崩れる音がする。
全身が罅割れたイアベールから、装甲が剥離する。
巨神と遺跡の残骸が転がる湖底に、更に残骸が増えていく。
誰しもが、音を立てなかった。
ただ朽ちて崩れゆく音だけが、周囲に響く。
歩む。
巨神は祀られていた神殿へと歩を進めている。
気が付けば高原の森人たちは誰しもが跪き、大神の威風に祈りを捧げていた。
今ここで、何かが終わるのだと予感めいた確信だけが在る。
その中でただ一人、巨神へと駆け寄る者が居る。
「神よ、我らが神よ、どうして我らをお見捨てになられたのかッ」
アスファルはその複雑な内心を整理する間も無く、ただ激情のままに叫んだ。
種族を率い、未来を見据え、それでも心の底に残っていた問い掛け。
今この時を逃せば、その疑問は闇に沈み永遠に残り続けるだろうと。
―― 私に触れてはいけない
人が伸ばした手を、静かに留める神の言葉が在った。
再び装甲が剥離し、湖底に落下音を響かせる。
―― かつて私に、緑の民は約束をした
イアベールの中で、俯くアフダルの表情を誰も知る事は無い。
―― いつか神の揺り篭を出て、自らの足で歩んでみせると
それは、もはや森人の中で誰も覚えてはいない失われた契約。
―― 私はかつて、間違えた
巨神が祭壇の遺跡に至り、足を止めた。
言葉に合わせる様に、その内容に森人たちの肩に力が入る。
―― 恐れ、疎まれながらも、決してその手を離すべきでは無かった
独白は続く、何者かへの懺悔の様に。
―― たとえ何をするでなくとも、傍に居て見守り続けるべきだった
人が神に赦しを請うのならば、神は何に赦しを求めれば良いのだろう。
―― 我が民アスファルよ、最後の約束を結ぼう
祭壇に機神が振り返り、緑の民へと向き合った。
―― 貴女たちが語った未来を、約束を、自ら叶え行くと言ったな
その罅割れた装甲に緑は芽吹き、泥のそこかしこから草花が目覚め始める。
―― ならば私はそれを信じ、ここから見守り続けよう
やがて草花は機械を覆い、急激に成長する樹木がイアベールを飲み込んだ。
その根はしっかりと大地を掴み、どこまでも高く生命を謳歌する。
―― 今この時の幸福を胸に、私は民に謳い続けよう
天を衝く樹木より緑が溢れ、咲き誇る華が気狂い染みた繚乱を湖底に齎した。
―― だからどうか、我が民よ
やがて声は途切れる。
尋常ならざる巨木は、咲き誇る草原の只中に屹立している。
それはもはや湖底では無く、世界樹の在る森人が聖域。
気が付けば自然と、アスファルは膝をつき頭を下げていた。
「神命、間違いなく我らが魂に」
頬を伝う雫は、様々な感情が溶け込み。
森人の誰しもが無言に畏敬を示す最中、離れた場所にも涙を流す少女が居る。
ただ口を嚙み締め耐えているタサウブを、アルフライラが引き寄せ抱きしめた。
泣き崩れる少女を撫でながら、遠目に草原を見て軽く目を伏せた。
「酷い話だ」
嘘つきと、小さく零す少女を乗せたまま板はふゆふゆと移動する。
スロウンズの残骸に向かい、その破片を眺めた神は嘆息した。
「謀らずも、出来上がっているなあ」
固く密閉された燃料槽。
「燃料が死ぬ前に吸収を止める、代わりに無駄なく利用できる様にか」
僅かの魔素も霊素も逃さない様にと、あらゆる手段で徹底した密封。
人道的と言うより、燃料の再利用を見据えた設計なのだろうと。
刹那、飛刃が障壁に刺さりそこで止まった。
次いで大剣が振るわれ、平で殴り飛ばされた人間が転がる。
「ずるい、何だよそれインチキじゃねーかッ」
歯が折れたのか口元から血を飛ばしながら、叫んだのは中肉中背黒髪の男。
あまり興味が無さそうな表情で神が目を向ければ、慌てて口を噤んだ。
そして剣を仕舞いながらサフラが、マルジャーンとハジャルも姿を見せる。
