砂と偽りのアルフライラ   作:しちご

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06-05 青の残り香

海流に流されながら海峡を越えれば、季節は冬に戻っていた。

 

銅の神国の南端、海上交易の中継を主とする交易都市イルガルブ。

西方に未開の山脈を挟み、赤の神国に隣接する土地である。

 

神族の太守の統治下に在り、街路が石畳で造られる程度に栄えている。

 

渡しを兼ねた交易船から降りれば、細作に連絡を付けるためビッラウラが一時離脱し、

残された面々は山越えに備え、商業に解放された広場で旅路の荷を買い足した。

 

地元の小売たちは、何故かアルフライラを見たら涙目でオマケをしてくれる。

 

「何故に」

 

貰った柑橘を齧りながら疑問を口にすれば、ハジャルが応えた。

 

「ここの太守をやっておる神族が、幼い少女らしいからの」

 

人が神族に覚醒すれば、その肉体は自らが認識する最盛期に合わせて変化する。

それなのに幼いという事は、経た人生のろくでもなさの裏返しと言う事でもある。

 

「私って、もしかして神族で見ても幼いのかなー」

「いやまあ若い方じゃが、それなりに居る程度の珍しさじゃよ」

 

ただ普段から実例を目にしている住人からは、過剰に受け取られるのじゃろうと。

 

最年長なのにと苔の生えそうな黄昏に染まる創世神は、それはそれとして。

慈愛と優しさの宿る瞳で勧められた食事処に、ふゆふゆと漂っていった。

 

そしてビッラウラを待ちながら、開拓者組は採光の多い店内に席を取る。

 

樽に板を渡した簡素な長椅子(マスタバ)に腰掛け、廃蜜の蒸留酒を水割りした騒々酒(グロス)を人数分。

採れ立ての檸檬が幾つか歪んだ厚い机の上に転がり、酢で洗った生牡蠣が並んだ。

 

魚を生で食べる土地は少ないが、牡蠣はどこでも生が好まれる。

そして香草を蜂蜜と魚醤で煮込んだ汁を掛け、つるりと呑んだ。

 

「青の開いた港と言えば、やはり牡蠣じゃのう」

「でも春の牡蠣と違って渋みが無いから、ちょっと合わないわね」

 

春の牡蠣は殻の平坦な岩牡蠣であり、冬の牡蠣は殻の膨らんだ真牡蠣である。

 

かつて青の大神が様々な場所に港を開き、同時に水場で牡蠣の養殖を奨励した。

採れた牡蠣の食べ方も残したが、それは養殖に使った岩牡蠣を基準とした物で。

 

後の時代に東方から広まった冬の牡蠣には、少しばかり風味が合っていなかった。

 

なら素直にとアルフライラは厨房から陶器の小鉢に炭を貰い、金網を置いた。

殻を鍋の様に火に掛けて、熱い所に檸檬を絞りつるりと呑む。

 

「ん-、やっぱ冬は焼き牡蠣だよね」

 

時折に牡蠣を酒で洗い、味に変化を付けながら殻が空く。

温まるなあと言いながら船乗り酒の杯を重ねる神に釣られ、面々も焼く。

 

その有様に周囲の客も喉を鳴らし、次々と店主に炭を強請った。

 

何故に寒風吹き荒む冬の真っ只中で、冷たい生牡蠣を食っているのか。

酔いに身は火照りこそはするが、気が付いてしまえば耐える事は出来ない。

 

やがて机の上の炭で食事処の熱気は増し、騒々しさが奏でられていった。

 

その内にカウンター席には幼い少女が居て、騒々酒を一気に空けている。

 

「かーッ、やっぱ魚は焼いたのに限るなってばよッ」

 

衣服こそ高価なドレスに見えるが、雑に着崩して酒臭い息を吐く姿。

手入れのされていない黒髪を背中に散らし、焼いた魚を乱暴に齧っていた。

 

「おお、幼女だ」

「察するにここの太守じゃな、バルセィームと言うたか」

 

銅の神国の中で最も好戦的で、赤とは幾度も紛争を起こしていると続く。

解説されている本神は、遠い席の会話など気にも留めず愚痴を零していた。

 

神都からの支援要請を語り、大神の色惚けに付き合ってられるかと叫ぶ。

 

「まあ捕縛対象にビッラウラが居るらしいけどよ」

 

ぶん殴りたいのは確かだが、居る時点で捕縛なんか諦めろよと。

 

「本気で相対されたら、被害がどれだけ出るやら知れたもんじゃねえっての」

 

