夜半からの雪が、紅玉平野を白く染めていた。
日が昇る前から街は動き出し、人々は忙しなく動いては白い息を吐く。
やがて雪原に旭光が伸び、作りかけの神都に様々な色を添えた。
そんな黎明のペル・アビヤドが聖地、空気に冬の混ざる千夜神殿本殿にて。
拝殿を果たし、家猫族はそこかしこで好き勝手と存在している。
冷えた床を自らの体温で温め、丸くなって動かない者。
何をするでもなく複数で円を描き、どこか遠くを見つめている者。
敷かれた絨毯の上で押し合い固まっている団子。
幾つか置かれた、熱源を持った机と天板で綿入りの布を挟んだ謎の物体。
はみ出ている足は何本在るのだろうか。
そして留守番の創世神は猫を撫でていた、わしわしと荒く。
指を立て首周りから顔、頭の上まで掻き分ける様に撫でては撫でて。
膝の上でにゃごにゃごと言わせては、お代わりを膝に乗せる。
そして行列で待っている家猫族から、姉の膝に飛び込んだ猫耳少女神。
撫でて撫でてと、獣神の背中が無言で要求していた。
並んでいた色とりどりの家猫たちの眼が、どうぞお先にと語っていた。
溜息がひとつ。
「今日から猫弾きのアルナイネとでも名乗ろうか」
アルフライラは無造作に言った。
間。
何を ――。
何を言っているのですか。
“すたたん”
尻が叩かれた。
「にゃふぅ」
たまらず叫んだ。
にぃっ。
と。姉が笑んだ。
ふ
ゃふ
にゃふ
ふにゃふ
ゃふにゃふ
にゃふにゃふ
ひたすらに尻を叩かれた。
「それが、猫好きだからだ」
「猫好きだから尻を叩くのだ」
たまらぬ女神であった。
そして首回りマッサージ神からケツドラム神に変貌した創世神は、
妹神をそこらにポイ捨てしてから、膝の上に次の猫を乗せる。
そしてケツを叩く。
艶の在る家猫族の悲鳴が、神殿に響き続けた。
やがて陽の高度も上がり、白猫と黒猫に上下を挟まれだらけていた神の元に、
来客の報が在り、それを受けてそそくさと賽銭箱を設置する神殿の祀神。
「高いところに居ると、神っぽいですね」
「まあ神ですからー」
壇上を見上げ賽銭を放り込みながら、そんな言葉を投げてくる。
纏布で髪を覆い、落ち着いた色合いの服を着る青年商人。
先日に黒の神国に商会を起こしたばかりの、馴染みの冒険商人である。
交易先を作るために各地を回り、男爵と副王に拝謁した帰りだと言う。
連れ合いは踊り子でなく、急所を守る簡素な皮鎧に身を包んだ剣士であった。
短めの金髪は肌と共に陽に焼け、軽く荒々しい威風を醸して出している。
「実は男もイケるクチだったとわ」
「護衛ですよ護衛ッ」
折々の冒険で腐れ縁を繋いだ、長剣使いの開拓者だと語る。
そんな話に出された青年剣士は、少し青い顔をして周囲を警戒していた。
「どうしたんです、神の御前で畏まる性質でも無いでしょうに」
「いや、家猫族に囲まれてんだから生きた心地がしねえっての」
こんなに可愛いのにと首を捻る神と商人に、全力で反論の剣士。
「よく見ろこいつら、特に前足と後足の太さッ」
ぶっとい、と言うか前足では無く手である、きっとたぶんおそらく。
「言葉の通じる熊に囲まれてる様なもんだ、気付けよッ」
なお、本当に言葉が通じているのか時々疑問を持たれている。
「それで、旧交を温める以外に何かあるのかな」
語られた猫に対する人の畏怖を聞き流し、話を元に戻すアルフライラ。
無いのなら飯でも食っていくかなと続き、それは是非にと返す商人。
「まずは、ジャマール神がこちらに身を寄せていると聞きました」
放浪の吟遊詩神ジャマール・シャムス、彼の旅路に於いて幾度か見え、
物語に語られる騒動の要所要所で何かしら関わる知己だと語る。
「アレも意外に顔が広いね、君から見て彼女はどんな神なのかな」
「そうですね、神族でも群を抜いた美貌と天上の歌声を持つ詩神ですか」
そして要らん事をする胡散臭い神ですと締め、ああやはりと深く頷く姉。
ともあれ知己であるのに疑いはなく、それだけに真面目な声の返答が在った。
「ジャマール・シャムスは、祟り神と堕ちてしまった」
どういう事かと問う商人に、目線だけで物陰を示す祀神。
物陰の前を雉虎の家猫族が通りがかり、瞬間、ずるりと何かが影から伸びた。
床の上を高速で這い、両の腕で捕獲した雉虎を即座に物陰に引き摺り込む。
「もふもふもふもふもふもふもふ」
「ぎにゃあああああぁぁッ……」
