赤の大神アハマルが姉の来訪を認識し、戦慄し、気が遠くなり、
落ち着いてから死せる勇士の神殿に向かうと、そこには祭祀が在った。
神造神族たちが板を乗せた輿を担ぎ、掛け声と共に練り歩く。
通りには歌と鼓の音が響き、人々の歓声が上がっている。
輿上の板に祀られている美少女神は、風流せいと言いながら何かを撒いていた。
周囲の沸き騒ぐ人々の手に渡ったそれは、焼き菓子の入った小さな布袋。
空気を含ませた卵白に砂糖を混ぜて窯で焼いた、簡素なメレンゲ菓子。
そして卵黄と砂糖を芋の澱粉と乳で捏ねて焼いた、卵ぼうろ。
養鶏の所より神殿に奉納された当日産みの卵を強奪した創世調理神が、
手持ちの椰子砂糖と芋澱粉を使い、勇士たちを酷使して作った品である。
卵ぼうろ材料の一部は乳で伸ばされ、煮詰めた後に権能で冷やされた。
出来上がり粉砂糖が振られたのは、ぷるぷるとした黄金のプリン餅。
それは神殿の戦乙女や武神ロカームの手元へと渡され、好評を博していた。
一口サイズの立方に切り分けられた、黄身色の餅を食んでいた武神に、
駆け付けた大神が何事かと問い、同時に姉を見つけ絶望の叫びを上げる。
そんな常とは違う様相の主に武神は笑い、重々しく頷きながら口を開いた。
「わっしょいアルちゃん様祭りですが何か」
「真面目な顔で何を言っているのだ、貴様」
後に赤の神国で伝統祭祀に定着する、千夜大神祭の起源である。
少し後の話に成る。
イル・ムクラムの領主館執務室にて、今日も書類に埋もれる男爵の姿。
戦時は前線で生命を張って、平時は書類仕事に忙殺される。
ふと自らの人生を顧みて、遠く窓の外に視線を向ける機会が増えていた。
そんな限界領主の元に、昔馴染みの妾が茶と菓子を持ってくる。
なお妻である元皇女は様々な現場を飛び回り、これまた忙殺の極みである。
「アルちゃん様曰く、疲れた時には甘い物だそうですよ」
言いながら薄荷の葉を入れた器に、紅茶を注ぎ入れた。
そして2種の焼き菓子と黄金色のぷよぷよした物体を並べる。
「今日のお茶請けは、千夜焼きと千夜菓子と千夜餅です」
「何か生活の中から邪神信仰に染めようとしてないかッ」
邪教の蔓延り出した領地を統べる領主の叫びに、妾は笑う。
「はっはっは、後で父がペル・アビヤドの報告に来るそうですよ」
「いや否定せずに流すなよッ」
赤の神国へ下された、千夜神の恩寵たる菓子の情報は信者連絡網を疾り、
各地の千夜神殿、当然男爵領の東方千夜神殿へも伝えられていた。
「まったく、普通に甘くて美味いのが何かもう本当に始末が悪い」
「凄いですよね、しかもそれ全部材料の使い回しで作れるんですよ」
さらに価格はともかく、全て入手難易度自体は低い。
「あーわかった、定期市の時は神殿の専売にしとけ」
「神殿孤児院の方には、種銭代わりに砂糖を渡しておきますね」
領都の急激な拡大は既得権益の崩壊を意味する面も在り、
各所の調整に携わる領主を忙殺に叩き込む要因でもあり。
ハイライトの消えた瞳が、改めて窓の外へと向けられた。
そして時は戻り、霊峰の上の方で万年雪の中。
巨大な旧神遺物を前にして、遠い眼をする神と人と精霊が居る。
その後ろからチンと不穏な音を立て、調整槽の蓋が開いた。
中から排出された機械人は、生体の外装が完全に修復され。
きめ細かい白い肌の上に、色の濃い黄金色の長い髪が流れている。
易く美少女の範疇に入る整った顔立ちに、紫がかった深い藍の瞳。
溶液を拭き、遺跡に残った恐らくは機械人の物であったろう衣服を、
丈が少し合わず袖がだるだると垂れているが、まあ一応は纏い。
「ハディヤ、ふっかーつッ」
再生機械人少女は、袖を振り回しながらそう宣言した。
そして勢いに流され拍手をしていた神と人と精霊は、改めて遺物に向かい。
「難問、このデカ物をどうしましょうかねえ」
「後ろの調整槽も持って降りるんだよね」
「調整槽は情報分解して輸送する、千夜神殿の設置までは受け持とう」
「あれ、感動が薄し」
ぽつねんと残されたクエスト目標だった少女の肩を、幼馴染が叩く。
「人間はね、こんなところに長期間放置されてしまうと死ぬの」
「幼馴染がごく自然に私を人間扱いの範疇から外している件」
あれだけ言っていたのにと嘆くハディヤに、それはそれこれはこれと、
千夜神の教えを真摯に実行する敬虔な信者と化したタサウブの姿。
「とりあえず、操縦系が生きているかどうか中を見ますか」