通過させて赤の神国に文句言うか、全力で叩き潰すかの二択だろうと嘆き。

そんな有様を見て、縁が深いのかなとアルフライラはハジャルに問うた。

 

「何でもビッラウラ神によれば、5回相対して5回撃退した相手じゃとか」

 

知神を対象にした戦績で簡単に語れば、聞かされた創世神の表情は引き攣る。

 

「待って、ただの小神がビッラウラから5回も生き延びたの」

 

掛け値無しに全力で引いている表情に、ハジャルは認識の甘さに気付いた。

改めてビッラウラ神の実力のほどを聞き返せば、簡単な返答。

 

「私の知る中位、つまりは古代従属神の中では二番手かな」

 

そして言葉を選び、アルフライラは改めて語りなおした。

 

「私たちが再調整した傑作個体に、努力と才能だけで追随した化け物」

 

浪漫のために全力改造したあげくに逃がしてしまったマウジュ・カビールを、

さりげなく奇麗な感じに言い直している旧神の言である。

 

「見つかるわけには、いかんのじゃろうがなあ」

 

改めて現状を再認識したハジャルが頭を抱え、杯片手に突っ伏した。

一応にサフラは無言で牡蠣を呑み、マルジャーンは既に気配を絶っている。

 

しかし、無理だろうと。

 

その内に合流するまでも無く、そもそもビッラウラは隠れていない。

今更に何かしら多少に行動したところで、隠しきれるものでもないだろうと。

 

「ならいっそ、場は荒れていた方が良いかな」

 

騒々酒を傾けていたアルフライラが、のほほんと告げる。

その向こうでは、太守バルセィームが延々と愚痴を並べている。

 

酒精に口が軽くなったのか、愚痴の合間に悪態混じりに焼き魚を称え。

 

「魚は焼きゃあ良い、青みたいにごちゃごちゃした作業は下らねえってんだ」

 

そしてそれが、創世神の逆鱗に触れた。

 

殺ってくるねとアルフライラが可憐な笑顔を見せれば、

殺ってしまえとハジャルが朗らかな笑顔を見せる。

 

そして微笑みに溢れた和やかな席から、微笑ましい言葉が太守の背中に届いた。

 

「可哀そうに、本当に焼いた魚と言う物を食べた事が無いんだね」

 

人の心の通わぬ、ただ美しいだけの同情が酒場を貫く。

 

「あんだってぇッ」

 

凍り付いた人々の中に、突然の侮辱に怒りを滲ませた太守の声が響いた。

板の上の美少女は席から離れ、集めた視線を気にも留めず厨房に向かい。

 

「懸けようか互いを、私はこれから魚を焼く」

 

鉄皿を火に掛け、厨房に在る塩を振った魚の切り身を手に取った。

 

「食べた後に貴女が決めなさい、アズラクに謝罪するか私が謝罪するか」

「おいおい嬢ちゃんよ、いきなり出て来て勝手を言うじゃねえか」

 

カウンター越しに視線を合わせた互い、調理神は不敵に笑い腕を振った。

鉄鍋には果実油が引かれ、切り身には小麦粉が塗され白く染まる。

 

そして皮目から鍋に置き、焼き色に変わる頃合に酪を放り込んだ。

 

魚を加熱すれば蛋白質はアミノ酸に分解され、成分は揮発し香りは強まる。

しかしその温度が60度を越えると、身は乾燥して食感が損なわれる。

 

「それを防ぐために、酪を入れた」

 

工程ごとにその内容を口にして、まずは相手に情報を食べさせる調理神。

 

酪、バターは油中水滴型、果実油などと違い乳化された水分を含有している。

そのため鉄板などで加熱すれば泡が発生し、水分が蒸発していく特徴を持つ。

 

それは即ち、水分が枯渇するまで温度の上昇が抑えられると言う事である。

 

バターを油として使う調理とは、焦げるまではその調理温度上昇の抑制、

数値にして100から120度程度の温度に維持をし続けると言う意味が在る。

 

薪や窯を使う、熱量の自由が利かない時代の温度調整の要であった。

 

「だがそれでも温度が上がり過ぎるので、両面を焼けば後は余熱で火を通す」

 

語りながら続けられる調理の場に、既にバルセィームの前は釘付けである。

焼けた身は聞くからに柔らかく、揚げ色の付いた小麦粉が何とも食欲をそそる。

 

思わずと手を伸ばそうとした太守を留め、調理神は別の鉄皿で木の実を炒った。

 

鉄鍋に残った酪には醤と香草を混ぜ、芳ばしく焦げるまで加熱を続ける。

やがて炒った木の実を魚の切り身に乗せ、上から酪のソースを掛けた。

 

