猫が背中を見せるのは、相手を信頼している証である。
具体的に言えば、尻だ。
なので家猫族の尻に押され、板から落ちそうになっている創世神の有様も、
深い信頼の表れであり、邪魔だからと除けているわけでは無いのだろう。
きっと、たぶん、おそらく。
そしてその様な、見てわかる神殿の祀神の危機を見逃す信徒は居ない。
三毛の家猫族が板に登り、神を反対方向に押し返した、尻で。
双方向からの圧力で神の身体はS字に曲がり、ぺきりと小気味良い音が響いた。
ジト目と成ったサフラが無言で家猫の首を摘みポイ捨てしている後ろで、
新たに板に登った黒猫と獣神が、アルフライラを挟み込み様々な音を鳴らす。
無表情で獣神の襟首を掴み上げる剣士の視界に、煙を吹く創世神が在った。
「せめて妹ぐらいは躾けておけ」
復活し黒猫布団の上に伸びているアルフライラに、サフラは苦言を呈す。
言われてとりあえず、姉は板上に置き直された妹に手を差し伸べた。
掌を上に無言のままに、お手、と圧だけで要求する。
白猫の妹は、その掌の上に頭をこてんと乗せた。
曲げた身体のままに下から仰ぎ見る妹を、雑に撫でてごろごろ言わせる姉。
眼を閉じて鳴っている獣神を愛でながら、創世神は所見を人に伝えた。
「好く躾けられていると思う」
「これだから猫好きは」
神の言葉には、人の瞳から光を消して遠くを見つめさせる力が在ったらしい。
それはそれとして、陽が高くなる頃には面々の男衆は雑事と神殿を後にする。
手持無沙汰な女衆は、差し当たってやる事も無く厨房に向かった。
そして目に入る、大量の
大量と言う言葉が示す物量は相対的な物である故、少し補足が必要だろうか。
神殿の供物としては相応、集団としては僅か、個人で見れば過多の量である。
つまりは食べきれないほどの実芭蕉が、アルフライラの前に在った。
山猫族からの供物であり、平野を越えて届けられ丁度良く完熟している。
様々な品種のそれが、千夜神殿厨房の台の上に並べられている。
背後で期待に満ちた目で姉を見つめる獣神の圧に負けたのか、
神殿祀神である千夜神は、とりあえずと太く短い実芭蕉の房を手に取った。
皮を剥くと、果肉がやたらと黄色い。
卵の黄身の如く黄色い果肉を適当に切り、椰子砂糖を入れて鍋で煮込む。
蜜漬けならぬ蜜煮込みで、形が崩れる寸前まで煮込んだ後に、
器にとって椰子乳をかけて、そっと妹神の前に置いた。
匙を咥え目を瞑り、猫耳を激しく動かしている獣神を放置して、
創世神は適当に他の実芭蕉を取って、皮に刃物を入れた。
縦に切って開き、果肉を露出させて金網に乗せる。
皮を切ったついでに付けられていた果肉の切れ込みに、酪を捻じ込んだ。
熱に皮が黒くなり、酪が溶けて軽い煮込み状態になったら桂皮を振る。
バナナのバター焼きシナモン風味。
適当に数を作って、厨房を忙しなく走り回る白兎族にも提供する。
普段から乳や紅茶に桂皮を入れているせいか、やたらと受けが良かった。
そして少し考えて、金網の上の開き実芭蕉に果実油を注ぐ。
黒胡椒を振り乾酪を削り、ほど良い熱さで皿に乗せてマルジャーン席に置いた。
「うーん、何も言わなくても出てくるのね」
千夜神は堕落を誘う邪神だわとか言いながら、心尽くしの肴を口に運んだ。
横に壺で置かれ、今まで吞んでいたのは砂漠南方地域の
交易路を辿り、ペル・アビヤドの市場に回ってきた一品である。
そしてアルちゃんの分と杯を渡され、口した少女が感想を述べた。
「後味が意外と苦い」
「蜂蜜酒だけど、麦酒の親戚みたいな作り方してるからね」
麦酒に苦みや香りのために
それは蜂蜜酒を造る時にも使われ、後味に独特の苦みを齎していた。
「地熱が高い地域だから、南側から砂漠を渡る事になりそうね」
「普段の道だと、夜が寒すぎて洒落にならなうげふッ」
会話の途中でアルフライラからぺきりと音がして血を吐いた。
キッタ・アビヤドが逃がすまいと姉にしがみつき、へし折っていたからだ。
そして姉は妹の口に実芭蕉を捻じ込み、作業用ハンドで元の席に輸送する。
椰子乳に軽く塩を入れて煮込んでいた実芭蕉を器に盛り、その前に置く。
置くまでの間に赤の権能で熱を逃がし、氷を放り込んでいた。
「商人さんも途中まで一緒だっけ」
「そうね、塩の砂漠を越えた後に海岸に向かうらしいわ」
冷たさに耳の毛を逆立てながらも、一気に食べきった獣神が再び姉に突撃するが、
既に張られていた板上障壁に防がれて、ぺしぺしと叩いて抗議の意思を示すのみ。
それを意にも介さず、姉は切り引かれた実芭蕉に猪口齢糖を捻じ込む。
焙煎した
そんな狂気の素材を組み合わせた猪口実芭蕉を獣神席に置き、板から引き剝がした。
「しかし、よくもまあそんなにポンポンとレシピが出るわねえ」
「調理法はだいたい共通だし、何を合わせるかでしか無いから」
とは言えこれ以上食べると身体に障りそうだからと、片付けをはじめる調理神に、
レシピの記録の手を止める白兎、口周りの猪口齢糖を拭きとる獣神。
「実芭蕉って、量を食べると駄目なんだっけ」
「焼き実芭蕉はお腹が緩くなるからね、食べ過ぎるのは避けた方が良い」
実芭蕉は加熱に因りフラクトオリゴ糖が増え、ビフィズス菌の増殖を招く。
腸内環境を整え便秘などに効果が在るのだが、過ぎたるは及ばざるが如しである。
そうこうしている内に男性陣が戻ってきて、旅路の用意が整ったと告げる。
「塩の砂漠を抜けて、南からイルドラードに向かう算段じゃな」
姉にしがみつき頭を齧っていた獣神は、サフラに首根っこを掴まれ神殿に届けられ、
ハジャルが語った道筋は、マルジャーンの予想の通りの物であった。
「しかし何事じゃ、この大量の実芭蕉は」
「山猫族からの供物だけど、多すぎて料理のネタに少し困ってるのだー」
使い切れないしどうするべと悩んでいるアルフライラに、首を捻りながらの問い掛け。
「そのまま食べるのでは、いかんのか」
神の動きが止まった。
そっかー、そだよねーと小さい呟き。
そのまま板上に崩れ落ち、後ろに控えていた黒猫毛玉が巻き付いて添い寝する。
毛皮を撫で顔を埋め、心を癒しながらも立ち直り切れない調理神。
「持ち帰りたい」
「実芭蕉をか、それとも家猫族をか」
神は応えなかった。
無明の闇を見ていた。