久々の開拓麦しゅわーに氷を入れて、ころころと音を立て杯を回す。
「何か、変わらないね」
「そうでもない、今年は例年より隊商が多いぜ」
くぴくぴと杯を傾けて感を零せば、久々の店主がカウンター越しに発言。
何でも、獣人自治区改めペル・アビヤドに向かう人が多いらしい。
「そうそう、お前宛てに預かっている品々が積まれていてな」
「わあ、さては神の威光に打たれ貢ぎ物を届けにきたとかかな」
微笑ましく朗らかな感じに表情筋を動かして太々しい発言からの、真顔。
「誰から」
「安心しろ、豚人からだ」
言いながら店主がカウンター下から、手で持てる大きさの樽を積み上げる。
何か気が付けば有力なスポンサーと化しているな、豚人王一派。
樽に可愛く焼き印されている豚さんマークが実に先史時代のセンス。
「向こうでなくコッチにまで贈っておくとわすきがない」
「いや本当に、何やったらここまで手厚く敬われるんだよ」
疑問を聞き流し蓋をとってみれば、塩と潮。
詰め込まれた塩の中に、腸の抜かれた魚が海の香りを漂わせていた。
「春告の、軍団魚の塩樽だな」
両手で持ったら少しはみ出る大きさの塩漬け魚は、背は青黒色で、腹は銀。
つか鰊だねコレ。
「軍団魚か、春先に島の様に集まり、漁師がその上に立てるほどと聞くの」
「北の漁師が、旗を立ててみたら倒れず結構長持ちしたとか言ってたわね」
杯片手に瞳孔が肴一色と化した面々が樽の中身を覗き込む。
左右から、容赦なく、距離を詰めて、つぶれれれれ。
そして首根っこを掴まれ、開拓者型プレス機から引きずり出される私。
「豚人の塩樽は良いと聞くな、陸でなく船上で樽に詰めるかららしい」
いつもの剣士さんの瞳は、しかし珍しく苦労よりも好奇の輝きが勝っていて。
さては好物なのかな。
「樽の塩漬けかあ、ちょっと触った事無いなあ」
調理工程がいまいち思いつかない、とりあえず塩抜きするのだろうかと悩めば、
1尾を取り出した博士が、受け取った木の板の上で雑にぶつ切りにする。
「何、焼いて良し煮込んで良し、パンに挟むも袋焼きにするも思いのままよ」
そしてぶつ切りにした身を、一切れ口に放り込んで麦酒で流し込んだ。
そのまま目を瞑り、笑顔を固定したまで頭を振り、震える唇で言葉を紡ぐ。
「当然、生でもイケるのじゃ」
そこからさらに麦酒、そこへ横から嫋やかな手が伸びる。
カウンターで切り身を奪い合いはじめた酔っ払いたちをスルーしつつ。
鰊か、生前の記憶の中で言えば甘露煮ぐらいしか思いつかない魚だけど、
そう言えば日本は数の子目当てで獲るから、他国と違って鰊が不味いとか。
鰊目当てで獲る国だったら美味しい魚だとか、1万年前に聞いた覚えが。
作業用ハンドで尻尾を持ち、目の前にぶらりと垂らしてみる。
齧るのか、それともこのまま焼いてパンに挟むか、塩抜きして煮込むか、
いっそパイにでも入れるべきか、私これ嫌いなのよねやかましい。
とりあえず後ろで視線が魚に固定されている剣士さんにパス。
見ていれば顔を上に向け口を開き、頭から一気に行った。
そのままカウンターに歩み寄り麦酒を受け取り、飲み干して杯を叩きつける。
ひたすらの無言、俯いたまま目を閉じて、ぷるぷると震えている。
「凄い魚だと言う事はわかった」
酔っ払いが正気を無くす程度には。
「まあ比較的安価で、長期保存できる庶民の味方だな」
「そんな言葉では擁護しきれない醜態が目の前に在るのだけど」
場を取り繕う店主の言葉に、ジト目で返す私。
そして目の前に、ほれと軽く焙った半身の皿が渡された。
「脂がのっていて普通に美味しい」
「塩、脂、魚と揃っていれば目の色も変わるってもんだ」
卵を持たない出し殻では無い鰊は、かくも芳醇な身を持っていたのか。
塩辛さでも消しきれない、魚の美味しさが口の中に広がっている。
「これは甘露煮には勿体ないな」
「なんかまた聞き逃せない料理名が零れ落ちたな」
笑い乍らどうすると聞かれたので、まあ幾つかは好きに使ってと返す。
鰊を食べ終えた後の余りまくった塩で、潮汁みたいなのも作れるらしい。
「しばらく賄いが豪華になるな」
酒場に聞こえる様にした店主の発言に応え、酔っ払いたちの歓声が響く。
「まあ他には、お前を訪ねてきた輩が幾人か居たぐらいか」
「商人さんや、あとは吟遊詩人あたりかな」
まさしくだなと返り、詩人はジャマール・シャムスと名乗っていたと続く。
最短でペル・アビヤドに向かったらしいので、綺麗に入れ違いに成った様だ。
「輝ける美って、随分な名前だなあ」
「美人ではあったな」
そしてそうそう、弦楽器の弾き方がお前に似ていたと補足。
「入れ違いになった時は、悠久の旋律とだけ伝えてくれと言っていたな」
聞いて、想像とは違った別件の吟遊詩人だったかと気が付く。
無言。
天井を見る。
まあ何かな。
壁を見る。
眉間を抑えて頭を振る。
あのやろお。
「ええと、何かな、つまり」
神代、寝物語に語った様々な物語を思い起こさせられる。
しかも緑髪の長耳族、ひとの事言えないけど何やってんのアフダル。
「いや、うん、何でもない」
予想外の角度からプレイヤーが参戦だ、みたいな衝撃に思考が纏まらない。
ひとまず遠く、涅槃を眺めた。
次いで身近、目の前には焙った鰊。
よし、とりあえず食べて呑もう。
何かもう皆吞んでるし、食べてるし。
そして飽食の限り、そんな感じの陽除けの宿場だったとか。