脂の弾ける音がして、芳ばしい香りが皿の周りに広がっていく。

 

「これが焼き魚の至高がひとつ、粉屋焼き(ムニエル)だー」

 

出来上がってやる気が無くなったのか、結構な棒読みであった。

 

しかしそこに在る焼き魚、ムニエルは、確実に時代にそぐわない至高の逸品。

アルフアイを駆使して徹底的な温度管理の下に完成した犯罪的料理であった。

 

太守は手を伸ばそうとして、見るからに熱そうな料理に指が引ける。

そしてどうしようかと困惑し泣きそうに成り、その手にそっと創世神は添える。

 

生成したフォークとナイフ。

 

しかし上手く持てず、調理場側から手を延ばし修正させてしっかりと持たせた。

 

「……姐さん」

「おやん」

 

「い、いや、何でもねえッ」

 

困惑のアルフライラの前で、慌てた様相で首を振ったバルセィームは、

頬の火照りを自覚しないままに魚を切り、大口を開けて切り身を放り込んだ。

 

動きが止まる。

 

フォークを咥えたまま固まった太守は、やがてその身を震えさせ。

滂沱と涙を流しながら、一心不乱にムニエルを消費し続けた。

 

そしてアルフライラは、目算が当たった事にひっそりと安堵する。

 

料理を味わうためには、味覚の経験値が問われる事が在る。

焼き魚に拘っていたのならば、焼いた魚を味わった経験は多いだろうと。

 

故に過去の食事経験と比較させるために、徹底した温度調整を選択。

身に閉じ込め濃縮させた魚の旨味と、焼き魚として極限の柔らかさを追求した。

 

そしてそれらを、酪の風味が邪魔をしない様に果実油で薄めてもいる。

美味い不味いの前に、完全に目の前の太守狙い撃ちの調理工程であった。

 

やがて太守バルセィームは食べ終わり、目を瞑り深く息を吐く。

 

「不明を青の大神に詫びるぜ、調理とは素晴らしい物だった」

 

周囲に見守っていた野次馬たちが言葉に盛り上がり、我先にと魚を注文する。

粉を塗し、白くなった切り身が次々と机の上で炙られ出した。

 

「それで、ね、姐さんは誰なんだい、ただの神族じゃないんだろ」

「ん、私かな」

 

問い掛けに振り向いたアルフライラの勢いに、腕に撒いていた布がずり落ちる。

その下から出てきたのは、古代文字の周りを龍が囲むアレな紋章。

 

「あ、あれは特級厨神の証ッ」

「囲われずに路傍に在る特級厨神だとッ、ま、まさか伝説の初代様ッ」

 

いつかどこかで聞いた様な発言が響く中、景気良く店の扉が開かれた。

 

「アルフライラ様はこちらですかーッ、と」

 

力強く店内に闖入してきたビッラウラと、バルセィームの視線が合う。

唐突に店内の全ての動きが止まり、鉛の如く重い静寂が酒場に満ちた。

 

「何でここに城壁千切りがああぁッ」

「うわぁ、何でこんな庶民の店に死に損ないが」

 

間髪入れず魔素を纏った椅子が飛び、ビッラウラが変形させた水晶で打ち払う。

 

「撤収じゃ撤収ーッ」

 

ハジャルの叫びに、まずはアルフライラを抱えたマルジャーンが店を飛び出し、

後を追いかける板を追う様に、男たちも慌ただしく店を出る。

 

最後に投擲をいなし続けるビッラウラが、合間に金貨を幾枚か店主に放り投げ、

次いで引き抜く様に、浸食させた水晶で壁を崩壊させて出入りの手段を潰した。

 

「伏せろッ」

 

即座にバルセィームが身を伏せながら叫べば、崩れた壁を突き抜ける何か。

すぐ前まで頭部の在った場所を通過して、背後の壁に尖った石が突き刺さった。

 

崩れる音はやがて収まり、代わりに外から騒ぐ音が響いてくる。

 

腹這いで追撃を警戒していた太守と客たちは、やがて身を起こし息を吐いた。

 

「神都に行ったんじゃなかったのかよ」

 

溜息交じりの言葉に、良い様に騙されていた神都勢への悪態が混ざる。

そして崩れた壁を除け、駆け付けた部下へと指示を出した。

 

「どうせ止められやしねえから、様子見だけで良い」

 

他に神都への報告に速馬をなどと、急ぎの指示を幾つか下してから店を歩み出た。

駆け去って行ったと報告の在った方角を見れば、視界には赤との境に在る山脈。

 

手も足も出せずにお見送りかよと、嘆きの声は冬の空へと消えた。

 

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