影の中から漏れる、何か悍ましい儀式が行われる音と猫の悲鳴。
そっと目を逸らし見なかった事にする創世神と商人。
「元気そうですね」
「健在なのは間違い無いかな」
そう、ジャマールには余りにも、堕ちてしまうほどに猫が足りなかったのだ。
とは言え会話もままなりそうにないと、商人は預かっていた手紙を姉神に渡す。
後で渡して欲しいと請われ、流石に今でいいやとアルフライラは妹を呼んだ。
「何ですか姉さんも青年も、私は今冬毛を堪能するのに忙しいのですが」
てふてふと物陰から歩み出た家猫族は、背中に詩神が全身で寄生しており。
「下の子が涙目なのだが」
「愛ですね、つまり私が最も美しく感じ、知れば歓喜に震え、失えば絶望するもの」
愛だな、愛ですね、いや奇麗な言葉で誤魔化そうとすんなよッ。
騒々しい会話と共に詩神は上半身を起こす。
両足で下猫をガッチリとクラッチしたまま、受け取った手紙に目を通した。
「これで後は、イルドラードで区切りですか」
眼を通した手紙を懐に仕舞うジャマールに、アルフライラがそれは何と問う。
「ハディヤ嬢、つまりタサウブの行方不明な幼馴染に関してです」
伝手を頼り、吟遊詩人の網で捜索をして貰っていたと語り、
オーク族にも頼むかなと姉が聞けば、すいませんもう頼んでますと妹。
「東西南北、西側の情報はイルドラードで留めて貰っているんですよ」
そして東側、特にそれらしき者は居ないと空振りの内容だったと語った。
ただ北の霊峰に向かう荒野で、ボロ布を纏う少女を見たと真偽不明な補足。
「賊か怪異か難民か、何にせよ正体を確かめる事は無かったとか」
イルドラード次第かと邪神と邪教徒が頷き、元悪神が肯定する。
その横で護衛の青年は、寄ってきた白猫をおっかなびっくり撫でていた。
そして改めて商人が口を開く。
「まあこれでひとつですね、あとこれの事を聞きたかったんです」
「へい、賽銭箱はまだまだ空いているんだぜー」
銅貨がチャリンと音を立て、それで何かなと創世神が聞いた。
荷物の中に箱が在り、蓋を開けると中には甲羅の様な外皮を纏った細長い果実。
南蛮黍の粒にそれぞれ、六角形の外皮を乗せて連結したような見た目。
「鳳来蕉の果実だそうです、青の古都で山猫族から貰ったんですけど」
数は無いが貿易品にどうかと言われ、お試しで受け取った物の。
「これ、毒の実ですよね」
どういう魂胆だったのかと悩んでいると続き、毒かなと神は首を捻る。
「昔に密林で食った事あんだけどよ、3日3晩のた打ち回ったわ」
首を捻るアルフライラに、嫌そうな顔で体験談を語る護衛の剣士。
胃の腑から口に至るまで万遍無く、いっそ殺せと叫ぶほどに痒かったと告げた。
「『シュウ酸カルシウム』の塊だからなあ」
そんな人の有様に苦笑を零しながら、神は話題の果実をその手に取る。
空いた手の指を曲げ、尖った関節部分で軽く外皮を何度か叩いた。
パラパラとあっけなく皮が剥がれ落ち、内部の果肉が見える。
「叩いて皮が落ちる部分は熟しているから、食べられるよ」
言いながら2人に木匙を渡し、はいどうぞと果肉を勧めた。
男2名は怯み乍ら、それでもと伸ばそうとする商人の匙を護衛が止める。
これも仕事だと目を瞑り、毒味の一口を勢い良く放り込んだ。
「か、痒くねえ」
驚愕に目が見開き、果実の感想としてそれはどうなのと言いたげな神の表情を映す。
「実芭蕉、いや芒果か、似ていると言うか混ぜ合わせた様な」
遅れて口にした商人が感想を述べ、その口の中の粘度が高い甘味を称えた。
けど何でと、違う果実だったのかと言いたげな顔に、神は単純な言葉を告げる。
「完熟するまで、要するに毒が抜けるまで1年かかるのだ」
完熟していない果実を口にした場合、地獄の痒みにのた打ち回る事に成る。
「ああ、単に輸送可能そうな果物のお薦めだったんですね」
蓋を開けてみれば単純な話だったと、商人が憑き物の落ちた様な顔で言った。
収穫から完熟までに1年を要し、ねっとりとした甘味を持つ南国の果実である。
完熟部分は皮が剝がれ易く、指で弾いただけでボロボロと剥離する特徴を持つ。
ふと気が付けば無言で果肉を食べ続ける護衛と、ああと叫び慌てて匙を伸ばす商人。
そんな有様を見て、アルフライラは苦笑しながら黒い毛皮に背中から重さを預ける。
いつしか本殿の間は、甘い芳香を醸し出していた。
奇怪なる果実の香りであった。