砂と偽りのアルフライラ   作:しちご

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04-04 蕃椒は告げる

 

時には砂漠に雨が降る事も在る。

 

などと書くほどに稀有な事態と言うわけでは無い、実際の所は。

 

日焼き煉瓦を打ち付ける雨の音が、酒場の奥にまで届いている。

気が付けば春も終わりに近付き、砂漠に雨季が訪れていた。

 

雨季ともなれば月齢1周の間に1度ぐらいは降る、そんな頻度である。

稀だと言えば稀ではあるが、奇跡と謳うほどに珍しくも無しと。

 

雨足は強く、イルドラードの中庭を洗い尽くした水は排水路に注がれ、

砂色の水流と化して古代の水路、溢れた分は礫の砂漠に。

 

「出足を挫かれたのう」

 

薄暗い酒場で入り口向こうの雨を眺めながら、ハジャルが静かに呟いた。

 

夏に至り、酷暑が殺人的と化す前に砂漠を渡り国境線を目指す。

いつもの面々はその様に予定を立て、いざ出立の時期に雨である。

 

「まあ出立は日を改めるべきだな」

 

カウンター越しに麦酒を出しながら、店主がそんな事を言った。

 

天上の器を引っ繰り返した様な勢いの水流は、乾いた砂漠を走り回り、

やがてひと時の幻の如くに河と成り、そこかしこに生命を芽吹かせる。

 

つまるところ、歩きにくいにもほどがあるのだ。

 

小雨程度ならばともかく、豪雨ではどこが濁流に呑まれるかも知れず、

やがて止むにしても、濡れそぼった身で零下近い夜を過ごせるか。

 

急ぎの旅路でも無しと、ハジャルは改めて腰を落ち着けた。

 

そして見回せば、いつもの面々がいつも通りに寛ぐ様。

 

静かに杯を傾け料理を待っているサフラ、透き通った硝子瓶を前に、

水の如くと澄んだ酒を愉しむマルジャーン、厨房にアルフライラ。

 

未練がましいのは自分だけだったかと、苦笑が零れた。

 

そしてマルジャーンの横の席に座り、青硝子の切子を取り出しそっと寄せる。

無言のままに硝子瓶を遠ざける酔っ払いと、杯をめり込ませていくまだ素面。

 

「…………1杯だけよ」

 

数日前に酒呑み女怪が、アルフライラから巻き上げた男酒であった。

 

顔馴染みの踊り子と商人が訪れ、豚さんマークの献上袋を受け取った

サフラの古巣の元傭兵隊に拉致されて、出立する前の僅かな間の話。

 

荷物を受け取り、代わりに幾本かの硝子瓶を預けられた時の試飲。

 

―― 東方に、上善は水の如しと言いますが

 

口にした商人は固まり、ただそれだけを零して絶句した逸品であった。

 

そして奇跡の品を提供した板の上の神は、背後からの気配を消したアレに、

毒蛇の如くと絡みつかれ、同じ物を巻き上げられる羽目に至る。

 

いつもの事と言えばそうではある。

 

その様な品を口にすれば、内心が驚愕のままに舌を巻く博士。

 

「水かと思えば酒精が強い、しかし、いや目立たぬのう」

 

まさに水が如しと、呆れ半分の称賛が零れた。

 

そのままに舌先で転がしながら、改めて酒と肴をとカウンターに向かい、

店主に何某かを頼む前に、視界に入った少女の事を尋ねた。

 

「して、アルのやつは何をやっておるのじゃ」

「ああ、こないだの商人から捧げられた品だそうだ」

 

そんな会話が耳に届いたのか、これーと可愛らしく言いながら作業用ハンド。

掲げられ示された物は、丸く巻かれた板状の生地であった。

 

醸皮(らんぴ)か、東方からの出物じゃな」

「商人さんは醸皮(にゃんぴ)と呼んでいたかな」

 

親指よりも太い、具体的にはサフラの親指レベルの厚さの生地は、

全粉粒で煉られており、輝度の低い濁った色をしている。

 

「良く冷やした、麺とやらに属する料理じゃったかな」

「それはかなり遠い東方式だね、交易路だと温かいのが主流みたい」

 

「いやてめえら、何でそんな謎食材で語り合えるんだよ」

 

呆れた店主の言葉に、麺料理の一種だよーと軽く抗弁する調理の神。

 

「これを麦粉の茹で汁で延々と蒸しあげるのだー」

 

何ならこれを茹でても良しと言いながら丸まった生地を店主に渡し、

背後から作業用ハンドが持ち上げる蒸し器を取り出しながら、神が告げた。

 

「そして出来上がったものがこちらになります」

「ううむ、演芸的な演出じゃ」

 

水気を吸い、でろんと伸びながらもぷるぷると輝く表面を持つ板状の生地に、

これまたサフラの親指程度の太さで包丁を入れて、棒状に切り分ける。

 

「この温かいところを黒酢で和えておろし大蒜」

 

幾枚かの皿の上にそれぞれ一人前と盛られた麺を和えた所で、壺が出た。

アルフライラが両手で持てる大きさのそれを開ければ、中身は紅い油。

 

「辣油、蕃椒をゆるりと煮込んで色を移した食用の植物油をぶっかけます」

 

底に沈んでいる蕃椒ごと、匙で掬って雑に。

 

「果物油を使った蕃椒油とは違うのじゃな」

「『ペペロンオイル』かな、まあそれは西方のやり方だね」

 

降雨で少しはましとは言え、晩春の昼の熱気に湿気が混ざる空気の中、

酢の酸味が漂う見るからに辛い、紅に染まる極太限界突破系麺料理。

 

「色が地味なので、刻んだ胡瓜を添えて」

「辛ーい」

 

乗せるが早いか口にしたマルジャーンが、眉根を閉じて即座の感であった。

 

「つまり酒が進むと言う事ね」

「基準がそこかい」

 

改めて男酒で口を洗いながら食べ進む歌姫に、呆れ半分の博士の言。

 

「蒸し暑い中に嬉しい」

 

串で刺した麺を齧りながら、サフラが述べた。

 

「ぶっといから箸が使えなくても大丈夫ー」

 

言いながら1柱だけ箸を使って極太辛麺を食べ進む調理担当神。

東方の長箸ではなく、極東箸と呼ばれる短めの物を左手で使っている。

 

「わしは長箸を、あと麦酒の代わりを貰えるかの」

 

混沌に堕ちる前に自分の注文を通す賢明さを、ハジャルは持ち合わせていた。

 

1杯2杯で済む辛さでは無さそうだと、暴呑暴食の化身と化した女怪を横目に、

注文の時期を伺う他開拓者たちと、生地を茹で洗い蒸し器に放り込んだ店主。

 

新たな杯と箸を受け取る頃合には、それらの全てが動き出し。

 

晩春を告げる雨音が、酒場の喧騒を掻き消すありふれた旅立ち前であった。

 

 

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