「先ほどから高原の者たちが言っておった、ワヘルとやらか」
醒めた目でハジャルが状況を述べ、男は怯えながら口を開いた。
「いや待て俺は人間だぞ、お前は人の生き死にには関わらないんだろ」
神への命乞い、と言うには少しばかり自尊心の高い物言い。
事故だった、仕方の無い行いだった、俺のせいじゃない、そんな言葉が続く。
「どこか静かな所でのんびりと暮らしたい、俺はそんな無害な人間でしかない」
だから見逃して神の誇りを守る、それがお前のためなんだと高説は締められた。
「でも静かな所で嫌な事があったら、殺すよね」
「当たり前だろ、自分の身を守るのは当然の権利だ」
発言に眉を顰める人々の中で、呆れた顔を見せた神が居る。
「つくづく見事だなナハース、よくもまあこんな煮凝りみたいな生き物を」
その言葉にワヘルは顔に不快感を滲ませ、小声で呟いた。
俺を見ろよ雌豚がと、聞えよがしな割に聞いてないはずと、信じる様に口元は歪む。
そして板上でアルフライラは小型の火薬弓を引き抜いたタサウブを止め、
殺んなくて良いのと、笑顔で問い掛けるいつもの3人に苦笑で答えた。
私自身は特に何の関係も無いけどねと、言葉を発し。
「そこの燃料槽、物凄く密閉されているんだ」
そんな神は、特に関係の無い事を口にした。
ふむと言葉の続きを待つ開拓者たちと、隙を伺うナハースの使徒。
「徹底しているから、中で死んでも外に発散出来ず魂魄が分解されにくい」
とは言えただの霊魂が、何かを出来ると言うわけでも無いけどと。
「でもまあ、魔素に対する感応力が高い個体だったなら何か出来るかもね」
生前の魔素に対する感応は、魂魄にも慣れ親しんでいるだろうしと。
言いながら隠れ潜んでいた作業用ハンドが、燃料槽の蓋を開け放った。
腐臭を放つ肉塊が溢れ出し、しかしその遺体だった物は何故か蠢いている。
「ほら、貴様らの仇がそこに居るぞ」
言葉に応えたのか、溶けかけた腐肉は逃げようとするワヘルに伸びて絡み付き。
瞬く間に燃料槽へと引き摺り込み、そして全ての肉が戻ってぱたんと蓋が閉じた。
後には燃料槽と静寂が残るだけ。
異臭漂う空間で、黙々と作業用ハンドが蓋に封印を施した。
「復讐は相応しい者に、かな」
淡々とした言葉で終わり、神は板を翻し悪臭空間を後にする。
開拓者たちも後に続き、風が運んできた空気を大きく吸って息を吐いた。
「今のも心霊現象と言うべきなのじゃろうかのお」
「それを認めたら各所でいろんな不具合がー」
ハジャルのほのぼのとした問い掛けに、しみじみと返すアルフライラ。
肉に魂を放り込んだとだけ言えば、アルフライラや自称異世界勇者も該当する。
他に言えば、戦死した勇士の魂を放り込んだ赤の神造神族軍団とかも困る。
やーいお前ら心霊現象とか、動く死体、とか言い出したらかなりの国際問題だ。
そんな益体も無い会話を紡ぎながら、板は世界樹へと向かっていた。
ちょっと通りますよと、祈りを捧げる森人を押しのけ樹木へと至る。
女神は青々とした枝葉を広げる巨木を見上げながら、溜息を吐いた。
「大神としての役を終え、お前はまことの神に至る事を選択したんだな」
全てを見届けたと創世神は告げ、森人たちは畏敬の念を込めて視線を注ぐ。
「告げよう、古き約束は果たされ、森人たちは贖罪の明日へ至った」
世界の接続が果たされ、所有権がアフダルからアルフライラに移行する。
「今ここに千夜神の名に於いて、黎明を認め、全てを赦そう」
永き森人たちの夜は今、終わったと。
神威に震え頭を上げられぬ森人たちの間を、板から降りた神が歩む。
そして巨木の樹皮に手をあて、静かに言葉を紡いだ。
「我が妹アフダル、私はお前を誇りに思うよ」
そのまま薄い酸素に卒倒して、板に放り込まれたのは言うまでも無い。