回転する衝角は、水飛沫を撒き散らしながら中空へと躍り出た。
飛礫の混ざる水煙は湖畔の人々の視界を奪い、ただ映る巨大な影だけが異変を示す。
激流に逆らう様に鋼の鰭が水を掻き、水と破片を撒き散らした。
現れた機体の下部に備えられた無限軌道が音を立て回り、森人の遺跡を踏み砕く。
急激に下がり続ける湖面に、露出した遺跡を砕きながら流される事無く進んでいった。
「亀じゃな」
「亀ね」
咄嗟に地面に立てた板の影から、湖を覗き見たハジャルとマルジャーンが見を述べる。
「あばばばばばばばばば」
石榑が飛来する中、板の反対側から何か聞こえた気がしたが幻聴であろう。
その様な些事に関わる気も無いのか、回転する衝角を持つ鋼の亀は湖底を進む。
軌道で泥を弾き跡を付けながら、古代遺跡を粉砕する機神。
人の身よりも巨大だが、アルコーンに比べれば遥かに小さい。
「機械天使、にしては小柄じゃのう」
せいぜいが大型の馬車程度の体躯である。
「にゃふー」
飛び散る破片の原因が離れ、落ち着いた空間にどこからか鳴き声が響いた。
とりあえず立てていた板を戻せば、上には血文字を残し倒れている創世神。
まるじゃ。
力尽きた神が何を書き残そうとしていたのか、それは永遠の謎である。
周囲を見渡せば、そこかしこに血痕を残し呻き声をあげる高原森人たち。
やがて吹き飛ばされた天幕の下から、詩神と開拓者2名が這い出て来て合流した。
「ところで、気が付いたんだけど」
血文字を拭いて証拠隠滅を図りながら、マルジャーンが疑問を言葉にする。
露出した湖底に向けて叫ぶ高原森人たち。
その内容から、彼らに何某かの関わりがありそうな小型の機神。
崩れた陣地、崩壊を続ける古代森人の遺跡。
「私たち、部外者じゃない」
物凄く蚊帳の外な集団であった。
「まあ、そうですね」
駆けつけてきたアスファルが、ハイライトの消えた目で受けた。
被害も加害も、どこからどう見ても高原森人内の問題である。
「宜しく哀愁、流石に思い出の土地が壊されるのは忍びないのですが」
妹神がチラリと姉を見ても、姉は友人の頬をむにむにするのに忙しい。
口元の血を拭うよりも、マルジャーンの頬を伸ばす方が優先されている様だ。
「いや姉さん、聞いて」
「ふむん、後始末を私にまかせてしまうと」
それで良いのかと問うアルフライラに、苦虫を嚙み潰した顔を見せるジャマール。
そのような僅かの間にも、事態は変化を見せる。
―― 何故だ、何故だワヘルッ
響いた声に、湖畔の全ての視線が向く。
湖底から露出した遺跡の狭間、亀と同じぐらいの大きさの機神が居た。
尾鰭と水中ジェットを備えるその鋼は、まるで打ち上げられた魚である。
「何やってんだ親父ぃッ」
声に聴き覚えでも在ったのか、瓦礫塗れの湖畔で高原の若長が叫んだ。
しかし父親は息子の叫びに応えず、ただ鋼亀の暴挙を糾弾し続ける。
絶叫は伝播し、湖畔に騒々しい言葉が飛び交うも内容は噛み合わない。
だれしもが目を背け、それでも理解してしまっているからだろう。
崩れた湖に因る濁流は、容易く故郷を押し流しているだろうと。
「ん、今ナハースって言ったかな」
「一目瞭然、そもそも機神を気軽に開発出来るのはアレぐらいです」
そして観客と化した開拓組の中で、珈琲を啜りながら姉妹がのほほんと語った。
珈琲は板上に薬缶で深く抽出した物で、表面には珈琲豆の脂が浮いて香しい。
―― 五月蠅いな
突然の宣言と、音。
ぐちゃりと。
何かが潰れる音が魚型機神から響いた。
「何を」
若長が口を動かし音を発するも、上手く全てを言葉にできない。
機神の突然の静寂に、釣られたように湖畔の面々も全てを止めた。
―― 神のために身を捧げたんだ、有難く思うべきだよな
亀も動きを止め、口を動かしていた若長に衝角を向かて語り掛ける。
「何を、言っているんだ、貴様」
―― だから俺のせいじゃない
そうだろうと同意を促すような声色は、微塵も悪意が混ざっていなかった。
再びに訪れる、どこか諦観の滲む僅かな静寂。
憤怒の絶叫と、意に介さず遺跡の破壊を再開する巨神。
「何じゃろうな、あの上手く人間をやれていない感じは」
「少し時代にはそぐわないかな」
人の言葉に神が応え、その視線の先には遺跡中央の神殿が在る。
―― さあ、犠牲を払ってここまで来たんだ、見せてもらおうか
「この他人の懐に手を突っ込みながら、周りに良い顔してる感」
「そう言われると、結構そこらにも居る人間な気がしてきたぞい」
勝手な感想の届くはずも無く、柱は倒れ壁は倒れ、屋根は崩れ落ちる。
―― 第4のアルコーン、イアベール
神殿奥に、それは安置されていた。
巨大な体躯に、手足は短く。
単独の複眼を持つ、欠けた月を思わせる形状の頭部。
両の手には指は無く、蔦の如く伸びる鋼の鞭が代わりに在る。
そんな木像。
―― はああああああああぁぁッ!?
