そこは、王の間と言うには余りにも寂寥であった。
灰色の壁に囲まれた石の玄室、ただ一脚の玉座のみが存在する。
光源の場所はわからず、寒々とした光が室内に満ちている。
玉座に身を任せ、沈み込む様に在る大神が1柱。
黒檀が如き色合いの髪は長く、肌は長らく陽に当たらずその色を薄め、
身体に流れる血液の不足が頬を赤く、肌を青白く染めていた。
霊素が枯渇し、死相の浮かぶ王の大神、マリク。
そんな寂寞の玄室に、騒々しい音が響き幾人かの影が飛び込んでくる。
部屋の主は無言で騒音に視線を向け、椅子に在る機工を引いた。
「お父兄さま発見ッ、問答無用で捕縛ですわあぶべらッ」
入り口と座の間に生成された障壁へ、頭から突っ込みさながら潰れた蛙の様に、
極めて女神として微妙な体勢のまま床へとずり落ちていく、安定のエミーラ。
「卑怯、往生際が悪いですわよこの期に及んでッ」
ぺしぺしと宙を叩く。
大人しく捕縛され国中引き回された後に隠居しろと主張する娘に、
この炸薬の様なトンチキは誰に似たのかと、軽く引き攣る父親の頬。
「爺婆ども、いや旧神遺物だ、我らに破れる代物ではないぞ」
いつしか古竜も混ざり、主従共に障壁を叩き続ける様に対し王は口を開いた。
そして視線を回し、視界に入った黄金の髪、褐色を持つ男神に眉根を寄せる。
「貴様にまで看取られるのは、少し業腹ではあるが」
障壁が消える前に、始めようと語る。
「王の大神の、終わりを」
その、今にも喉を掻き切りそうな気配を察し黄金の大神が眉を顰め、
僅かなりとの間を持たせるためか、問いを一言だけ発した。
何故、と。
「マリカを失ってから、何をしていたのか」
返る言葉は答えではなく、ただ思い返した内心を吐露しただけの様な呟き。
「言葉を尽くした、行動で示した、この手を数多の血で染めた」
何も持たぬ両の手を顔の前に上げ、そして黄金の宿敵へと視線を回す。
「球体から解放され、目的のため、ただ人の世を造るために動き続けた」
国を興したのだからお前も理解しているだろうと、虚ろな言葉。
どこか伽藍堂の様に笑い声が響き、追想の言葉は続く。
無限に積層する様々な問題、容易く伝染し溢れだす怒りと憎しみ、
表に見せるための綺麗事は必死に維持し、汚い事柄は静かに処理をする。
「知恵無き野人など、言葉が通じぬだけ猿の方がマシであったな」
どうやっても纏まらない、どうやっても従わない、どうやっても学ばない。
成果はあがり続けてはいたが、それでも満足の行く規模には到底足りない。
黒の神国、純粋人類種のためだけの国。
その在り様はただ単に、他の選択肢をとれるだけの余裕が無かったからだと。
「だがそれでも、こうして国は形に成っている」
堪らずに返されたザハブの言葉を、軽く哂って黒の王は結論を述べた。
「そうだな」
万感の一言は、そこで終わらない。
「だが今や帝国は成立し、人は神の庇護から外れ自らの道を進み始めた」
神の時代は終わり、神族も神国も新しい道を模索する時期だと。
「ならばこそ、これからにお父兄様が居なくては」
「それを許せるほどに、この国の歪みは浅くないのさ」
娘の言葉に父は言う、だから全ての咎を抱えて悪神はここで討たれるべきと。
「そうなる様に仕向けたのは貴方でしょうッ」
エミーラが激高し拳を放つ、しかし不可視の障壁は微動だにしない。
そしてもはや言うべき事も無いと、しかし心の内が零れる様に言葉は続く。
「もっと話すべきだった、関わるべきだった、心を伝えるべきだった」
懺悔の様に、ただ悔恨を滲ませた色合い。
何もかもが遅いがと、遠くを見つめながら疲れ果てた声で王が言う。
神国を率いる大神ではなく、マリクからかつてのマリカへの言葉。
そして僅かに間、改めて口を開き発する言葉は娘へと。
「エミーラ、此度の全ては見事であった」
その在り様は全てを託すに足り、黒の名を掲げるに相応しい神だと。
どれだけぶりだろうか、晴れ晴れとした笑顔で娘に言葉を掛けた。
「不甲斐無い父を許せとは言わん、新しい世を ――」
そして爆音を全てを遮った。
「ダイナミックお邪魔しまーすッ」
可憐な声に合わせ吹き飛んだ扉と、高速で飛来する肉の塊。
それがハラムであると気付いた王が慌てて障壁を解き、全身で受け止め。
即座に突っ込んだ娘は張りなおされた障壁に阻まれ大の字でずり落ちる。
「
危うく踏み込まれるところだったと息を吐く王と、
べたべたと障壁を叩いて無念を表す娘、の後ろで何か拾う板。
「さてマリク、久しいね」
派手に踏み込んだアルフライラは、周囲の耳目を集めながら口を開いた。
手足に紅玉が如き輝きの甲を、獣人の衣服を纏い、硬質の床に音を立て足を置く。
「少し、お話ししようか」
板から降り、ゆるりと歩みながらこの場の世界の接続を全て自らの物にする。
強制的に支配下に置かれた古竜は顔を青くし、聖女は瞳の輝きを増した。
障壁に押し付け微妙に潰れた顔の妹は無言で懇願の視線を向け、
黄金の大神は感極まったのか口をパクパクと開け閉めし、しかし何も言えない。
「人のための世界、それを造ると言う使命は」
「あ、そういうの良いから」
そして弟の6千年の苦難を、一言で切って捨てる心無き邪神の在り様。
