大量の饂飩。
赤の神国最北端に位置する港湾都市、
古くは、そして今も帝国ではイル・イスカンダリヤと呼ばれる、
かつて青の神国より海を渡った勇士の手で拓かれた都市である。
その埠頭、遥かに水平線と島か何かの陸地が朧に霞む、
そんな場所で、青の大神と創世神の姉妹が饂飩を振る舞っていた。
過去に青の女神が広めたサヌキの奥義を尽くした白い太麺を、
青の三叉と呼ばれる、枝分かれした串の様な食器で食む。
珍しい食事が埠頭を訪れる様々な人間に好評を博す中で、
食の伝導神たるアズラクは、膝を屈して姉に敗北を認めていた。
「そんな、何なのこのサヌキで在りながら積層する饂飩のコシはッ」
青の女神が合流してから唐突に、何かが始まって終わった感の在る、
そんな騒動を眺めながら、開拓者たちと商人夫婦は饂飩を啜っている。
なお全員、三叉では無く箸を使っている。
元々サフラ以外は使えていたが、ペル・アビヤドに滞在する内など、
何だかんだで使用機会が増え、いつの間にか全員が習熟していた。
「かつて教えた讃岐の奥義は見事、だがしかし、讃岐にはまだ先が在る」
どよめく群衆の中で、調理神の片割れであるアルフライラは述べた。
小麦を強く捏ね、一次醗酵と二次醗酵の工程を経て、
太く均等に切り分けられるサヌキ式の饂飩。
しかしその一次と二次の間、そこで更に捏ねてコシを積層させる。
「これぞ讃岐が変化、讃岐二段発酵ッ」
発言の衝撃に、埠頭に稲妻が走ったような幻覚が在った。
「正直、違いがわからんのう」
「アルちゃん、完全にアズラク神を狙い撃ちしてるわね」
食べた者に理解されなくとも構わない、青の女神さえ理解すれば。
勝敗をつけるよりも、相手の心をへし折った方が早いとの了見である。
―― 青の女神が敗北だと、あの少女神はいったい誰なんだ
―― ああッ、あれは初代特級厨神の証ッ
例によって都合良くずり落ちた腕布から、アレな紋章が展開。
「毎度、都合良くズリ落ちる物じゃのう」
「身体側に留め紐付けて、毎回上手く解いているらしいわ」
ずるずると器の汁を飲みながら、ハジャルとマルジャーンの所見。
やがて食べ終わり、器を近場の使用人に返却した頃合い、
対決の場を用意した豪商から戦利品を分捕り、創世神が帰還した。
「やっぱ赤は小麦が良くて捏ね甲斐があるー」
言いながら果実の酸味が漂う、布状の食品を広げて切り分ける。
短冊に切り、細長いそれを巻物の様にくるくると丸めた。
煮詰めた果実を伸ばして天日で乾かし、布状にした菓子である。
干し
「うーん、酸っぱい」
「砂糖が少ないのは北の嗜好ね」
ちまちまと齧りながら益体も無い感想が交わされ続け、
その内に気を取り直したアズラクも、待機の場に戻ってきた。
「ただいまー、商人さん約束通り埠頭空けてくれるって」
言いながら、じゃあ私はそろそろと去ろうとする腰に、
作業用ハンドは既に荒縄を巻いており、板動力でぐいと引き釣る。
「にゃ、にゃにごとかしらあッ」
「ちゃんと待っておかないと、心配してくれた船員さんが困るでしょ」
接舷の順番を待ち、沖合で待機している青の大神の神御座船。
迎えに訪れたそれから逃げようとする妹を、優しい口調で諭す姉。
慈愛に満ちた姉神の表情に、妹神は真顔で問い掛けた。
「で、本音は」
「運賃代わりにお前の身柄を引き渡す」
青の女神の断末魔が埠頭に響いた。
やがて船影は近く、埠頭へと接近する巨大な法術式外輪船。
その舳先には腕を組み、眼下を見下ろす2人の漢たちが居る。
額に青筋を立てる鬼瓦顔と壮年、船団料理長と事務長であった。
「ひいいいいぃぃッ、キレてるッ、あれ絶対キレてるってばああぁッ」
「ひゅー、背中にちっちゃいアルコーンでも背負ってんのかいー」
板から生えた血液袋用磔刑台から青の生贄が叫び声を上げれば、
背後で薄荷茶に氷を入れながら、適当な相槌の処刑神。
