深い緑の獣道を下っていく。
僅かな木漏れ日が所々を照らすも、昼なお冥き密林は風も無く鬱蒼と生い茂り、
村長の秘湯から宿に戻る2柱4人の観光客たちと案内は、森歩きの姿で草を踏んだ。
青臭い湿気の中、気が付けば水音がする。
先に進む内にそれは段々と大きくなって、やがて轟音と化し一行の耳朶を打った。
視界が開ける。
勢い良く、見るからに滋養に富んだ泥色の水が流れる大河。
砂岩に覆われた川岸の広場からは、水煙に隠されて対岸が見えない。
音が響く。
アルフライラが視界を巡らせれば、そこに在ったのは大瀑布であった。
中天を切り取り迫るかの様な断崖から、果てしなく遠くにまで続く滝。
巨岩は水を弾き滝を切り分け、滝壺を隠すかの如く水煙を生み続けている。
「ほう、さてはこれが噂に聞く密林の大瀑布群かの」
感嘆の声色を乗せハジャルが問えば、羽根飾りを被った案内役の森人女性は頷く。
「その中で密林歩きの休憩所を兼ねた、水遊びに開かれた川岸ですね」
見れば川岸の広場は奇麗に整地され、幾つかの葦小屋が建てられていた。
そこから川岸に向かい他の観光客も散見され、水音に人の騒めきが混ざっている。
「お、赤玉が掲げられているわ」
マルジャーンが示す小屋の軒先に、赤い布を丸めた球が吊るされていた。
途端にほくほく顔で小屋へと寄っていく、正体を現した酒呑妖怪が2匹。
「何となくわかるけど、赤玉って何なのかな」
「赤玉は呑み頃って合図なのよ」
アルフライラの問いに答えが返った頃には、集団が小屋に至り床几に座り、
まずはと2匹の銅貨と交換に出された品は、琥珀色の濁り酒。
村で少々に栽培されている
時間とともに発酵が進み酸味で呑めなくなるので、呑み頃に赤玉が掲げられる。
「昔は口噛みでしたが、近年は黍芽を砕いて酒にしています」
などと酒造を語る案内役の視線は、露骨に小屋横に安置された物体から逸らされている。
古そうな割りに手入れをされているのか、苔なども生えていない奇麗な灰色の彫刻物。
それはもう、物凄く良い笑顔の石像であった。
片腕で頭を支え、横たわる森人の石像である。
そしてもう片方の手には酒器を持ち、注ぎ口を尻に突っ込んでいる。
「古代の森人は、酒を尻から呑んだそうじゃ」
ハジャルの解説に、案内役女性の肩が小さく揺れた。
「麗しき巫女の口噛み酒を尻で味わったのか、難易度高いね」
少女の感嘆に、人の身は崩れ落ちる。
そんな森人の苦悩を置いて、くるりと妹の方へと振り向いた姉は、
素知らぬ顔で弦を爪弾き口笛を吹いている悪神の様に、少し白い眼を向けた。
違うんです違うんですと小さく呟く森人の声に、伴奏を付ける緑の悪神。
少し引いた相方がそっと神から距離をとりつつも、変わらず杯は傾き続ける。
「そう言えば大瀑布群って、他にこんなのがあるの」
「聞いた話じゃがな、断崖の上は巨大な湖で遥か先まで瀑布が続いておるとか」
話題を変えようとしてかな問いに、冷や汗を拭いながらのハジャルの言葉。
自然は壮大だなあと目を丸くする創世神に、今度は吟遊詩神が白い眼をしていた。
そして静かに目を閉じたジャマールは、愛用の五弦を構え直し朗々と歌いはじめる。
―― 大地の軸を定める 北の大海は凍えよ 南の大地は凍てよ
爪弾く弦に乗る声は、深く響く、詩神の歌声。
―― 月と太陽は灼熱に溺れ 千の夜に癒える
「古典神話の創世記、世界の軸を定める段じゃな」
ひとしきりの後に聴き手が訪ねれば、頷いた歌い手は静かに口を開く。
拍手とお捻りを受け取りながら、真面目な顔で過去の思い出を言の葉に乗せた。
「追憶証言、軸を定める時にうっかり大陸同士をぶつけた創世神が居た件」
板の上の少女の肩が跳ね、視線は泳ぎ何かを思い出した様な顔色と化す。
「修正忘却、そして出来たこの断層は忘れられたまま現代まで放置されたとか」
弦を爪弾きながら迫る妹の視線から、脂汗を流しながら全力で目を逸らす姉。
「だ、断層のおかげで下流の豊かな土壌と温泉が出来たわけなんだし」
