砦の中に入り、アルフライラたちは首を捻った。
「あまり臭くない」
兵の詰める国境砦でありながら、神都の路地よりも空気が澄んでいる。
内部の兵士たちは忙し無く動いているのだが、どこか清潔感が在る。
「青に倣って、大き目の砦には大浴場が設置されたんですよ」
板の上で猫耳戦乙女と一緒に撫でられていた砂猫神が告げた。
「ところでアルフライラ様、私は一応武門の神なのですが」
創世神御用達毛皮の座に就けられた、神造神からの控えめな苦情に、
猫弾きを嗜む少女は穏やかな声で、膝の上の毛皮を撫でながら応える。
「家猫族随一の勇士は私の敷布団と成るのを望んだが」
「おのれ家猫族……」
なお戦乙女の方は既に諦め、撫でられるままに夢現である。
赤の大神は若干の供を付け、ビッラウラの元へと向かった。
そして護衛と言う名の生贄を得た開拓者たちは、国境に留まる。
前線は陥落した砦と後詰の砦の狭間に在り、国境砦は若干外れている。
前線への兵站の要であり、状況によっては前線が下がり戦場と化す。
そんな現時点ではと注釈の付く後方拠点は意外に平和であった。
「前線兵士の慰問施設かな」
「大砦から小砦に出向させておるのじゃな、それ故か」
小砦から戻った国境兵たちは大砦で改めて鍛え、疲れを癒し、
休みを取れば内陸の方向に在る宿場町で歓楽に遊ぶ。
砦はそんな兵士たちの派遣元で在り、国境警備の要でもあった。
最終の防衛戦と成る土地でもあるので、土地は広く城壁は厚い。
外見の特徴と言えば、積み重なる日干し煉瓦から所々棒が突き出ている。
「あの棒は何なんだろ」
「補修時などに足場を組むための柱じゃな」
外壁補修などの足場を組む時に使われる物であり、片付けられる事も無く
城壁や物見櫓、内部の建物などにも刺さりっぱなしで放置されていた。
「思い切り攻め手の足場に使われそうだけど」
「あれが結構邪魔でな、攻城兵器を着けられなんだりもするのよ」
利点と欠点を比べれば在っても無くてもさほど変わらないと、
砦主は在る方を選択したのじゃなと、ハジャルが語った。
などと外観を語りながら案内され、神族の区画に移動する。
荷物を置き男女に分かれ、浴場に向かい歩を進めた。
開拓者と同じく女兵士もそれなりに居り、神族、戦乙女なども存在する。
それ故に浴室は複数が造られ、男女に分かれ利用されていた。
高温、低温、冷水の三層構造に区切られた湯沸かしから、
水道管を通り各浴室へと湯が送られる構造。
案内されたアルフライラとマルジャーンは、衣服を脱ぎ身に油を塗る。
そのまま温湯に浸かり、肌掻きの湾曲棒で油をこそぎ落とした。
湯沸かしの蒸気が吹き込まれ、暖かな浴室内に向かう。
床暖房の熱を避ける様に草履を履き、高温浴の後に水を被り。
蒸気の籠る密室で汗を流し、垢掻き部屋に用は無いのでスルーする。
少女が何度か貧血に倒れ板に乗せられつつ。
やがてすっかりと茹で上がった神と人は、隣接の食堂に向かい、
冷えた葡萄酒を片手に上段で涼む男衆に合流した。
「やっぱり慰問施設だと思う」
「まあその様な側面も在るのじゃろうなあ」
軍属の法術士が造った氷を口に放り込み、葡萄酒を含みながらの感想。
見渡してみれば階下に兵士は麦酒を愉しみ、貨を払い食事をとっている。
そして上下両方から繋がる大広間では、札や盤など娯楽に興じていた。
「青って、贅沢過ぎない」
「金が余っているからな」
倣って造られたと謳われる設備に、創世神が忌憚無い意見を述べれば、
基本的に階下の方で生きて来た、元傭兵剣士の酷い物言い。
「福利厚生を大事にしているだけですぅ」
そんな会話に、鍋を持って寄ってきた青の女神が異を唱えた。
「人間の性能を引き出すには整備が必須と言ったのは姉さんでしょおぉ」
「あ、こっちに居たのねアズにゃん様」
言いながら姉の頬を指で伸ばす妹と、されるがままの長女の光景に、
