砂塵渦巻く熱砂の中を敗残兵が走る。
羽虫を散らすかの如く鋼の巨体を振り回すカイナン・カミンに
周囲の諸勢力の軍勢は距離を取り、逃走に移った。
その内に獣人たちも含まれている。
ハジャルとマルジャーン、即ち博士と姫もその一群に混ざり、
暗赤のサヤラーンを担いで全力の逃走を試みていた。
「某を、置いていきなされ」
酔いどれを担ぐかの如く肩と足、二人がかりで背負われている獣人は、
幾つかの骨があらぬ方向に曲がり、その身を紅に染めている。
「安心せい、土壇場に成ったらそうするわッ」
振り返る余裕も無く判断もできない後方から、轟音が近付く。
「突っ込む馬鹿など見捨てるべきじゃったーッ」
「判断が遅ーいッ」
叫ぶ開拓者を追う様に、創痍の一群は砂の上を走った。
やがて陽光が天上に差し掛かる頃、生き物を拒絶する熱砂の上で
静かになった背後を確認した博士が息を切らしながら言葉を零した。
「追って来ない、のう」
幾人かは灼けた砂に手を付き、風の砂が混ざるも気にせずに口を開け
呼吸を整えようにも刻々と砂にその命を削られている有様。
ただ何故か、誰からも逃げきれた事実に疑問を持つ風情が見えない。
博士が無言のまま集団の主に視線で説明を求めると、答える。
「獣神の球体があった場所、には近寄らないそうだ」
言われ見渡せど、熱砂の砂丘。
しかしよく見れば、砂に埋もれた幾つかの建造物が見えた。
「するとあれは、キッタビヤードと共に飛ばされた古代の遺跡か」
まず何よりも集団の日除けが要ると判断し、遺跡へと歩を進める。
死相を浮かべた獣人たちが死力を尽くし我先と歩む前に、
先回りした姫が懐の小刀を抜き、一団を押し留めた。
「何、を」
「しろーとはだぁっとーれ」
呂律が僅かに怪しい彼女が、砂中の朽ちた遺跡に幾つか開いた穴、
その空間を蹴り飛ばす様に飛び込み、やがて中から声が響いた。
「安全確認、ヨシッ」
熱量に苛まされ回らぬ頭が、その意味を理解するよりも先に博士が言う。
「よし、行くかの」
その背の瀕死のサヤラーンの両足で、砂に跡を付けながら遺跡へ歩んだ。
まだ形を残す屋根が作り出した薄明の中で、一団がようやくと息をつく。
普通に動ける姫が、小刀の柄で壁面を無遠慮に叩きながら感を漏らした。
「割れぬ硝子に鋼の石、確かに古代遺跡の様ね」
違いないと言いながら、博士がその背に背負っていた獣を降ろす。
軽く呻く口元に轡を噛ませ、骨を接ぎ手持ちの水筒から傷を洗う。
不安そうな視線を向ける幾人かに、自信に溢れた声が渡された。
「安心せい、我らは神との対話を通し神域の医療を知るものぞ」
要するにアルちゃんと美容と健康について馬鹿話してただけよねと、
治療の最中に口にしないだけの分別が姫には在った。
やがて誰もが深く息を吐き、遺跡に静寂が訪れる。
壁に背を付けた虎縞のカフラマーンは、創痍の集団を見つめていたが
やがて目を逸らし腰元の剣を引き抜いて、零す様に言葉を発した。
「数多の邪神を切り捨てた、神斬りが砕けるとはな」
その手の刃は根本より折れ、一目でその意義を失っているのがわかる。
「流石は大神と言うべきかの」
それが相手に傷すら付けられずに砕けた様を思いおこし、博士が言葉を継ぐ。
「いや、あんな鉄の塊に板切れ一枚で突っ込む方がおかしいでしょ」
何か納得の雰囲気を出している馬鹿二人に、姫が尤もな事を言った。
言われた二人は虚を突かれた表情で視線を交わし、違いないと苦笑を零す。
「けどさー、あの最初に突っ込んでいった馬鹿は何処のどいつなのよー」
