神殿から出れば、朝は消えていた。
力強い夏の日差しの下に、噎せ返るほどの香り。
砕けた石畳から数多と伸びる、季節を問わない狂乱の花弁。
「あ、アビレッシアが」
呆然とした声色で、かつての妻の乗騎の有様を嘆いたのはマリク。
巨竜たちの物量に装甲をべこべこに凹まされたアルコーンは、へし折れ倒れ伏し、
その全身を蔦に覆いつくされ、四季折々の草花に彩られていた。
少し離れた場所を見れば、放置されていたままの状態の魔神竜アルムピアエール。
瞳の光は失われ、破損した両腕を垂らし力尽きたが如くに座り込んでいる。
その煤けた装甲にも蔦は這い、周囲は花弁が咲き誇り肩口に小鳥が遊んでいる。
彼の戦争は終わったのだ。
そんなモノローグが付随しそうな、安らぎに辿り着いた戦士の神像がそこに在った。
「アルムピアエールが無駄に歴史を感じさせる風情になっていますわあッ」
どこかロボに拘りの在る邪神の思惑を感じさせる花園に、黒の女王の嘆きが響く。
そんな俄かに姦しき集団に気付いた群衆が、王よ姫よと花園を掻き分け集まっていき、
喧々と騒がしく言葉が交わさせる場の周囲、数多の花弁が中空に舞った。
そして、蚊帳の外に居る様な心持ちの開拓者3名は少しの呆れ顔。
「慕われておるのう」
眼前に広がる誘拐犯こと緑の大神の神威も、夜明け前からの争乱の何もかもを棚に上げ、
ただ父娘が生きていた事を喜び、まずは言葉を掛けてくる黒の民の在り様に。
群衆の中には担架で運ばれている黒衣の女神の姿も在り、重症な割に意外と元気で、
開拓者組を指さし何かを叫んではいたが、当然に3人は見ざる聞かざるの姿勢。
特に神鉄の長剣をぶん投げて駄目にしたサフラは、全力で明後日を向いていた。
よく見たら集団でも、長剣を真っ二つにしたハラムがそっと目を逸らしている。
「まあ結局、黒の王の治世を認めていなかったのは本神だけだったって事かしら」
「獣人ですら、死するも更に恨み無しとか言うておったからのう」
結論として何てはた迷惑な奴だと話が纏まった時に訪れて、微妙な顔の没落王神。
「流石に、耳が痛いな」
大変に気まずい空間であった。
「姉さ ――」
出来上がってしまった微妙な静寂空間に、苦笑しながら口を開いた大神は言葉を切り。
「アルフライラ神と、共に在った者たちと聞いた」
言い直した名に籠る意思を流し、いつもの面々は軽口で返す。
「迷惑をかけられておるの」
「迷惑をかけまくっているわ」
「まあ、お互い様だ」
サフラだけが、無駄に疲れの滲む声。
そんな有様に、嫌みの無い破顔で安心したと告げる神。
次いで永く生きていれば、流石に理解できてしまう事が在ると続く。
「私たちでは、弟妹にしか成れないんだ」
そうで無かったら姉も誘拐に抵抗していたはず、弟と妹だから無抵抗だったと。
ついでに、ざまぁ無いなザハブと気に食わない愚弟を嗤っておくのは忘れない。
離れた場所では様々な指示が飛び交い、自然に生まれている喧噪とは裏腹に、
蚊帳の外の場は不思議と静かで、ただ神の独白だけが響いていた。
「昔、どうにか時間を巻き戻しやり直せない物かと問うた事があった」
時間軸すら弄ぶ、旧神の業ならば可能では無いかと。
アルフライラは静かに答えた。
旧世界にも過去を悔い、やり直しを願う者は数多く居た。
しかし、同時にそれは決して行ってはいけない事なのだと識っていた。
天地を弄び世界に終焉を齎した人々でも、最後の一線だけは越えなかったのだ。
それは例え神であろうと決して許されない悍ましい行いなのだからと、窘められた。
「誰しもが掛け替えの無い生命を消費し、決断を続けて生きている」
耐え難い悲しみに覆われた者の裏には、決死の思いで勝利した者も居る。
関わりの在る無し関わらず、誰もがその生命を懸けて必死に生きている。
「ただ不満だからと、全てを踏み躙り侮辱する傲慢さを良しとするなと」
それは勝者と敗者への侮辱であり、死者と生者に対する冒涜であり、
世界と歴史への裏切りであり、自らの生命を遊戯に堕とす愚行でしかない。
滅び去った世界を得て、尚もそう言い切れる方だったと。
「だからマリカの蘇生を願いはしたが、やり直しは望まなかった」
それは何よりも、懸命に生き抜いたマリカ自身への侮辱であったから。
故に、叶わぬ願いだとは自覚していた。
しかしおかげで、最後の一線だけは越えなかったのだと語る。
「死者蘇生を願う時点で、越えておる様な気がするのじゃが」
「そのあたりの倫理は、神代では死んでいたのさ」
少し引きつり問うハジャルに、軽く肩を竦めてマリクの返答。
「だからアルフライラ神は、生きていても良いんだ」
創世の業は旧神たちが背負い、その身を以って贖罪を果たしたのだからと。
誰かへの言葉ではなく、ただ心の内を零した様な言葉。
13大神の誰よりも永く共に在った弟の思考は、静かに場に響いた。
「まあ、それも今はどうでも良い事か」
そして切り変えた声色で空気を戻す。
何せ今現在は黒の代替わりで忙殺の時代だ、姉の事は棚上げだなと長男は嘯いた。
「それでそなたらは、これからどうするのだ」
望むのならば神国で相応の身分を与え召し抱えるがと、先代黒の大神が聞く。
「ふむ、相応の身分と安定した生活かの」
満更でもない顔でハジャルが受ける。
「胸を張って故郷に連絡が取れるわね」
出奔した身の上のマルジャーンが、しみじみと頷く。
「娼婦の餓鬼が大した出世か」
軽く自嘲の色を滲ませ、サフラが頬を緩め言葉を出した。
僅かの間。
「無いのう」
「無いわね」
「無いな」
からからと笑い声が響き、気が付けば大神もまた笑っていた。
「そんな事より、さっさと攫われた身内を探しに行かねばな」
誰かの道具袋を背負いなおし、博士が言う。
「あ、通行許可とか路銀とか頂戴、色付きで」
ついでにと図々しく大神に要求する、開拓の歌姫。
「まあ俺たちは勝手にするさ」
肩を竦め、だから気にするなとだけ告げる大柄な剣士。
笑いが止まらない黒の先王に、何か大丈夫そうだな笑いながら言う開拓者たち。
「せめて娘には、少しでも楽をさせたいと思ってはいたのだがな」
笑いを苦笑に変え、マリクは白々しい声色で言葉を続けた。
「もう知らん、諸問題で苦労したいと言うのなら勝手にすれば良い」
勝手な奴らにはもう付き合ってられんわと続け、私は隠居だと神が宣言する。
その前に国中引き摺り回しなんじゃねと、有言実行女王の過去の宣言を告げる人間。
何じゃそりゃあと悲痛な神の叫びが、陽光に照らされる花園を抜けていった。
やがて騒々しくも奏でられる営みに人と神は混ざり、新しい時代の訪れを示す。
そして黒の大地に残された繚乱の彩りは、緑と偽りの双大神の神威を幾許かと高め。
諮らず、互いのその真の姿を包み隠していた。