「踏破困難、そして今なお断崖の密林として文化圏を寸断していますよね」
出来上がってしまった断崖に、神代で凄まじく苦労させられた神々が居たらしい。
かくて酒場小屋の床几の上で、制作サイドと実務サイドの確執は繰り広げられる。
終には平に伏す少女神と座った眼で弦を鳴らす女神と成り。
「当事者にしかわからん苦難と言う物があったんじゃなあ」
拳を握り締め快哉を喜ぶ神に、呆れ半分の人の言葉が掛けられる。
「艱難辛苦、平地が噴火するわ神殿沈んで遷都するわで大変だったんですよ」
シャマールの疲労の滲む眼差しに、何とも言えなくなるハジャル。
なお、他3名は聞かなかった事にしつつ杯を傾けている。
「若長若長、何か凄えの居たッ」
そこへ駆けてくる、幼い長耳の少年。
「セルサル、お客様の前ですよ」
声に応えるのは、羽根飾りを被った案内役の女性。
若長との言にアルフライラが首を傾げれば、若長なんですと簡単に答える。
「ふむ、改めて名乗ろうか、私は猫を称える神アルフライラ」
「事故紹介、私はその妹で吟遊詩神ジャマール・シャムスです」
眉一つ動かさず、真摯な表情で自己紹介を言い切ってのける邪悪大神姉妹。
「ハジャル、そこの酔い潰れがマルジャーンで無言で買い食いしとるのがサフラじゃ」
「あ、タサウブです、そこの詩神と旅してます」
気が付けば杯を重ね蒸留酒に移っていた妖怪の片割れは板に倒れ、剣士は食っていた。
「これはご丁寧に、私めは次代の村の長、ヤークート支族のアスファルと申します」
そしてどこか白々しい会話の後、張り付いた笑顔で和やかに笑う若長と女神たち。
「それで、何を見たって」
ひとしきりの後に少女神がセルサルと呼ばれた少年に問い掛ければ、彼は粘土の頭を被り。
―― 遥か水辺 大いなる影 甲羅持ち水に棲まう者
「あ、それ観光客向けだったのね」
小さな泥人が左右にゆらゆらと揺れながら、自分が見た物を語った。
要は、何かやたらデカい亀が居たと。
言われて示された方角は瀑布から少し離れた河面。
水の上に2本の荒縄が張られ、両岸を繋いでいる。
あのあたりかなと目を凝らす一行の視線の先に、縄を渡ってくる泥人が居た。
片方の縄を掴み身体を支えながら、もう片方の縄の上を歩いて河を渡っている。
そして、踏み外して落ちた。
激流に飲まれ、くるくると格好良いポーズのまま回りながら下流に流されていく。
方角を示した少年をはじめ、皆が無言であった。
亀らしき者は、居ない。
「餌にも食いつかなかったみたいだし」
「流石に餌扱いするのはやめてやれ」
心無い女神の言に、その頭を軽くはたく人の剣士。
水音と観光客の声以外が響かない、静かな空間が固定される。
一息、疲れた声色でジャマールが森人たちに問いを投げた。
「疑問再燃、そもそも何で泥まみれで粘土頭を被っているんですか」
少年は左右にゆらゆらと揺れ、アスファル女史は苦笑しながら口を開く。
「祖父から聞いた若い頃の話ですが、私たちは密林では弱者側だったらしく」
葦舟の民、山猫族など、密林には森人以外にも幾つかの部族が在り、
こと争いになった時、それはもうとにかく一方的にボコボコにされていたと。
個体性能は高くとも、技術面が著しく劣りボコスカウォーズに弱かったらしい。
「なので当時の長が、こう考えたそうです」
抗争時に妖しい格好で妖しい踊りを踊っていたら、相手の動揺を誘えないか。
「どういう発想かな」
「理解不能、その長とやら追い込まれ過ぎていませんか」
引き気味の聴き手に、語り手は頷きながら言葉を続ける。
「ところがこれが、やたらと効果的だったそうで」
かくて抗争の勝率は跳ねあがり、以降に森人の抗争時の標準装備に成ったと語った。
その流れのまま、伝統文化として村の中に定着しているとも。
「只人村長が来る以前、私たちが掴み取れた数少ない生きる知恵なんですよ」
はにかみながら答える女史に、深く頷いたアルフライラは問いを重ねる。
「それはそれとして、山猫族に関して詳しく」
そんな身を乗り出して問う姉の横で、妹は真っ白に燃え尽きていた。