気が付けば宵の星もその精気を失い、天壌の黒暗淵に薄く藍が乗る。
陽が昇るまでにはまだ時間が在り、凍て付いた砂は硬いままに。
イルドラードの酒場には、黎明を待つ人影が幾つか見える。
飾り布で壁や入り口を覆い、防寒の中で酒杯を重ねる開拓者たち。
法術の灯りに黒白の陰影は深く、夜明け前の時間に独特の、
どこかしら静寂の混ざる空気の中で、静かに会話が続けられていた。
「そろそろ新年ねー」
マルジャーンが青菜で包んだ
白濁した新式麦酒片手に現状を口にしてぼやく。
「帝国では、日付は夜明けに変わるのでしたか」
「そう言えば、赤では深夜に変わるんだっけ」
ビッラウラが訝し気に応えれば、マルジャーンは気が付いたように頷く。
神国は旧神たちが使っていた神代歴を採用しており、帝国も準じている。
諸王国時代などに、幾つかの国が自らの暦として新たに制定した物は在れど、
それらは特に広域に定着すると言う事も無く、大多数は神代歴で生活していた。
「アルちゃんと出逢ってから、新年の祭りに縁が無いわねー」
男女の出会いの場も兼ねる新年の祝祭。
今年も例によって例の如く、肉食系女性開拓者相互扶助隊員たちの懇願で、
神族3柱はイルドラードに隔離されており、マルジャーンも巻き添えである。
「私も随分と、間の悪い時期に訪れましたか」
平に請われた赤の従属神も、苦笑交じりに愚痴を零す。
同じく隔離を請われたジャマールは、先ほどまで近場で弦を弾いていたが、
夜明けを待てずして寝落ちしてしまったタサウブを抱え、寝所に戻っていた。
新年まで起きていると誓った開拓少女は、情け容赦が無い神々の暇潰し、
すなわち積み重ねられる酒杯と肴の攻勢に、無様に敗北して前後不覚である。
そんな潰れた荷物を抱える吟遊詩神の頬にも、どこか苦笑が浮かんでいた。
そのまま静かに酒杯を進める1柱と1人の、耳に届く板の鳴き声。
「『お汁粉』の様なそうで無い様なまあちょっとは覚悟しておけー」
火から降ろした鍋を抱え、アルフライラが厨房から戻ってきた。
そして改めて板上生成焜炉に置き、弱火で保温の状態に置く。
鍋の中の褐色染みた乳色の汁は、豆を煮潰れるまで煮込んだ物。
それに溶かした椰子砂糖を注ぎ、乳を混ぜた後に木の実や干し葡萄、
果実油で軽く炒めたそれを雑に放り込んだ甘味である。
「
「
「
順に赤、帝国、交易路での呼び名である。
「米も在ったけど気分は豆ー」
器に取り分けながら、そんな事を言う。
乳粥に使う食材は曖昧で、豆を使う事も在れば長粒米や高黍も在った。
「そこに炙った切り餅も入れます」
完全にお汁粉である。
「極東の食材でしたっけ」
「東方でもたまに見るわね」
「糯米を蒸して搗いた物だね」
言いながら匙を伸ばし、餅も伸ばしながら食を進めていく。
「この敢えて使う、精製の甘い砂糖の褐色が良き」
冷えた夜の空気の中、器の湯気の中でアルフライラが語る。
「交易路は砂糖が気楽に使えて、本当に贅沢ですね」
「南方帰りだと、これでも高価に感じるわ」
しみじみと甘味を味わうビッラウラの言に、眉根を寄せたマルジャーン。
それもまた甘味の前に溶け、やがてまた静寂が訪れる。
酌み交わす杯と、時折の会話。
やがて空の藍も薄くなり、東の空に陽が灯る頃合。
2柱1人の3娘と、他の夜明かしをしていた開拓者たちも、
イルドラードの門を抜け、礫砂漠から東の空を臨んだ。
旭光が砂を疾る前の、僅かな時間。
「そう言えば、店主に赤の神国までの指名依頼を出しておきました」
白い息を吐きながら、赤の従神が進捗を述べた。
「水溜めの期間が在るから、今日明日とはいかないわよ」
人の立場から開拓者が応え、創世神が静かに口を開いた。
「アハマルが居なくなって、国は回るのかな」
「以前より、青に留学生を送り続けていましたから」
神が在り、そしてそれに頼らない国家運営の姿をと。
「人もかなり育ち、粛清のおかげで今ならば妨害も少ない」
天羽楼からの工作員の排除は苛烈を極め、国内の動揺を呼ぶと共に、
既得権益を抱え硬直していた体制に風穴を開けた。
好機、ではあると。
「あと今、赤と銅の関係性がかなり拗れているんですよ」
「うん、ちょっと待とうか」
粛清した工作員の置き土産で、開戦1歩手前ですねと従神が笑い、
笑い事かなと問えば、笑うしか無えなですねと真顔の返答。
「まあ盾になれとは言いません」
「言わないけど忖度しろとか」
無言で微笑むビッラウラに、無言で微笑むアルフライラ。
「本題はそれかこの水晶ゴリラあああぁッ」
創世神の叫びが、新年の陽光を受け輝いていた。
謹んで新春のご祝詞を申し上げます(巳年