やがて黎明に至り、星月の光に眠る砂丘が茜に染まった。
歩む内に気が付けば枯草も姿を消し、ただ砂だけが視界に残る茫漠たる砂漠。
気温の上がらぬ内にと、砂丘の底を歩む板の邪神と吟遊の悪神、そして生贄。
真に何も無いとはこういう事かと、開拓少女タサウブは思った。
どこまでも続く砂と、熱砂が混ざるままに頬を撫でる風。
頭からかぶる陽除け布を少し引き、眼の周りに作る影の面積を広げる。
何も無いが在ると言われる避暑地などには水が在る、心癒す緑も微笑ましい小動物も。
対し此処には真実何も無い、強いて言えば邪神と悪神か、実に砂漠らしい有様だと。
少女がそんな絶望の結論を得た頃には、靴裏からも熱が染み込む様に成り。
昼の陽除けを考える時期と思えば、自称吟遊詩人ジャマールが顔を上げた。
不敵な微笑みが浮かぶ表情に釣られて視線を動かせば、そこに在ったのは巨大な岩。
砂の果てに無造作に置かれた様な岩の塊は、いかなる由来に因る物か。
風砂に削られ岩が残ったのか、それとも埋まった巨石が削れ岩の様に見えているのか。
何にせよ、その巨岩が万年の果てに砂に還るであろう未来に変わりは無い。
ともあれ陽除けに手頃と、一行は巨岩の影を目指し歩を進めた。
砕けた石が砂利となった巨岩の周囲、影と成る場に入り誰ともなく息を吐く。
影の中は熱に炙られ続けた世界とは違い、空気さえも別物である。
とりあえず荷物でも置いて休むかと少女が荷紐を緩める先で、板神が見上げていた。
何かと視線を辿れば巨岩の反対側、掘り抜いて作られた石造りの神殿が視界に入る。
そして腕を組み、不敵な微笑みを崩さぬままのジャマールこと悪神アフダル。
「え、と、ジャマールさん、何なのこれ」
タサウブが問い掛ければ、神は静かな声色で言の葉を紡いだ。
「知らない、何これ怖」
「そのいかにも目論見通りな表情は何だったのッ」
そしてアルフライラは、板の上から呆れた声。
「人力かなあ、よくやるねー」
騒がしい連れ合いを放置して、ふゆふゆと空中浮遊で建物を伺った板の女神が、
しばらくして戻り、中は空っぽの遺跡みたいと情報を共有した。
南中を越えて影を求めて移動する必要も無く、陽除けに使えそうと判断し、
登れそうな岩場を探し、2柱と1人は岩の遺跡へと踏み込んでいく。
総石造りの天井は高く、熱砂の中ですらなお涼し気な空気を保っている。
石壁には結露が浮かび、全体が湿り気を帯び部屋の端の溝に水が溜まっていた。
奥には幾つかの部屋、壁際には階段が在り吹き抜けを登る事が出来る。
「苔ひとつ無い、古代文明時の建物なのかな」
「神代では無いんですか」
アルフライラの適当な考察にタサウブは疑問を投げ、長女の教育魂が素直に返答を作る。
「神代だと、こうもまだるっこしい造りには成らないかな」
結露を放置したまま、浸食を防ぐ工夫と材質で壁を造る。
神代ならばそもそも結露からどうにかしているだろうと。
「そもそも瞭然、壁に彫られている文字も神代ではなく古代語ですしね」
文体から崩壊以後の末期、技術がちぐはぐな頃と補足が入る。
そんなジャマールの言葉に板と少女が振り向けば、最奥の壁には一面の壁文。
添えられた壁画は13体の首輪が付いた人型と、その上で首紐を掴む1体。
凄い勢いで少女と詩神が振り向けば、アルフライラは全力で目を逸らした。
「えーと、何ですかね、この一番上の神的な方に付いている名前は」
月とか太陽とか書かれていたら姉さんですねと語る妹に、家畜の首に付ける絆、
つまり兄弟姉妹の絆を示している壁画なのではとか酷い言い訳の長女。
