月夜見が薄れるも、日霊が天照らすにはまだ足りず。
開拓者たちは隠れ里の老人たちに見送られながら、薄闇の山道を辿った。
見送る老森人は半裸で素肌に塗料で紋様を描き、粘土の仮面を脇に抱えている。
腰に下げた山刀の刃には畜糞が塗られ、背後で幾つもの鏃が糞に突き立っていた。
一行は気付かない振りをしつつ、笑顔で山脈へと向かう。
聖地へと至る参道。
極彩色の層で作られた山肌は、足元を見れば単色の土。
意外と歩き易く踏み固められた登山道は、古代森人の為した遺産であろうか。
足裏を均等に接地する様に歩けば、自然とその歩幅は短くなる。
歩数を幾らも数えぬ度、小まめに目線を上げ進行方向を確認する。
背後から怪鳥の叫びと、高原森人たちの悲鳴が聞こえた気がするが幻聴であろう。
遠く鈍い音が空に響く。
やがて標高を稼げば陽光が山肌を照らし。
眼下に広がる高原には逃走する高原森人と、それを迎え守る巨大な構造物。
巨大な石板を組み合わせて作った箱に、車輪が付いていた。
申し訳程度の棍棒の様な短い腕も、箱の左右に備え付けられている。
「き、機械天使の類なのかのお」
困惑のハジャルの横で、姉神はぐるりと振り向き妹を直視し、妹神は目を逸らす。
何とも言い難い高原森人の戦力は、見ている内に落とし穴に落ちて崩壊した。
とりあえずは姥捨てもとい、隠れ里の老森人たちに何の心配も無い様だ。
なので燦々とした日差しの中、朗らかな登山の道行きは続く。
荷物を積載した板はふゆふゆと浮き、身軽な登山人たちの足取りは軽く。
襲撃してきた高原森人は気配を消したマルジャーンが問答無用で斜面へと蹴り転がし、
サフラが大剣の腹で引っ叩き斜面へと叩き込み、ハジャルが法術で足を掬い以下は略。
転がり落ちて遠くなる悲鳴の先を見れば、高原に地上絵が描かれていた。
道行きに併せた高原に描かれた巨大なそれは、一筆描きで簡素な構造をしている。
「これが話に聞く、森人の地上絵じゃろうか」
「眉唾だと思っていたけど、実在したのね」
断酒中で正気の呑酒妖怪たちが感嘆の声を零せば、若長が微笑みながら語った。
「参道に添う様に古代森人が描いた、森人の神話なんですよ」
古代は参道を行きながら、神官が歴史を謳っていたのだと。
「あの赤土のあたりの鳥は、赤き不死鳥の神話ですね」
千の夜をかけて古き世界の闇を灼き晴らしたと聞いた創世神が、
ジト目で妹神を眺めれば、全力で目を逸らし口笛を吹く製造物責任逃避詩神。
そんな様を醒めた目で眺める剣士は、斜面を転がり落ちる悲鳴に背を向けて、
板上に出されている革袋から小振りな林檎を取り出して齧った。
兵士の林檎などと呼ばれるそれ、原種に近く行軍のお供に良く消費されている。
さほどの甘味は無いが、歯応えと水分は普通に林檎相応の物。
そのまま林檎を配り、その中で遠慮する開拓少女の額を林檎で軽く叩いた。
「食う事と飲む事を怠るな」
そう窘めて、タサウブの手に捻じ込んでおく。
「高地だと、意外に精気や身体の水が失われるのが早いのよね」
「緑や土こそ目に入るが、実際は空の砂漠の様な物じゃからな」
復活した高原森人を蹴り落としながら、ハジャルとマルジャーンが補足を入れて。
これ以上は特に語る事も無しと、静かに林檎を齧っていたジャマールが姉に願う。
「半渇半渇、そんなわけで姉さん飲み物ください」
仕方ないにゃあとアルフライラは板上に携帯焜炉を生成し、薬缶を火に掛ける。
沸かした湯に麦茶パックを放り込み、ついでと砂糖を放り込んだ。
滑落する高原森人の悲鳴を聞き流しながら、最後にごく微量の塩を振り、
出来上がった麦茶糖を木杯に注ぎ分けて一行に配り出す。
遠くの空に鈍い音を聞きながら、湯煙の杯に誰しもの頬が緩んだ。
高地の低酸素環境下では呼気の水分損失も増え、冷気と共に体力を奪い、
水分のみならず電解質の消費も激しくなる。
故に水分は、摂るだけ摂って摂り過ぎると言う事は無い。
そして新しい絵が見える度にアスファルが語り、時折に休み、気が付けば標高は高く。
「流石にそろそろ、滑落すると生命に関わる感じじゃのう」
