イルカサルアルクを過ぎ、国境線を越えたあたりから風景は変わり始める。
交易路の礫がやがて岩と成り、そこかしこに土の大地が見て取れる先、
露出した岩土と飛来する砂が枯れた色を見せる草原、そして地平線には肥沃な翠。
「翡翠の楽園と、最初に入植した者たちは呼んだそうじゃ」
やがて見えてくる、街の名はアル・デバラン。
後に続く者、との意味を冠する街は帝国辺境最大の都市であり、
水に溢れ肥沃な緑に包まれた土地に、様々な漆喰に塗られた建物が建ち並ぶ。
古くはペル・アル・デバランと呼ばれ、神国を出奔した者たちが作った、
最初の開拓拠点であったと言う歴史を持つ古都であった。
近隣、特に山脈に向かう土地では畜産が盛んであり、流通拠点である都には
様々な畜産物が並び、肉の都などと言う別名で呼ばれる事もある。
道端の露店でも串肉がよく売られ、良さげな香りがするあたりで
アルフライラが購入した物は醤に漬け込まれた小振りな牛肉串。
耕作に使われ固くなった牛の肉を叩き、小さく切って串に刺した物。
端的に言えば、安物飯である。
「でもまあ牛だけあって、濃い味をちゃんと受け止めてる」
もぎゅもぎゅと中々に嚙み切れないままに感想を述べる女神の横で、
屋台の麦酒片手に串を齧るマルジャーンが聞く。
「濃い味は、肉の安さを誤魔化すためものじゃないの」
「味が濃いだけだと、こうは成らないよ」
安いなりに良く考えられていて、意外に当たり屋台と纏めた所で、
気が付けば屋台には人が群がり、何故か店主が串焼きを追加で持ってきた。
「何故に」
「いやな、阿呆みたいにとんでもない客寄せしてくれたからよ」
店主の言、串焼き評を述べる美女と美少女は人目を惹きまくっていたらしい。
誰からも変な行動を起こされなかったのは、ひとえに後ろで明後日を向きながら
串焼きを片手で齧る大剣を背負った大男のせいなのは、言うまでも無い。
「うん、いくらでも食べられる」
「酒が進むわねー」
突発的客寄せ大熊猫の営業活動は止む事は無く、群衆は増加していく。
その内に役所などを回っていたハジャルが、人波を掻き分け合流し。
「いやお主ら、目を離した隙に何を騒動の中心になっとんのじゃ」
暇だったからとキュピリンと女神が言えば、酒呑み女はバチコーンと決める。
「これらを、止められると思うか」
疲れた声の剣士の言に、眉根を揉みながら疲労を見せる博士。
「まあ何じゃ代官に話は通した、領主は戦陣に居るらしい」
「エミーラもそっちかな」
問いには頷き、旅路の補給も終わったと荷物用板を示す少女を確認し、
陽が傾く前にと街を出て、国境線を臨む国軍拠点へと足と板を向けた。
緑溢れる大地に踏み固められた道を辿り、その内に国境線に近付く。
徒歩のままで時折に野菜を摘み、砂漠とは趣の変わる汁煮で夜を過ごした。
地に満ちる水気で南中に陽を避ける必要も無く、旅路は安定して続く。
そして視線の先に見えて来たのは、1枚の城壁。
国境線を間近に臨む城壁の後ろに、様々な施設や陣幕が建ち並び、
それらを木の柵で囲む間に合わせの様な作りの拠点である国境砦。
「作り掛けと言うか見掛け倒しと言うか何と言うか」
「国境線が頻繁に書き換わる地域じゃからな」
現在の国境砦は、かなり間に合わせの代物らしいとハジャルが語った。
木の柵で囲まれた3面、そのどれもが2重作りになっており、
外側の出入り口は右の端、内側は左端と出入り口が作られている。
適当に選び中に入れば、止めて来た兵士に紹介状を提示して通過する。
「盾を持たない右側を露出する様にって感じかな」