そんな仲良し姉妹に、商人が恐る恐ると問い掛けた。
「ええと、私たちも乗せて貰ってかまわないのでしょうか」
「まあせっかくだし、青までだけど乗っていけば良いよ」
「ちょっと姉さん、アレ私の船ええぇッ」
妹の所有物を容赦無く私物化している姉であった。
そして悲痛な叫びを受け、板から拡声器を取り出して船に問う。
「アルフライラ海賊団心得ッ」
―― 歓楽と情熱ッ
打てば響く様に帰ってきた言葉に、アルフライラは軽く頷いてから、
そういう事を忘れちゃいけないよねと、しみじみ語り。
改めてアズラクに顔を向け、真顔で口を開いた。
「私の船だったみたい」
「人の船を勝手に掌握じないでえええッ」
言いながら荷物の積み下ろしを待ち、ひとしきりの後に乗り込む。
既に接舷していた美食船団の船から乗員が乗り込み、一部が交代する。
「そう言えば、赤に滞在しない理由はあるのかの」
そそくさと帰還の路を望むアルフライラの行動を、ハジャルが問う。
猫不足以外の理由、在るのならばそれは何か。
「何かそこはかとなく、時間との勝負になってきそうな雰囲気が」
対して、どこか困惑交じりにあやふやな返答の神。
何にせよ、事が起こるまで赤に拘束されている余裕は無さそうだからと。
「天羽楼か」
「今ならペル・アビヤドに詳しい仮面が居るし」
仮面通信ではエル・ウラカンに成っている事を伝えていなかったらしい。
などと会話の間も旗艦は忙し無く動き、改めて出港準備が整った。
「しかし接舷即出港って、貿易船とは思えない迅速さ」
「神の
今回の商売的なあれこれは、随伴の船団が行っていると料理長が語る。
なお、その目的であるアズラク様は磔刑台ごと甲板に転がされていた。
やがて港の曳航船に牽かれ、外洋に穂先を向ける。
同時、都市の大通りから埠頭に向け、早馬が駆け抜ける姿が見えた。
「左右外輪駆動、急げッ」
追手の先頭に在ったビッラウラは小さく、叫ぶ声も届かない程度に遠い。
「うーん危ない所だった、思ったより早く居場所が把握されたね」
「まあアズラク神が、行く先々で料理勝負していたそうじゃしな」
アルフライラがしみじみと語り、ハジャルが補足の様に受け応える。
甲板で潮風を受けながら会話をしていれば、空に幾つかの色彩の狼煙。
そして埠頭の両端から、沖合を封鎖する様に動き出した赤の船団。
「頭ッ、どうしやすかッ」
船員がアルフライラに向かい叫び問えば、少女は板上に足を踏み出して叫ぶ。
「はッ、木っ端が群れた所で青の大渦は止まりゃしねえぜッ」
船員の歓声と共に、船体側部の両外輪が激しく駆動音を立て回り出す。
包囲しようとする船団の狭間を、真正面からぶち破る神御座船の航跡。
そして赤の包囲は間に合わず、青の神御座は大海原へと船体を踏み出した。
やがて回転動力が法術から蒸気機関に切り替わり、鋼の音が響く。
高速に疾駆する船体に、甲板を渡る風が激しく開拓者たちを打った。
「まさか私に指示を求めてくるとわ」
「相変わらず、その場のノリで生きてんなあ」
大見得を切って叫んだせいで、貧血に青くなっている創世神が告げれば、
再会に喜んでいた船員たちの意見を、船団料理長が鬼瓦面で代弁する。
「でもよ、突っ切って良かったのか」
赤の意思を正面突破した形の青、そんな有様に不安を覚える問いに、
問われた妹の船を占拠している最中の海賊団頭首が応える。
「これから商売するんだから、一発ぐらいカマしておくべきでしょ」
素の声色に幾人かが引き、幾人かが得心の頷きを見せた。
「これを向こうに回して、商売するのですかぁ」
やはり姉妹かと囁く周囲の船員の言葉に、黒の商人は軽く頭痛を覚える。
苦笑交じりに同情の視線の開拓者に、背中を叩く妻の激励。
天気明朗に航跡は白く。
海原はどこまでも晴れ渡り、陽光が海風を抜けて世界を輝かせていた。