板と3人は神殿を駆け抜ける。
深淵より生えてきたような直方の神殿は地下へと伸びており、
絢爛豪華な様式の果てに、階下への階段を見つけては都度駆け降りた。
1階、また1階と。
気が付けば壁も床も、白と灰で造られ装飾の無い殺風景な代物へと姿を変え、
天井のどこかに在る光源からの冷たい光が、寒々とした光景を凍えさせている。
「どこかしら懐かしいと言うか」
急ぎ足の道中に、アルフライラが呟いた。
言葉は足音に塗り潰され、改めて降りた階段を抜けた広場。
目の前に、刃が在った。
眼球に向けて突き込まれる剣先が、神の眼に触れるまでの僅かの間に、
串刺し寸前な創世神の首根っこを引っ掴んだサフラが、後ろへと放り投げる。
ぽきぽきと何かが折れる音を響かせながら、板ごと転げていく投擲物。
そして剣先は揺れ円を描き、足を止めた剣士へとその方角を変えた。
前進、後方への投擲、それらを果たした足が今度は後退するべくと、
伸びきった筋を音がしそうな酷使で以て、その身体を僅かに後ろへ送る。
剣先の伸びが止まり、使い手の下へと引き戻された。
「ご挨拶だな」
仮にも貴様らの主の姉だぞとサフラが問えば、黒衣の女剣士は口元を歪める。
「王と姫の最後のひと時です」
いかなる者にも邪魔をさせるわけにはいかないと、感情の籠らぬ声で返した。
その言葉に込められた圧は、人ならざる神たる威。
語る女神の衣服は黒、首元まで隠すドレスに、足首までも隠す長いスカート。
腕には剣幅の細い長剣、それを片手に持ち肘を伸ばし、眼前に構えている。
「黒の王が従神、シュフラ」
名乗りを受けサフラが大剣を顔の右に構え、剣先を相手に向けた。
「普通の剣士、サフラ」
いまだに普通と言い張る事を諦めていない残念な剣士がそこに居た。
「かの紅玉の剣士ですか」
「普通の剣士だ、普通だ」
見果てぬ夢である、故に人の夢と書けば儚い。
「目を開けて夢を見れるのは人の特権なのだ」
「須らく寝言と言う事ね」
「言われておるぞサフラ」
「外野、五月蠅え」
盟友たちからの心の籠った声援に声を返し、しかし目線は外さない剣士。
黒い女神は半身に重心は高く、腕を伸ばしたまま踵に身を寄せる様に、
或いは踏み出し前に歩く様にと、幾度も切り返しその身体を左右に移動させる。
突然の刺突。
正しくは左右では無かった。
サフラを中心に円を描く様に移動していたシュフラは、その円弧に強弱を、
間合いの遠近を幾度も切り返し、知らず剣先の届く距離にまで接近していた。
対しサフラは大剣を袈裟に突き降ろす。
踏み込みは逆、刃を剣閃の下に潜り込む様に割り込ませ、その身は相手の正面に。
互いの刃が当たる音が、しなかった。
長剣が大剣に絡む直前、突然に弧を描き刃の上を跨ぐ様に閃く。
手首の返しで円を描く様に斬り返す長剣技、円旋。
神の刃はそのまま人の首筋を狙い、大柄な剣士は咄嗟にその身を低く、
腕の力で大剣を引き抜きながら、自らの刃の下に潜り込む様に沈み込む。
首の後ろで、刃金が鳴った。
大剣の刃を背負う様に受けたる名は、貴婦人の型。
刹那も無い。
ここよりサフラがとる剣閃は2択。
背後で刃を弾き天へと切先を向けるか、或いは転身して袈裟に斬り降ろすか。
僅かの迷う間も無く、相手の剣を持たぬ側に身を翻しながら回り込んだ。
合わせる様に振り下ろされる刃は、袈裟。
しかしシュフラは、必勝の確信を持って足を止めていた。
手首の回転でしなりを生み、斬り上げる刃が大剣を狙う。
「黒の権能に属す一切を許可しない」
同時、大神の宣告が響いた。
従神シュフラが完全に世界から切り離され思惑が消え、しかし迷い無く。
足を止めたまま、更に踏みしめ、腕の力だけで下から刃を当てた。
そしてその眼光に、驚愕が混ざる。
高い音を立て長剣は打ち払われ、しかし大剣の刃も空を斬った。
刹那にも満たない。
サフラは歯を食い縛る。
息も止まる。
腕の肉が盛り上がり、筋から発する嫌な音が全身に響いた。
踏み込みは更に、互いの顔が視認できるほどに近く、身を沈める様に。
腕力に体重の移動を重ね、引っこ抜く様に刃で斬り上げる。
浅い。
女神は踏み込みを軸足に引き戻す様に、半歩下がっていた。
黒いドレスは裂け、しかしその下の皮一枚が斬れたのみ。
刹那すら遠い。
だがその大剣は既に肩よりも高く、剣先は前方の天を衝く。
幻想に在る獣の角の如き刃のその姿勢は、一角獣の構え。
間、無く。
それら一連の刃は、神速の斬撃。
戦場で生まれ、飾り気の無い単純な名で謳われた大剣術の奥義。
―― 3連撃
かくて刃を引き摺り下ろす様な袈裟斬りが、女神に叩き込まれた。
鮮血が走り、肉が千切れ、骨が折れる。