「傭兵、かもしれんな」
一段落ついて思い返したのか、騒動の始まりを姫が嘆き、博士の黙考。
博士の識る中で、一団は天羽楼に買い叩かれていた民族に良く似ていた。
かと言って何かの確信があるわけでもなく、それが何を意味するかも知れない。
ともあれ勝手に突っかかり逃げ惑い、暴れ狂う鋼の巨神だけが残された。
「他の集団も、少しは援護してくれても良いじゃないねー」
自分に害が無い範囲で援けあわないと砂漠では死ぬのよと、愚痴が続き。
思考を止めた博士が少しばかりと、その場に居た者の擁護をした。
「銅の神国の一団は、少しばかり支援してくれた様じゃがな」
彼らが居た方角から、幾らかの矢なり魔法なりが飛んでいたと語る。
「帝国は国として成り立っているのだから、何某かは期待しても良いではないか」
「銅以外、赤の女神とは帝国も比較的マシな国交じゃが、他は没交渉じゃからのう」
言の葉に乗った虎縞に、遠い目をした開拓者が答える。
「叶うならば合力を頼みたかったが、それも無理筋か」
「無駄じゃな、神国の者は大神の言葉しか聞かん」
下っ端なら情で動く者も居ようが、見た所そこそこの者ばかりじゃったと足す。
「えーと、現場の判断が必要になる時とかあるでしょ」
「信仰篤い輩じゃと、伺いを立てに退却するじゃろうな」
疑問に無情で返され、姫がなによそれーと天を仰げば視界が天井で埋まる。
「アルちゃん置いて来たのは正解だったのかなー」
「まああれだけ神国連中が居れば、トラブルの種には成ったじゃろうからのう」
長丁場前提の状況故、開拓団からは動きの取り易い少人数で赴き、
獣人の拠点を覚え周囲の様子を窺い、手早く一旦帰還する予定であった。
しかしこれだけ酷い状況ならば、連れてくるのも在りじゃったかと繰り言。
そこでようやくに、気が付いた。
「古代語、じゃな」
姫に示された指先を覗く博士が、壁面に幾つも彫られた言葉の羅列を識る。
「古代語って、前にアルちゃんがでっかい拳飛ばした時に浮かんでたヤツ?」
「いや、アレは古代語の中でも極めて特殊じゃった」
かつてアルフライラがカイナン・カミンに相対した時に披露した文字群は、
天羽楼が識る幾つかの古代語の中でも、悪魔の言葉と伝えられている一群。
幸いと言うべきか、記憶に残る単語にそれは在る。
「高貴なる者の拳打、じゃったか」
まあそれは今は関係無いと、博士は壁に寄り内容を吟味する。
「これは神国公用語の、基礎となったヤツじゃな」
神代の言葉、と呼ばれている。
ならばコレは、閉じ込められていたキッタビヤードの物であろうかと。
静かに近寄り、不壊の石と呼ばれる遺跡壁面を削る言葉を読む。
―― まだ千年しか過ぎていない
皆死んだ
姉様が居る 兄様たちも居る
誰も私を責めてくれない
皆しんだ
まだ千年しか過ぎていない
何度記憶を消去しても まだ 姉様
みなころした
まだ千年
何度姉様が 死なない また出た 消えない けした 何ど殺せば
まだ 記憶 何で にいさまが 消えない また なんでまだ
それぞれの単語は、位置も角度も何もかもがバラバラで、
単純に判断すれば、全てが違う時期に彫られたものに見える。
「キッタビヤードは永く封じられたと言う」
読み上げる言葉を聞き、獣人の牙が伝承を語る。
「じゃが、それでも球体の中の時間は過ぎないはず」
言葉を受け、知識の中の矛盾を口に出す。
ならばこの文面は、何なのか。
「何かが、おかしい」
解読者は壁面の創痍を指でなぞり、所感を零した。