木像である。
「うーん、素晴らしく良い出来の神像」
巨大でありながらも繊細、深い信仰と敬愛を思わせる見事なクオリティは、
森人の加工技術も込み、創世神をして舌を巻かせるに足る代物であった。
―― 何でだよ、何でこれまで目立たず地道に積み重ねてきたってのに
「何をじゃろうな」
「たぶん、本人にしかわからないー」
―― 少しぐらい報われても良いだろおがよおおおぉッ
叫びに応える様に、飛来した物が在った。
白煙を棚引かせ、高速で飛来する鋼の筒はそこら中に着弾し、
音と破片を巻き散らかしながら爆発する。
「若長ッ」
かつて交渉役をしていた森人が、自らの主を庇い共に吹き飛ばされた。
たまさか開拓者たちの方角に飛ばされ、転がりながら近接する。
板の障壁に、何かが当たって弾かれた。
砕けた肉と、指。
軽く眉を顰めたアルフライラの目の前で、主従が息を整える。
「ご無事、ですか」
「え、あ、お前」
さしたる怪我の無い若長に代わり、庇った者はかなりに削れていた。
爆風を受けたのか赤くなった肌と、破れ、肉がこびり付き血の滲む衣服。
大小様々な傷がその身に在り、左腕は手首から無くなっている。
「肩下を紐なり何なりで縛りなさい」
抑え、それでも止まらない血に、捨てられた子供の様な顔をした若長に、
視線を向けず淡々とした口調で、アルフライラが指示を出す。
神が視線を向けている先は、断崖の跡地。
轟音を響かせ、河川を遡り近付く鋼の巨神が居た。
「え、ええと、次はどうしたら」
遠目に観察する神に畏れながらと人が問えば、軽く視線を流す。
ふむりと頷いて、換装した紅玉ハンドで怪我人を板に引き摺りあげた。
音が近付く。
「お、お願いします」
膝をつき、震える声で若長が神に祈った。
「そいつは、そいつとは長い付き合いなんです」
千夜神は頷き、重々しい口調で言葉を告げた。
「猫を信じるのだ」
「猫を……」
どんな時でも、布教の心は忘れない。
その横で森人は傷口を消毒され、肉を削がれ、神経の先端を切断され、
骨を削られ、血管を繋がれ、肉で閉じられ、施術跡に皮を貼られた。
他の傷口は適当に塞がれている。
「よし、後の事は気にせずがっくりしろー」
「がっくり」
「意外に余裕あったなお前ッ」
残った気力で渾身のがっくりを見せた従者に、半泣きで叫ぶ若長。
その尻を引っ叩きながら、ほれお主も怪我人運ばんかとハジャルが促した。
気が付けばマルジャーンが怪我人を背負い、サフラが怪我人を肩に担ぎ、
ハジャルとタサウブが2人がかりで怪我人を板の近くに運んでいる。
「ヤバそうなのは2人じゃな」
「必殺心霊手術ー」
とりあえず綿が出ていた2名を、アルフライラが雑に戻す。
そんなこんなの内に生存者が集まり、その目の前には鋼の巨神が屹立していた。
亀が飛び、魚も飛ぶ。
気付かれず岸壁を整地していた宿借りと、上空を飛び回る海鷂魚、
車輪の付いた鋼の烏賊も巨神に集まり、それぞれに格納された。
どこか紅玉への思慕を思わせる深い赤を基調とした装甲、手袋の様な指、
両の肩に球体を割ったかのような特徴的な盾を備え付ける、大質量の機動母艦。
―― これが新型偽典アルコーン、スロウンズだッ
無視をされているのが寂しかったのか、集団に見せつける様に姿勢を付けた。
「素晴らしい」
それを見たアルフライラが、端的に感想を述べる。
どこらへんがとのマルジャーンの問いに、早口で答える神がそこに居る。
曰く、自分たちで制御出来る限界の大きさを見誤らない小型の機神群。
しかしその出力はあきらかに過剰であり、部品が持たないのは確定的だと。
だが、そこを逆に利用している。
「高出力のため交換前提の消耗部品、私たちに失われた発想だ」
手放しの賛辞であった。
「それだけに、操手の低能さが哀れを誘う」
そして最後に付け足された言葉が、場の空気を凍らせた。
しん、と。
訪れる静寂。
―― もういいや、死ねよお前
巨神の振り上げた腕の先から吹き出す殺意の熱風が、人の集団を襲った。