「冥府の、王」
手帳を片手に単語を調べていたタサウブが、理解出来る範囲を静かに読み上げた。
「新説、姉さんいつから冥府まで守備範囲に」
「いや素直に私じゃないって事でしょ」
その後ろで枯草を編んだ紐を置き、石床の上で容赦無く火を作る神々が会話。
言いながら拾った石で台を作り、ジャマールが普段使いの鉄缶を置く。
「姉さん、水ください」
「出すから薄荷を寄越せー」
珠茶を湯で解く中に、新鮮な薄荷がこれでもかと放り込まれる。
「胡瓜も出ますよ」
「なら冷やすかな」
そして取り出された緑の果実は、板の上から零下にまで瞬間冷却される。
「神々って、反則だと思う」
火に寄り、ぽきりと凍結胡瓜を齧った人間が零した。
そして軽く沸いた頃に、持ち主が缶をぐるりと回し小さな器に注ぎ、
残った薄荷茶の入った缶を改めて火の上に置き直す。
「さっぱり薄味」
「こうやって3度に分けて飲むのが、町の方のやり方なんですよ」
口を付けた板神に、町から砂漠に連れ込まれた開拓少女の解説。
そうなんだーと素直に聞きながら、板から駱駝の胃袋で作られた袋を引き出す神。
道中で買い込んだ物で、中には棗椰子の果実が詰め込まれている。
夏は棗椰子の時期であり、市に限らず様々な場所で袋ごと売られていた。
棗椰子の実、山羊か駱駝の胃袋の袋に入れて保存すれば、
数年単位で保存できる優秀な保存食であると巷で言われているそれ。
袋から果実を出して配り、まだ水気の残るそれを齧りながら配布元は零した。
「アフダルに作らせれば良かったか」
「注意百篇、ジャマールです」
果実無限生成大神が居るのに、何で買ってしまったのだろうと後悔する創世神。
そんな姉に名前の訂正を求めながら、2杯目を配る妹が居た。
薄荷が濃いと言いながら、それで冥府の王とやらは何かと板が問えば。
「古代を想起、当時に在った大神を越える唯一神の信仰ですね」
そんな事を語る生き証神。
大神の手の届かない場所、時代に自然発生した裏付けの無い新興宗教だと。
「唯一神なのに王なのかな」
「翻訳誤差、神の単語は神族に充てられているので上位者ぐらいの意味です」
「いやジャマールさん、読めるなら読むか教えてよ」
陽除けの時間潰しに、古代文字の解読を望む人の願いに、
頼られた神は仕方ないですねえと、3杯目の茶を配りながら腰を上げた。
「聖なる物、王、言葉の連なり、歌かな、記録」
「その記述を纏める、王より賜りし聖句を此処に記すってとこですね」
3杯目に口を付け、苦ッと眉を寄せるアルフライラの向こうで、
古代語の文面に対する講義は着々と進められている。
続々と単語は読まれ、創世の刻、喪失、殺戮、遥かな過去と遥かなる未来。
「何か壮大だなあ」
板に生成した洗濯鋏に髪の毛を挟みながら、流し聞くアルフライラが他神顔で零した。
「ここの文は、琥珀の太陽、いや太陽は琥珀と化すかな」
「それに対応、こっちは麗しき月は失意に沈むですね」
気が付けば3杯目の薄荷茶を空けた創世神は、何故か目を逸らしている。
やがて満足したのか焚火に戻ってきた師弟と、荷物から簡単な寝床を作っておいた部外神。
夏の砂漠は基本的に日中に動ける世界では無く、昼夜は逆転するものであった。
「姉さん、たまには板から降りたらどうです」
「暑いからいやー」
寝酒ならぬ寝水を用意し、板の上で横になる姉と石床の妹の会話。
そして日没まで休むべくと、夜間に月の後を星の下をと砂漠の道行きの中で。
陽が南中を過ぎる頃には、2柱と1人の寝息が遺跡の床に消えていた。