旭光が朝に溶け、凍てついた夜は姿を消す。
黒い神殿の入り口には血臭が漂い、仮設橋に立ち塞がる獣人はもはや1人。
斬撃と投石、射撃の威力を身に受け続け、紅に染まるままに槍を構える。
先に眠りへと誘われた同胞たちを背に、攻め手へと立ち塞がる。
気が付けば戦場からは音が消え、攻め寄せる者の足元も止まっていた。
「何故だ」
先頭に立っていた全身鎧の騎士が問い掛ける。
人に非ざる物、そう扱われていた黒の獣人が何故に命を捨てる。
黒の王にも、黒の姫にも義理立てする余地など持ち合わせていないだろうと。
「姫のために王を弑すか、それともその逆か」
血まみれの獣人は、問い掛けに問い返す。
「そのために命を捧げるか、同胞の屍山血河をもって神の在り様を寿ぐか」
そして答えを聞かず、そのままに言葉を続けた。
「アルフライラ様は、その様な未来を好まない」
その身から零れる血は足元に溜まり池と化し、それでもまだ槍は下がらない。
「だから何故だ、何故に貴様らがその様な真似をするッ」
背後に在る、全ての獣人が絶えた後に次なる肉の壁として立ち塞がるであろう、
幾匹もの竜人たち、姫の配下だと言うのならばまだ話は分かる。
だが何故に、縁も所縁も無い。
「無いと、言ったか」
静かな声だった。
「この国は祖霊の眠る土地、生を受け、老若を謳歌した我らの土地」
淡々とした言葉は、不思議と城壁の中に集う兵たちの耳に届く。
居るはずの無い者、取るに足らぬ物、黒に在る人ならざる獣。
「それでも、我らはここに居たのだ」
ただ一言が、答えとして示された。
「我らは死す、その間にアルフライラ様が全ての絶望を祓ってくださる」
最後の老いた獣人は呵々と哂い、生命の残りを費やしながら戦場に叫んだ。
「貴様らは、取るに足らぬ物に救われた事実を抱えて生きていけッ」
槍が光る、しかしその握る手は既に血を失い生者の色を無くし。
或いは相対する騎士の鋼に隠された顔も、配下の兵卒の頬も。
そして、竜の咆哮が響いた。
「黒の王マリクは降った、エミーラ神に黒の継承は果たされたッ」
神殿の上、天井を破り現れた古竜の長ヤシュムが宣言する。
掲げられたマリクの顔を描いたクソみてぇな旗はへし折られ、
エミーラの顔を描いたクソみてぇな旗を示し、神殿の上に翻えした。
「兵は武器を降ろし配置に戻り沙汰を待て、各所の長は残れッ」
から、からりと、言葉に応える様に硬い音が鳴った。
鎧騎士が、そして他も、その足元に自らの剣を取り落とした音と、追随する視線。
対し獣人の槍の穂先は動かず、僅かの間、怪訝に思った騎士が視線を上げる。
老獣人は、既に事切れており。
しかし最後に言葉が聞こえたのか、その口元には僅かな微笑が浮かんでいた。
「武門とは、かくありたい物だな」
後ろに倒れ伏す獣人たちに目をやれば、血反吐に染まる屍を晒しながらも、
その誰一人として死に顔に迷いは無く、どこか安らかな表情で眠りについている。
騎士は眩しい物でも見たかの様に兜の面頬を深く下げ、手甲が鳴った。
やがて広場から兵の姿が減り、騎士が手勢に英雄たちの遺体を清めさせていた頃、
神殿の奥では大神たちが相対しており、とても微妙な空気である。
何がいけなかったのだろうか。
挨拶に来た銅の聖女を邪神がアルフアイで鑑定し、その肉体の高位新人類比率が
軽く70%を越えていた事に気付き、獣神よりも獣だった弟を制裁したからか。
「ふらっしゅぴすとんまっはぱんちッ」
過去に兵器廠爺が自分用に造った紅玉2号機こと
音速ハンドを5個生成し、問答無用で対象の正中線に叩き込む荒業である。
「か、かみさまああああぁッ」
吹き飛び車田落ちする黄金の大神ザハブと、追いかける聖女。
旧神所縁の拳だけあって、あるふぱんちとは殺傷力が段違いであった。
「かみさまはちょっと女の子にだらしないけど、今月はまだ3人しかッ」
抗議と擁護の声は、そこで途切れる。
白地に黄銅の飾りの付いた貫頭衣から見える表情は、岩を呑み込んだかの如く。
何か、言いながらフォローの余地が無い事に気が付いたらしい。
故にアルフライラの断罪ゲージは鰻登りだ。
「あと5回ぐらいお願いしますッ」
介抱されながら発言に蒼白になり、咄嗟に裏切り者を凝視するザハブ。
銅の聖女的に、普段から堪えかねていた事がメジロ推しで在ったらしい。
「すぺしゃるろーりんぐさんだあああぁッ」