しかしその神威か、あるいはドレスに何某かの工夫が在るのか、
両断される事も無く、斬痕は人であれば致命なれど、神故にと重傷で止まり。
だがその衝撃は人神等しく変わり無く、錐揉みに弾かれるその肉体。
音の響く無機質な床に、神鉄の長剣が転がり硬い音を重ねた。
大剣使いはようやくに息を吸い、大きく息を吐く。
「その刃、神鉄です、か」
壁に叩きつけられた瀕死の女神が、仰向けのまま苦し気に問う。
一連を思い返してみれば、大剣を斬り裂いて勝機を得るつもりだったのだろう。
鋳造剣ならば、事に因れば切り出しや鋼の鍛造ですら、斬り裂けるはずの神鉄の刃。
しかし相対したその大剣は、アルムピアエールの名を受けた穴居人の業物である。
「鍛冶屋の意地だ」
何故か、神鉄と応える気は無く。
勝者はそれ以上に語らず、静かに長剣を拾い空いた腰に差した。
そしてマルジャーンが怪我人の衣服を剥く。
簡単な消毒と傷口の癒着を、ハジャルとアルフライラが果たす。
僅かの間が過ぎ、あらためて3人と1柱は先を急ぐ。
階段を抜ける背中たちに、かすれた声が、しかしその内容は聞こえず。
治療された事への感謝か、あるいは怨嗟であったのか。
「いかにも高位な従属神だけあって、小銭入れなのに随分と迫力の在る内容」
階段上の板の上で、小銭袋の中身を数えながら創世神が感想を述べた。
先を行く剣士の腰に神鉄の長剣が光り、歌姫は見慣れない暗器を服に仕舞い込む。
「さて、いよいよ終着かの」
突入時には持っていなかった誰かの道具袋を担ぎながら、ハジャルが告げた。
階段の先は殺風景な壁の小部屋であり、比較的豪華な拵えの門が在る。
そしてその正面に、1角鬼が如き生体装甲を纏った神が待ち構えていた。
模造の大神、ハラム。
もはや是非も無く、無言に構えるその姿を突然に包み込む法術の霧。
突然に視界の悪くなった部屋に、飛来する何かを鬼は腕に生える刃で斬り飛ばす。
高い音がして二つに分割されたのは、神鉄で造られた長剣であった。
「高そうな剣だってのに」
霧の中から踏み込み現れた剣士は、既に大剣を閃かせており。
その姿へ重ねて斬り飛ばそうと受け手が刃を向けたその瞬間、大剣の刃が円を描き、
斬撃の上を跨ぐ様に躱しては剣閃が戻りその首に迫る。
かこんと音がして、装甲に僅かの傷。
手首の返しだけで大剣を回す無理は、流石にその威力までを保証はできない。
返しの腕の負担を拒否する様に、当たる瞬間にその柄から手は離れており。
すれ違った形の剣士が剣を残し霧の中へと消える僅かの間、ハラムは硬直していた。
「神族には珍しく、ただの素人なのね」
同時、霧の上から降って来た歌姫が暗器を差し込んでくる。
頭部の制御球を狙ったそれをハラムは両腕で防ぎ、受けた後に両腕の刃を向ける。
マルジャーンは片手で生体兵器の頭を押さえ、逆立ちの様に刃を避けて背後に飛んだ。
ここまでで、既に幾度も襲撃者への視線が切れている。
首元に刃が迫るだけで硬直し、針の如き小さな刺突にも全身で対処する。
規格外とは言え、それはどこまでもあからさまに、ただ力を持っただけの有様。
故に正面から突撃する板に、最後まで気付く事は出来なかった。
アルフライラの腕に装着されているのは、花弁の如くに開いた長細い旧神遺物。
「性能の次元は違うはずなのに、シュフラだったかの方が怖かったな」
「ダイナミックお邪魔しまーすッ」
放たれた閃光は、ハラムの纏う生体装甲を完全に剥離し待機状態に戻し、
同時にその装着者を衝撃を以て吹き飛ばし、豪華な扉も質量で吹き飛ばす。
轟音と静寂が過ぎ、開いた扉、と言うよりは扉の在った穴を潜る板と3人。
破損の噴煙の舞う床を、カラカラと音を立て転がっている代物を紅玉ハンドが拾う。
「
そして板に仕舞い、改めて手足に紅玉シリーズを装着した長女。
その視界の先、部屋の中には3柱の大神とその模造品が1柱。
聖女の名を持つ生体ユニットと、竜の名を持つ生体兵器がそれぞれ1機。
吹き飛ばされた模造大神ハラムを受け止めた、黒の大神マリクが最奥に在り、
その正面には黒の姫エミーラと、引きつり笑顔な古竜の長ヤシュム。
「さてマリク、久しいね」
堂々とダイナミックお邪魔したアルフライラが静かな口調で口を開けば、
反射的に背筋を伸ばしたザハブと、キラキラとした瞳で見つめてくる聖女。
「少し、お話しようか」
宣言に、空気が凍り付く。
大神が保有する世界の接続が全て切れ、この場がアルフライラの所有と化す。
圧は増し、神代を知る大神たちの顔の色合いが瞬時にブルーレイ規格と化し。
先程とは毛色の違った静寂が、王の間を埋める。
後にエミーラが、処刑宣告にしか聞こえなかったと語った。