山嶺を辿るような参道も、標高が上がれば左右の斜面も高く、長く。
他人事の様な顔で零したハジャルの言葉に、高原森人は激高して叫んだ。
「だから話を聞く前に蹴り落とすんじゃねえよッ」
その言葉に応えたか、隠形していたマルジャーンの足裏が森人の背中で止まる。
「ひいいいいいぃぃぃッ」
「迂闊な言動をすれば即座に蹴り落とすわ」
全身包帯まみれの高原森人は硬直し、両手を挙げて無抵抗の意志を示した。
仕方無しと捕虜を縄で縛り、天幕が張れそうな場所まで移動する内、
顔色を悪くしたタサウブの足元がふら付く様になってきた。
「何事じゃ」
「とりあえずコレは蹴り落としとこうかしら」
「いやただの山酔いだろ俺は無実だああああぁッ」
叫んだ容疑者は、そのまま精も根も尽き果てたのかパタリと倒れ、
顔色を青くして震えながら荒く呼吸をする。
「高原森人も山に酔う物なのかの」
「高原の森人古都に比べても、ここらは高いですからねえ」
微塵も普段と変わらないハジャルが戸惑えば、アスファルがしみじみと答えた。
これまた仕方無しと、天幕まで開拓少女は板に乗せ、捕虜は引き摺り、
夜明かしにと張った天幕の中に横たえ、酸素吸入を受ける急性高山病患者2名。
「タサウブは戻らせるべきかのう」
「心配無用、聖地はここより低い所にあります」
板から伸びた酸素吸入器の蛇腹を眺めながら、ハジャルが懸念を示せば、
もう戻るよりも進んだ方が早いと、ジャマールが旅路の見解を述べた。
向こうでは淹れた紅茶を配ろうと、板から降りる仕草を見せたアルフライラの、
その顔面をサフラが片手で握り止め、マルジャーンが茶器と杯を受け取っている。
配られた杯の紅茶には粉団と蜂蜜が注ぎ込まれ、紅茶の飴湯が如き有様。
そして誰しもが無言で熱量と糖分を摂取し、疲れを癒す静寂に遠く響く音。
「何なんじゃろな、この音」
「遠くで何か重い物がぶつかっている感じね」
ハジャルとマルジャーンの会話の奥で、鍋を抱えたアルフライラが板から降り、
ようとする所をサフラに顔面を掴み止められ、鍋はアスファルが受け取る。
器に入れられ配られた物は、湯気を立てる南蛮黍の粥。
アルフライラが隠れ里で受け取った
もっちりとした高原の南蛮黍は米の如くに味は淡く、塩に好く合っていた。
全員が黙々と食べ進め、食後に配られた白湯を呑む。
やがてタオルケットを被りふて寝している板上の少女と、酸素吸入の続く患者2名、
それらを除けた残りが集まり、皿に出した揚げ豆を齧りながら夜を深めた。
「何でも、高原森人の村で連続失踪が起こっているそうです」
夜明かしの掛け布を整えながら、アスファルが病人から聞き取った内容を語った。
「念のため聞くが、心当たりは無いのじゃろうな」
「まったく、と言うかそもそも高原森人なんかに構っていられる状況じゃないので」
揺れる光源に視界を揺らしながら、ハジャルが問えば若長は身も蓋も無い答を返す。
「ただ、密林の森人が人を攫うのを見掛けたと証言があったとか」
それで報復と情報収集のため、高原森人に密林森人所縁の者が襲われていると。
「森人村が無関係ならば単純に、証言したヤツが怪しいのではないかのう」
「けどまあ、高原の連中に私たちは信用が皆無ですからね」
地虫とか呼ばれてますしと哂いながら語る森人村の若長は、
滅びるその時まで高地に引き籠もっていれば良い物をと、軽く毒を吐いた。
「つまり襲撃はこれからも起こりえると、そう言う事じゃな」
ため息交じりに言葉を吐いたハジャルの、視線の先には倒れている捕虜。
「射撃は、怖いのう」
「板に吊るして肉盾にでもするか」
「そもそも論、姉さんを一番前に出しておけばそれで済むのでは」
倫理に乏しい傭兵上がりと悪の大神の意見を、苦笑して流す頭脳担当。
「まあ明日も早い、そろそろ火を消すぞい」
照明の燃料も貴重であり、簡単な報告会も終わったとお開きの宣言。
暫くして天幕が闇に包まれれば、響くのは軽い身じろぎと掛け布の擦れる音。
そして途端に意識に届く、天幕の布を打つ風の音。
果て無く遮蔽物の無い夜を渡る山風が、矮小な人の営みを哂っていた。