何はともあれ、生死の境が見える前に問題を解決して下山するべくと、
忘却のアイオーンに這い登り、破損部分から中を伺うジャマール。
そして操縦席を模した操手設置空間を、魔素操作で引き寄せ。
「再認識、アルコーンに比べると伽藍堂ですね」
中を開けてみれば、中身が入っていた。
ジャマールが石像と化す。
柔らかな栗色の髪を肩口まで広げ、豊かな膨らみを持つ肢体。
そんな緑の高位従属神が操縦席の中に横たわっていた。
瞳は、閉じられている。
「マウジュ」
詩神の伸ばした指先が、そっと従神の頬に触れた。
まだ、柔らかい。
そして何か、むにゃむにゃ言っている。
「うひひアズにゃんさまあぁ、もう食べられませぇんよぉ」
ただ雪風の音だけが響く、静寂の時が流れた。
そして頬に触れていた指が、無言でそのまま突き込まれる。
「うげふッ、ね、寝てません、寝てませんよッ」
豊かな膨らみを揺らしながら瞼を開いたマウジュ・カビールは、
そのまま至近距離で自らの主と向き合い、僅かの静寂が訪れる。
「なんだ、夢か」
「せいやぁッ」
再び横に成る従神に、元緑の大神は突き下ろしの正拳を叩き込んだ。
そして霊峰に聖地を目指し歩んでいく忘却のアイオーンが目撃された頃、
黒の神国では水平線を見つめて黄昏れる商人が居た。
港湾の工事は終わり都市の活動は動き始めた。
第一陣の船団も戻り、期待通りの利益を積み重ねてくれている。
順風満帆だろう、だがしかし、心のどこかで何かが警鐘を鳴らしている。
「商人よ、浮かない顔だな」
声を掛けたのは、黒髪を流す人ならざる美貌の青年。
先代黒の大神マリクであり、その後ろにハラムとシュフラが控えている。
「自分でも、特にこれとはよくわからないのですが」
「まあこの交易も、まだまだ不安要素は多いからな」
畏まろうとする商人を抑え、気軽な風に会話を始める大神。
「そうだな、エミーラが見落としている急所がひとつ在る」
穏やかな言葉は、姉妹への信頼が盲目とさせているのかと繋げ、
私なら間違い無くそこを攻める、そんな急所がと告げた。
それはと深刻な顔で人が問い、神は告げた。
「赤の神国だよ」
独自の対帝国交易路を持ち、間に青を挟む事も在り、
黒からの帝国間交易に対して若干関わりの薄い国。
大神の代替わり時エミーラに合力した縁も在り、その関係は良好。
「アハマルが健在な限り、何の問題も無いだろう」
改めての言葉の裏に、商人の顔から血の気が引いた。
「我が国にとって最悪なのは、赤と青が海上で結ぶ展開か」
青に対抗する3国航路、敵対国が増えるのは致命傷に成りかねない。
「赤に、何かが起こると」
「考えてもみろ、アルフライラ神はまだ赤に訪れていない」
だから近い将来、何かは起こるはずと断言する長男。
「それで事態が黒の悪い方向に動くとは」
「アズラクを見縊るな」
ヤツは必ず、奇貨を好機に変えるために動くと断言した。
「それこそ既に、赤へ単身潜入していてもおかしくは無い」
黒の先代は語った、自由に動く大神を有する青の脅威を。
受け取った情報は商人の脳内を高速で巡り、その顔色を精悍に染めた。
矢庭に動き出した若者を見送り、神はその背中に小さく呟く。
「そこで私を問い詰めないあたり、才が走り過ぎているな」
そして、アル姉さんが月長石の悪魔を譲ってくれないかねえと、
惚けた声で無理筋な願いをぼやけば、背後の2柱から苦笑が零れた。
赤と銅の神国の境界で、ビッラウラは指揮を執っていた。
「土を抉る、堀を立てろッ」
攻め来る兵の前で叫び腕を振れば、眼前の地中の結晶が引きずり出され、
そのまま後詰の土木神、術士が掘り返した土が壁と化す。
「ちぃ、もう少し余裕は在ると思っていたのだがな」
戦端が開かれるにしても、事態が推移するまでにはまだ時間は在ると。
その想定を覆した要因が、目の前で土の壁を崩した。
「……機械天使ッ」
鋼の腕が土壁を破り、足を踏み出してそのまま堀に転げ落ちた。
装甲が歪み、機体各所で小さな爆発が起こり動きが止まる。
その様を見てか、後続の兵と機械天使が歩みを止めた。
「非戦闘員の避難、完了致しましたッ」
「これより砦を放棄する、撤退だッ」
機を逃さずと命を下す、赤の筆頭従属神。
「道理で向こうも開戦派を抑えられないはずですよッ」
銅の神国の侵攻。
早馬は間を置かず神都に走り、アルちゃん様祭りの余韻を吹き飛ばした。