「中から弓なり何なりでチクチクやるためじゃな」
砦なんだねーとしみじみと呟く少女に、村の柵とかも似た様な作りをしていると、
山賊避けの防壁の定番を長く語るハジャルと、端的に語るサフラ。
「イルドラードぐらいガッツリ壁が在ると話は変わるけどね」
そんな男どもの壁語りを、簡単な結論でマルジャーンが締めた。
陣幕の狭間を進み兵たちとすれ違い、領主なりエミーラなり探している内、
厨房を見つけふゆふゆと誘われていく板神の頭が、ガシリと掴まれる。
「止めとけ」
後ろから鷲掴みで神を止めた剣士の言葉には、軽く憐憫の色が在った。
止められたアルフライラは一息を吐き落ち着いて頷き、瞳に冷静の意を見せ、
だがしかし当然の様に、周囲が気を抜いた一瞬に厨房に向かい板を進める。
そんなヒャッハーと個神独走の有様が、突然に静止して。
姿勢も何も変わらず、巻き戻したかのような有様で後退し元の位置に戻る。
「……淫祠邪教の宴でも、ここまで悍ましい瘴気は漂ってないと思う」
邪神が語る、無駄に説得力に溢れた感想であった。
「だから止めておけと言ったんだ」
疲れた声のサフラに重ねて問う前に、中から鍋を抱えた兵士が歩み出て来た。
板と共に一同が後退り距離を取る。
そして食事だと死人の様な顔をした兵士が厨房周りに集まっていき、
器に受けた赤い汁に硬そうなパンを沈め黙々と食べだした。
目が死んでいる、どころの騒ぎではない。
何かもうどこか遥か遠く、見てはいけない物を皆が見ている。
「風上に移動しましょ」
そそくさと移動する一同の後ろで、悍ましき儀式は続いていた。
「あの何か冒涜的な物体は何かな」
「豚の血の汁だな」
この国の兵士が平時に食べさせられている糧食だと、元傭兵が語った。
「酢を入れた血で刻んだ臓物を煮込むと、ああなる」
「ああ、酢を入れたから血が固まらないのかー」
遠い目をして語るサフラの言を、遠い目をして受けるアルフライラ。
アルフライラが生きていた先史時代ならば、幾らかマシな代物であっただろう。
豚の血は精製され臭みもとれ、酢も臓物も品質が高く食物には成る。
だがしかし今はそうでは無い、そうでは無かったのだ。
血生臭く瘴気を漂わせる汚血は雑味に溢れた酢で無遠慮に薄められ、
まともに処理されたかも怪しい臓物が物凄く適当に煮込まれている。
もはや臭いの結界であった。
果たしてこれは本当に食物なのだろうか、いや残念ながら確かに食物だ。
何故ならば、咀嚼した兵士が死んでいない。
「この国の兵士は強い、だがそれ以上に哀れだとよく言われる」
哀しい瞳をした剣士の言葉に、神は混乱のままの言葉を返した。
「おかしい、統計的に軍隊はご飯が美味しい方が強く成り易いはず」
「戦時は、まともな飯が食えるのじゃ」
ぼそりとハジャルが語った一言で、アルフライラは辺境兵士の悲哀を理解した。
「そっかー、いかに兵を逃がさず戦わせるかの段階なら有効なのかー」
そして遠く涅槃を見つめ続ける。
人の業に慄く創世神に、遠くから見つけた妹神が駆け寄って来て。
「お姉さ ――」
同時、此の世ならざる場所を見つめる兵士たちにそれぞれの長が言う。
「出陣が決まった、明日からは飯が食えるぞッ」
僅かの静寂、そして。
怒号であった。
それは、砦を揺らし全ての音を掻き消した。
人の姿をした獣たちが放った咆哮が、国境線の大地の隅々まで響き渡る。
音の波に吹き飛ばされた大神姉妹は、揃って自らの玉座と板に受け止められ、
煙を吹くアルフライラの横で、耳を抑え蹲る開拓者組であった。