今度は5連発である。
銀河が泣いて虹が砕けつつ、再度に車田飛びで吹き飛んでいく黄金の大神。
そして紅玉ハンドが装着された腕をぐるんぐるんと回しつつ、
肩のあたりからごきごきりと嫌な音も響かせ煙を吹かしつつ。
「後は腕休めにマリクを殴っておけば良いのかな」
「やめてあげてください」
手持無沙汰な時間に殴打対象を求めていた血に飢えた邪神の発言に対し、
汚れた衣服を着替えたハラムがふらつきながら近寄り、慈悲を請うた。
犠牲候補のマリクは簀巻きのままで転がされ、一度は意識を戻したものの、
今はもう既に顔にエミーラの足形をつけ、白目を剥いて痙攣している。
「やめてあげてくださいぃ」
半泣きで慈悲を請う哀れな姿には、さしもの邪神も在るはずの無い良心が悼んだ。
「アルフライラお姉さま」
そんな有様に声を掛けたエミーラに言葉には、苦笑が少し混じり。
どこかしら弱々しい雰囲気を醸しながら、板へと近付いて行く。
頭から、ぽす、と姉の胸に顔を埋め。
姉も無言でその頭を優しく撫でる。
そして、開拓者勢3人組は首を捻る。
抱き着いたエミーラの手には、荒縄が握られていたからだ。
人の視界の中で、くるくると手早く簀巻かれる長女の姿。
「さてザハブ、今回は本当にたすかりました、有難うですわ」
そのまま流れる様に姉を担ぎ上げ、明るい声でエミーラ。
意識を取り戻し、聖女を傍らに寄って来たザハブへと声を掛ける。
その顔は影に成り、表情は見えない。
「で、ご褒美ですわ」
ぽいと、板の上から創世神が投げ渡された。
投げ捨てられた、フレーメン反応でも起こしたかの様な表情のアルフライラを、
黄金の大神は反射的に両腕で受け止め、足を踏ん張り胸元に寄せる。
僅かの間。
簡単な状況が周囲の者の、虚を突かれた思考に染み渡っていく。
銅の神国の加勢に対する報酬。
アルフライラの身柄。
「う」
固まった世界で、まずは長女が口を開いた。
「裏切ったな、裏切ったなエミイイイラアアアァ」
「お姉さまも意外にお甘い様でええええぇッ」
板上で高笑いをする妹と、簀巻きで嘆いている姉。
いや抱えているザハブからすれば両方とも姉ではあるのだが。
「……かみさま?」
硬化したまま動かない大神に聖女が声を掛けるも、微動だにしない。
そして簀巻きのまま、固まった弟にアルフライラも声を掛けた。
「あ、えーと、ザハブ?」
鈴を鳴らした様な声である。
顔が近かった。
少し涙目で弱々しく、下から見上げる様な角度で在った。
「って、かみさまあああああぁッ」
聖女の叫びも届かぬ、音速超過の全力ダッシュである。
霊素と魔素を輝かせ玄室出口へ向かい超高速で加速する黄金の大神は、
快復した接続で神殿外にヤルダバオトを喚び、神鳥形態で待機させる。
そして、ずるべったんと滑りこけた。
お留守であった足元には何故か蔦が絡まり、長女が空中に放物線を描く。
「残念無念、油断が過ぎるね弟よ」
玄室出口にいつの間にか張っていた蔦の網にアルフライラは絡めとられ、
そのまま逆さ吊りから貧血で表情を青くする神の横には、1柱の神。
長い緑の髪を編み上げ尖った耳を露出する、地味な色合いのローブ姿。
緑の大神、アフダル。
「合縁奇縁で左様なら、ちょっとアル姉さん借りていきますよっと」
言いながらアルフライラを肩に担ぎ、追随してきた板に飛び乗り、
いつの間にか玄室の外にびっしりと張った蔦の密林に潜り、出口に向かう。
追うべきと意識が向く頃には既に、空いていた空間には蔦が伸び、
もはや誰も通れないほどの緑の質量が出入口を埋めていた。
この間、僅か。
「状況が、目まぐるしい勢いで変わっていったわね」
マルジャーンをして、首を右から左に動かし視界に追っただけの、
極めて手際のよい創世神誘拐の現場で在った。
「これが、神話に謳われた緑の女神の権能か」
改めて入り口に寄り、蔦の結界を見ながらハジャルが呻く。
その後ろでエミーラが簀巻きを引っ叩く音が響き、
さっさと起きて蔦を分解してくださいましとか叫んでいる。
「攫われた、のか」
一通りを見回して、サフラが状況を声に出し再確認した。
余談に成る。
清められ並べられた老獣人の遺体を中心に、突然に黒の神殿の広場は、
石畳を割り顔を出した、四季折々の季節の花で造られた狂乱に染まる。
その問答無用な花園は後に整備され、エミーラの御代に永く愛されたと言う。