鍋の中身を器に取り分けながらマルジャーンが言葉を掛ける。
「あまり近寄ると、アハマルに察知されるからね」
アズニャンことアズラクは、鉄道宿で別れビッラウラに同行していた。
そのままの流れで辺境各所との交渉の後、国境砦滞在時の騒ぎであると。
「と言うかアハマル来るんでしょ姉さん、何とかならない」
「とりあえず隠形符をあげよう」
言いながらアルフライラが板から出した札を妹の額に張り付ける。
「…………これ、付けてなきゃ駄目?」
「懐にでも入れておけば良いよ」
なら何で貼ったのよと叫ぶ妹を気に留めず、器を覗く創世神。
中には羊の肉片と葱が在り、軽く酸味が漂っていた。
酢を入れて肉野菜を長時間、蕩けるほど柔らかく煮込んだ汁物である。
酸は蛋白質の変性を加速させる。
卵は早く固まり、脂は蕩け、肉は柔らかく解き解される。
匙で解れるほどに柔らかい羊肉は、臭みも消え繊維は野菜の出汁に染み。
しかし赤らしく味の纏まりが弱いため、アズラクは塩を入れて調整していた。
「酸っぱいと言えば酸っぱいけど、思ったほどじゃない」
「名前の割に手頃な酸味が、酢の汁の特徴じゃな」
そして付けられた不揃いの、平たいパンを齧る。
「あ、姉さん、
大麦を主体に小麦を混ぜて、捏ねた生地が割いて焼かれる無醗酵パン。
パンケーキに近い柔らか目の食感のそれには、タレが好まれていた。
酪と蜂蜜に、摩り下ろした葱と大蒜を混ぜた物。
「必ず何処かで大蒜が出てくるなあ」
「赤の料理って感じよねえ」
もそもそと食べながら、アルフライラとマルジャーンが感想を零す。
「それでアズにゃん、何がどうなってるの」
食事を続けながら創世神が青の大神に問えば、困惑の表情。
「何で銅の戦力が、ザハブの意に沿わない動きをするのかな」
質問内容を細かくすれば、意を得た表情で口を開くアズラク。
「未来に忖度して敢えての行動を」
「取れるヤツなんて、銅に居るのかな」
の言を、即座に次の質問に繋げるアルフライラ。
一瞬黙った青の女神は、聖女や中枢の神族の名を挙げる。
しかし今回、動いているのは末端の戦力である。
「粛清対象が急ぎ戦果を欲したとかかな」
「銅の聖女あたりが唆しておるやもしれんな」
特に根拠も無く、状況から適当に見当を付ける神と人。
「何にせよ、機械天使はアルコーンが出れば排除は出来るかな」
「そうすれば、今度は相手がアイオーンを持ち出すじゃろうな」
済し崩しに戦場が肥大しそうだなあと軽く笑う長女に、
笑い事じゃないわよねと涙目の妹、意外に情が深い。
「最低でも赤と銅の関係に亀裂、マリクあたりが作りそうな展開」
「機械天使が居るし、元々はそうじゃったのじゃろうな」
放置された仕掛けの再利用、そんな結論に達して。
「物凄くナハースっぽい」
「天羽楼でよくやった手口じゃなあ」
けらけらと哂う人非神人から、2人1柱はそっと心の距離を離した。
ともあれと改めて氷を食み、葡萄酒を口に含む頭脳担当と神。
「けど、使い捨ての駒に脳味噌は無いのだろうか」
ふと零した様な疑問に、わからんのうと応えるハジャル。
相手が誰かもわからないのでは、何とも言えないと。
そして、鐘が鳴った。
けたたましく鳴り続ける見敵の報に、砦は俄かに騒がしくなり。
移動し叫ぶ兵士たちを横目に、葡萄酒を口に含む部外の賓客。
「大人しく潰されない程度の能は在ったみたいだね」
アルコーンに相対すれば終わる、その程度の判断力は。
そう口にした創世神に、厄介じゃのうと人の開拓者は応える。
外から響く怒号と、砦内に響く罵声。
機械天使の攻城。
それを聞いたが即座、姉の腰に飛び付きしがみつく青の女神。
そしてマルジャーンが後ろから羽交い絞めにし、サフラが顔面を握った。
「解せぬ」
ハジャルは、大神を引きつけ大砦を墜とす予定であろう敵を思い、
次いで目の前に在る2柱の大神を見て、その不運に少し同情した。