虚を突かれた静寂の中、コツコツと足音だけが響いていく。
誰も口を開かぬ中、じゃあとりあえずその娘の事からと告げる長女の声。
「マリク」
静かに、言い聞かせる様な口調で名前を呼んだ。
「まだ何とかなる、いつかどうにかできる、そう思っているのかな」
何を、何処までの範囲の言葉なのか、曖昧なままで言葉を繋げる。
「取り返しがつかない事って、取り返しがつかないからそう言うんだよ」
「それを、世界を取り返した貴女が言うのか」
気楽な言葉に、血を吐く様な呻きが応えた。
「ならその娘は、マリカなのかな」
一言に、無言。
「魂魄が、違う」
「柄を取り換えた斧は違う斧とでも」
絞り出す言葉に、即座の返答。
「違う者だ」
「つまり好みのタイプで後妻だと、しかも手製の幼な妻」
まぜっかえす様な言葉に、王の表情がいらだちの色を見せる。
そして何かを言い募ろうとする前に、アルフライラは一言を告げた。
「結局は、気の持ち様でしか無いんだ」
そうであると思えば、どれほどに理不尽であろうと心がそうであると言い、
積み上がるほどに根拠を揃えても、違うと感じれば認める事など出来はしない。
「だからいつか、何もかもを取り戻せたと思える日さえ訪れるかもしれない」
放置された子が年経て親と和解し、幼年の寂しさを取り戻す様に。
今はもう居ない人の心に触れ、通じ合うと思えた一瞬が存在する様に。
「何にせよ、君たちはあからさまに対話が足りない」
こつこつと、足音だけが響く。
気が付けば目を覚ましたハラムが王を見つめ、マリクは無言を貫いている。
「とは言え何だ、私は人の喜怒哀楽を奪う趣味も無ければ」
互いの距離は近付き、言葉だけが静寂に響き続ける。
「役目を終えた神を引き留める言葉も持っていない」
足が止まる。
「だからまあ、単純な話なんだ」
不可視の障壁を挟み、大神へと創世神が微笑みを見せた。
「エミーラは、全てを放り投げてお前より先に私に会いに来た」
いつの間にか片足が上がっている。
だから肩入れすると、聞ける余裕は誰かに在ったのだろうか。
それはもはや音では無く。
衝撃としか理解できない空気の響きが玄室の全てを揺らした。
「無害な音と光は通すのだから、有害になるまで大量の無害を叩き込めば良い」
局所的に放たれた非常識な分量の高周波は、玉座周辺の全てを致命的に揺らし、
旧神遺物を破損させ、障壁内に居た2柱の全身を暴力的に振動させた。
マリクとハラムは倒れ伏し、全身の穴と言う穴からLGBTQが零れている。
ついでに障壁に張り付いていたエミーラも、蛙の様に仰向けで痙攣している。
「あ、あれはかみさまの言っていた交殺法最源流死殺技、
「そうか、そう言う事だったのかッ」
そんな皆殺しの場に、銅の聖女と黄金の大神の無駄に元気な発言が響いた。
「どういう事なんですか、かみさまッ」
「極限の脱力だ」
何かを掴んだ信仰対象へ聖女が問えば、驚愕の表情でザハブは解説する。
「業を放つ前の脱力が生む力の高低差、それが神域の絶技を可能としていた」
単に神術で高周波を放ち、足を添えていただけである。
脱力していたのは、姿勢制御を完全に紅玉シリーズ任せにしていただけである。
何か勝手に格闘の神髄を掴んでいる大神系格闘術開祖の発言は、
遠目で見ていたマルジャーンの瞳からハイライトを消した。
そして全てを終えた加害神は無駄に格好良い立ち姿を見せていて。
その姿勢のまま、滑る様に板に向かって移動する。
実は服の下に紅玉ベルトが在り、それに吊られて空中移動している状態である。
「ああ、あれはまさかアシュラ・センクウッ」
「アルフライラ姉さんは、殺意の波動を克服していたのかッ」
ちょっと言われた創世神の視線が涅槃に飛んだ。
その首根っこを引っ掴み、無言で板の上に乗せる大剣使い。
即座に爪先から股関節にかけて修復の煙が吹き、板上でのたうち回る神。
痙攣しながらエミーラはヤシュムに指示を出し、マリクとハラムを簀巻きにさせる。
目を輝かせる銅の神国コンビと、呆れ半分の開拓者が揃う混沌とした光景。
「しかし、何か解決したのかのう」
疲れた声で、ハジャルが板に問い掛けた。
「自殺にお膳立てを必要としたんだから、止めればそれまでなんじゃないかな」
倒れたまま内股でぷるぷると震えながら、アルフライラは答える。
「あとは親子と神国の問題、私は知らぬえ」
思い詰めた弟を引き摺り下ろして対話の場につけ、これで仁義は果たした。
その後の結論として生を終えると決めたのならば、もう止める理由は無いと。
「まあ結構慕われていたみたいだし、きっと大丈夫でしょ」
言葉を受け、マルジャーンがこれまでに立ち塞がった者たちを思い返し語る。
そして神は後始末も知らない、猫を寄越せ猫をと駄々をこねた。
やがてエミーラ怒りのストンピングが簀巻きを襲い、微妙な悲鳴が響く。
ちょっと待てと開拓者たちが止めに走り、取り残される板。
修復の煙も止まり、騒々しく奏でられる静寂の中に呟いた。
「良かったじゃないかマリカ」
特に誰に聞かれる事も無い、ただの軽口。
「終には、愛がお前を追っていたぞ」
今はもう居ない妹に向けた、鎮魂の言葉は零れたままに消えていった。